春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

魔女の一突き

2007-06-28 20:10:00 | もう、あぶないぞ~

災禍はある日突然にやってくる。
何の因果か、腰を屈めて何か物を取ろうとした時、ギクンッ!!と強烈な痛みが走り、そのまま、動いただけでも痛く、その場でうずくまり固まってしまった。
階段の上がり下りは勿論、歩くと激痛が走り、椅子に座ることさえつらくもう我慢が出来なかった。
横になっているか、風呂に入っているかで、一時的であるが痛みはやわらぎ、走る痛みから逃れるしかなかった。
元々、人間が立ち、歩きは自然の条理に反するようで、腰部に猛烈な負担がかかる。
年を取ってくると、この腰部のクッション役が機械疲労を起こし、軟骨がすり減り、かすれてしまい、ある日突然、何かの動作で突如激痛が襲いかかってくるようである。
ゴルフはやらないが、ゴルフスイングなど、普段やりつけない、捻りで起きることもあるようで、まさしく、魔女の一突きとも言われている。
この軟骨の、すり減りは加齢と共に徐々に進行するので、まあ、その分、年を食った証なのだろう。
それに、典型的な座骨高は悪い姿勢を呼び、長年の蓄積が脊髄を歪めている。
今はあまりないが、職業柄、長時間、図面を引いたりしていると、物凄い鈍痛が何時までも走り、重くのしかかることさえある。
一度レントゲンを撮ったら、脊髄の6、7番目?当たりが、素人目に歪んで繋がっていることが判る位に、変形していた。(生活も歪み、性格も歪んでいるのか?)
痛めてから数日経過、何時までもうずくまって、居るわけにもいかず、苦痛に顔歪めながら、歩いてみた。
痛みをかばうとどうしても腰を屈めるような姿勢になってしまうが、途中で休み休み、何とも言えないまどろっこしさを伴いながら、距離を延ばし、復帰への努力が続いている。
このぎっくり腰も、天候にも、影響するのであろうか、丁度、梅雨真っ盛り、ジトジトした湿気も、何か鈍痛が重くのしかかる。

動かざるは山のごとし

2007-06-26 09:02:00 | 多摩の四季

我が家から北側100mほどの所が崖になっており、ブナ、ナラ他沢山の樹木に覆われ、その山道は落ち葉が堆積され自然一杯のところ。
がけ下部分に湧き水が溢れ、東京の名水選に選ばれている。
暑い夏はその清水に涼をもとめ、幼稚園児などチビッコ達が水遊びに戯れにぎやかな場所である。
ところが湿地帯なので、湿地帯を好む、動物達の住処でもある。
数日前の暑い日、やま(公園)を通り抜けようとしたら、1.2~1.5M位の青大将(多分)と遭遇、危うく踏んづける所で、向こうもびっくりしたようであったが、こちらもそれ以上の戦慄がはしり、目の前の大物に思わず固まってしまった。
ここは一端引き、遠回りすればなんてことないが、まあ嘗められてたまるものかと、そのまま直進しやおら、道ふさぎしている物をしっかり見ながら、恐る恐る跨ぎ渡った。
「おや!そちは戦国武将武田春信の化身か」「敵は動かざるは山の如く」
渡った先で振り返って見たが敵もさるもの、しっかり腰を据えこちらの存在を無視するかのように、殆ど動かなかった。
土の色とも似通った保護色に鮮やかな縞模様は、よく見かける精巧な玩具を思い出して仕舞うほど、本物は不気味であった。
その形、大きさから青大将と思うが、マムシ、やまかがしなども、年に1~2回は遭遇する。
これから益々、暑くなる季節を迎え、駅前の商店街に向かう時の自然な樹木に覆われるやまは格好な涼気を呼ぶ日陰道ではあるが、こうした生き物たちとの突然での出会いも生まれる。

