春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

横田基地にて友好祭

2007-08-26 17:11:00 | 祭り
◇石焼き状態の滑走路
「う~暑い」炎天下の中、風も殆どなく、陽炎立ちのぼる滑走路に、容赦なく差し込む日差しが、焼けつくようで、足元のコンクリートも石焼き状態で痛い。
冷房の効いた所で、のんびり、と思ったが、祭りの虫が騒ぎ、自然と足が進み、こんなくそ暑い世界へ、今年も来てしまった。
果てし無く続く駄々広い滑走路と、ごく一部の格納庫が、唯一開放されたエリアであるが、僅かな日陰と言えば、この格納庫と大型貨物機の胴内と翼の下だけである。


国道16号を渡り、当日の開放ゲートへ、切れ目なく来訪者が訪れる。
アルカイーダの自爆テロ攻撃以来、入門の手荷物検査は厳しく、迷彩色の軍服で身を固めた男女の兵士からホールドアップの状態で金属探知機を当てられ、水際作戦で怪しき物の侵入を防いでいる。


◇コンクリートも焼けつき
「おとうちゃん もうだめ、疲れたよ~」
だましだまし、歩かせたぼうやも、もう限界、おとうちゃんの説得で何とか歩かせようと促すが、敵は動かざるの徹底抗戦に、手を焼いている。
その先もタオルを紐代わりに牽かれ、よたよたしながらも何とか歩かされている。
何処まで歩いても、気の遠くなるぐらいに終わりなき、航空機地上展示エリアである。

「動かざるは山の如し」

容赦なく照りつけるお天道さんに、コンクリートも焼けつき、逃げ場もなく、あちこちにこんなシーンが見受けられる。
それにしても広いなあ~と、遥か彼方迄続く、陳列機影の姿に大人の足も思わずためらうほどの広さである。
一方では360°開けた空間にたっぷり解放感を味わいながら、大人も子供もそれぞれの視点から、宇宙空間に飛ぶかう世界に憧れ、色々な所から飛来した航空機を手の届く距離で見られるのも、何となく夢があって楽しい。
日本の国土にありながら、ベールに包まれた米軍基地、日米友好祭の形で1年に1度の唯一開かれた世界に、2日間に20万人共言われる来訪者で賑わいを見せる。

◇アメリカ文化に触れる
フリーで入れた頃を考えると、改めて随分物騒な世の中に、なっていることを、順番待ちの列の中で体感する。多少の緊張感が沸いてくるが、このゲートを潜れば恒例の如くアメリカ文化の真直中、に入っていく事が出来る。
普段尿酸値で厳しく、制限された肉類はほど遠い世界であるが、此処に入った途端に屋台村からのダイナミックに焼かれるステーキの香ばしい煙に包まれると、もう溜まらず、買い求める列の中に入ってしまう。
国内では厳しく制約のかけられた米国産であろうが、此処基地内では関係なし、輩に取っても此処は唯一の開放区にステーキとパン、トウモロコシの3点セットとビールで豪華なデイナーとなる。しかし休憩所は何処も満タン。仕方なく近場の倉庫の日陰で道路に直に紙皿を置いて、地べたでワイルドに食文化を確かめる。何とも情けない姿であるが、炎天下に路上に居すわっている連中から見れば、日陰があるだけ、未だましな方である。
再び勇気を出して、果てしない滑走路を航空機展示エリアに沿って、空を守る日米の戦闘機や輸送機を見て歩く。時折、輸送機から降下するパラシュート姿を追いながら、雄大な世界に浸る事が出来る。暑い暑いと言いながら、瞬く間にビール3缶、青天井のもとの友好祭であった。

◇落下傘の降下
英語のインフォメーションに続いて、日本語で2、3分後に基地上空に落下傘の降下案内が流される。
上空はご覧のように、僅かな雲が見えるが、殆ど快晴無風状態で滑走路は容赦なく太陽が照りつける。
駄々広い横田基地の上空に瑞穂方面から輸送機が僅かなしみから、始まり漸く米粒ほどの大きさになり、その機影が僅かに確認出来る視野に入ってくる。
来場者はそれぞれ地上展示を見たり、屋台でショッピングなど基地の開放エリアで三々五々歩き回っていたが、場内アナウスに足を止め、一斉に上空に目をやり、「あそこに見えた」と機影方向に指さし、周囲の同伴者にその位置を促す。
機影はやがて、真上に来るころ、ようやく輸送機の姿、形がはっきり見極める程の大きさになり、輸送機の尾っぽから、吐き出される様な小さなしみが、一つ、二つと次々と落とされ、風船玉のような落下傘が次々と開いていく。

