春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

2006から2007へ

2006-12-31 18:09:00 | 世の中変わる


近くの神明台から真っ赤に染まる水平線を撮ったが、落日の街並みの姿に波瀾に満ちた2006から
2007への引き継ぎを告げるシーンである。
色々重なった年の変わり目に振り返って見る。


◇悲しい出来事
毎年、年の瀬に各家庭ではお節料理に腕を振るうが、燐家から丹精込めて作られ蜜たっぷりの極上の栗きんとんを頂いたが、その腕を奮っていた奥様が亡くなってしまった。
そのねっとりした味がもう、叶えられぬことなってしまった。
暮れに押し迫ってから会社の同僚が亡くなった。同じ世代で在職時代は殆ど休んだ事が無かったが、5月に癌にかかり、半年余りで他界した。野次馬精神旺盛で色々認めたいものが沢山会ったはずであるが、それも叶えずに、悔しがっていた。

◇出会いを求め「韓国」、「北海道」へ
春に思い切って燐国のchejyu島へ行き、歴史と観光、韓国料理をたっぷり堪能したが、折しも韓国ドラマ「チャングム」で縁の地出ある事などからにドラマに引きずり込まれた。
9月に道東へ行き、クルージングで海側から世界遺産の知床の世界にせまり、その神秘の世界に触れることができた。
◇節目の上級試験のチャレンジ
夏の暑い時期に上級ハムとは置くがましいが、2級試験にチャレンジし、悶々とした抑圧した世界を送ったが、何とか合格し、再び無線の火が付いた。

◇あっという間に幕引き
悲喜こもごも、自ら忙しくしながら、あっと言う間に2006は幕引きを迎えた。
年々、加齢と共に何故か1年間のスパンは短くなってくる。

ぎっしり詰まった日々も振り返ってみても、忘れる事も多く、そんなことが、暦を短くしている
こうした目の前の諸事をデジカメを通して捉え、多少重荷とも思いながらも日々のアクセスカウンタを見届けながらhp作りに傾注し、忙しい日々に明け暮れてしまった。
のであろうか・・・?


イルミネーションに飾られ

2006-12-23 21:03:00 | 恒例行事

夜空にクリスマスのイルミネーションが鮮やかに輝いている。
駅前通りとか街を代表する施設など、街ぐるみの規模の大きいものが人寄せで、派手な物で雰囲気作りに一役買っているが、最近は一般家庭でも、人目を引く様な大きな飾りつけが見える様になってきた。
孫娘宅も住宅地に立派なものを飾ったが、隣宅も小さいお子さんが居られるのか、隣り合わせでピカピカと派手なイルミネーションが飾られ、道筋に一際目立っている。
子供ばかりか大人も、この輝きに思わず、夢のメルヘンにロマンがかき立てられる。
このイルミネーションに併せ、孫娘世代の子供達にとっては色々夢を託し、叶えられる白い髭のサンタさんの存在はしっかりと生きている。
そのサンタさんが運ぶ袋の中身は果たして如何なる夢を実現しているのであろうか・・。
廻りを見回すと、既に豊かで物余り気味の時代を象徴して、何でも揃っている。
何もこの時期にサンタさんに託さなくても、溢れる玩具に、どんなものを欲しいのであろうか願う事ならば高価でなくても、喜んで貰える物であればとも思うが、迷ってしまう。
既に3歳児、記憶力、機関銃のように出てくる言葉など会う度にその発育振りに驚くばかり彼女が手にするも時代を背景してパソコンのオモチャが登場している。
プラスチックのDVDを手にして「ジイジ!!デイブイデーを此処に入れると音が出るよ」と難しいアルファベットの言葉を鮮やかに、得意げに音を出し、時代の隆盛機器の代表でもあるパソコンオモチャも手にしていた。
勿論何処まで判っているか判らないが、こんな乳幼児時代から、手にし、馴れ親しみ、時代の先端技術とも向き合って、仲間に入ってしまうオモチャに驚くばかりであった。
子供達の夢を追うクリスマスツリー、サタクロースは変わらないが、子供達に夢を叶うサンタさんも袋の中身に苦労してしまう。

