『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

誤嚥性(ごえんせい)肺炎に気を付けよう・・・

2017年05月16日 | Weblog

劇団四季の創立メンバーの俳優であり、声優でもあった日下武史さんが
誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため86歳でお亡くなりになったそうだ。

最近、誤嚥性(ごえんせい)肺炎っていう事を良く耳にする。
去年の暮れに俳優の根津甚八さんが肺炎で亡くなったけれど、
今年に入ってからだけでも、元横綱の佐田の山さんや、歌手のペギー葉山さん
などの有名人が肺炎で亡くなったと言う訃報が報道されていた。

ここ数年、僕も自分の唾を吸い込んで咳き込んだり、食べ物や飲み物が
喉に引っかかって、咳き込むことが多くなった。
怖いのは蕎麦を食べる時ですね。
僕はラーメンは、脂っこくて食べないけれど、蕎麦は大好物。
どんぶりを片手に持って、音を立てて蕎麦を食べるのが好き。
そういう時に、たまに喉に引っかかる事があるのです。
そう言った、誤嚥による咳をする時って、凄く苦しいのですよ。

歳を取ると、肺に蓋をする機能が低下するのが原因らしいのですが、
そのたびに嫁さんや娘たちから『爺さんだぁ…』って笑われる。
気をつけないと、いつ自分が誤嚥性肺炎になってもおかしくは無い。
苦しんで死ぬのだけは嫌だなぁ・・・・

そう言えば、今日のライブドアニュースに、
昨夜、テレビ朝日で放送された「橋下×羽鳥の番組」を観たのだけれど、
その中で、橋下氏が
『長寿社会って本当にいいんですか?どんどん寿命が伸びた時に、
社会保障制度である年金、医療、介護はどうなるのか?』
と、政治家ではなくなった民間人の立場でと異議を唱えた。

橋下氏はさらに
『自分が納得する人生をいかに濃密に生きるかが重要、
平均寿命をのばしゃいいってもんじゃない!』と指摘。
僕は、この時に『良いこと言うじゃないか…』って思いましたね。

橋下しが言うとおり、病気などで日常生活を健康に送れなくなった期間を差し引いた
「健康寿命」こそが大事なんじゃないかって、僕はずっと思っているし、
体が自由に動けなくなったら、生きて居たいとは思わないのですよ。
だからこそ、体がまだ元気な時に、悔いのない人生を送ろうと思っている。
そう言う意味でも、芝居やサッカー、音楽は僕にとって大事な時間です。

長生きして、体が自由にならなくなって、肺炎で苦しみながら・・・・
なんて、想像するだけでも絶対に嫌な死にかたですね。
歳を取ったら、誤嚥性肺炎に気をつけましょう!

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安倍政権、このまま任せていて大丈夫なのかな?

2017年05月15日 | Weblog

朝日新聞の『声』欄にあった、21歳の大学生の投稿を見て思う事。

東京の都立高校の約6割で、生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけたりしていないか、
見分けるために「地毛証明書」なるものを提出させているそうだ。
『学校側が間違って指導しないため』に作られたという。
生徒の見た目で学校の評判が落ちるのが困る…と言うのがその理由だそうだ。

僕が10代の頃、まだ茶髪なんていうものは流行って居なくて、
髪の毛にパーマをかけるのが、いわゆる『不良』の間で流行った。
パーマヘアに銀縁の細い眼鏡を少し斜めにしたものもアイテムだった。
暴走族にそういう連中が多かったのも事実。

その後、髪の毛を脱色して『茶髪』にすると非行の始まり…なんてことも言われた。
僕は高校生の時にパーマをかけた。
理由は髪の毛がぺったりとしていて、いつも前髪が顔にかかっているのを見たお袋に
『鬱陶しい』と言われ、近所の床屋に行って、その事を相談したら、
パーマで髪の毛をふんわりさせる事を進められ、お袋からやって来いと言われたから。

その当時はパーマをかけると『停学』なんて学校から言われたが、
僕はなぜいけないのか理由が解らないので、
『天然パーマの人はどうするんだ?どうやって見分けるんだ?』
と、教務主事に質問したら、学校は返答に困り、それ以降五月蠅く言わなくなった。

この投稿にも、似たような話で『黒く染めた場合は?』と疑問を投げかけている。
この青年の言っていることはごもっとも。
僕の場合、ただ単に
『自分のやっていることの何がいけないのか?』という疑問からだったのだが、
この青年の主張にあるとおり、万人の髪の毛が黒いとは限らないし、
髪の毛の色や見た目で、評判を気にする学校の対応が、
45年も前の母校の対応と全く違う所にも、違和感を感じた。

今や髪の毛を染めていない若者の方が少ないし、パーマなんて当たり前。
それくらい世の中の若者はお洒落になっているし、
自分の個性を髪型に出したりするのは、普通の事なのにね。
今の子は本当に格好いいし、お洒落だなって思う。

僕は娘があまりに髪型を気にしないので、二人とも僕の信頼する
美容室へ連れて行って、パーマとカラーリングを施してもらった。
その後、カラーリングに関しては『プリンみたいになる』と言って
止めたけれど、パーマに関しては続けている。

学校教育現場の人間に『個性ってなんですか?』って訊いてみたいですね。
『ゆとり教育』や『個性重視』なんて、数年前まで言っていたのに、
いまは『脱ゆとり』、『脱個性』の方向に進んでいるのだろうか?

これには現政権の戦前回帰の悪しき思惑が絡んでいるように感じる。
安倍政権、このまま任せていて大丈夫なのかな?
この青年の主張を見て、そんな事を感じたのでした。

ただね、生徒やその親があまりにも学校の言いなり…
と言う方がもっと気になる事かもしれません。

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『スポーツ選手として、あるまじき行為』

2017年05月14日 | Weblog

今日はリーグ戦の2戦目。
初戦に若いチームを相手に1-0で勝つという『ジャイアントキリング』で飾った、オジサンチーム。
今日の試合は、同じように20~30代前半と思わしき、企業チーム。
個人レベルでは上手い子が多いチームなのだけれど、好不調の波が大きいチーム。
去年も対戦して、前期は1-0で勝利、後期は0-8でボコボコにやられた。

今日のうちのチームは、攻撃の中心であるトップ下、点取り屋のストライカー、
中盤でゲームをコントロールするゲームメーカーが3人揃って欠場。
残ったメンバーでこの難敵と戦うため、『負けない試合』をするつもりで臨んだ。
『勝ちに行く』のと『負けない試合』は微妙に違うかなぁ?
それでも、やる以上は勝つためにやる。
負けるために試合をする馬鹿はいませんからね。

