後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「懐かしい特急つばめと東海道本線の旅」

2025年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は懐かしい特急つばめと東海道本線の旅の思い出を書きたいと思います。昭和16年から戦後にかけての思い出です。

昭和11年に生まれた私は毎年夏になると特急つばめに乗って兵庫県の田舎ある父の実家へ行ってました。父の実家は曹洞宗のお寺です。父母と兄弟3人で1週間ほど泊まりました。

当時住んでいた仙台から上野までは蒸気機関車だったので煤煙でシャツが真っ黒になったものです。

それが東京駅で「つばめ号」に乗り換えると煤煙がなく素晴らしいのです。窓を思いきり開けて涼風が楽しめるのです。

新幹線の開通の後あの懐かしい「つばめ号」は消えて無くなりました。

しかしインターネットには写真が残ってい.ます。その「つばめ号」の写真を示します。

超特急「燕」は東京~大阪間568kmを、それ以前の特急「富士」に比して2時間半近く短縮する,8時間20分(表定速度68.2km/h)で走破し、「超特急」と称されました。(戦前の「燕」は漢字表記で,戦後の「つばめ」はひらがな表記)

 「つばめ」の食堂車は「みかど」が営業を請け負い,洋食を提供しました。食堂の予約は,横浜を出ると車内改札があり,その後,ボーイが昼の定食の注文を取りに来ました。定食は1コース40分のフルコースで,3回転でした。一等客から予約をとっていくので,三等客はなかなか希望どおりにはならなかったそうです。
 ちなみに,開業日の定食メニューは,スープ,伊勢エビのゼリーかけ,牛肉の松茸ソース,七面鳥の蒸焼き温野菜添え,果物,珈琲で〆て一圓三十銭でした。

さて大阪の梅田に着くと今度は阪急電鉄に乗り換えます、更に能勢電鉄に乗り換えて父の実家へ着くのです。

東海道本線ではあちこちで途中下車して観光しました。熱海の温泉街や名古屋城。そして伊勢神宮や熱田神宮などに懐かしい思い出があります。

特急つばめは現在どうなっているでしょうか。
長らく「つばめ」の名は消えていましたが、1992(平成4)年にJR九州の特急としてよみがえりました。 現在は九州新幹線にその名が引き継がれ、「九州の顔」として緑の大地を駆け抜けているそうです。。

今日は私の「昭和の思い出」として特急つばめと東海道本線の思い出をお送り致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


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