残されたプロジェクトX

2006-12-14 23:05:00 | 仲間との絆

友人の余りにも早い鬼籍入りに当プログで報告したら、物凄い反響なのか深夜未明から訪問カウンターが止まることを知らず、記録的なヒットをした。
余りにも凄いカウントアップにプログのカウンターが壊れているのではと思ってしまうほどの反響の多さであった。
これも故人の幅広い人脈と交遊関係から生れるネットーワークの広さを改めて感心してしまった。
その間2、3の方からもコメント頂き、その人を思い出す事が最大の供養であることなど言われ、微力ながらも故人のメーッセージが伝えられ、感謝頂いたことにホット安堵する。
もう、故人には何もして上げられないが、今の環境の中でせめて今出来るのはこんな事ぐらいなのであるが、余りにも大きい反響に身が引き締まる思いである。
限られた人生で、苦労しながらも一番輝いている時期に何を残したか、そして語り継がれる物語がある筈である。
数年前、NHKのプロジェクトXの魅せられた感動を参考に、事業部のOBを主体にその滲み出る様な汗とその結果生れた感動を記録し、製本化した。
故人も担当した火力発電所の制御装置の出筆の傍ら編集担当の一員として、多くの出筆者の取りまとめを尽力され、後世に残される立派な記録を残された。
語り継がりは人間の記憶と時間経過により、希薄してしまうが、こうして製本化されるとその時の生きざまが、そのまま静態保存される宝物である。
改めて、担当された部分を 繙くと西独シーメンス社へ行き、ヨーローパ技術を学び、日本の大電力会社との文化の狭間に立ちに導入する苦労が滲み出ている。技術屋として日本人としてプライドを背負い立ち向かわれた労苦が伝わってくる。
ヘビースモカーである事は既に書いたが、健康を害して、止めたくても止められぬのは、仕事でのストレスも藁をも掴む思いで縋ったのでは無かろうか?
廻りから叩かれても追い詰められても、決して慌てず、煙をふかし、淡々と時をおくる姿が思い出される

早い旅発ち

2006-12-10 20:12:00 | 仲間との絆

会社時代の同僚が亡くなった連絡を受け、斎場でお線香を上げてきた。
東京の外れにある我が家から、中央線、横浜線、京浜急行で金沢八景まで乗り継ぎ、更にバスで斎場付近で降車、暗いトンネルを潜り、ようやく現地へ、2時間半の遠い道のりであった。
横浜横須賀道、朝比奈IC付近の横浜市の斎場であるが、人家から離れ、専用の隧道まで用意され人目を憚る山中に隠れる様な施設であった。
折からの冷たい雨の中、バス停から約800Mの真っ暗な夜道は不気味にさえ思えた。
そんな山中にコンクリート建ての斎場に写真の様な立派な祭壇が飾られ、厳粛な通夜が行われた。
故人とは川崎から豊田、有楽町と事業所の変転する中、20年以上も苦楽を共にした職場の仲間であったが、高齢化が進む、現代にあっては未だ早い67での逝去であった。
戦後の建設ラッシュに沸く国内産業を背景に民間や・事業用を始め、更に海外まで火力の制御装置のエンジニアリングを中心に携わり、会社の隆盛とも合わせ、忙しい時期を歩んできた。
その役割も定年と言う節目を迎えこれからの第二ラウンドをじっくり楽しむ過程での早世であった。
由緒ある、会津の秋月家の出で家系図もあるとも言われていたが、彼の同級生が新橋でバーを営み、誘われるまま良く通ったが、そのママさんの口から、その誉れ高き出と、生徒会長を勤めた話など同郷の誼で語られる話を聞かされた。
その天性の人柄か余りスマートでは無かったが、社交好きから在職30数年の歩みと共に広い人脈関係が生れ、こうして最後の別れを告げる日も会社関係から多くの参列者を迎えたものと思われる。
喫煙害悪節が盛んに叫ばれる昨今、どこ吹く風、ニコチン濃度の高いヘビイなタバコを最近迄嗜み続け、軽ニコチンの類はタバコに非ずと、男気を発揮していたが、そのヘビースモーカが医者に驚かされたのか、ある日突然、人が変わったように止めてしまった。この事が大変奇異に感じられるが、今考えるとこれも危険予知のメッセージだったかも知れない。
その頑健さに裏打ちされ、在職中は殆ど休んだ事は無かったように思えたが、その病に伏し、半年も経たずして近代医学を持っても、癌には勝てなかったようである。
何分にも好奇心旺盛が、エネルギーとなって一つの支えであったようだが、仕事を離れても尚そのエネルギーは絶やさず持ち続けているように思える。しかし、それを絶たれ悔しい想いをしながらの他界と想像する。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/