そしてその試合、基本的には守備重視。
ワンチャンスで点を奪えれば『勝ち』につながる・・・・と言うスタンス。
試合は上手く守れて、0-0の引き分けで終わった。
我々にとっては『勝ち』に等しい結果に終わり、『負けない試合』を実現できた。
そういう意味では皆、気分よく終わった試合だった気がします。

2戦を終えた時点で1勝1分けの勝ち点4。
6チームで構成するリーグ戦で、トップが2勝、それに次いで2位につけるという珍事。
今年は全敗だけは逃れようと思っていただけに、このオジサンチームは
他のチームからちょっとしたリスペクトをされている。
多分、我々を気遣ってくれているのでしょう。試合は荒れることなく、クリーンファイト。
だから試合後も握手を交わし、笑顔で試合後も挨拶してくれる。
スポーツの良さは、こういったリスペクトをした中で、遠慮なく
正々堂々と、お互いの能力を出し合って戦う事じゃないかな?

そう考えていたから、今日はライブドアニュースで見た、この記事に驚いた。
高橋みゆき氏 現役時代の女子バレーの内情明かしスタジオ驚愕

この高橋みゆき、元日本代表の選手です。
五輪後に海外へ渡った経歴もあるんじゃないかな?
そういう意味では凄い選手だったのかも知れません。

僕が何気なく点けたテレビで、この記事にある番組をたまたま目にした。
その時は耳を疑ったし、トップアスリートだから、番組を盛り上げるために
ちょっと大げさな話をしたんだろうと思った。
それでも、自分の気に入らない選手の手を骨折させるようなプレイをして
『やったぜ・・・』は無いだろう。
それを見て、僕は物凄く不愉快になったのでテレビを消しましたけれどね。

最近はテレビ番組を作る側にプアなアイデアしか無かったり、
番組作りそのものの能力不足で、バラエティー番組ばかりだから、
こう云う選手をメディアに引っ張り出して、カミングアウトみたいにした
番組を作って視聴率を稼ぐのは、仕方がないでしょうけれどね。

それはともかく、故意に相手を怪我させようなどと言う
『スポーツ選手としてあるまじき行為』を自慢げに話してしまうようなアスリートが、
日本代表の中に居たということに驚きを感じました。
サッカーで故意に相手を怪我させようとするプレイをしたら、退場だけでは済まされない。
そもそも、そういう選手は、はなから勝負に負けて居るという事。
そういう元選手の横で、一緒になって笑っていた杉山祥子、大山加奈の
女子バレー元日本代表の二人も、同じ穴の狢(むじな)ですね。
まあ、それだからこんな番組でしか、お目にかからないのかも知れませんが・・・・

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劇団の反省会

2017年05月13日 | Weblog

今日は劇団の公演後、最初の会合である『反省会』。
僕は、やるべき事はやった後だから、出来の良し悪しに関係なく、
終わった事で、特に反省することは無いですけれどね(笑)
公演の様子を撮影したDVDと、舞台写真家の山之上さんが撮影した、
1600枚にもおよぶ舞台写真のCDを貰うのもこの会合の目的です。

寿司や揚げ物等を近くの惣菜屋で買ってきて、お酒を飲みながら
座長の話や、会計報告などを行った後に、一人ずつ挨拶。
最年長の女性、ミサカさんは
『元々、覚えが悪いのに加えて、歳のせいでさらに物覚えが悪くなったので
来年は、台詞はほんの少しで座って指図するような役が良い』
と皆の笑いを誘ってみたり、和やかな雰囲気で進みます。

1時間ほど、それぞれ講演で思った事を話をして、最後は長老のTさんの話。
Tさんは、年寄りは怪我や病気になりやすいので、稽古は早めに終えて欲しいと嘆願。
実際、ここ2年は怪我こそ無かったけれど、看板女優の御婆ちゃんが直前に離脱。
一昨年は、公演中の舞台上で足の怪我をしたり、その前の2年は、
稽古で骨折する人が出て、ちょっとした事で怪我をしやすくなったのは事実。
そういう人達を見て来たからでしょうね。今年は座長もそれを意識して
切りの良いところで早めに稽古を切り上げる事が多かった。

劇団を結成して26年、その当時50代半ばだったメンバーも80歳。
今や80代が4名、70代が4名でいわゆる高齢者が4割を占める劇団になった。
歳と共に、衰えて行く身体的な能力と向き合いながら、皆さん頑張っている。
そう言う意味では僕なんかは、まだ20年は続けられるのかな?

一杯やって、帰宅してから一眠り。
車の運転は出来ないので、三鷹の自宅へも行かない。
そんな訳で貰ってきたDVDを見ながら、ひとりで反省会。

正直言って、がっかりです。
自分が思っていたのより、出来が悪かった。
台詞はきちんと言えて、良く聞こえる。これは進歩した部分かな?
完璧じゃないけれど、及第点ってところです。
でも、舞台上での姿勢がやっぱり悪い。
それと手の位置、歩き方もどこか落ち着きがなかったり・・・・
気をつけて居たけれど、やっぱり若い人たちと比べると姿勢が悪いですね。
それでも、ここ数年で大分改善された気はしますが、まだまだです。

そして一番出来が気になった『唄』。
評判が良かったので、ちょっと期待して観てみたけれど・・・・
結果は自分の採点で40点。
もう少し、マシな唄だと思っていたけど、聞いてみてがっかりです。
生の舞台から聞こえる唄は、録音したものとは違うのでしょうけれど、
何だか自分の能力不足を見せつけられた感じでした。

ただ、芝居は気にしていた部分は凄く良かった。
座長と振り付けの先生と、意見が食い違う部分があったのだけれど
僕は座長の指示通りやって、結果的には良かったみたい。
実は本番を観て、振り付けの先生も座長の意見で良かったって
言っていたそうです。

写真の方は、流石に山之上さんが撮影しただけのことはある。
皆の表情が凄く良く出ていて、良い写真でした。
大量にある中から抜粋した写真ですが、良かったらご覧ください。





























































写真で見ると、姿勢は悪くないのですけれどね・・・・
次回の継続課題です。
まぁ、これでOK・・・・
なんて思ったら進化しないし、稽古もつまらないですから、
来年も、また楽しくやりたいですね。

