馬という動物に特に興味がある人はそう多くないと思います。私は馬が怖いでし。
しかし結婚したら妻がさかんに馬の話をします。大学時代に馬術クラブに入っていたのです。馬と友人になるにはその馬の小屋の掃除を毎日すると良いという話が印象深かったのです。
観光旅行に行けば妻は乗馬クラブを見つけては馬に乗っています。私は外から眺めるだけです。北海道や八ヶ岳の麓には乗馬クラブがたくさんあるのです。
その上、九州の都井岬の野生馬や木曽の木曽馬を見たいと言うので見に行ったものです。
今日は現在の西洋系の馬とは違う日本独特の在来種の馬の話をしようと思います。日本の馬の歴史を書いてみようと思います。
まず日本の古来の馬の話です。弥生時代に稲作が始まり、その末期から馬が飼われていたのです。農耕や産物の運搬に人々に役にたっていたのです。
次の古墳時代になると馬具や馬の埴輪が沢山出土することから古墳時代の少し前から馬が大々的に活躍していたのです。
そして奈良時代の律令国家の時代になるると全国各地で馬牧場が出来て朝廷に軍馬として献上されたのです。
それでは古墳時代や律令国家時代の馬はどのような馬だったのでしょうか?
簡単に結論を言えば小型ながら頑健な蒙古馬が中國や朝鮮半島を経由して入ってきたと考えられてます。
この古代の日本の馬の姿は宮崎県の都井岬の野生の馬や木曽馬の姿に似ていると言います。その写真を示します。
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1番目の写真は宮崎県の都井岬の野生の馬です。以前にはるばる見に行きました。この宮崎県の都井岬の野生馬は国の天然記念物に指定されています。
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2番目の写真も宮崎県の都井岬の野生の馬です。都井岬の野生の馬の体形は小型で首が長くズングリした体形でした。
この都井岬の野生馬の写真の出典は、http://www.kanko-miyazaki.jp/data/ja/smartphone-index?page-id=9265とhttp://meito.knt.co.jp/1/ca/11106005/1/です。
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3番目の写真は岐阜県の木曽地方に飼われている木曽馬です。これも行って見ると小型で首が長く脚は短くズングリした体形でした。開田高原の後ろの山は木曽の御嶽山です。
写真の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/nihonzairaiba08/1030166.html です。
しかし写真で示した都井岬の野生の馬も木曽駒も正確な意味では野生馬ではないのです。
日本の現在の野生馬は旧石器時代以前の野生馬の原種ではなく、体形から蒙古系の馬と考えられています。
特に宮崎県の都井岬の野生馬は約300年前に秋月藩主が放牧したのが始まりと明確に分かっています。
日本の律令国家の時代に飼育され朝廷に献上された蒙古系の馬に近いと考えられているのはむしろ木曽馬のような馬と言われています。
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4番目の写真は蒙古の野生馬です。世界で唯一の野生馬でモンゴルの大草原に棲んでいます。体高140センチ。ポニーほどの大きさで、足は短くずんぐりした体型をしています。(http://cgi2.nhk.or.jp/darwin/broadcasting/detail.cgi?sp=p348 )
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5番目の写真も蒙古の野生馬です。現在、モンゴルと中国にわずか数百頭しか生息していないため、絶滅危惧種に指定されています。気性が荒く人に慣れないので、家畜化は不可能だといいます。
さて木曽馬とは長野県木曽地域(木曽郡)を中心に飼育されている日本在来種の馬です。岐阜県飛騨地方でも飼育されています。
木曽馬は一時絶滅寸前でしたが木曽馬保存会が活動した結果、飼育数は増加しました。観光用として現在は200頭以下が飼育されています。
この木曽馬は平安時代から江戸時代にかけて、武士の馬として使用されきたのです。
元々は蒙古の大陸系の馬です。紀元前1世紀の漢で改良された「蒙古草原馬」が2~3世紀に、朝鮮半島経由で渡来したと言われています。この馬が木曽地域という山岳地帯で飼育されたので木曽馬と呼ばれているのです。
日本の馬の話は止めにして妻の馬の話に戻ります。妻は大学に入学するとすぐに馬術部の入りました。毎日馬屋掃除をします。
そして「馬は賢くて馬屋掃除をしてくれる人になつく」と確信したのです。
そして「馬は賢くて馬屋掃除をしてくれる人になつく」と確信したのです。
結婚後も住んでいる小金井市の「さくら乗馬会」の馬場で乗り回していました。
旅行をすると必ず馬に乗れるところを探し乗っていました。
60歳で乗馬は止めましたが馬を見つけると餌をやって何やら話し合っています。私は馬が妻と仲良くしている光景が好きです。
今日は現在の西洋系の馬とは違う日本独特の在来種の馬の話を詳しく書きました。日本の馬の歴史を書きました。
皆様は馬がお好きでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)