春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

御用だ、哀れ踏切姿!

2011-02-22 10:08:00 | こんな鉄道もあるぞ~

「御用だ、御用だ・・・じたばたするな、観念しろ」
多数の捕手方に取り押さえられた容疑者某は最早観念したのか、逆らうこともなく、縄に伏した。首には黒い袋をかけられ、全身これまた真っ黒な物に被せられ、体には大きな×印の添え木が架けられ、晒された姿に人目を憚り、首がうなだれている。
何々、その罪状は「天下の道をお鉄道様がお通りなどと、人も駕籠も馬、車を遮り、行く手を阻むばかりか、"カンカン"、"カンカン"と泣き叫び、往来の通行人ばかりか、近隣まで騒ぎまくったとのお咎めが、遂にお縄ちょうだいになったようである」
何時も通る道も塞がれ、真っ黒い不気味な構造物が、そのまま立っていた。かっては下を通る通行人、車を見下ろし、雨の日も風の日も御上の指図に逆らうことなく忠節に守り続け開けたり閉めたり、365日役割を果たしていた。その大事な関門を預かり、絶対的な権力の栄光も今やひっそりと、討ち果てようと影を落としていた。
何時までも、その姿を晒続ける事に哀れみ、何れはその姿も、何処えか消える運命であろう。
京王線、南平駅付近の踏み切りが2011年、2月某日のアンダーパスの完成で、長い長い役割を終えた。アンダーパスの開通でセレモニーなど光、輝くかげで、それ迄の役割をしっかり守り続けてくれた。

その閉塞された踏み切りの先の南側はJRの堀之内踏み切りである。
豊田駅が近くにあり、上り車両が駅に入線しただけで、忠節に遮断してしまうために、踏み切り横断の人や車両が大量な渋滞の渦を作り、遮断機の存在感を示している。そんな面からこの度、お縄を頂戴した、仲間より罪は深い。
ついついこの長い遮断に耐えきれず、遮断棒を押し上げ、無謀にも渡ってしまう、ご人も見受けられるが「おいおい、それをやっちゃあ、おしまいだよ!!」

また、雪だあ~!!

2011-02-15 17:22:00 | 多摩の四季

春の訪れ近しか、あの頑固な気圧配置も変わって、太平洋側にも低気圧が西からやってきて冷気が吹き込み、先週に引き継ぎ今週もまた雪だあ~
しかも、今回は0~1℃と本格的な雪降りになってしまった。夜、窓を明けると、深々と白いものが、激しく降り続け、どうなること、思ったが、JR中央線も線路点検で止まってしまった。
そんな雪降りの朝はどうだろうかと子供のようにわくわくしながら、窓を開けたら庭木はご覧の通り、真っ白い帽子、路面もしっかり積もっていた。

路面はご覧の通り、積雪、僅かに車が通った、踏み後が残っている。このままであると、路面が凍結、つるりと滑る可能性もあり、ここは雪かきをせざるを得ない。早速、スコップを取り出し、静まり返った宅地の中で、ザクザクと音を立て、雪を掻き出す。
水を含む雪塊はしっとり、重く、ものの数十分で、腰が痛く、日頃の運動不足が的面に出てくる。スコップ持ち上げる力も弱り、こんな時に改めて衰えを感じる。
朝の忙しい時期だけに、誰も出て来ない。拙宅前に留めて、エリア限定でと、思ったが、始まったら、留まること知らずに、際限なくどんどん広がり、制圧していく。しかし、もう腰は腕は、悲鳴を挙げ、限界を感じ、雪かきを納める。

どうだ~積み上げた、雪山が、その量を物語る。
道が開けた。これで通路が確保できた。この程度の雪処理で、ヒイヒイ音を上げ、もう限界。日本海の豪雪地帯はこんなのは序の口。埋もれた雪の中での毎日、雪や"こんこん"なっていられない。
それでも、何とか道が出来、征服感と雪との戯れに久しぶりに一汗かいた。

雪に埋まる「平山」

2011-02-13 10:46:00 | 多摩の四季

列島が寒波に包まれ日本海側はまれに見る大雪に、雪下ろしもままにならず、埋もれてしまった。特急列車も雪に閉じ込められ2日間も車中で缶詰。などなど今年は未曽有の大雪であったようだ。一方、太平洋側はからから天気、1カ月以上の降雨、降雪がなかった。
2月も半ば過ぎ、気圧の配置が崩れ始め、3連休に雪だ雪だ、大雪だ~と大騒ぎ、あわててタイヤチエーンの駆け込み買いつけに走ったドライバーが、閉店間際まで賑わったようだ。
しかし、その大騒ぎの報道をよそに、降雪はあったものの、都心やこの辺の多摩地区の平坦部ではチエーンを巻く程のこともなかった。
これしきの雪に騒ぐほどのこともあるまいが、毎朝の散策にデジカメを忍ばせ、多摩丘陵の一角にある平山に行ってみる。
平坦部では殆ど積こともなかったのに、ご覧の通り、高台はその様子が一変する。

