ふるさと仙台に大きな地方新聞社があります。河北新報社です。そこで長い間、記者をしていた石澤友隆さんが「八木山物語」という本を河北新報出版センターから出しました。仙台の江戸末期、明治大正昭和の郷土の気軽な歴史物語です。仙台に住む弟が送ってくれたこの本を読んでみると、自分があまりにも故郷の事を知らなすぎたことに愕然とします。戦中、戦後の混乱のなかで育ったので郷土のことなど誰にも教えて貰いませんでした。焼け野原になった町々と食料難の事しか思い出せません。
そんな私に、石澤友隆さんの「八木山物語」はいろいろ思い白いお話をしてくれます。自分の少年だった頃の薄れがちな思い出とつなぎ合わせながら、幾つかの面白いエピソードを書き続けたいと思います。
それは昭和9年11月9日の寒い朝でした。ベーブ・ルースやルース・ゲーリックをまじえた米大リーグ選抜チームが函館から仙台駅に着きました。仙台の城山の後に広がる八木山球場で全日本チームと試合をしたのです。
試合は好天に恵まれ、米国選手の灰色のユニホームに真紅のレザーコート姿が八木山球場の周りの森の緑と鮮やかなコントラストをつくり美しい風景です。アメリカチームはあわせて5本のホームランを打ったのです。ルースは日本に来て初めて2本のホームラン打ったほか、ゲーリック、フォックス、ミラーは各一本打ちました。試合は7対ゼロで米チームの圧勝です。
この年、日本の野球界にとっては画期的な事が起きました。年末に我が国初めてのプロ野球チーム、大日本東京野球倶楽部(巨人軍の前身)が創立されたのです。投手の沢村栄治、スタルヒン、内野手の三原脩、水原茂などの19名です。そして翌年6つの球団が生まれたのです。
それから茫々70有余年、プロ野球チームの楽天が来たのです。仙台の市民は戦前にベーブ・ルースが八木山球場で2本のホームランを打ったことを語り継いでいます。そして楽天を応援しているのです。
少年の頃、私はしばしば八木山球場へ遊びに行きました。戦争一色で誰も野球などしません。放置され荒れ放題です。スタンドの盛り土が崩れ、内野席の前にあった鉄製の網は供出され、崩れた白いコンクリートの台座だけが広がっていました。
広い赤土の内野、外野をわけもなく走って遊びました。ベーブルースのホームランは伝説のように私は知っていなした。子供ながら旧懐の想いをしながら遊んだ思い出があります。その場所は現在、仙台市立動物園になっています。(続く)
今日も皆様のご健康と平和をお祈りもうしあげます。 藤山杜人