降下が始まる過程では、その降下点に向かって、勢いよく降下するが、目標地点にほぼ近い位置に、コントロール出来ることを見極め、ある高さにくると、降下速度は緩やかになり、大空を浮遊するよう、風に揺られながらに地上に向かってくる。

◇目の前に降下
群れなした落下傘が、次々と地上に降りてくるが、広々とした滑走路の遥か水平線の彼方に、落下傘が地上に吸い込まれてしまい、それ以上の姿は見えなくなってしまう。
輸送機から吐き出され、地上に降下するまで、僅か数分の空中ショーであるが、普段見られない飛行物体にどよめきと歓声に包まれながら、見事な降下デモは無事に終わった。
こうした、多数の落下傘による降下デモもあれば、二組の日米の降下兵が、日の丸かざし先陣をきって降り、後をおうように星条旗をかざし降りてくるなど、日米友好に演じている演出もあって、50年の歴史を刻む、友好祭でもあったようだ。
地上はコンクリートが焼けつき灼熱の地獄であるが、空中では降下のスリルもあろうが、地球の丸さを感じながら、広い視野から下界を眺め、涼気を思い切り浴び、爽快な空中遊泳が羨ましくもあった。

◇炎天下に平然と戦闘機パイロット
僅かばかりの紐を挟んで航空機とそれを扱う格好良いパイロット達と接見出来る。
日中、35,6℃の炎天下、コンクリートの路面は恐らく、40℃近くあるだろう。半袖シャツでも汗が吹き出るのにパイロット達は長袖の上下繋ぎのコンビ服の出で立ちで愛嬌をふりまくり色々グッズ販売をしている。

最新鋭の戦闘機がずらりと並ぶ前に民間人が唯一、近寄れるこの日である。
「うわあ~暑そう」、顔は既に真っ赤赤、容赦ない炎天下に暑さの素振りをしない姿に敬服する。
ここ数年、国際テロの影響か、米軍の管轄下、一見して平和裏に和気あいあいの友好際であるが、入り口ゲートでの身体検査、持ち込み品の検査は何時になく念入りで厳しい。戦闘機の展示場では防御服に身を固め、ライフルを持つMPの異様な姿が目をひいた。ピリピリした緊張感にふと現実の姿に立ち戻る。

今年はどんなサプライズがあるのか?
以下、此処で纏めて見た。

2007年横田基地友好祭



また一人、戦友を失う

2007-08-23 15:20:00 | 仲間との絆

未だ未だ会社では駆け出しの頃、一緒だった戦友の渡辺嘉孝氏が69の若さで鬼籍入してしまった。
晩年はそれぞれ別の道に歩み、卒業してしまい、年に1度のOB会で顔をあわし、二言三言お互いの元気さを確かめ会う程度で距離が離れてしまったが、インターネットの謹告情報で、訃報が流され再びお会いすることが出来なくなってしまった。
真っ直ぐ歩けないとか、自律神経に変調をきたし、外出も控える時もあったようであるが、不治の病と言われる、急性の白血病で、急な逝去であった。
写真は1962年、国土全体が建設ラッシュで沸き、その中の一つ、中国地方で初めての製鉄所の高炉が建てられたが、その建設工事に一緒に汗を流した思い出の地である。
「ちょっと行ってきてくれ」の一言で建設に沸き返る呉の製鉄所に赴き、日々息つく暇もない突貫工事に明け暮れた毎日であった。せいぜい2、3カ月と思ったが東京からコートを着て出かけ、そのまま一夏を越し、再びコートを着る時期に帰ると言う、長い赴任生活であった。
巨大なクレーンにつり上げられる構造物、工事用車両が砂ぼこり立て走り、時には溶接の火の粉を浴びながらの、まさに3Kの男臭い、最前線であった。
取り分け我々の担当の制御装置の稼働は、何時も工程の最終段階にあり、工事の遅れのしわ寄せが来るため、セレモニーが行われる前の徹夜は当たり前のようにあった。
建設過程で、氏も帰社し、一人取り残され孤立無縁の中で会社の代表として、責任の重さと、現地のサービス拠点の社員や工事業者との連携にも神経をする減らし、逃げ出したくなることもしばしばであった。
場所柄、工事の円滑な進行をするために「やあさん」が、現場事務所に毎月時訪れ、正々堂々と寺銭まがいの請求に来る場所でもあった。
忙中暇あり、建設隙間の休日に氏はご自慢のカメラを持ち、音戸の大橋、呉の自衛隊基地など一緒に周り、時には足を延ばし広島迄出て、束の間の休日を楽しんだ。
余り刺激のない旅館と現場の往復に氏の謹厳な生活振りは長逗留したあわじ屋の女将の心打ちお見合いの話も出るぐらいであった。(成就しなかったが)
無我夢中で過ごした駆け出し小僧時代の艱難辛苦がプロとしての厳しさを芽生させるともに、一緒に過ごした氏との関わりが鮮明に思い出される場所でもあった。ご冥福を祈る。

