春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

走れセニアカー 御殿を駆け巡る

2024-04-25 15:03:24 | 晴耕雨読

◇神明野鳥の森公園

展望台から左折すると神明野鳥の森公園に出る。この公園の縁を遊歩道が繋がる。
雑木林の中、遊歩道が一面張り目ぐられ、野鳥の生息地で、所処椅子が用意され、森林の中鳥のさえずる自然の中に時を忘れ、埋没出来る。

◇中央線高架橋

神明野鳥の森から隣に中央線の高架橋に出る

落下防止の安全ネット越しに眼下に中央線の線路が見える。スタートラインの中央線を上から見下ろすことになる。前方の先が高尾方面で反対側が東京方面になる。

高架橋の左右は崖になっており、線路の先は多摩地方を俯瞰出来、高低差の大きい代表的な土地の状況を掴める。

 

 

◇日野バイパス

一方、目の前の道路側は多摩地域と都心を結ぶ重要な基幹輸送路で切れ目なく走るトラック騒音の渦の、日野バイパスと言われる国道20号線に出る。

この騒音から早く離れたいと目の前の激しい車列の渦の中、日野バイパス路を横断し閑静な住宅地へ向かう。
前方の信号が泉塚の交差点である。
その背後、左側のこんもりした林が此れから行く、多摩平の森近辺である。
車道から離れ住宅地に入って、間もなく第五小学校の敷地に入る。
門近くに桃色のたわわになった梅の花が咲き乱れている。
桜が咲く前の未だ厳冬期が続く中、派手な花が咲く前に一際目立ち、いち早く春を伝えて居る。

 

◇多摩平団地へ
早速、その原点は多摩平御陵の森言われた砦のような多摩平団地に入ってゆく。
振り替えって見ればコースの最大の山場が此処多摩平団地と思えてくる。


◇御殿のような廻廊をセニアカーは走る
上部は階段状のような建物が積み上げられ、道の縁りから奥へ進むと競り上がる構造になっている。

 

一方地上では建物と建物の間は長い木立が植林され、建物と木立の合間を縫って、専用遊歩道が曲線を描き、継がっている。
この木立と建物の合間を縫って走る専用遊歩道が、夢のような森の雰囲気づくりに一役担っている。整備された植え込みに遊歩道は何処まで続く。車や騒音の世界から外れ、静寂でまるで御殿の廻廊のようで庭御殿専用のセニアカー突っ走る。

 

 

    植え込みの中を専用遊歩道に案内され、優雅な風情を確かめながらゆっくり走ってゆく

狭い道幅に緩やかな曲線描いているので、先の見通しは見えず遊歩道まかせ。高い建物と植木も背が高く

其処を縫うように走ってゆく

 

 

◇一般道へ

延々と続いた遊歩道は途切れ、外部の一般道に出る。左側が幼稚園の遊技場で、わいわい子供たちの歓声で賑わっている普段とあまり変わらない風情に夢のような森の雰囲気がたちまち、現実の世界に引き戻される。

 

 

 

 

◇多摩平から別れ
多摩平の稜線の急な坂道を降りる。周辺の森林は黒川公園の一画で、多摩平と平坦地豊田を結ぶ道路で
坂越えの重要ルートで絶えず車が流れている。その脇を注意しながらセニアカーが走る。

 

 

赤い標識が分岐点で此処で左折する。ここで一時停止して旋回するが、一時停止の励行をきちんと行っているが警邏中の監視のポイントでもある。網の目にかかった車両が此処で何時も止められている。
至る処にアップダウンの坂道をセニアカーが我が意を得たように痛快に走り、出発点の我が家周辺に辿り着く。

 

 

 

スタート時点ではこの遮断機を潜ったが、街中を大きく旋回し、再び遮断機を前に戻ってくる。遮断機は格子状に華々しく黄色と黒の曼陀羅もようが迎えてくれる。

此処を潜らず線路沿いに東京方面に向かう。

 