そうそう、来年の公演日程は6月にならないと、劇場から返事を貰えないらしく、
まだハッキリとした日程は決まっていないようです。

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憲法改正を考える

2017年05月12日 | Weblog

今朝はいつも通り、肩のリハビリに行くため7時半に起床。
今日は10時40分からの予約だったので、洗濯機を回して、
なんとなくぼけーっとしていたらいつの間にか寝ちゃってた。
目が覚めたら、なんと10時50分。
予約していたリハビリは諦めていたら、クリニックから電話。
次の人がキャンセルになったので、来いという電話。
慌てて、歩いて3分の所にあるクリニックへ行きリハビリをしてもらった。
帰宅したら11時半。仕事へ行くのも面倒くさくなって休みにした。
こういうところが、今の仕事の気楽さかな?
こんな良い待遇は、日本中探してもまずないでしょうね。

さて、本題。
安倍政権になって、『憲法改正』が取り沙汰されているけれど、
2020年とか期限付けてまで、何をそんなに焦っているのかねぇ?
高等教育まで無償化するのに憲法26条の改正が必要なのか?

そもそも大学なんて、選ばれし人間が行くもの・・・・って思っていたし、
これと言って勉強したいことが無いのに、大学へ行くのは
時間がもったいないって思ったのですよ。
それでも、とりあえず大学を受験して、入学する所まで行ったけど
18歳からの4年間と言う時間が勿体なくて、大学へは行かなかった。
親にはがっかりされましたけどね。

それに教育の無償化をするなら、まずは幼稚園などの幼児教育からだと思う。
それに小学校、中学校の完全無償化が先決なんじゃないのかな?
高校生になる16歳と言えば昔は『元服』して、大人の扱いを受けていた年齢。
家庭の経済的な事情で、働いて家庭の助けにならざるを得ない人は居るだろうから、
そう言った人たちが、『勉強したい』って思った時に手を差し伸べる
奨学金制度とかを作るのが先決じゃないのかと思うのですよ。

その奨学金も返済義務なしや3割負担とか、色々あって良いと思う。
その代り、一定の成績を挙げないと資格を失うような・・・・
欧米はそう言う点で、やる気が無い人間は切り捨てている気がします。
教育を受ける権利と、サークルや遊びに行っているような
大学生なんて、学費を払わせるべきだと思う。

それと、大学を出ていないと就職で不利になる時代はもう終わる。
これからは『何を、どうやって来たか?』を評価される、
学業での『キャリア』が重要になるんじゃないかって思います。

今は、大学卒が僕らの高校卒くらいのレベルでしか無くて
大学で何を勉強して来たの?っていう輩が本当に多いですからね。

定年まで居た会社の本社設計開発部門には、東大などの一流大学卒の人間が多く、
実際にレベルの高い人間が多かった。
5年制の高等専門学校卒業で、大学を出ていない僕は、
大学や大学院卒の人間をリスペクトしていた。
それでも僕が教える事は多々有ったですからね。

憲法改正案は9条改正に併せて、国民に受けの良い教育無償化をバーターにして・・・・
なんて事は考え過ぎの気もしますが、教育の無償化は内容を
きちんと議論する必要がある気がします。

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今が最高!

2017年05月11日 | Weblog

こういうタイトルの唄をCDに収録するため、先週末に『ガヤ』で参加。
40・50歳はまだ若い、60・70歳は花盛り・・・・みたいな、
年寄りが幾つになっても元気で生きて行こう!っていう、
年寄りには馴染みの薄い8ビートのロックンロール。
そんな歌を唄う歳になってきたなぁ・・・って思う、今日この頃です。

今、僕は61歳。
実はこの先2年間が、僕にとって一つのハードルなのです。
というのも、僕の父親は63歳3か月で他界している。
61歳の時はまだピンピンしていて、『ゴルフを楽しむんだ!』と言って
ゴルフ会員権を購入して月に数回、ゴルフに出かけていた。

親父が62歳のある夏の日、突然左腕が動かないと言って暫く家で休んでいた。
それでも、何かおかしいので病院へ行ったら、最初の診断が『脳梗塞』。
それで暫く入院していたのだが、嘔吐したりでおかしいと思い、
友人の伝手を頼って、慶応病院で診て貰った。
すると今度は北里病院へ転院させられ、そこで初めて『大腸癌』だと判った。
その時はすでに末期で、余命半年・・・と医師に宣告された。

若いころからスポーツマンで、『病気』なんて本当に縁のない親父だった。
親父は宣告通り、翌年の2月にこの世を去った。
その時僕は、親父とじっくり話す機会が無いままだったなぁ…
そう思ったのでした。

長男の兄貴は、結婚する前に親父とじっくり話をしたそうだ。
三男の弟は嫁さんの御両親を面倒みるので、親父と同じ境遇になるため、
親父が弟に心構えみたいな話をしたと聞く。
兄弟で一人だけ、次男坊の僕は親父とじっくり話をしたことがなかった。

まぁ、仕方がない。
兄貴は商船大学を出て、海運会社に就職。
弟は化学系の大学を出て研究所で勤務。
僕はと言うと、高専卒業後は就職もせず、舞台関係の仕事をやっていて殆ど家に居ない。
その仕事もプツンと辞めてしまい、その後は叔父の珈琲輸入問屋の跡継ぎとして
修行していたけれど、やっぱり商売は向いていないと思い込んで飛び出した。
その後は自動車整備士、自動車の解体業など職を転々として不安定な生活をしていた。
そんな僕を親父はどう思っていたのだろう…?

誰にも話したことは無いけれど、その当時僕は、親父に心配をかけたままいるのが嫌で、
親父が亡くなる数年前から、仕事から帰ると電気工学の本を引っ張り出して、
こっそり夜中に勉強をやっていた。
いつかは親が行かせてくれた学校で学んだ、電気設計の仕事をしようと・・・・

親父の余命が半年と聞いて、その気持ちが固まって電気関係の仕事へ転職した。
その間に親父が亡くなった。
その1ヶ月後に、1部上場の会社に居た先輩と出会い、丁度人手不足だったので
その会社の外注業者として仕事をするようになった。
そこで部長に気に入られて、運よく2年後に、正社員として引き抜かれ入社、定年まで勤めた。
親父にその姿を見せられなかったという、悔いは今でもありますね。

そんな経験があるから、僕は親父が亡くなった63歳まで病気をしないで生きることが目標。
数年前から、この先の自分の人生なんてイメージしていない。
まずは今日を一生懸命生きること、明日があるなんて考えは少ないですね。

