誰でも年をとります。老境にいたると自分の人生の来し方をいろいろ思い出して反省することが多いのではないでしょうか?勿論、自分の人生は間違っていなかったと自画自賛し、意気軒昂のまま旅立つ人もいます。
私の職業は大学に勤めながら実験科学の研究をし、成果を論文に書き、国内と外国の学会誌へ発表するという仕事でした。随分、数多くの論文を発表したと満足していました。
このたび福島原発事故のせいで、昔お会いした古川和男の電源喪失でも爆発しないトリウム熔融塩原発炉の文書を読みました。
このタイプの原子炉については昔、古川さんから話を聞いたことがありました。その時の主流は沸騰水型原発炉でした。成功の見込みも無いマイナーな、熔融塩原発炉を本気で研究している古川さんを何となく困ったものだと思ったものでした。
困った理由は2つです。あんなに優秀な研究者の才能を使い道も分からない熔融塩原発炉へ注ぐのは無駄だと思ったからです。もう一つの理由はマイナーな脇道の研究をする人を私はなんとなくウサン臭く思っていたからです。
私の研究の姿勢はその分野の主流の研究テーマを取上げるという主流主義でした。別な言葉で言えばその分野の流行のテーマを追っていたのです。流行のテーマですから多くの研究者が集まります。要するに華やかなのです。
古川さんのテーマは熔融塩の物理と化学という地味なものでした。熔融塩とは食塩やカルシューム弗化物を加熱して熔解し、液体にしたものです。液体になるとナトリュームや塩素はイオン化して自由に動き回ります。このような液体は濃厚なプラスイオンとマイナスイオンの粒子だけで出来て居ます。その液体構造を古川さんが真面目に研究していたことを思い出しました。兎に角、地味なテーマなのです。
そのような研究の姿勢と信念の延長にトリウム熔融塩原発炉があるのです。
先日、このブログに「原爆へつながる原子力発電へ警告する古川氏を紹介する」という題目で記事を掲載しました。掲載してから古川さんへご連絡しました。そうしたらとても丁寧な言葉使いで、その題目は勘弁して下さいという意味のメールが来ました。・・・「私は原発炉の評論をするのではなく、安全な原発を実際に作る事業をしています。評論と事業推進の違いをどうぞご理解下さい」・・・
私は自分の姿勢、大げさに言えば自分の人生観が間違っていたような気分になっています。悲しいです。それは深い悲しみです。
一般の実社会の会社でも主力事業へのみへ参加し、主流をあるこうとする人もいます。その一方で、脇道や縁の下の支えになるような地味な仕事だけを真面目にする人もいます。いろいろな人が居るからこそその会社は隆盛するのです。しかし停年になって引退し何年かたったとき、どちらの人が幸福感に包まれるでしょうか?
そんな事を考える今日、この頃です。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます、藤山杜人