春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

もう一つのみなと横浜 工作船

2007-01-29 20:15:00 | 野次馬見物

はて何であろう?
「2連装機銃」と言われる、物騒な現役の武器が赤錆びた姿で大都会の片隅に展示されている。
みなと横浜、赤煉瓦の建つ、海岸縁に「海上保安資料館横浜館」に九州南西海域工作船事件に関わる工作船と回収物が展示されている。
所謂北朝鮮の工作船が海上保安庁に見つかり、調査しようとする折に工作船との間で銃撃戦が行われ工作船は自爆し、海中に沈船してしまう。
その時の工作船が引き揚げられ、此処で展示されている。
物見高い野次馬根性の拝は気持ちの昂りを感じながらもお台場に目指し2005年の期間限定で公開された生々しい姿をしっかりと確かめその残像を焼き付けた。
その後の行方知れずであった一連の品々が、たまたま訪れた横浜で偶然再会した。
肝心の工作船は保存展示のため、手を加えられてあったが、総て屋内に収容され、一先ず安住の地として屋外で直接晒されることなく保護されるようになった。
資料館入口付近ではモニターで、至近距離から渇ききった銃撃音とロケットランチャーまで飛び出す工作船との銃撃戦と、自爆する工作船の沈船に至るまでの姿が繰り返し流され息を飲んで見てしまう。
四囲を海で囲まれた日本の国土、この自然の立地から、囲いの中なら何時も安心との錯覚にややもすると平和惚けしてしまっている。
しかし、現実は巧みに艤装し 不法の入出国や他の重要犯罪を国絡み組織的に行い、追われれば高速艇で逃げ、時には刃を振りかざすなど目的遂行の為に何でもやってのけることが、判ってきた。
国土保安の為に何処まで装備すべきか、モニターで見る限り、近代兵器を装備した戦争さながらの相手との戦いでもある。
こうした日本海域近辺で行われる蛮行を水際で防ぐ為にはもとより、体を張って海上保安が行われている。
05年に見た工作船の展示は以下で紹介している。(クリックで自動展開)
工作船の総て

みなと横浜の姿

2007-01-27 14:14:00 | 旅先にて
◇氷川丸

みなと横浜に代表される氷川丸とマリンタワーは観光の目玉として輝いていた。
今にも動きそうに見える氷川丸はスクリュウと方向蛇を落とし、巨大な浮島化している。
憧れのシアトル就航の貨客船として登場したが、復員船など多目的に利用されるなど、戦前、戦後の中に生き抜く、数少ない歴史の生き証人でもある。
太平洋を往復し10、000トンを越える船がこの大都市で手短に見られることで、大変人気を呼んだ。
一方では世界一の高さを誇る灯台として、マリンタワーも横浜名物として人気をはくした。
しかし、訪れる観光客の趣向の変化により観光客が激減し、遂に昨年末を持って、両者共閉鎖に追い込まれた。
その運営維持を当たっていた「氷川丸マリンタワー株式会社」の手から離れ行方がどうなるか心配したが、マリンタワーは横浜市へ、氷川丸は日本郵船の手にそれぞれ渡り、化粧直しの上、再び、復活するとの朗報に安堵した。
これらの馴染みの観光施設とも併せ、大桟橋始め、桜木町側の三菱造船跡地がみなと未来を思考した街づくりで大きく変わろうとしている。
大桟橋から眺める炯眼にレインボーブリッジや、マリンタワーより高い巨大な風力発電所の出現など大胆に変化する姿が手に取れるように見える。
造船跡地や周辺の再利用では赤煉瓦建物、歴史的な遺産のドックヤードをそっくり残し、ドックヤードガーデンなどで新たな観光の目玉となっている。
古き伝統を生かしながら、新しいものを模索し、未来に挑戦するエネルギーに、感心する。

◇大桟橋、海岸沿いの赤レンガ、など港歩き

大桟橋から停泊中のにっぽん丸、海岸沿いの対岸にお馴染みの赤レンガがとその背後にランドマークタワー他、みなと未来の大構想の中で誕生した高層建物群が立ち並ぶ姿が目に入る。
お手軽で楽しめる港横浜、港の見える丘公園の海岸側の駐車場に車を置き、其処からテクテクと海岸線を歩き古さと新しさを混ぜ合わせた街を歩く。
横浜と言えば代表的な名物の二つが昨年末を期限で一先ず幕引きを迎えた。その一つ氷川丸は停泊した姿はそのまま残すものの、金網で遮られ、再び船内に入ることは出来なくなってしまった。
風に煽られ波うつ雄姿と人が与える餌に寄りつき、人を恐れないカモメの泣きわめく姿はそのままであったが、寂しかった。
丘側のもう一つの名物マンリンタワーも大きな別れの挨拶分の白紙に閉鎖が告げられていた。
但し、コチラの方は改称後装いも新たに最登場するようである。
洋上レストラン、結婚式場、観覧場等々港横浜を訪れる人々の集客に役割を果たしたが、世の中の趣向の変化にかっての光を浴びた物も客足が落ち、淘汰されていったのであろう。
山下公園を通り、大桟橋へ向かう、写真の大型客船が停泊していた。
桟橋の建屋にみやげ屋が目白押しに並ぶ姿は変わらないが、その建物外側が何処までも緩い曲線で外装され、コンコースになっている。
港に突き出た桟橋からベイブリッジなど360°の眺望が楽しめる。
コースは板が張りつめてあったり、緩やかな凹凸のついた人口芝など人に優しい空間は散策を楽しめ、かったんも思い切り走りまくって、逞しく楽しんでいた。
桟橋から赤煉瓦側の岸壁に辿り着いた頃、この大きな客船がタグボートに引かれ、大きな汽笛を2、3度鳴らし桟橋をゆっくりと離れていった。
ものものしい見物客の中、何時の間にか登場した制服姿の音楽隊がマーチを鳴らし、派手な見送りのセレモニーに遭遇できた。
その船影を見送りつつ、赤煉瓦で買い物し、日の落ち掛けた港から足早に帰路についた。