だから、定年後は自分のやりたい事をやりたいって・・・・
仕事は、自分の時間が無くなるようなら辞める。
旅行も、元気で体が動くうちに行きたかった所へ行きたい。
僕はいつまで生きられるか解らないから、僕がこの世から
居なくなった後の事は考えてあるって…
この間、家族と出かけた際に、車の中でその話を家族に話をした。

そんな事を考え、子供に話をする歳になってしまいました。

今年の劇団公演のテーマは『今を生きる』だった。
台本を手にした時から、何か僕の今と重なる部分があった気がします。
今を大事に出来ない人に楽しい未来はやって来ない。
そのためにも『今が最高!』って人生を送らないといけないなって思います。

7月くらいに出来上がるCDが楽しみです。

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妊婦は絶対的に偉い・・・・のつづき:その3

2017年05月10日 | Weblog

昨日、書きたかったことはもう一つあります。
それは『不妊治療をしている人など、マークを見て辛い思いをする人』にです。

昨日も書いたとおり、我家もなかなか子供が出来ませんでした。
結婚前は、『出来ちゃった婚』が嫌なので、子供が出来ないように気をつけていた。
子供なんていつでも出来る・・・・なんて思っていたから、結婚して暫くは二人の生活を楽しもうと
子供を作ろうなんて事を考えずに生活していた。

結婚して2年目くらいになって、そろそろ子供が欲しいなって思ったけれど、
いざとなってみると、思っていたように子供を授かることが出来なかった。
そのころから、親戚や友人から
『子供はまだなの?』
って、挨拶代りみたいに言われる事が多くなって、ちょっと煩わしく感じていた。
まぁ、それでも二人の娘に恵まれて良かったですけれどね。

不妊治療をされている方は、そう言った煩わしいことがずっと続くのかな?
それと子供が出来にくい体の方も居られるでしょう。
心無い親は、そういう子供の出来にくい女性に対して
『こんな嫁を貰っちゃった』とか言う人も居るでしょう。
だから妊婦をみて、辛い思いをされる気持ちも分らないでもない。

でもね、子供が出来ても不慮の事故や、病気で亡くすご夫婦も居る。
最悪なのはこの間あったような、誘拐殺人に遭う事でしょう。

生まれて来た子供に障害がある場合もあります。
それでも、子供は可愛いものです。

その反面、子供が居る事が本当に幸せなのかな?
なんて思ったりする事が、身近なところでいくつもあります。

子供を一生懸命育てて、立派に社会へ送り出した。
その子が結婚して、自分の家庭を持ち独立する。
ところが親が歳を取って、病気がちになっても一向に気にしない。
たまに顔を見せるでもなく、親はもう自分には関係ないとばかりに・・・・

それで最終的には、老人ホームで人生の最後を迎える。
誰一人、看取る人もなく、寂しくこの世に別れを告げた人が居ました。
その方を見舞いに行った時に
『こんな空しい思いをするのが解って居たら子供なんて居ない方が良かった』
そう寂しく仰っていたのが、今でも頭の中に残っています。

何が言いたいのか?
子供が居る事が必ずしも幸せじゃないってことです。
欲しくても授からないのが辛い・・・・かも知れませんが、
子供が居ないから、出来ることも沢山あります。
子供が居る人から見たら、そういう御夫婦が羨ましく感じたり。
要は、人生それだけじゃない・・・
隣の芝生は良く見えるじゃないけれど、
『人生色々、人の数だけある』ってことが言いたいのですよ。

だから、お腹に赤ちゃんが居る方を見て、辛いなんて思わないで欲しい。
『私には私の生き方がある』って、思って欲しい。
前向きな考えを持てば、他人の幸せを分けてもらえる気持ちになる。

劇団で芝居をやるようになって、我々の元気や生きるエネルギーを、
お客さんに振りまいて、それを感じて受け取ってもらえたら・・・・
そう思って、一生懸命に稽古をして、下手くそな芝居をやっています。

他人の幸せを、手放しに喜べて、それで自分も少しだけ幸せな気分になれる…
何だか、素敵な事だと思いませんか?

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妊婦は絶対的に偉い・・・・のつづき

2017年05月09日 | Weblog

昨日、自分のブログを見直して思ったことのつづき。

昨日の日記に貼りつけた、赤ちゃんと女性が寄り添うようにデザインされ『赤ちゃんがお腹にいます』
と書かれたマタニティーマークが施されたストラップ(ベネッセコーポレーション提供)
マークはキーホルダーやシール、ポスターなどにも活用されているらしい。

厚生労働省が公募によって平成18年に制定して、妊婦への配慮を呼びかける目的に作られた物で、
JRや私鉄の駅で、マークのついたキーホルダーを無料で配布したり、
自治体が母子手帳の交付時に渡したり、妊婦向け雑誌の付録に付いていたり、
さまざまな方法で手に取ることができる物だそうです。

その厚生労働省の制定から早くも10年が経った・・・・・。
と、ここまでは昨日の日記に載せた産経新聞の記事からの受け売り。

このマーク、僕も殆ど見かける事が無かったのだが、今日はたまたま車で通勤。
その時に前を走っていたワゴン車にこのステッカーが貼られていた。
良く見ないと解らないし、ぱっと見て解るほど認知度が十分ではない気がする。

産経新聞の記事で一番気になった部分を、以下にそのまま載せます。

>「付けていると、わざと押されるなどひどい目に遭うと聞いた」
>「押しつけがましいと感じるから」などの声や、
>「不妊治療をしている人など、マークを見て辛い思いをする人もいる」との反応があった。
>このほかにも、マークを付けているときに年配の男性から
>「妊婦は偉いのか」と言われた人や、マークを付けて行った遊園地で
>「妊婦は来るな」と言われた人も。
>妊娠中、周囲から冷たい反応を受けた人は少なくなかった。

ここに出てくる年配男性っていうのは、還暦過ぎた僕くらいの人だろうか?
あまりにも心無い言葉で、自分の身内には子供が全く居ないんでしょうね。
もし、自分に子供が居たとしたら、この男性は人間失格。

結婚して暫く子供に恵まれなかくて、長女を授かったのは結婚して4年目でした。
そんな折、お袋が癌で亀戸の病院へ入院し、荻窪の実家には祖母が一人になった。
嫁さんを一人にしておくと、何かあった時に対応できないので、
週末は嫁さんを横に乗せて、亀戸と荻窪を車で巡回するような生活が続いた。