西側の急斜面の道は完全に降雪に埋まり、全く雪国の世界であった。僅かな枕木が走る山道に雪が無くても、歩きづらい場所であるが、其処が雪に埋まり、倒れても後ろ側に腰を引き一歩一歩、踏み足を確かめながら、山降りであった。

何時もの平山のビューポント。傾斜面、樹木、住宅の屋根は一面に真っ白の銀世界。周辺を取り巻く多摩の山々も雪化粧姿が墨絵の日本画のように美しく目に入った。
そのビュウーポイントは既に知れ渡っているのか、この俯瞰する眺めに、魅せられ、カメラ持つ人も見受けられた。

フォーラム仲間と再会

2011-02-04 22:18:00 | 仲間との絆

パソコン通信草創期に生まれ隆盛を誇ったニフテイフォーラムの会議室がネットの世界を賑わした。公文子供研究所の支援で同行の士が集まり、書き込みを通じて語り合う、電子会議室の場であった。
会議室に入るのも、専用のツールがあり、閲覧、発言にそのツールを使いこなす、ハードルを越える必要があり、誰でも簡単に入れるものではなかった。ところが日進月歩により、ブログなどを含めた掲示板が専用ソフトが無くても、誰でも入れる環境になり、ニフテイフォーラムは2007年最後に使命は終わった。
そんな流れの中で、フォーラムは解散したが、フォーラムで交わした仲間の絆は未だに続いている。
時間の経過は当時のお父さんは爺になり、孫を相手にマゴマゴしたり。幼児期であった子供たちが、親元から巣立ち、一端の主になったり、可愛い愛娘が人さまの嫁に送り出すなど、歳を重ねるごとに身の周りが大きく変わってきた。
お嬢さんの婚約/結納のおめでたい話、はるばる舞鶴から江戸にやってこられる海上自衛官の幹部の晴れ姿など、新宿に参集する声を聞きつつ、まだ、生きている証を伝えるべく旧南多摩郡からいそいそと出かけた。
場所は花園神社の裏側、一歩誤れば闇の中おどろおどろしい歌舞伎町であった。予めネットのストリートビューで確かめ迷わずに一発でたどり着く。細い急階段を登るとガラス越しに、店内を覗くと、高津館長と足立将軍がカウンターに座る姿が確認出来、手を振ったが、無反応。どこかで間違えた一元のじじいの到来と怪訝な顔していた。無理もあるまい、一年に一度の出会い、前触れも無く突如の乱入に識別されるまでかなりのタイムラグがあった。
「やあ、やあ何で来た~」「何かの風の吹き回しで顔を見たかった」ともあれ、高津館長とは「帝国データバンク史料館」見学以来、足立将軍とは、始めてのオフミーテイングではなかったろうか。
スーツ姿から、眩いばかりの制服をわざわざ着替えて頂き、その晴れ姿と、よれよれ姿の惨めなじじいも、お二人の引き立て役に、一緒に撮らして貰った。

この袖章が見えないか!!、旧帝国海軍の伝統をそのまま引き継ぎ階級制度の厳しい識別は此処にあり、「2等海尉」さまであるぜよ。・・・と上官殿として敬礼されるステータスである。

宴もたけなわ、晴れて娘を嫁として送りだす赤羽さん、大阪からはるばるやってこられた公文の竹田さんが揃い、5人の揃い踏み、「娘を送り出す親父としてバージンロードに手を携えて・・・」「いやあそんなもの、やらねえ~」など喧々諤々であった。
時にはネット文化のフォーラムを思い出しながら再会を喜び、歌舞伎町の夜は賑やかに、 時間の経つのも忘れ、楽しい一時であった。
皆さんご苦労さんでした。
今年も佐野さん御夫婦のお世話で4月3日(日)、新宿御苑の桜の下で会いましょう。