◇門扉に迎えられ我が家に辿り着く
役割を終えたセニアカーは門扉を潜り、漸く休息する。
バッテリーの蓄積容量から、延べ走行距離は30㌔近くが限界であるが、この周回では10㌔そこそこで、
満タン充電で発車しているので余裕のある走りであった。

山あり谷あり、坂かあり、御殿の廻廊あり、変化に満ちた自然の姿に埋設出来た。

 


走れ セニアカー その一つ

2024-04-16 20:55:26 | 晴耕雨読

間質性肺炎にかかり、呼吸苦しく歩くことさえ難しくなってしまった。
そんな状況のなか、鈴木自動車からバッテリー搭載のセニアカーを購入し、近隣の所迄行けるようになった。
格好良いバッテリー搭載の4輪式駆動車で、試し運転を兼ね市内にデビュウーする 。
座ったまま走行出来るので負担掛からず何処までも行ける。
JRの専用軌道や神明の急坂始め、おとぎの国のような多摩平を楽しく周回出来た。

事務所で使えるひじ掛け型の椅子にゆったり腰掛、車軸に連動した中央に運転ガイドとなる、パネルが用意され。
そのパネルの左右に把手がついており、把手の内側に用意されたレバーを引くと、自走する。
パネルの頂部に左右のバックミラーが付いており、見落としがちな背後の追走車両など目視で確認出来る。

 

 

◇パネル操作面

パネルの表面は暗い背面の一番上部にに赤色のデジタル表示灯が輝き、走行始めからの走行距離がされる。
そのデジタル表示灯の左右のランプは進行方向の左右の変更に応じてランプ表示される。
真ん中のボリュームは速度の変更が可変になっている。因みに最高速度は6キロmで、人が速足で
歩く速度並となる。
右側のノッチは前進・後進の切替、左のラッパは左右の変更など外部に知らせる事が出来る

 

 

◇結構早い足並み
初デビュウーに運転操作の指導を兼ねて、鈴木販売店の営業さんが並走し近所廻りを限定試行した。
途中の曲がり角や、JRの踏切など、注意を仰ぎながらの並走であったが、勝手に走るセニアカーに
案内役の指導員が追いつくのに、かなり息を切らしていた。
如何に早く走れるか、この並走で明らかになる。

◇バッテリの残量が走行の決めて
真ん中に位置する赤ランプが車体の推力の鍵を握るバッテリーの残量が表示される。
4っの表示が満タンを示し走行により、一つづつランプが消え、2個表示辺りから『バッテリーが少なくなり
ました、充電してください』
町中でバッテリ充電が必用な旨の警報が知らされる。
何度か警報が出て、この先どこまで走れるか、矢張り気持ちが悪い警報である。
こんな時は一端止めて、一休みし、再び起動し、休み休み我が家へ駆け込む。

◇◇さーてどんな世界か試して見よう
ひじ掛け椅子にゆったり座り、両手で運転操作、目に映る風情にセニアカーを止め、カメラで捉えて見る。
追われる事無く、セニアカーの緩やかな感じで新たな感動も生まれた
我が家から出て左側はJR専用軌道とセニアーカーが走る一般道と並走しているが、前方を向かうが、この一般道との段差も踏切で無くなる。

◇南北を貫く車道の遮断
最初の関門が日野駅、豊田駅間の踏切である。踏み切り側は踏切の手前の車両のセンサーで感知で遮断機の開閉が自動的に行われる。
上り、下りそれぞれ反応するため、線路側の通過車両が上り、下りで重なった場合は開かずの踏切になり、踏み切りをはさんで自動車の渋滞でたちまち長蛇の渋滞が生まれる。人も、自転車も踏み切り前で止められ人の渦が生まれる。
(踏み切りが開いた)
降切を前にセニアカーも勇気の横断である。路面は線路と路面のギャップ、凹凸を伴い、ガタガタ揺れながらの不安定な走行になり、並走する一般車も、セニアカーの姿を見て踏切横断時は待機してくれる
通過車両により遮断機は開閉するが、通過車両の位置により、遮断機は直ぐに閉まることがあり予想付かない。
遮断機が開き、通過しようと思っても、渡り切れない内に閉まって来ることもあり、モタモタ渡ると棹の打ち下ろしの洗礼を浴びる事もあり、大変危険である。

