後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本人と神社とのかかわり」

2020年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日です。みなさまお元気でしょうか。日曜日には宗教に関する記事を書くことにしています。
そこで今日は日本人と神社とのかかわりについてスケッチ風に描いてみたいと思っています。
日本人なら幼少の頃、神社の境内で遊んだ事があると思います。そこはいつ行っても清潔で、子供が遊び回っても叱られない自由な空間です。特に神主さんが住んで居ない神社は蝉取りをしようが、野球をしようが誰にも叱られません。
祭礼の日になると日頃の腕白ぶりをやめ、何事も無かったように楽しく出店を見て楽しみました。その恩返しに元旦にお賽銭を持ってお参りに行ったものです。
老年になった現在でも神社を見ると入って行ってお賽銭を上げます。幼少の頃に遊ばせてくれた恩返しのつもりです。
神社や神道は日本古来の宗教です。山や木や、もろもろの神様や偉い人達がご神体として祀ってあります。家内安全や五穀豊穣を願ってお祈りします。
多くの日本人は神社を遊び場にして育ったと思います。家内安全を祈った場所でした。この様な場所を持っている日本人は幸せだと思います。
このように日本人と神社や神道とのかかわりは軽やかで一見重要でないようにも見えます。
しかし神社や神道は日本民族の基底にある重要な文化の一部なのです。
以下では3つの神社の写真と富士山信仰の宗教的な登山の風景写真2枚を掲載します。
神社の写真は九州の祐徳稲荷神社と京都の賀茂別雷神社と北海道の札幌稲荷神社の写真です。
祐徳稲荷神社は何年か以前に行きましたが日本一豪華な神社です。神主さんたちが沢山いました。とても子供が境内で野球をして遊べるような雰囲気ではありませんでした。故郷の神主さんがいない質素な神社を懐かしく思い出しました。

1番目の写真は日本一豪華な九州の祐徳稲荷神社です。

2番目の写真は京都の賀茂別雷神社です。賀茂別雷神社の写真の出典は、http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005602.html です。

3番目の写真は北海道の札幌の伏見稲荷神社です。

4番目の写真は富士山の宗教的登山の風景写真です。出典は、http://www.fusokyo.org/activity.html です。

5番目の写真も富士山の宗教的登山の風景写真です。
さて4番目と5番目の写真の富士山の宗教的登山の風景は珍しいと思いますので、少し説明を加えておきます。
富士山の宗教的登山とは富士山を神と信じ、富士山へ登ることです。登れば神のふところに抱かれて、神と自分が一体になるのです。神様が自分の体に乗り移ってくれるのです。自分の人間としての汚さを洗い流してくれるのです。「六根清浄、お山は晴天」と唱えながら杖をつき、白い装束で一列になって登るのです。
それは深い、深い宗教的な境地なのです。キリスト教でもイエス様が自分の身の中に居るという表現を使う時があります。何か勇気がいる事を行う時、自分が行うのではなくイエス様が行ってくれるのだと意識します。そうすると不思議に心配が無くなり正しい事が出来るようになるのです。
このように神と自分の合体感を得る体験はどんな宗教でも重要な事としています。その為の修業の方法がいろいろ決まっているのです。
富士山の宗教的登山は修験道の一つです。神道と仏教とが習合して出来た修験道です。
宗教のことをあまり知らない人は、「修業すれば人は誰でも良い人間になれる」と言います。それは半分嘘で、半分しか正しくありません。いくら修業を積んでも良い人間になれない多くの人間が居ます。その一方で、修業を積んで良い人間になれる人もいます。
ここで重要な事は結果でなく、修業中の人間はその間だけでも善人になれる事なのです。
間違いを恐れずに書けば、いかなる悪人でも善人になれるとはこういう意味なのです。
修験道にもそのように深い宗教性があるのです。写真からご想像頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
聖なるもの (かほる)
2020-06-28 12:05:32
そのような神社がある 日本人は幸せです、ということに 共感し 懐かしく嬉しい気持ちになりました。
私は 日曜日ごとのテレビでキリスト教の伝道を聴くのを 楽しみにしています。聖書を
毎朝 読み始めたばかりです。何もわからないかもしれませんが 瞬く間の人生、人々の
中で 生きていきたいという思いから 宗教に 関心を寄せています。自分の頭で 考えようとすると たいして分かっていないのですが それでもいいのかなとも思います。
話がそれますが 今日、市のテレビチャンネルで 緑鬱蒼としたところでのタイチーの番組がありました。観ているだけでコロナ禍の今 心休まりました。 ソーシャルデスタンス、手袋、マスクは まだ 欠かせません。
住んでいるところでは 皆さん 静かに守っています。


返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。