我慢の限界、この暑さ

2007-08-17 16:06:00 | 多摩の四季
◇列島全体を覆い続ける暑さ
朝、未だ6時台であるが、この生暖かい空気は既に30℃を越えている。
朝の涼しい冷気をと思ったが、昼間の熱気が抜けないまま、川沿いに吹く風も生温かくなっている。

写真は浅川の護岸である。
右手の護岸上にはストレッチに汗かく、数人の白シャツ姿が僅かに確認できるが、その後を追う様に道は繋がっている。
正面に見える山は丹沢山脈である。その右手は霞が掛かって見えないが富士山の方向である。
ご覧の通り、この山に取り囲まれて居るのが、八王子市にあたり、隣接する当日野市も気候風土はほぼ同じである。
群馬の館林、埼玉の熊谷で40℃越えたと発表されたが、隣接の八王子市も38.9℃と殆ど変わらない暑さであった。
何でこんなにくそ暑いのであろうか
太平洋高気圧が勢力をまして居続け、列島全体を覆い続けていること。八王子のような盆地は熱せられ易い内陸部に位置し、暑さが滞留し、北西からの風が山を越えて温って届くフェーン現象も影響している。
更にラニーヤ現象で太平洋の西側の海面温度が異常に上昇し、列島を取り巻く偏西風でこの熱気が高気圧を強めているようでもある。
色々因果関係から暑さを倍加しているが、何気ない向かいの丹沢山系も鍋のような地形でこの暑さの片棒を担っているのであった。

◇気力を振り絞って歩け歩け
雷雨でもあれば周辺に多少冷気を呼ぶが、それもなく日中の熱気が、夜間まで、そのまま残り、寝苦しく汗でびっしょり、じっくり睡眠も取れず、頭が常に霞が掛かった状態で、ただでさえ回転の悪さが益々磨きがかかり、頭痛が絶えずつきまとい、気力さえ失せてくる。
そんな中、気力を振り絞って、朝の散歩だけは欠かさず続けている。(そんなむきに成らずとも思うが、皮下脂肪と水腹で益々肥満傾向にあるため、此処は己のために鬼になる)
写真は市内を縦断する浅川であるが、よく利用するところである。


ご覧の通り延々と続く護岸路も遥か彼方まで続くが、河川には木立が少ないため、陽を遮る日陰も全くなく、朝からお天道様もギラギラと容赦なく照りつけ、陽炎もたち、干上がったカッパ状態になってしまう。
それでも、健康増進ブームに未だ日の出て間もない5時代には、段階世代から、既にお勤めの上がり世代のゴマ塩族がウロウロ歩き回っている。
歩け、歩け、何処まで行けども、開けた視界に目に映る風景が変わらず、道のりの遠さを改めて思い知らされる。
勢いよく我が家を出た時は、軽い足並みに、快調に歩きだすものの、1時間半余りに帰路に付くころは、当初の勢いは何処へやら、足並みが多少乱れ、少々の凹凸にも、もつれるほどくたばってくることに歳を感じさせられる。
最後の気力を振り絞り、重い足を引き釣りながらドタリ倒れこむように我が家に辿り着く。
全身、滴る汗に、ずぶ濡れ状態に、家に帰り、熱くなった全身に冷水でシャワーを浴び、この一瞬に感極まり、もう極楽往生を極める。
ふう~この暑さとの闘い、何時まで続くのやら