極寒の朝に

2011-02-02 13:45:00 | 多摩の四季
◇凍結の世界「平山」

うわあ~寒いと思いながら、世間を憚り、修行僧は未だ薄暗い内に家を出る。
都心から離れた此処、旧南多摩郡部は盆地に近い土地柄、都心より3、4℃位は低く、今朝もマイナス4、5℃ぐらいであった。
外気に直接触れる、顔は痛く、耳が引きちぎれそうである。通常なら体を動かせば、多少温かくなるはずであるが、一向に温まらず、寒さで固まりそうである。こんな寒さに脳味噌も凍結し、眠気も吹っ飛び、ただただ義務感に後ろをおされ、勢いでやっている。
こんな寒さに、平山城址に近く、高台に位置する北斜面は日中でも日が当たるのが遅く、山側から落ちる水滴が完全に氷付いている。

その氷に近づいてみる。氷塊の滴下部分は凍結し、丸みを帯びた先端が鍾乳洞の様な姿に目を奪われ、思わず、パチリと一枚その姿を画像に納める。
こんな極寒の朝、冷気が街中に色々なものが生み出され、そんな出会いに遭遇するのが楽しみである。ポケットサイズのデジカメがポケットに忍ばせ、何時でも気軽に、こんなワンショットを納めることが可能になった。

そんな出会いを求めて、この辺でも一番、見晴らしの良い、平山の住宅地の縁に出る。西側が開け、見通しの聞いた、スポットに大きなカメラに三脚を掲げた先客が、既にベストアングルを探し求めていた。その脇を通り、尾根の一角で多摩の山々の炯眼に見とれ、一枚納める。にょきにょきと立ち出した八王子の高層ビル街を越えて、多摩の山々が迫って見える。
一年を通じて、ガスもかからず、山々がこんな身近に感じさせられるの今が、一番である。

◇浅川に「サギ」の群れ

何時ものように浅川を一番橋付近から上流へ目指す。まるで故郷に帰る鮭かのように遡上し、平山城址付近の滝合い橋から更に八王子の長沼橋を越え、返ってくる。行きは勢いもあるが、帰り1時間を越えると流石に衰えの知らない健脚と自認する足も、寄る年波に勝てずフットワークは乱れ明らかに乱れてくる。


その川原にサギの集団が群れをなしている。単独で淋しげに佇むサギに連隊を避け、ひたすら孤独を愛する生き物と思っていたら、この数の多さに圧倒される。
大凡、数えても80は下るまい。誰が群れの親方か判らないが、川でえさをアサリながらも、1羽が上流に行くと、それを追うように数羽が続き、更に取り残されては残りも後を追う。
こうして、一瞬乱れながらも、川面を統率された"サギ集団"の移動と川面に並行した土手と並走する。
"サギ集団"と言うと巷間、油断も隙も無い研ぎ澄まされたダマシ屋集団と身構えるが、ここの"サギ集団"はのどかな平和集団である。


外気温度はマイナス4.5℃で、外に出ると、凍てつく寒さは半端ではない。顔、耳が寒さで引きちぎれそうで、寒さを越え、痛い。
こんな寒さに、修行僧の外歩きに、何か特別な自然の変化と出会えるのでは期待感を込めて、そっとデジカメを忍ばせて家を出た。こんな感じで気軽に写真に撮れるので、撮りっぱなしの画像ファイルが、整理の付かないままパソコンデイスク上に山積されてしまう。
寒さに身を屈めて、とことこ浅川に出て、一番橋から上流に向かう。
お天道様が未だ上がりきらないうちに家を出たが、川沿いに暫く行くと、丹沢山が朝日を受けて、ご覧のように真っ赤に燃えている。ああ是れは美しいと、ワンショットを納める。団地の給水塔の背後の大室山が出しゃばって、白峰の富士山を邪魔しているのは何時もの通りである。

平山橋の手前の河川敷では大量のサギの群れに遭遇する。余り目立たない黒色のものから白色のものが混在し、水辺で羽を休めている。

近寄って、その姿を確かめる。素人バードウオッチャーは名前が良く判らず、ネットでその姿から確かめたら、ダイサギとゴイサギのようであった。余計なことであるが、サギで検索をかけると詐欺になってしまい、何とも世知辛い世相が、周りを覆い尽くしている。

10羽10色と言う言葉があるのか判らないが、それぞれのさぎが色々な表情を持っている。餌をつくもの、羽根広げ優雅にその姿を見せびらかせるもの、羽ばたき周囲に威嚇するもの、周囲の騒ぎに吾関せずと思考するものなど、群れの世界の営みをウオッチする事も出来た。
尚も川上に向かって西下、歩けども、一向に体は温まらず、北野橋で折り返し、拙宅へ、1時間50分ほどの修行であった。末端への血流が悪く、手がかじかみ、復元するまで暫くは不自由な時間が続く。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/