僅かな一角ですがここでご案内しています。

みなと横浜ぶらり旅


都会のお登りさん 玉電の乗り方

2007-01-20 00:10:00 | こんな鉄道もあるぞ~

用事があって玉電に、「イヤア~もう玉電とは言わない余り馴染まない田園都市線・世田谷線」に乗ってみた。
遠く離れた都会の田舎者、駅舎でどうやってキップを買い乗車するのか、戸惑ったが、こちらでどうぞと改札口に置かれた無人の販売機での入金で乗車を許される。
下高井戸~三軒茶屋間、全線140円均一でキップそのものがない。
無粋なゲートもないので、フリーパスで通過できるので、不正乗車に対する監視はなさそうで要は鉄道会社と利用客の信頼関係から成り立っている。
電車はキップありきで乗るもんだと言う思い込みも、根底から崩され、乗って目的地に着くまで戸惑いは隠せなかった。
途中駅は販売機も無く、完全の無人化であり、この発券は乗車時に車内で行われるので、運転手が運転の傍ら、駅到着後の発券確認や支援で忙しく立ち振る舞わければならず、一人多役を見事にこなしている。
折しも、先日「ガイヤの夜明け」で 地方では過疎化が進み、多くの地方鉄道は存亡の危機に瀕している生の姿を見て、鉄路を守る事の厳しさを見た。
赤字ロカール線を背負っている代表2線の悲喜こもごものドラマに心うった。
南海鉄道 貴志川線は廃線の運命にあったが、両備グループに預けられ、地域住民、企業、行政の必死の努力で 和歌山鐵道の名前で何とか延命された。ホームを草むしりする住民、ビラ配りで広報活動する運転手など必死さが伝わる。
もう一方の茨城県にある鹿島鉄道は沿線の住民の一部が「鹿島鉄道存続再生ネットワーク」を作り、鹿島鉄道の存続を鉄道会社や自治体に訴えていたが、上手く廻らず、肝心の地域住民の結集でも和歌山のような一体感が生れず、この3月にその姿は消えてしまうようである。
この世田谷線は住宅地を走り、オモチャの様な2両連結の車両を日中でも余り待たなくてもすぐ来る、こまめなダイヤを組み、見事に走っている。
極限られた範囲ではあるが便利な箱車として、地域の住民の足になっている。
地方路線とは違った過密住宅と絶えない利用者の数にも支えられている様であるが、安心、安全を背景に鉄道路線維持の努力は重なるように見えた。
素敵な制服で固められた若い女性の車掌さんの動員も、同線の戦略かとも思えたが・・・。

この時期に輝く富士山

2007-01-15 12:56:00 | 多摩の四季

当地方の冬の風物詩。
すっかりと冬の姿に装う富士山が奥多摩山々の頭を越えて姿を表す。
たなびく雲が山頂に視界を遮る事もあるが、その雲間が切れると白銀の覆われた雄姿に感動する。
朝の散策コースに浅川の土手筋を高幡橋辺りから、上流側の一番橋に向かうと正面にくっきりとその姿を表す。
手前側の無粋な送電線と大室山がなければもっとすそ野の稜線がすっきりと見えるだろうと思うが、まあ叶わぬ夢物語である。
まあ、肉眼で見る生の姿は写真以上にダイナミックに雄姿は大きく迫り輝いている。
地球全体が温暖化の波が押し寄せ、各地から深刻な状況を報じられているが、この富士山の姿が四季の移り変わりをはっきり物語っている。
取り分け今年の冬は暖冬と言われ、暮れの時期に見た富士山は何時まで経っても斑模様の富士の姿であったが、此処に来てようやく真っ白な姿に変貌した。
当地方も住宅開発が進められ、土地の有効利用か、せいたかノッポの高層住宅が建つと競い合う様に高層住宅が立ち初め、ドンドン街の景顔が崩れていく。
市内でも唯一自然と遠くの眺望を臨める、浅川周辺に、自然保護と炯眼維持の努力は是非実施して欲しいと思う。
遠目に眺める素晴らしい炯眼、この時期は一番視界良好であるが、今朝はマイナス2°の世界に、川風は骨身に厳しく、歩く姿も流石に少なくなった。


この寒さはどう予測すべきか、ここんところの寒さは一段と厳しくなってきた。
寒波の到来と共に、地表のもやが消えるのか、視界が良くなり富士山もご覧の様にくっきりと手に届くように見える日もある。
こちらでは視界を遮る物がない浅川の護岸や、高台に出れば地表からこんな姿がお目にかかれる。その富士の姿も歩く位置によって、また別の表情になる。
写真のように富士すそ野を大部分遮っている山は大室山である。その大室山は1588mもあり、写真の左手の丹沢の山々に隣接する位置にある。
こんな山々を眺めながら、朝のストレッチをやっているとしばし、俗世界から離れ、雲上の仙人の気分にでもなったつもりでリフレッシュ出来る。
この浅川から離れ、西側の中央高速を潜りの南側に出ると広々とした台地に出る。大半が畑であるが、徐々に開発が進み、宅地が立ち始めた。
こちらまで来ると余り、人も居なくなるが、先程富士の行く手を遮った大室山が左手に移り、富士の稜線が開けて来る。この台地で富士の方を見ながら、手を合わせ、拝んでいたが、朝早いとはいえ、とても神秘的な非日常的な世界であった。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/