◇冷気を求め
一方では、近くの、黒川清流公園は天然の涼気が生まれる別天地である。
お母さん達に連れられてやってきた水着姿の子供たちや、清水に足を浸し、水に戯れる子供達などの歓声で賑やかな楽園でもある。


公園は鬱蒼たる樹木に覆われた林の中緩やかな崖の下部に相当し、日野の台地からの水脈が走り、絶えず水が湧き出て、豊富な水量が流れている。
市内でも大変珍しい自然の水脈に、東京都の名水選に選ばれ看板が立てられいる。
年を通じて、殆ど温度が変わらず、20℃前後なのであろうか、この時期には冷たく、足を入れるだけでも心地よく、周りの空気も冷気を呼んでいる。
かってはこの湧き水を利用して、釣り堀であったが、この水脈を誘導し、清流公園になった。
ご覧の様な自然の立地を利用し、何時も子供たちが集まる自然に戯れる遊び場になった。
この暑いさなか人間のみだけに非ず、陽炎立つコンクリートに、飼い主に無理やり引き立てられ、たらたら涎を垂らす、ワン公も居たたまれずにこの水流に入り、気持ちよさそうに水に戯れる姿もある。
市内を1時間以上も徘徊し、シャツやら、身につけているものビショビショ。額から流れる、汗が目に染みこみ、ヒリヒリする中で、この清流公園に辿り着き、腰をかがめてすくい、顔をかけた僅かな一滴が感動を呼ぶ。

豊かな自然を求め

2007-08-15 18:14:00 | 多摩の四季

歩け、歩け、足の赴くまま歩ける所は何処までも
出来ることならば、騒音喧騒から外れ、のんびり自然に覆われた場所がベストである。
しかし、都心へ1時間の通勤距離、両基地を持ち、始発車両に乗れることも、希少価値があり、ドンドン土地開発が進んでいく。
でも、写真のような広大な農地が未だ残っている。
舗装されていない土の道は一面の耕作地にある、農道である。
8月に入っての好天続きと、物凄い猛暑で土埃が立ち、砂漠化しているが、コンクリートにない、こんな道だけに、車にあおられることもなく、鳥のさえずりを背景に、のんびりとした田舎を演出してくれる。
道脇に僅かな樹木は栗の木である。休耕中なのか、干からびたスイカがゴロゴロと放置されてあった。
農道の脇に軽トラックが止まり、近くで忙しいそうにじいさまが働いている。
おや、日も高いこの時間に補助灯が点きっぱなしである。
気づいていないようなので声をかけてやった。
「ありがとう、暗いうちから畑仕事をしているので、気づかなかった」
このくそ暑い毎日に多少の涼気のある暗いうちから、仕事をやっているようである。
改めてこの大地相手に格闘される、凄さを思い知らされる。
軽い会釈に、周りの風景を確かめながら、更に歩む・・・。

◇真冬を迎えた
柔らかい足触りが、人に優しい歩き心地を確保してくれる。同じ場所で冬を迎えた、あののんびりした表情は一転した。

郡部(旧南多摩郡)の凍てつく寒さは半端ではない。今朝家を出る時はマイナス4.5℃であったが、或いはもう少し下がったのかも知れない。
土の感触を確かめたく、せっせせっせと歩いているが、畠ではご覧の写真の通りの霜が降りており、踏みつけるとザクザクとした音と柔らかい感触が靴底から伝わってくる。
生来、寒冷地仕様の体に少々の寒さは余り、反応しないが、ツンツンとくる手足の寒さは流石は
半端ではない。末端に血が廻らないのか、暫く手がかじかみ家に帰って、シャツのボタンかけに難渋する。

八王子まつり

2007-08-06 00:07:00 | 祭り
◇熱く、燃える八王子祭り
台風の置き土産、熱帯からの熱気がそのまま残り、日中は37、8℃と、猛烈な日差しに、ともかく暑~いその暑いさなか、八王子祭りに行ってくる。
八王子でも一番賑やかな甲州街道と言われたが、郊外の大型店舗の進出に昔ながら商店も客足も落ち、淋しくなっているおり、この八王子祭りだけは古い伝統を受け継ぎ、賑やかを取り戻し、3日間に約50万人の人出があるようである。
打ち上げ花火、民謡流し、神輿、山車と色々催しがあるが、その中の一つに関東太鼓合戦も勇壮な響きに多くの人出が集まり人気を博している。

