春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

築地、場外歩き

2014-11-16 21:02:00 | 野次馬見物

地下鉄の築地駅を降りて、築地市場に向かい、左側に築地本願寺更にその先、数分で交差点に出る。
交差点で手にはそれぞれ袋を提げた人達が信号待ちしている。
脇には市場をコマネズミの様に走り回る円筒形動力部が回転するターレットトラックが控え、築地市場独特の表情を早くも伝えている。
人並みの背後にお店が軒を並べ、右側のアケードに場外市場の看板が見える。
場外に入る。


何処も、人、人の渦で、時には体が、触れ合う程の混雑ぶりである。
玉子焼きで有名な店の前は、場外でも人気の一つである。
店の前ではデーイバック提げたヨーロッパ系の外国人が群れなし、何やら相談している。あの柔らかいふっくらした感触の玉子焼きは国境を越え、今や人気なのであろうか・・・。
道の真ん中には「イカの被りもの」が目立つ、おっさんが、海鮮丼の看板を翳し、一生懸呼び込みを図っている。
縫いぐるみなら、顔を見せないが、開いたイカから渋い、眼鏡顔が覗き、その真顔が面白い眼鏡イカである。

買い物、観光で、ごった返す。外見では識別つかない、東洋系の外国人、西洋人と今や国際的な築地市場である。店先の威勢の良いあんちゃんの声、外国語も飛び交い、人の渦に熱気が伝わってくる。


「お兄さん、この蒲鉾美味いよ」
オープンテラスは、テーブルに小さな椅子が用意。混み合う人込み挟んで、道路側にも簡易テーブルに椅子が、それぞれ準備。青天井の元、雨が降れば、即座に撤収する。
お客と売り子の垣根もなく、此処では気取りも飾りもなく、ダイレクトのやりとりは下町の伝統文化がそのまま、この築地に引き継がれている
「つくごん」で蒲鉾の詰め合わせはお持ち帰り用。つくね、ねぎ串、ベーコンチーズなどくし刺しを頬張りながら、食べ歩きなど、少々の不作法も許される世界なのである。
何れにしても酒のつまみ、荷物にカメラを下げ、片手にくし刺しで、手がふさがり、残念ながら立ち飲みは出来ない。大きなベーコンチーズ巻をを、思い切り頬張り、築地の味を確かめ、腹に収めた。



大きな鍋に煮込んだ汁は親子どんぶりか。当たり立ち込める匂いに、思い切り食欲をそそるが、何となく忙しなく、人並みに追われる用で流石控えた。
店先に貼られた「ガリタ出没注意」のシールは某TV局で食べ歩きで、食べた店の証である。
この得たいの知れない紋所が食べ歩きの案内役に一役買っているのであろうか。

市場周辺に立ち込める魚の匂い、人種を問わず、ごった返す人並み、威勢の良い、売り子の声を背景にたまには無駄歩きも楽しい。

カメラも使い捨ての時代?

2014-11-05 22:05:00 | パソコン・電子製品

当時、最新鋭と言われたデジカメもポケットに収納出来る驚異的な小型化が図られ、旅行・行事・散歩の必携品として持ち歩き、画像情報を捉え蓄えた。
電池と電子媒体さえあればさえあれば、何時でも撮れる気軽さから、世の中からフィルムカメラを駆逐してしまった。
そんな愛機も、購入以来最早、10年を越えてしまい、押しまくったシャッターも万の回数を越えていると思えるが、機械疲労から、不具合が生まれてきた。
カメラ頭部にスライドスイッチがあり、静止画と動画の選択モードがあるが切り換え操作により、モードの切り替えが、効かない場合がある。
例えば静止画を選んでも、動画で機能する場合がある。
恐らくスイッチ部分の接触不良と考えられる。

<全くのお上りさん、漸く見つけたサービス拠点の三井ビル>

さて、専門病院で診断、加療となろうが、近くにサービス拠点がなく、運送業者で引き取り、修理品の持ち運びも、手数料を払えば可能である。
しかし、現物を前に、その症状を伝えれば、より確実な修理に繋がると、敢えて新宿の拠点まで持参した。
複数の窓口が準備され、カウンター越しに、一件、一件詳しいやりとりが行われる。
これだけの多数の窓口に、市場に出回った同社の製品の数も多ければ、繊細なメカニズムだけに色々、トラブルや問い合わせも生まれるのであろう。
窓口に訪れた時に、外国人も来ていたが、流暢な英語でスタッフが応じていたのも、国際的な拠点と窓口の広さに関心する。

番号を呼ばれ出番が回ってきた。
運んだデジカメを前にその症状を説明すると、窓口嬢がやおら分厚い台帳を取り出し、機種確認する。
「お客様、既に同機の部品の供給は終わっておりまして、生憎、修理は受け付けられません」の優しい応対にも毅然とした宣告を言い渡された。
せめても分解清掃だけでもと思ったが、当該部品の交換しか、選択余地が無いのである。

因みに、代替部品があっても、修理代は10、000円そこそこ、かかる。
同機とほぼ同じ性能で、ネット通販で買えば、修理代相応でも、手に入るようであった。
カメラの類は買ったら、半永久品とも、思ったが、世の中使い捨ての時代、10年も経てば、どんなに丁寧に使っても、製品寿命が来てしまうのである。
目ざましい、電子部品の発達は身近な製品でも、使い捨ての、時代なのであろうか。
まあ、致命的なことでもないので、貧乏人は騙し、騙し使い続けることにしよう。

<寒々とした、気分で、帰る。見上げればあの都庁が、
見下ろしていた暫くは此処に来ることもあるまい>


ようこそ松崎家の世界へ

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