◇大仏さんを背に分岐点

踏切を何とか渡り切った。そのまま南側へ直進すると正面に緩い傾斜地の多摩丘陵の宅地が広がる。
右側に塀越しに墓石の姿が見える善生寺である。
更に進と善生寺の一画に背後に時計塔があり、その背後に巨大な大仏さんが高台から南側を見下ろしている。
結構離れた所からもこの大仏さんの姿が見える所から、附近では格好の目標物となる。
この時計塔を前面が四つ角になり、車両が直進すると北野街道から多摩丘陵に繋がる。
ここを左折すると神明の坂、市役所方面に繋がり、この分岐点に信号待ちの車両が渦巻いている。
◇子供達にセニアカー姿
左側に学校帰りの小学生の群れに遭遇、真っ赤な車体に2本の角を立てたセニアカーが珍しく見えるようで、中には
追っかける子供もいるぐらいで、手を振って応えている。
ある種、奇異な感じをすると思うが、こん追っかける子供もいるぐらいで、手を振って応えている。

 

◇左に旋回し、市役所通りへ
セニアカーはこの分岐点で左折すると前述の神明の坂が見通せる方向に向かう。道の両側は銀杏並木であるが
高さが均一に揃えられているが、季節柄、葉は落ち、残った枝、節が不気味な骨姿だけが、目に映る。
前方の遥か先に青色の交通標識が目安となって、そこから道は勾配になっている様子が此処から見通せる。

 

 

◇神明坂
神明坂に到着した。いよいよこの坂を登り切れるか、セニアカーの実力を試すところである。
坂道に入って、セニアカーは平たん路と変わりなく走り続け、負担を感じないまま走れる。
当初はなだらかな坂から、真ん中あたりから勾配が厳しくなる。
車が走る車道とは別に、道幅の狭い専用の遊歩道が待ち構える。遊歩道は一段高く、
乗り入れ口は円滑に舗道に乗るため、乗り入れ口は段差がないよう車道とは施工されている。
乗り入れ口は上下二カ所だけで、一度遊歩道に乗ると末端まで行かなければならない。
路面はブロック上の石が積み上げられ、石と石は僅かな隙間が生まれ、平坦では無い。
道幅が狭く、遊歩道で交差する場合はセニアカーは縁に寄り、激突事故回避させている。

 

◇神明坂頂上に到達

側面の大きな看板がある所が勾配は厳しく、四囲に囲いがないため、風が吹き抜け煽られる。
寒い時期は上半身はジャンパーで防寒するが、足は諸に風の洗礼を氷付き、下半身は寒さとも合わせ痛みを感じる。

漸く頂上に到着、振りかえると急な坂道、バッテリの負荷が掛かる所でる。息せき切らずセニアカーの実力が
改めて確かめられる。一方ではこの展望台では住宅地の屋根を越えて遮るものがなく多摩丘陵の頂部が繰り広げられ、
さらに視点を変えると奥多摩の山々、雲の合間を縫って光輝く富士山の眺望が確かめられ素晴しい景観に息を呑む。

 

さーて頂上まで到達、その1記事も此処までで区切りを付けよう

追って、この続きを書いてみよう

 

 


自転車交通違反で逮捕

2023-10-06 21:58:59 | ライフワーク

東京都内の交通事故で、自転車が関係する事故の占める割合は年々増加傾向となっている。
警視庁は、自転車の悪質な交通違反についてこれまで「警告」にとどめていた違反にも刑事罰が適用される。対象となる交通切符、いわゆる「赤切符」を交付して検挙する方針を固めた。