◇力強い太鼓の響きが激震を呼ぶ

普段でも交通量の多い甲州街道を当日の15時も持って、車両の通行止めになり、大きな車道を道脇に準備していた集団が置き台と併せ太鼓が一斉に並べられる。
その数全部で15箇所、それぞれの太鼓の演奏場所に黒山の人溜まりが出来、準備が終わったところからドンドンと打ち鳴らされ、時間の経過と共に、その音があちこちから打ち始まり、その音が重なり地響きの様に響きわたってくる。
この太鼓合戦も、毎年此処で行われるが、既にお客も承知済みか、15箇所の太鼓演奏に人気の優劣が出ており、人気の高いところは何重にも人の垣根が出来ており、後からでは太鼓うちの姿が見えない位に集まっている。
揃いのハッピ姿もいれば、キリリと巻いた褌に上半身裸姿も居る。
大半が男衆でもあるが、なかには晒を巻いた姐御衆も逞しく、艶やかに太鼓を叩く姿が見受けられる。
カンカン照りの路上で、演奏も盛り上がってくると、打ち手の姿が演奏の度合いに、肌が真っ赤に染まり、物凄い熱気と共に力強い太鼓の響きが、地響きのように伝わり、叩くものも周りで見ているものも、一種の興奮状態にはいってしまう。
額に吹き出る汗を伴いながら、熱気に包まれた関東太鼓合戦であった。

◇壮烈な山車の巡行
日中の熱気が覚めやらぬ甲州街道で、暑く燃えながら、祭りの最後を飾るのは山車の巡行である。
写真はその晴れ舞台を前に、居丈高に構える髭の将軍を載せ、町の横丁で準備する上八日町の山車である。

日も落ちる18:30から此処を出て、激しくぶつかり合い、競い合い、山車に乗って踊る衆、引く衆と、それを見物する衆が一つの塊になって演じられるショーは祭り好きに取って、たまらないイベントなのである。

◇「セイヤセイヤ」の一斉合唱が地鳴
圧巻はこの山車数台が、甲州街道の一角に集結し、居囃子の競演を行い、その技を競いあい、祭りの山を迎える。
山車双方が接近すると、相手に引き込まれない様に激しい囃子の音が一段と高まり、囃子の共演合戦がはじまり、熱帯びてくる。
それぞれの山車に乗った若者の翳す扇子と掛け声の合図で引手の取り巻き衆が「セイヤセイヤ」の一斉合唱が地鳴りのように響き、一段とヒートアップし歓声とどよめきで観る者も、その雰囲気に興奮する。
毎年、この行われる行事に、町単位で繰り出される山車に、今日のこの日の為に練習したのか山車の乗り手とそれを取り巻く衆との一体感が、とても力強く、見ているだけでも感動を生む。
こうした10数台のエネルギの塊が繰り出し、ぶつけ合う一時に引手衆やそれを見る見物衆も興奮し祭りは最高潮に盛り上がる。


◇共演に引き込まれ血が騒ぐ
日も落ちて真っ黒な夜に、ライトアップされた山車の群れと曳き手で埋めつくされた辻での囃子の音に合わせた歓声に最高潮に盛り上がる。
年々衰えることなく、引き継がれる、古き日本の伝統文化、こんな祭りに浸れるのも、中々捨てたものではないなあと、祭りの余韻を確かめながら、繰り出す山車の競演に久しぶりに血が騒いだ。
地域に根付いた伝統文化、若者も年寄も八王子ッ子の祭り好きが集まりヒートアップし、燃え上がる一日をたっぷり堪能できた。

◇終わった後も余韻を確かめ
デジカメは終始、「動画モード」途中でSDメモリーを容量一杯使い果たし、肝心の夜のメインイベントはどうしても、録って置きたい。祭りのごった返す会場を抜け出し、ヨ○バシカメラに駆け込み、512MBを8,700円で購入、何とかフィナレーの動画を納めることができた。「チャンチキチ」の音をパソコンで再生しながら、あの雰囲気を改めて、余韻を確かめた。家の中でも終始、お囃子が鳴りっぱなし、お祭りモード一色である。(笑い)
その様子を以下でアップした。
八王子まつり


ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/