そんな生活が影響したのか?今度は嫁さんが「切迫流産」で入院。
僕は3か所を回る生活がしばらく続いた。
嫁さんが退院したものの、医師から安静に生活するように言われ、
嫁さんがなるべく楽に生活できるように、何かあってもすぐに対応できるよう、
僕は仕事を出来るだけ早く切り上げ、急いで帰宅するようにした。

その長女は、切迫早産で未熟児で生まれ、医師から
『覚悟してください』と言われて、長女の生命力に賭けるしかなかった。
お陰さまで長女は成人し、二人の子供に恵まれました。

そんな経験があるから、こう云う男性の脳味噌が理解できない。
昨日も書きましたが、自分は男だから子供を産む大変さは本当のところでは解らない。
まさに、知ったかぶりです。

ここで再び産経新聞の記事を引用します。

>産婦人科医でもある吉田穂波さんは
>「日本では、妊婦が少なくなっている。『自分で体験していないことは分からない』
>という人も多いので、>妊婦が理解されにくい存在になっているのでは…」と指摘。
>「迷惑をかけてはいけない」との意識が強く、女性が妊娠を隠す傾向も見られるという。
>また、吉田さんは「妊娠、出産は死と隣り合わせの側面も持つ。
>妊娠中の女性は、辛いときは思い切って周囲に助けを求めてほしい」と話す。

中略

>マークを付けている妊婦は
>「急病や災害時など、妊婦に使えない薬を配慮してもらえるように」
>「どうしても体調が悪く、空いている優先席に座ったとき、白い目で見られないように」
>などの思いで付けていることが多いと話す。
>しかし、マークに冷ややかな反応をする人は
>「『マークを付けているんだから何とかして』、と配慮を強要された気分になっているのでは」と分析する。

女性が子供を産むというのは大変な事なのです。
それも命がかかっている。生まれてくる子供と、産む母親の2つの命が…です。
だから僕は『妊婦は絶対的に偉い』って思います。

マークを付けている人が居たら、優しくしてあげましょうよ。
不妊治療をしている人も気持ちは解るけれどね、苦労の末に子供を授かった時の事を考えて…。

もうひとつ言いたい事があったけれど、長くなってしまったので明日またつづきのつづきを書きます。

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教育の問題だろう?

2017年05月08日 | Weblog

「電車で高齢者に席を譲る」という人が減っているワケ


こんな記事があって、読んでみたけれど何だかねぇ・・・・
もう10年以上も前の事になるが、前の会社でイギリスのオックスフォードへ
特殊装置の納入で2ヶ月間滞在した事がある。
2か月間の出張となると、ホテルと言っても朝御飯を食べるだけの
B&B(ベッド・アンド・ブレックファスト: bed and breakfast)に泊まるから、
昼と夜は自分で考えて食べないといけないし、洗濯物は近所のコインランドリー。
当然、感覚は観光旅行ではなく、そこに住んでいるような気持ちになる。
2006年10月から11月にかけて、僕のブログにイギリスという国の人の優しさを綴っている。
興味があったら読んでみてください。

そこにも書いたかも知れないけれど、イギリスでは日本のような『優先席』なんてものはない。
年寄りに席を譲るのが当たり前・・・・の国だった。
この記事にもあるけれど、今は自分を含めて年齢の割に元気な人が多い。
精神的にも、体力的にも昔の人間に比べると、ずっと若いように思う。
でもね、他人の好意を素直に受け取れないのって悲しいなって思う。
たったひと駅でも、譲られたら座ってあげたら、譲った人もどんなにうれしいか。
そういう意味では脳味噌の方まで『若く』なってしまったのか?
歳を取ったら、それを受け入れればいいと思うんだけど。

僕の場合は、年寄りとして生活してます。
ただ、サッカーをやる時は、若い奴らを驚かせてやりたい。
それは相対的な体力とか、スピードとかの比較じゃない。
『60歳なのにすげぇな・・・・』と若い奴らに感じてもらえたらって言うところ。
大抵は子供は大人には敵わない。
子供を大人の物差しで比較したら、勝てる訳がないように、
年寄りにも物差しを替えて見てあげる必要があるんじゃないかな?
それがリスペクトだったりするのですよ。

もうひとつ、この記事の中に書かれていた記事があった。
それがこれ。
妊娠知らせるマタニティーマークはつけたくない 世間の冷たい対応…「幸せ自慢するの?」

この記事の中にこんな事が書いてあった。
「不妊治療をしている人など、マークを見て辛い思いをする人もいる」との反応。
このほかにも、マークを付けているときに年配の男性から「妊婦は偉いのか」と言われた人。
マークを付けて行った遊園地で「妊婦は来るな」と言われた人。
妊娠中、周囲から冷たい反応を受けた人は少なくなかった・・・・

何だかねぇ・・・・
不妊治療をしている人は、マタニティマークを見て、なぜ辛くなるんだろう?
他人の幸せを慶べない人って、かわいそうだなって思う。
子供って、必ずしも自分にとって幸せとは限らない。
一生懸命に子供を育てても、その恩を感じず年老いた親を疎ましく思う人だっている。
それだったら子供なんていない方が幸せだったんじゃないかって・・・・
そういう人を何人も見ているから、そう感じるのです。

年配の男性が「妊婦は偉いのか」と言ったらしいけれど・・・・
僕が思うに、妊婦は絶対的に偉いのですよ。
男には出来ない『子供を産む』という事をするんだから。しかも命懸けです。

日常生活の中で、男が命をかけてする事ってありますか?
自分や家族の身に『危機』や『命を脅かす事』が起きない限り、まずしないでしょう。
その他は『命懸けの冒険』程度。これは日常の事じゃない。
「妊婦は偉いのか」などと言った男性は、たぶん家族や友人には恵まれないでしょう。

そして「妊婦は来るな」とか「子連れは来るな」もしかり・・・・
ただ、子供を連れて来るべきじゃない場所は有りますね。
音楽会や演劇など、子供が騒ぐと迷惑になる場所はあります。
その場合は子供が大きくなるまで我慢するか、ベビーシッターに頼むとか
そういう配慮が必要だと思う。
まあ、日本にはそういう環境が整っていませんけれど。

要は『お互い様』という心の余裕があれば、世の中はギクシャクしないんじゃないかな?
自分だけは良い思いをしたいと思う人間が多すぎる気がします。
団塊世代、そしてその子供たちである今の40代前後の人たちは、
多分、競争の中で生きてきた世代だからでしょう。どこかそういう人が多いですね。