そんな当局の思惑にまさかと思ったが、はまってしまった。

<豊田駅北口の正面の通りでたましんの看板の先、車が停まっているが、その先がスクランブル交差点である>

①9月某日、立川の病院行きに自転車で豊田駅へ
イオン前のスクランブルで見張っていた交通機動隊に声を掛けられた。

信号無視をした、してないでもめたが、其の場は身分を明かし電話番号告げた。
何時も通る場所だけにまさか、それが捕縛の一歩とは思いもよらなかった。


②数日後、約束通り、覆面パトカーで近所へ来る。
車に誘導され、当日の隊員と調書取の警官2名で車の中で約1時間半、息の詰まるような尋問の嵐とそのやり取りで、時間を労した。
当時の情況を再現し、スクランブルに入る前の状態から、スクランブルが開く迄、不確かな当時の情況を再現し、先方が見ている状況と照合する。
信号無視、した、しないなど、スクランブルでの行動を事細かに散々もめたが、向こうの言い分となった。
速度計も付いてないのに、その時のスピード迄、問われ呆れて、返事もしなかった。

当時の情況を事細かに言葉で交わしながら、文書に記述するので、時間もかかった。
供述調書を取られ、違反キップが発行される為のメモ紙、数枚びっしり書かれた。
結果的にはスクランブルで自転車乗ったまま渡ったことであった。

一連の記録が書き終わった後、最後に期日、時間指定で栽培所への出頭命令が出る
③出頭迄約1か月、
手許に残されたキップを前に果たして重罰か、結果を貰うまで鬱な日を送る。
③裁判所
愈々出頭日、立川からモノレール高松駅で下車する

<駅から徒歩5分、これから向かう出頭先の獄門は10階以上の真新しいビルであった>


玄関口から入ると持参のバック含め、取り上げられ厳しい関門
玄関口から建物内をスルー、向かいの出口に出て建物の外周沿いの一角に愈々獄門場所へ向かう。
控室を前に受付でキップを提出、番号札を渡される。
向かい側に警務課と検察課が夫々隣り合わせ、表示灯で番号案内されるので夫々の課のカウンターに向かう。
1)警務課
最初にこれまでの違反内容を再び確認する
ここで、反論し意義を申し立てれば裁判にかけられるが
もはや、其の元気もなく罰金刑があっても覚悟し、早く終わらせたいと簡易手続きの道をを選ぶ
2)検察課
警務課終了後、一旦待合で待機
検察課へ愈々入門
閻魔大王の怒り狂った顔を思い浮かべたが、冷静な対応でいよいよ、最後の判定を言い渡される
検察官と向き合い、ああ~神様とその差配を待つ。安全のため刑法を順守することを言い渡され処罰なし、罰金刑もなく放免された


④終わって
重い重罰を覚悟に、何ともいやな思いが課せられた期間であった。
厳しい取締を聞いてはいたが腰痛の為、歩くのもやっとの、老体を苦しめるのかと腹が立つ


我が家から、何処に出るにも距離があり歩くのは困難で、自転車が足替わりであるが、規制強化で益々乗りにくくなる。
替わりにバスもあるが、最近は減便となり、1時間或いは数時間に1本と足回りが不便になった。
そんな折に起きた自転車規制強化、益々外に出る機会は失われていくことを危惧する。

自動車の違反はその場でキップを受け取り、後で7000円の支払いは痛かったが、処理はその場で終わった。
事故を想定しても、自動車の感覚がこの程度に済んだのに、何故自転車がこんな重い重罰を食らうのか、正直言って判らない。


友人の早い旅たち

2023-09-28 17:37:41 | 事件だ~!!

目覚ましい技術の発展はあらゆる分野で日常世界に浸透している
特に凄いのはスマホとか情報端末で誰でも持て、何時でも何処でも場所を選ばず対話や情報の交換が出来る。
そんな背景から、固定電話はスマホに置き合わっていく傾向にある
手続きなど、従来の紙ベースから、スマホやパソコンの情報端末の情報に置き換わっている。
日々の情報もこの端末からリアルタイムに入って来る時代なのである。

