春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

秋を確かめる

2013-11-28 10:02:00 | イベント
垣根の垣根の曲がり角、たき火だたき火だ 落ち葉焚き
あたろうか、あたろうよ 北風、びゅうびゅう吹いている
♪♪・・・♪


垣根越しの小さな小道の坂。人がやっと通れるぐらいの狭い道を
左右から覆いかぶさるような、舞台の花道である
紅葉も道半ばであるが、季節をたっぷり、感じる場所である。


落ち葉の絨毯が道を覆い
落葉樹林帯を「ざくざく」と音を立てながら、鬱蒼とした林のトンネルを潜り抜ける

市内でもあちこちに紅葉が進み、短い秋を僅かに確かめられる。
木枯らしの襲来と共に、もうすぐ師走に追いまくられる。

あっ!!東の方から御光が

2013-11-14 22:06:00 | 多摩の四季

朝5時代、真っ暗闇に家を出る。
年を通じての修行僧の勤め、日が短くなったが、家に出る時間はあまり変えていない。その分、今の時期は真っ暗な闇の世界である。
温度は一気に下がり、2℃迄下がり、北海道や日本海も雪の報も聞こえる。


ついこの間まで、暑い暑いと思っていたが 台風を堺に極端な気温の変化、一気に下がってしまった。
これでもか、これでもかと暑さに追われ、まさかこんなに早く寒くなるとは思っていなかった。

秋の季節を感じないまま、夏から、一気に冬モードになってしまった。
熱帯地から急速な寒冷地へ、環境の変化に、流石、順応出来ない。
再び使う事もあるまいと扇風機を掃除して、片づけたが、間を置かず、石油ストーブを出している。

~朝散はやがて高台に出る。周辺は未だ真っ暗で、所々照明の明かりが見える。この真っ暗な闇の世界から、徐々に空が青く、東の方から朱色に変わり、煙突、高層建物、ゆらぐ煙のシルエットが実に美しく、目に入る。
寒さが一段と増すなか、澄んだ空気が、何処までも眺望を確かめられる。

真っ赤な空から、徐々に日が昇り始め、家に着く6時ころは、ようやっと明るく、朝を迎える。
そんな寒い思いをして、出て行くと普段見ている世界が、丸で異境な舞台に居るようで、時間を追って劇的に変わって行く。
闇の世界に揺らぐ光が徐々に近づいてくる。携帯ライトを付けた老夫婦であった。
健康志向で後押しされ、駆り出されて居るのであろうか、奇人変人は"じじい"だけではなかった。

「牛に引かれて善光寺参り」

2013-11-10 11:17:00 | 旅先にて
<善光寺本堂>

「牛に引かれて善光寺参り」
昔、善光寺近くに住んでいた不信心で欲深い老婆が、さらしていた布を牛が角に引っかけて走り、その牛を追っていくうちに善光寺にたどり着いてしまった。それがきっかけで度々善光寺に参詣するようになり、信仰の道に入ったと言い伝えがある。
他人の誘いや思いがけない偶然で、よい方面に導かれることの例え。
拝は不信心で欲深い所がこの老婆と似ている所か、これ迄の悪事を救われればと善光寺へ御参りした。

ホテルから出て、朝早かったせいか、参拝客は少なく、がらがらであったこともあって、普段出来そうもない、暗闇の世界の「お戒檀めぐり」をやってみた。

<「お戒檀めぐり」の入り口・・・カタログから>

御本尊は日本では一番古い阿弥陀さまであるが御本尊を見る事が出来ず、中指から紐が垂れている鍵が御本尊の安置されている下にあり、触ることが出来る。御本尊の配下は「お戒檀めぐり」の階段で降りると、光がなくなり完全に暗闇の世界である。中はコの字形になっており、壁を頼りに、辿っていくと、角を過ぎると御本尊の真下にくる。
鍵を触る、幸運に巡り合わせが出来れば罪滅ぼしが出来ると言われている。

宗派がないので誰でも巡れる、
真っ暗闇の中の世界、一歩、一歩確かめながら、歩を進める。壁と、中に入った参拝者の声が唯一の、道しるべ前を行く参拝者と距離を取るが、流れが止まり時々激突する。ようやっと鍵に辿り着き、鍵の感触を確かめながら過去の悪事の払拭をお願いする。そのまま壁伝いに出口に向かう、と薄っすらした光に救われる。
この間数分間の世界であったが、早く脱出した焦燥間から、物凄く長く感じ、改めて光を失うと全く何も出来ないことを体感する。
願い事より、光のある世界の有り難みを、思い切り感じられた。

ああ~長野電鉄「屋代線」

2013-11-03 14:08:00 | こんな鉄道もあるぞ~
松代は真田十万石の城下町に250年もの長き歴史を刻む、武家屋敷が町内各所そのままそっくり残される。
街角にふらりと歩く帯刀姿の武士が出くわすのでは思われる、静かな街並みである
そんな風情にタイムスリップして、歴史散策を楽しんでいたら「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし」と言われるぐらいに、あっと言う間に日は落ちる。
かなり、暗くなってきたが、ぼんやりと目に入ったのが、松代駅であった。

<薄くらい明かりの中、駅舎がそっくり残されていた>

何時来るか、間引きされたダイヤに入線する長野電鉄の車両を待ち続ける、僅かな乗降客が居るのではと思われる駅舎がそっくり残されている。
その線路はその屋代線で2012年3月廃線になってしまった。

<キップ売り場はカーテンが閉じられているが、その向こう側には駅務員が居る様な錯覚冴え覚える>


屋代線は千曲川東岸の町々を結ぶ路線として千曲市の屋代から須坂市の須坂まで全長24.4㎞の長野電鉄の鉄道路線である。
河東鉄道により1922年(大正11年)に屋代 - 須坂間が開業され、90年間地元の足として役割を果たしていた。
典型的な地方都市の過疎化は屋代線の利用客減少にも繋がり、沿線三市の資金援助を要請するなど延命対策をこうじたが、遂に廃線に追い込まれた。
千曲川を沿う様に屋代線が走るが、それに並行して、国道18号、上信越自動車道、松代バイパスが走りモーターゼネレーションを背景にした道路の整備が生れ、車文化の発達が、鉄道を排除してしまったのであろうか。
同路線を担う須坂の町を歩いたが、人の蔭が見られず、かっては賑わいを見せたであろう、軒を並べた店もあちこち閉じられ、 シャッター通り化され寂しかった。

一日、数百人の乗客。たまに巡り逢わせる車両も、恐らく空気箱のような状態が目に浮かぶ。
ホームの下は既に雑草が映え、レールの姿は見えなかった。写真で見ると線路越しにもう一つのホームがあったが、それも消えていた。

<ホーム下は既に線路もなく、再び原野に>

「ああこれも、時代の流れなのか、消え去った鉄路にこの駅舎が何時までも残されれば良いなあ~」
と鉄の心が、ちょっぴり、揺らめいた

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/