そういう点では今の若者は素晴らしいですよ。
ゆとり教育で心に余裕が出来たのでしょうかね?
他人を思いやる心を持った人間がすごく沢山いる。
日本の将来は、そんなに悲観することは無い気がしています。

『座席を譲る』話も、『妊婦に冷たい』話も自分ばかりで、心に余裕がない人の話。
突きつめれば『教育の問題』なのかも知れませんね。

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色々な出会いが楽しい♪

2017年05月07日 | Weblog

昨日は沢山の人と出会いました。
他人と出会うのは、運命だと思っている。
偶然なようで、辿って行くとなるほどなぁ・・・って思う事が沢山ある。
だから僕は、人との出会いを大事にしています。

もしかしてもう2度と会わないかもしれません。
でも、逆にまた会う可能性もある。
僕の人間関係っていうのは、どこかで誰かとつながる理由がある気がしています。

昨日の出会いは、大塚先生と僕が知り合った事が始まり。
その出会いだって、劇団に参加しなければ無かったこと。
劇団も、最初は全く興味が無かった。
でも、その中の一人のオバチャマ(僕の大好きなオバチャマです)と、叔母が仲良くて
叔母の葬儀、通夜から告別式、納骨まで来てくれて、お調子者の僕が
そういう席で、お客様の相手をする役目だったから話す機会が出来た。

そのオバチャマが、何気なく渡してくれた公演のチケットを、
ほったらかしにしていたのだけれど、当日になって気になって急遽、観に行った。
『叔母のお導き』という言葉がぴったりなのかも知れない。
それから僕の人生観が大きく変わって、今の自分が居る。

劇団に参加して、大塚先生と知り合った。
大塚先生から、ジャズギタリストの竹中俊ちゃんとつながりが広がって、
ジャズのライブが好きになったし、音楽観も変わった。

人との出会いで、自分の考えも、人生のスタンスも大きく変わった。
劇団の男性陣は、大人の男の勉強になっているし、そういう大先輩の御仁たちに、
ちょっとしたことでも褒められたりすると、何だか自身が湧いて来たり・・・・
これはオバチャマたちとの出会いでも一緒ですね。

海外旅行のツアーで知り合った人とも、いまだに付き合っている。
2年前のツアーで知り合った人は、みんなで僕の芝居を観に来てくれるし
その時に飲み会や、ランチを食べたりしてつながりが続いているみたい。

昨日出会った人たちと、この先どういうつながりが出来るのかな?
もしかして、また違った新しいことに広がるのかも知れない。
色々な出会いで、楽しい人生を送ることが出来る予感がします♪

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『東京チャンバアズ』コーラス隊

2017年05月06日 | Weblog

今日は、青山にあるビクター音楽スタジオで録音。
劇団の音楽を担当されている大塚彩子先生が、
中高年に元気を出して貰いたいという考えで製作されるCDに、
『東京チャンバアズ』なるコーラス隊を結成して、それに参加したのです。
*チャンバアズっていうのは、『ばあちゃん』の業界風の言い方らしいです。
僕は、男性が足りなかったら声をかけてもらう、いわゆる『補欠』のつもりで居たのですが、
大塚先生からレギュラー昇格のお達しを頂いたのでした。

実は、この録音スタジオは若い頃にやっていた音楽関係の仕事で何度か来ていて、
40年ぶりに来たので、ちょっと懐かしい感じがしました。


今回の録音した歌は、2010年の劇団公演『魔女は永遠に』という芝居の中で、
ばあさん達が杖を手にした『杖ダンス』をしながら唄った、『今が最高!』という、大塚先生のオリジナル曲。
このコーラス隊の話を大塚先生から伺った時に、この曲かな?って予想していた唄。
多分、この歌を知っているのは大塚先生と僕だけだったかも知れません。

その録音、ライブなどで聴衆と掛け合いをする感じ。
バックコーラスと言うと聞こえが良いけれど、ハッキリ言って『合いの手』かな?
どちらかと言うと芝居で言う『ガヤ』で、臨場感とかリアル感を出すのに必要な音。
だから、唄が上手な人ばかりじゃつまらない、調子外れやリズム音痴が居てもおかしくない。
揃いすぎていないのもリアルな感じが出る。
そういう意味で僕は貴重な戦力だったかも知れないですね。


そんなわけで、録音自体は30分ほどで終了、そのあとは外苑にあるキハチで懇親会。
今日参加したメンバーは、ほとんどが大塚先生と、旦那様立花岳志氏の生徒さん達。
立花氏はプロ・ブロガーのコンサルタントで、皆さんブログのセミナーで知り合った仲みたい。
そういう意味では僕だけ、異分子だったのかなぁ?
僕が『大塚先生』と呼ぶので、皆さんは何処の人だろうって思っていたらしい。

それで、僕の劇団の音楽担当をされている大塚先生の話をして、
今日唄った曲は、2010年の公演で披露した挿入歌で、リアルな婆さんたちの
杖ダンスが凄く楽しくて、男の僕は羨ましくて観ているしかなかったという話をした。

今回のCD制作にあたり、劇団の振付担当の河岡先生に依頼して、
新しい振付をしてプロモーションビデオを作る話まで進んでいるそうです。
その劇団の反省会が来週の土曜日にあるので、その話が出るみたい。
どうせなら爺さんも混ぜて欲しいなぁ・・・・

そんなわけで、今日は楽しい一日を過ごさせていただきました。

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『マザー牧場』:いろんな意味で癒された一日

2017年05月05日 | Weblog

昨日はマザー牧場へ出かけてきました。
朝6時に起床して、7時に三鷹へ到着。
コンビニでお菓子などを買い込んで7時半に出発。
交通情報で混雑のピークと言われていたけれど、我家は連休中に家族が揃う日はこの日だけ。
渋滞覚悟で高速道路に乗って、一路千葉県の君津市にあるマザー牧場へ!