そんな環境の中、ある会合で歴史の仲間である、『あさくらゆうさん』が亡くなったことを知った。言葉で伝わる情報に限界があり、それ以上は判らなかった。
そもそも、歴史には無縁であった輩が、歴史の渦に入ったのも、ゆうさんとの出合いが大きかった。
そのゆうさんもその後、丹念に現存史料を読み込み、さらに全国各地で新史料を発掘する第一人者の先生に変わっていた。
多数の出版物は従来の根拠不明の浮説を廃し、幕末史や新選組研究に新たな地平を拓く、先生として多数のファンに支えらていた。

<浅川の河原に降りて、水草「みそそば」を採取する、ゆうさん>

 

<常磐共有墓地には忠魂塔や大量な殉難志士の墓が整然と立ち並び、思わず数の多さに、息を呑む。

案内するゆうさん>

何故、どうして亡くなったか当時の情況を早速ネットで調べた。

◇亡くなるまでの経過
病院に入院し、治癒を受けていたが、その間の様子を友人との間で連絡取り合っていたが
病院では手の施しが出来ない末期の宣言を受けていた。
当人は病院から離れ緩和ケア施設に移動した。
規制のかかる中、何とか延命出来ないか、友人との面会の約束までして、其の日に友人が
駆け付けたが、既に間に合わなかった。


◇衝撃的なメッセージ
そんな環境の中、以下のメッセージが残されていた
· 2023年8月14日
·謹告
医師より本年中の死亡宣告を受け、現在ホスピスへの転院探しをしております。
万一死去しても誰かには伝わるようにしますので、ご理解賜りますようよろし
くお願い申し上げます。

私信、いくら検査器具は優れていても日医大はお勧めしません。

· 2023年9月6日
明日緩和ケア施設

◇逝去

· 2023年9月15日

ケア施設に移り、間もなく、急性骨髄性白血病のために死去。
突然の旅立ちであったが、同好の方々に親しくお付き合いの感謝の気持ちを込めて、挨拶されている。


暑い夏に収穫を迎える

2023-09-04 11:20:07 | 晴耕雨読

雨もなく、連日の暑さに逃げ場を失い、息苦しい日々を迎える

日中35℃を越える暑さも当たり前のように襲い掛かり、日中外歩きする人の姿も殆ど見受けられない

<ひばの木に囲まれた一角にぶどう棚があり、ネットで覆ているが容赦なく太陽が降り注ぐ>

<側面もネットで覆い、出入りするときに、幕を引き揚げ、中へ入れる仕組みになっている>

ブドウも敵機(鳥)襲来に備えシートをかけ、敵機侵入を防いでいる。

天幕シートは覆われているが下部が覆い切れず、下側からも別のシートを張っている

唯でさえ暑いのに、空調機が置かれ、冷房を掛けると、熱気を帯びた廃気が思いきりネット内に入り

更に熱くなる、地獄の世界である。

従って、特別な事以外では余り内部に入らない。

<肝心のブドウは防除のため一つ一つ袋が掛けられ、中の成育の様子は余り分からない>

防除と云えば今年は雨が少なく、薬剤散布で防虫・防除効果がてきめんで栄養の補給源である葉っぱが綺麗である。

 

ネットと袋の云わば二重化の防禦体制にある中、敵はここにあるぞと餌狙いで襲撃するのが通例で逢った。

ブドウが熟成を迎えると、周辺が甘い匂いが漂い、収穫を促すが、敵もこの匂いが襲来の呼び水になっている。

所が今年は酷暑を迎える中、匂いが効かず、何時もの8月収穫を越え9月を迎えてしまった。

(ネットを避け、フクロを剥がしたら)

何と予想を反し、真っ黒な濃密な姿に変わっていた。

①早速収穫

代表の一つ、びっしりと身が締まり、ずしりとした重さ、ご覧の通り、真っ黒の姿が輝いていた。

整形せず、取れたまま豊潤な姿は丸でプロが扱う商品の様であった

②例年の収穫物と比較

ご覧の通り、赤身を帯び、未成熟を思わす房が、これまでの成果物であった。

時期の問題か、天候の違いか良く判らないが、黒々とした成果物に半年ぶりの成長を甘受した。

さ~て、収穫は終わった。覆われたネットを外し、野放図に伸びた枝を誘引し、切り払う仕事も残されている。

 


ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/