春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

稽古着「ドクロ」の意味

2005-11-28 12:32:00 | 歴史に向き合う

稽古着の背中の「ドクロ」の刺しゅう。額(ひたい)にある三日月のような模様は傷跡とも、角(つの)とも言われる。
この稽古着の主は、新選組局長・近藤勇が、小野路村(東京都町田市)で剣術を指南していたころに着けていた。武士は、死地に赴く覚悟を示すため戦場でドクロの模様入りの上着や袴(はかま)を好んで身につけると言われている。
先日の史跡巡りでは新選組のダンダラ模様の羽織や、こんな稽古着を着たり、身も心も新選組隊士になりきって、勇気のある都心の周回をした。流石日頃着こなして居るのか、田町改札の雑踏の中で徐に衣装を取り出し、さっさと着込んで街中に出た。この戦闘服を着た人達を含めた集団姿の群れは人込み激しい赤坂・六本木周辺では、異様な姿と目に映ったであろう。
東京タワーから六本木に向かう途中に狸穴にロシア大使館があり、折しもプーチン大統領が来日で、防弾ガラスの面で身を固めた戦闘服姿の警官があちこちで立っていた。
その前を異様な姿の一連隊がゾロゾロ通過する。さすが刀や槍を下げていなかったので職務質問まで及ばなかったが、彼らの凝視する目は異常ならざる者との目付きであった。
官軍(警察官)と浪士とのにらみ合い、すわっ「平成の乱」と思ったが、80を越える白髪姿の古参の浪士も居られる群れに、そんな心配は無用であった。(笑い)

眩い光に吸い込まれ

2005-11-26 06:18:31 | イベント

繁華街の街路樹に装填さられたイルミネーションが真っ黒な夜に青白い光で輝き、思わず目を奪われた。ショッピング等で人並みが渦巻く麻布10番街で見た田舎もんの遭遇した大都会の一シーンであった。
画像で映し出されている以上にもっと眩しく輝いていたが、急ぐ旅路にカメラのセットが間に合わず、迫力を欠いた画像になってしまった。
この光輝く見事な町並みに「へえ~大都会では早くも、クリスマスモードにと」思わずせわしない季節の先取りに追い立てられているようであった。
高級な住宅街を控え、急な坂道にせせこましい道路の繁華街、何故にこれ程人が集まるのだろうか不思議に見えた。
田町駅を起点に三田薩摩藩邸、東京タワーの直下の金地院、増上寺を廻った10数名の歴史散歩集団の中に混じっての旅巡りの最後は此処麻布10番で、疲れた足を休め、某有名なそば屋に入った。中は、既に満員でトコロテンのように押し込まれ、ビールを飲み、場所柄高価なそばに舌鼓をうちながら、旅巡りの話に花を咲かせた。
多少腹も落ち着き、散会となったが、初冬の日は既に落ち街中は既に真っ暗、夜のモードに入っていた。地下鉄六本木駅の道すがら、遥か頭上にそびえ立つタワービルが一際目立つ、これが今ときめくホリエモンの居るビルと聞き、終始関心する田舎もんの東京見物でもあった。

惜別の思い、ソーラー解体

2005-11-23 23:57:00 | 世の中変わる

かれこれ20年以上世話になったソーラーも寄る歳にかなわず、遂に終幕を決断した。昨今の原油高騰のおり、無尽蔵な太陽エネルギーを甘受し、貴重なエネルギーとして主に風呂、シャワーに前日まで使っていた。
真夏は70℃まで温水が得られ、うめないと熱い位で、冬は追い焚き程度の僅かな燃料で済んでいた。
1日あるいは、年間、過去の使用累積などから、光熱費の節約は計り知れない位に貴重な役割を果たした。それを思うと、設備を下ろすのに断腸のおもいであった。
しかし太陽に20数年さらされた結果、タンクの外皮はボロボロにはげ落ち塗装塗りの補修も既に限界であった。
風呂一杯分の容量を持つ、タンクの重量は経年的に屋根を通じて、建物に相当のストレスを加えていたのは事実であった。
今話題の耐震設計なんて考えたくもないが、地震がきてタンクの下に押しつぶされ成仏なんて、洒落にもならない。
そんなこともあってとうとう下ろす事にしてしまった。
当時流行った省エネの騎手として、屋根に載せたタンク付きソーラーシステムの姿は余り、見られなくなり、その役割は終わったように見える。
所でこの大型の重量物の解体、撤去、産業廃棄物に関わる費用はそれなりに覚悟していたが、福沢諭吉先生が10数人、飛んでいってしまった。
こうして我が家の省エネシステムは綺麗になくなり、その役割は終わった。