高速道路はC2(第2環状線)が出来てから、大きな渋滞が少なくなった。
高井戸から首都高速4号線に乗って、新宿ジャンクションでC2へ。
ここから大井南ジャンクションまでは順調に進んでいた。
渋滞情報を見て、アクアラインは1時間と書いてあったので、湾岸道路を使って千葉経由で行くよりは、
距離的に短い方が楽だと踏んでアクアライン経由で行く事にした。

ところが、途中の多摩川トンネル(神奈川との県境)で追突事故が発生し、
羽田空港のあたりで殆ど車が進まなくなっちゃった。
渋滞でアクアラインに到着したのが12時半。ここまで5時間を費やした。
車の中、バイクの集団や割り込む人間の批判をしたり、
トイレまで我慢できず、道端の隠れたところで用を足す男性を見て
『チャック閉めろよ』とか『手、洗わねぇのか?』とか
車の中でワイワイ、ガヤガヤ・・・・我家はこういう時にもイライラしない。

何とかアクアラインまで進んだところでトイレ休憩をしたかったけれど、
海ほたるに入るまで長い渋滞なので、そこをスルーして、先に進むことにした。
そこから先はスムーズに進み、君津PAでやっとトイレ休憩。

ここには『ETC専用出口』と言うのがあって、地図で調べたら、
今まで使っていた富津の出口を経由した道に比べると、半分以下の距離で行ける。
幸い、去年から遅まきながらETCを装着したので、この出口を利用できた。
『ETCにして良かったね』と、家族が喜ぶ。
今まで、ETCを装着していなかっただけなのに・・・・単純なアホ家族です。

マザー牧場手前でまた渋滞になったけれど、何とか2時に到着。
通常の閉園時間は17時なのだけれど、この日は連休中とあって18時半閉園。
天気も良く、何とか4時間ほど遊べるので、ラッキーだった。

ちなみにプロレスの蝶野正洋ではありません。

マザー牧場は、首都圏で数少ない『ペット可』の遊園地。
流石に放して遊ばしたりは出来ないけれど、伸張式のリードでなければ、
犬などのペットも園内を一緒に歩けるから、ペット連れが意外と多いのも特徴。

我家はお目当ての『アヒル大行進』に間に合った。







このアヒルの軍団の歩く姿を見ると、それだけで癒されるのですよ。
中には必ず変なのが1羽居て、我家では『ゆうじ』と呼ぶ。
この日も居ましたよ『ゆうじ』・・・・
集団から外れて居る、お兄さん飼育員よりお姉さんが好き、一羽だけ泥んこ・・・・

嫁さんたちは乗馬しかったのだけれど、到着した時間が遅かったのに加え、
馬は時間が決まっていて餌の時間になってしまい、騎乗時間は終了してしまった。
それでも、餌を食べる馬を見ることが出来て嫁さんたちは満足したようだが、
だがここにも一頭、餌の入った桶に顔を突っ込んだまま居眠りしている、『ゆうじ』な馬がが居たらしい。

その本家『ゆうじ』は家族の荷物番を兼ねて、テントの中でお昼寝。
僕はテントの中で、昼寝するのが一番の楽しみなので丁度いい。
この2時間が癒しの時間になるのです。

あっという間に17時になって帰る準備。
動物たちも寝る時間になったようで、寝る前に水分補給かな?






テントを畳んで、お土産を買って駐車場に向かう途中で、次女が眼鏡が無い事に気が付いた。
探したら畳んだテントの中に入っていたので、再び暗くなってきた駐車場で広げた。
広げてみたものの、今度は畳めない・・・・
家族全員で必死になって畳むのだけれど、一向に畳めず、ワイワイガヤガヤ…あたりは真っ暗で我々だけ。
『馬鹿家族を露呈』って言いながら、僕が何とか畳んで、7時過ぎにやっと帰りの途に着いた。

帰りは比較的空いていて、海ほたるの駐車場まで2時間で到着。
夕食を食べて、三鷹に到着したのは11時半。
帰宅するや、我家のペット『うー』が無事な事を確認。

行きは7時間、帰りは3時間半。
運転で疲れましたが、我家は家族のこういった時間が、当たり前のようにある。
家族に恵まれ、家族との時間で癒されているなぁ・・・・
そう感じた一日だったのであります。

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モチベーションアップ

2017年05月04日 | Weblog

昨日は僕のブログランキングが105位になった。
内容を見てみると3年前に書いた『幼稚園並みの低レベル』
と言う記事にアクセスが集中して、一日だけで4000PVの閲覧があり、
1600IPもの訪問者があった。

モチベーションアップ株式会社という、胡散臭い名前に
僕にはお笑いでしかないような事を真面目に商売としていて、
それにまんまと乗せられた前の会社の間抜けな話を書いた訳ですが、
それが3年経った今頃にこんな閲覧があるなんて、ちょっとびっくりです。

モチベーションっていう言葉、いかにも横文字が好きな日本人らしい。
もっと解りやすく『やる気』って言えばいいのにね。
若い頃に『遣り甲斐』を『やり貝』なんてダジャレで、
背中に貝を着けたものが、世の中に出回ったこともありました。

日本人、特に最近、会社の経営陣は『モチベーション』とか
一時の『アイコンタクト』だったり、サッカーで流行った言葉を
良く使うようになりましたね。

さて、本題。
このモチベーションアップ株式会社の業務内容を批判している訳じゃない。
問題は、社員の士気を上げようとする会社の総務部あたりが、
自らのアイデアを出すのではなく、出来合いのものを持てくる
そう言う姿勢を批判しているのですよ。

『モチベーション』なんて、個人の資質にも依るものだし、
会社でのモチベーションっていうのは、単に業績アップという
『目標』やその『目的』を明確に社員に伝えないことには
聞かされる方だって、なんじゃこれ?と思うはずです。

ただね、前の会社だけじゃないけれど、殆どの管理職は
腰抜けが多いから、上から言われたことを咀嚼もせずに
部下に『伝達』するだけの人間が多いのです。

部下には『伝達』ではなく『示達』であるはず。
その為には会社の目標や目的を達成するために、
管理職が自ら、自分の部署がやるべき事を考えて、
部下に示達するのでなければ、部下だって動いてはくれない。

管理職はサッカーで言えばチームの監督です。
次の試合に勝つ、この大会で優勝するなどの目標をチームに伝え、
それを実現するために、自分の考えた戦術をチームに遂行させる。
それで結果が出ないなら、監督は戦術を考えなおすか、
チームのオーナーがその監督をを首にするかしかないのです。

閲覧をして頂いた2013年の記事にも書きましたが、
ただ『頑張りましょう』って言っても、何をどう頑張るんだ?
なんてことになってしまうのは当たり前のことだって思わないのでしょうかね?