赤煉瓦旧seoul駅

2007-06-16 13:43:00 | 韓国旅行

近代化されたseoul市内の街中で日本の占領地時代に残した建物はseoul駅舎とかseoul市庁など未だ残されている。
seoul駅は赤レンガの超モダンなヨーロッパ風の近代建築の駅として異色であり、東京駅の雰囲気が似ていることもあり、外国で見る日本の文化を見るようで日本人としてこの駅舎に特別な思いが伝わってくる。
「設計者は東京駅と同じ、辰野金吾」とネットで誤って紹介されることも多いが、実際の京城駅(現seoul)の駅舎の設計は東京帝国大学教授の塚本靖と朝鮮総督府の建築家でドイツ人のゲオルグ・ラランデによるもので、大正14年(1925)に竣工していることが判った。
京城駅は光復節後1947年にseoul駅と改名し、朝鮮戦争後何度も拡張を続けた。
かって仕事で西も東も全く判らずseoulを訪れた時に、「あれが東京駅と同じ駅舎だよ」と言われ、車窓から遠目に映るレンガ作りの建物と時計台は特別な存在であった。
見れば見るほど確かに東京駅と似ているなあと、思いつつ、じっくり近づき、何時かはこの歴史遺産に触れて見たいと思い、今回ようやっとその思いが適えた。
今回の漠然としたseoul旅行の中で出会えた宝物の一つである。
駅舎は占領地時代の日本が残していったものだけに、忌まわしい過去の歴史を象徴するもので好ましからざる建物と思っている人もかなりいるようであり。何度か消え去る運命にもあったようだが、現在でもその姿は生き残っていた。
2004年、KTX(韓国鉄道公社)の開業による大改修によりソウル駅は面目を一新し、古い駅舎は役目を終えて保存されている。
駅の所有権を、文化財庁に返還することを契機に近代美術館を作ろうという話が出ている。
一方東京駅は、戦災などの災禍から戦後の復興期を経て、世界に冠たる新幹線など高速鉄道の時代を迎え、駅舎としての佇まいは変わることなく、更に改修予定され、大事な表玄関として役割を担っている。
それぞれ、似たような生まれが、時代の背景を歩みながらそれぞれの道に歩む姿は異なるが、両者が未だ生き残るようでほっとさせられる。
以下で紹介
ダイナミックな街seoulへ

緊張の非武装地帯で

2007-06-14 19:41:02 | 韓国旅行

先月、朝鮮戦争以来、半世紀ぶりに韓国から政府関係者や文化人を乗せて軍事境界線を越えて、北朝鮮側に試運転列車は向かった。
現地報道では「歴史的瞬間」として華々しく、取り上げられ、その模様は大々的に報じられた。その2日前に列車が通過する京義線の非武装地帯にある都羅山(トラサン)駅に行ってみた。写真はそのときの駅舎で撮ったものである。
ものものしい、白色のモール、ヘルメットのマーク、そして白手袋の軍装で固められた監視兵が改札口に立ち、ピリピリした雰囲気であった。
その背後に見える青色の表示盤は既に「平壤」方面行きの表記になっている。
都羅山駅は非武装地帯にあるため、入場に手続きが必要であり、未だ利用客が少なくseoulと結ばれる京義線は1日僅か数本である。
プラットホームもローカル駅に見られる1本の淋しい姿であるが、駅舎はものすごく大きい
ガラス張りの立派なものであった。
都羅山駅は南側の最後の駅でなく、北側に向かう最初の駅と位置づけられている。
近い将来必ず繋がるんだと言う力強い意思のもと、大きな世界地図が掲示され、中国鉄道、シベリヤ鉄道を通じて、なんとヨーロッパに繋がる路線地図が早くも描かれている。
近い将来、韓国が東北アジアの物流中心国として台当するその日を期待したいと、書かれていたが、そのたくましいエネルギーに驚いてしまう。
そんな背景の中の朝鮮半島縦断はほんの一歩である。
そんな国際駅を意識してこんなにばかでかい駅舎が作られたことが理解できた。
夢の大陸鉄道、果たして何時出発出来るのであろうか・・・。

