少年だった頃のことが懐かしく思い返します。生涯の仕事のことは忘れても少年の頃のことは忘れないのです。 私の祖父は兵庫県の曹洞宗の正林寺の住職でした。 叔父も祖父の後を継ぎ住職を長く務めていました。そのお寺は大阪駅から山奥に入った兵庫県にありました。毎年夏のお盆になると一家揃って兵庫へ里帰りするのが習わしでした。 大阪・梅田から阪急電車です。 能勢口で能勢電鉄へ乗り換え山下駅で降り、あとはタクシーという旅でした。 いの記憶であります。
お寺は山合いの内馬場という集落の端にありました。 高い石垣を積み、小さな本堂、鐘楼、庫裏、客間の離れ、白壁の蔵が、狭い敷地にまとまって建っています。 石垣の上の白壁の塀の上からは集落全体が箱庭のように見下ろせます。
一番お面白かったものに施餓鬼法要という儀式があります。 飢饉で悲しくも餓死した農民の供養をするのです。供養をするため近隣のお寺の住職が10人くらい集まり、本堂で、お経を読み、鐘やシンバルを鳴らして輪になって廻るのです。 曹洞宗がこのように派手な儀式をするのはその後あまり見たことがありません。
1番目の写真は施餓鬼供養の場面です。
2番目の写真も施餓鬼供養の場面です。



3番目の写真は施餓鬼供養に集まった村人です。 本堂の左右の客間には集落の人が合掌して座っています。 そして人々は供える野菜や果物を祭壇に溢れるほど持ってくるのです。
老境にいたると無性にそのお寺のことが懐かしくなります。そして祖父母の暮らしを客観的に考えるようになります。とにかく貧乏なお寺でした。
正林寺と施餓鬼供養の思い出を書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 後藤和弘(藤山杜人)