それだから、監督や管理職は自分の考えを明確にしないとならない。
『モチベーションアップ』なんていうのは、そういった事に
真面目に取り組まない限り、絶対に上がらない・・・・。
これが僕の持論です。

こういった会社の作ったひな形みたいなものを持ってきて、
それを社内に張り出して、それっきり・・・・
なんていう会社の、社員の意識が変わって行くわけがない。

そんな間抜けな事をやる会社が多いのでしょうね?
だから前出のような会社が、成り立ってしまう訳なのです。

しかし、新年度だからこういう話題に興味を持たれたのでしょうか?
いずれにしても、多くの方に見て頂いて嬉しい限りです。

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夢・・・持ってますか?

2017年05月03日 | Weblog

このブログを見ていただいている皆さんは、『夢』を持っているでしょうか?

ちなみに『夢』を辞書で調べるとこう書いてある。
①睡眠時に生じる、ある程度の一貫性をもった幻覚体験。
②将来実現させたいと心の中に思い描いている願い。
③現実を離れた甘美な状態。
④現実とかけはなれた考え。実現の可能性のない空想。
⑤心の迷い。迷夢。
⑥はかない物事。不確かな事。

①は皆さん経験があるでしょう。
③~⑥はあまりポジティブな内容じゃない。
ここで大事なのは②ですね。
将来実現させたい事・・・・
僕は子供の頃から『夢』ではなく『こうしたい』とか、『こうなったらいいなぁ』
と言った『希望』を年がら年中抱いていた。

ところが僕の場合、幸運なことにその殆どが叶ってきた。
以前にも書いた小学校の頃に陸上競技の学校代表もその一つ。
思い返してみれば、中学校の頃はそう言った意識は希薄だった気がする。
高校生になって、バンドをやるようになって、
将来的に音楽関係の仕事に就きたい・・・・なんて夢を抱いていた。
それも、気が付いてみればその業界の第一線で暫く働いていた。

その後、舞台関係の仕事を辞めて、最終的には一部上場企業に就職し、
定年まで勤め上げることが出来た。
この会社でも、自分がやりたいと思った看板商品の仕事をやる事が出来た。
仕事に関しては完璧ではないにしろ、ほぼ自分の思い通りに進んだ気がします。

プライベートに関しても、ほぼやりたい事はやってきた気がします。
今、夢中になっている芝居も若い頃からいつかはやってみたいと思っていたし、
サッカーは自分のチームを作ろうと思ったら、仲間が集まってくれた。
音楽も、コンテストに出たりで、そこそこの実績を残してきた気がします。
その他はカーレースやウィンドサーフィン、スノーボードのように、
一時期夢中になった事もあるけれど、長続きしなかった。
基本的に好きじゃなかったのだと思いますね。

今、次女がアニメーションの業界で働いていて、劣悪な環境に居る。
信じられないような安月給で毎日、夜中まで仕事をして帰ってくる。
終電がなくなると、僕が迎えに行って車の中で次女の愚痴を聞いてやったり、
将来的にどうしたいのかを話しながら、自宅まで送って行く。

でも、次女は『作画が出来るようになるまで頑張る』と言う。
僕は『夢』は『思いの強さ』が無いと叶わないよ・・・・
いつもそう言って、『とにかく自分が決めたことなんだから頑張れ!』
って励ましている。

僕自身、還暦過ぎた今でも、まだ沢山の『夢』を抱いている。
その夢も、本気でやろうという『思いの強さ』が無いと叶わない。
人生の残り時間はそう長くないから、のんびりしていたら、
あっという間に終わってしまう。

夢は叶えるもの・・・・
頑張って一生懸命やれば、いつか叶うもの。
そんな気がします。

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僕の持論

2017年05月02日 | Weblog

今日は午前中に肩のリハビリへ行って、帰宅時間が遅くなった。
それから3時間かけて、2時過ぎに仕事へ行くのも面倒くさい。
おまけに今日は夕方から、業者の会長と飲みに行く予定らしく
夕方には切り上げると言う話で、行った所で3時間ほど。
最近は、次女のお迎えが不定期に有るので、酒も控えている。
そんな事もあって、特に急ぎの仕事も抱えていないから、
今日は仕事へ行くのを止めにして、一日早く連休突入。

先月末、芝居の前日に床屋へ行って、耳にかかっていた部分を
切った程度だったので、1か月で前髪が目にかかるようになっちゃった。
平日の明るい時間に床屋へ行くのが一番いいので、
今日は、髪の毛を夏用の短いヘアスタイルにしてきました。
さっぱり!

床屋で僕の担当をしている『お兄ちゃん』こと、マネージャーはオーナーの息子。
ロンドンで修業をして帰国後は、美容院を開店させたりしていたが
20年ほど前に、店長としてオーナーの後を継いで僕の担当になった。

今日は髪の毛を切り終わった後に、オーナーがやってきて、
『芝居のセリフはどうやって覚えるの?』から始まって、
ここでまた、いつものように僕の持論を話した。

基本的に僕は出来るだけ台本を持たないようにする。
間違っても良いから、とにかく台本は持たない。
これって、自分の出来ない所に気が付くんですよ。
そこを直して行けば、どんどん覚えて行く。
最近の若い人が『僕は凄いんですよ』って真顔で言うのに驚かされる。
『自分は○○が出来る』なんて思っているとしたら、そこから進歩しない。
これは仕事でも同じなんだと言う事をお兄ちゃんに話した。

僕にとって芝居の台本、音楽の譜面、仕事の設計図は同じ扱い。
基本は台本通り、譜面通り、設計図通りにきちんとやれる事が大前提。

芝居の台本、音楽の譜面は早く手放して覚える事、
設計図面は手放せないけどその細部を理解する事。
台本通り台詞が言えて、譜面通り正確に唄えて、初めて自分のスタイルが入れられる。
アドリブを入れるのはそれからなんですが、最初からアドリブありきの人が居る。

台本を見ながら稽古するのは、レシピを見ながら料理するようなもの。
レシピ通りの物しか作れないが、元の味付けは覚えられる。
譜面を見ながらの演奏はも同じ。
譜面を見ながら演奏するのは、ジャズやクラシックの演奏では当たり前だが
唄い手が譜面を見ながら唄ってるのを見ると、
『プロじゃないな』
っていつも思ってしまうし、そう言う唄い手のライブは、
お金を払ってまで、聴こうと言う気が起きない。

自分に出来ないことを如何に受け入れられるか?
そしてどれだけ自分のものにしようと努力するか?
それで物事に対する姿勢と、成長の有無が決まっちゃうんだよ・・・・・
なんて、偉そうに話してしまいました。

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