パソコンがハングアップ

2007-06-07 16:50:00 | パソコン・電子製品
 ◇パソコン成仏
毎年恒例の人間ドック受けたが、引っかかってしまい、要精密検査を勧告されショックで落ち込んでいた。そんな鬱の気分の中、弱り目に祟り目、追い打ちかける如く、パソコンまで成仏してしまった。
前者はもうなるようになってしまったので、仕方ないので来月、再びCT検査で、開き直りの心境で近代医学に身を預けるしかあるまい。
そんな一時のパニック状態を見透かすように、今度は生命線でもあるパソコンがハングアップしてしまった。


◇泣き泣き再インストールの運命
成仏と言っても、まだ脈はあり、OS動いているようで、一縷の望みをかけて蘇生術をいろいろ試みたが、結局だめ、泣き泣き再インストールの運命になってしまった。
こんなこともあるだろうからとバックアップをと思ったが、残っているのは1年前の霞のかかったもの、その間は完全にぶっ飛んでしまった。
再インストールと言っても、その手法はすっかり記憶の中には消え去っている。
膨大なCDやFLPの素材と一応の手順メモを便りに、コツコツと積み上げていったが、一端引っかかると、全然前へ進まず、1ステップをクリアするのに、数時間~半日はかかってしまう。
ネットの接続、家庭内ランの接続、などなどハード・ソフト含め、次から次へとハードルがのしかかってくるが、おおよそ8割方はクリアー、後はセキュリテイの構築を残すところなのか・・・。

◇周囲の雑音を気にしない「鈍感力」
まあ、この作業も見通しがたった折りに「鈍感力」と言う言葉が、新聞に出ており目を引いた。
嫌なことを言われたらすぐ忘れる。何事にも神経質にならない。周囲の雑音を気にしない「鈍感力」があってこそ鋭さやナイーブさもあって、真の力となって輝き出す。
今、仔細なことで揺るがない鈍さこそ大切と言われるが、パソコンは蘇生出来たが、後者の己の体は果たして「鈍感力」に委ねて良いのだろうか?
己は天性の鈍感で物忘れも多く、目の前に起きることや身にふりかかる些細なことまで一喜一憂する小人間であって、どうやら「鈍感力」は持ち合わせていない。

◇蘇生復活へ賭けるも必要であるが
高機能のインテリジェスを持ち、大量な記憶媒体を持ち合わせたパソコンも魂を落としてしまうと、ただの鉄の箱である。
パソコン本体を蘇生して息を吹き返しても、ただ呼吸しているだけの生き物にすぎない。
さあ、これから脳に失ったインテリジエンス機能を送らねばならない。
写真の通り、うず高く積まれた大量のCDと起動用のフロッピーなど、媒体を介して一つ、一つ、手順を踏んで、丁寧に入魂させなければならない。

多種大量の媒体に、素直な媒体なら未だしも、わがまま、人間様を欺く謀叛者も含まれ、こいつらの癖を見抜き、だましだまし入れていくのも、ねばりと根性で根気のいる仕事である。

◇難攻不落
かなり、消えかかった記憶を頼りに進めていくが、変な思い込みあると、それが災いし、全く闇の世界に瞑想し、こちらが期待する結果が得られず、暗唱に乗り上げてしまう。
相手がたかがパソコン、こちらは腐りかかってはいるが、はるか高度なインテリジェンスを持った人間様なんだぞと、気負っても、敵もさるもの、その門戸はこちらをあざ笑う如く、頑に閉ざしてしまうのである。
頑轍なまでの敵の対応に、遭遇したら、一端引き、新たな発想を呼び起こし、別な切り口から攻めていくと、あの難攻不落であったあの203高地もたちどころに落ちていくこともある。
ともかく、地道で悶々とした戦いの中で、時には柔軟な発想で難敵を落として、事が大切である。
と激闘の末、大量の媒体による入魂作業も見えてきた。

◇過去のデータ一掃に涙
ふう~と、ため息を付きながら、ようやっと頂点に上り詰めた喜びもつかぬま、動かしているうちに、デスクに入れておいた写真や音声、テキストデータのあれこれが一掃されてしまっていることに気づき、悔しさと虚しさが、駆けめぐる。
とりわけ、韓国に行く前にあたふた撮りまくった新選組まつりの数百枚の写真が一瞬のうちに消えてしまったことが、悔しくてたまらない。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/