果実が今や真っ盛り

2005-11-20 06:08:00 | 晴耕雨読
ぐ~んと涼しくなり、日中も16、7℃と夏から一足飛びに冬入したみたいに、季節の変化が激しい。あの狂ったような暑さは何処へ行ってしまったんだろうと思うばかりである。
その秋を迎え、大好きな果物の取り入れ時期が重なり、次から次へと色々な果物が街かどに色づき、店の店頭を賑わす。
秋から初冬へ寒さもぐんと骨身にしみる厳しい季節を迎えてきた。町中には成熟した柿が、今は旬とばかり、庭先に沢山ぶら下がっている

我が家でもささやかなブドウ作りは収穫も終わり、あっと言う間にお腹の中に納まってしまった。写真は色艶の良い、今が旬の柿とざくろである。


柿は人工加工された種なしなど、食べ易く育てられた物が出回っているが、一方のざくろは種ばかり大きく、現代趣向に会わないのか、店に出ることはあまりない。

その秋の果実の一つに近頃余り、見かけないざくろも成育して大きい。果皮は黄紅色で黒班があり熟すると裂けて中にある多数の種子が顔を表す。

◇本陣でざくろ
本陣の大きな庭先(建屋含めた敷地700坪)の一角に沢山の樹木が植えられているが、その一つに3~4m程の高さのざくろの木がご覧のような果実が見事に成熟している。
この庭先の樹木であるが、本陣の建物が元治元年(1864)に建てられおり、その建屋に付随した庭木の一つである。果たしていつ頃植えられたざくろなのか、判らないが、その幹を見る限り、かなりの古木のような風情をしている。
根から二股に別れる幹が、スタンションに支えられ何とか立つ姿は老衰を感じられるが、時期になると、しかっり芽吹き、花咲このような立派な果実が成長する。


来館者も少ない平日に御馳走になった。食べると言っても種子に覆われた僅かな実の部分で、その大半は固い種で「ぺっぺ!ぺっぺ!」と吹き出しながらの食べ方に他の果実と違って余り格好良い食べ方は出来ない。
その僅かな実の部分を噛むとうす甘く、酸っぱい味が口に拡がる。食べると言っても僅かな部分だけに食用よりも果実酒等の利用が多いのでは無かろうか。

ザクロを割ると、一面真っ赤な地肌が覆い、その上に白い種が際立つ。
その姿が一見して人間の内臓を連想すると不吉と風潮が流さる。
一方では子宝と全く相反する説もある。
何れにしても所説ふんぷん、話題の多い果物である、

ひょっとしたら100数十年前の古木なのか、幕末の人達もひょっとしたら、この甘酸っぱい感触を味わったのではないかと、勝手に歴史ロマンを感じながら味わった。

◇ざくろを割って見る


頂いたざくろを早速、ぱっくりと割って見る。赤黄色の身がびっしりと入っている。甘さに引かれ、蟻どもも、嗅ぎつけせっせと群れなしてやってくるので、蟻も混入していた。
その赤黄色の身を口にすると、淡白ではあるが、ほのかな上品な甘さが口に広がる。しかし、殆ど種ばかりで、大半を吹き出すので、現代では余り受け入れられないのであろう。
それでも食べ物から目一杯、秋を楽しむ。暑さからのようやっと解放され、日の落ちるのも大変早くなり、深まり行く秋が確実に駆け足でやってくる

拙宅のpc画像がtv放映

2005-11-17 07:30:00 | 事件だ~!!

TBS報道局から、突然メールが飛び込み、「東京史跡散歩」というテーマで資料を集めているようであり、拙宅のHPが目にとまり画像利用の養成があった。
どうぞご活用をと言う事で必要な素材は「江戸無血開城の勝海舟と西郷隆盛の会談」のレリーフであった。
田町の町中で撮った素材であるが、まさかピックアップされるとは驚きである。所でその放送は月~金午前5時20分頃、の僅かな時間であった。
歴史の流れから、何時その劇的なシーンを見られるやらと、早朝の眠い時間に奮い立たせTVの前に張り付いた、5日間であった。
時代の流れを背負って、英国人襲撃場所、お台場、松陰神社と細切れにロケは移り変わり、その日は今日だろうと、切らさずに連続モニターであったが、最後の最後に、「江戸無血開城の勝海舟と西郷隆盛の会談」のレリーフがテロップで流され、我が分身をようやく確かめる事が出来た。
メデイアを通して流され何万、何十万だかの視聴者に、でも気づいたのは己ばかりであったかもしれない。
江戸開城会見の地

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/