春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

自動車運転と新幹線

2009-03-24 22:23:00 | 旅先にて

伊豆半島を周回し沼津icから東名を利用して帰ってくる。
1ッ月経たないうちに、似たような道のりを静岡から新幹線で帰ってきた。
同じ高速の輸送手段であるが、前者は自らハンドルを握り安全を心がけ、緊張で張りつめながらも運転を楽しむ世界と後者は高速車両に身を委ね、貴方任せで運んで貰う世界を体感した。
普段買い物カーに成り下がってしまった愛車でのドライブ。
常速100㎞から、時には追い越しに120㎞の世界は慣れるまで結構神経を使う。ハンドルのぶれはふらつきや路線の偏りに繋がり姿勢正しく、緊張感を持って、高速道路上を適正位置にキープさせることを心がける。
時にはミラーを見て、背後から「おんどりゃ、どけどけ」と言わんばかりに迫ってくるマナーの悪い車が来たら、構えず、争わず先を譲るだけの気持ちのゆとりを持って走る。
前方をしっかり見つめ、肩の力を抜き、ハンドルを握りしめ、足から伝わるアクセル、ブレーキの感覚にスピードを滑らかに制御する。五官を使い、時には車の振動から異常も判断する。
などなど運転教則にあるような、車の流れに乗って、連続して走り続ける緊張感は、走り終わるとどっと疲れを呼ぶ。

一方では列車旅を振り返る。見学の目的を果たし、一段落し、フリーなこだまで、帰路につくだけである。キヨスクで買い込んだ缶ビールと蒲鉾のつまみを抱え込み車窓に並べ、2列席を独り占めした特別席でリッチな気分で列車旅を飾る。車窓越しに移り変わる景色をぼんやり眺めながらのささやかな一人宴会を始める。
車運転では禁手となった酒酔いも、列車旅は何も咎められず、心地よい酔いが体全体を包み、幸せな気分で旅の世界を演出してくれる。缶ビールに飽き足らず、缶チューハイにもエスカレート、窓越しの走馬灯のように移り変わる山間の姿はコンクリートに埋めつくされたビル群に変わり、1.5時間で終着へ。
車運転ではdoor to door、目的地から自宅まで、重たい荷物を乗せ座ったまま辿り着けるが、列車旅は1時間以上ローカル線に乗り換えがある。のんびりした旅気分から、人ごみにまみえ、せせこましい世界に目が覚める。
それぞれ、一長一短があるが、ダイナミックな車運転よりも安全な列車旅が、自然と受け入れるような感じがするが、それもこれも年取ったせいなのであろうか・・・。
いやいや、それ以上に、飲んべえ癖が旅の共に付いて廻っているからである。

今や盛り「花粉」が散り舞う

2009-03-12 05:38:00 | 多摩の四季

「徐如林」・・・徐(しず)かなること林の如き
御存知、勇猛な武田信玄の軍旗
今、正に風収まり、「徐(しず)かなること林の如き」で、虎視眈々と待ち受けている。
一旦、風吹くと、敵・味方の武将も民も分け隔てなく、この枝がそよぎ花粉の嵐が吹き飛び、誰彼もなく容赦なく襲いかかる。
鼻汁はダラダラと垂れ流れ、目は真っ赤になり、猛烈なかゆみが襲い、掻きむしりたい位の衝動に追い立てられる。
今や国民の約3割が症状に苦しんでいるといわれる花粉症。
環境省によると、今年、四国地方でのスギ、ヒノキ花粉の飛散量は昨年の約1.5倍にのぼるいう。
日本気象協会などによると、スギ花粉は3月から4月まで、ヒノキ花粉は5月ごろまで飛散が続くとみられる。近年では西日本を中心にヒノキが多くの雄花をつけており、スギを上回る花粉被害が出ている。春先にかけて耳鼻咽喉科では花粉症患者の受診が毎年増える傾向にある。
一方で花粉症患者の約6割が医師にかからず、市販の大衆薬で対処しているとの調査結果もある。

旧南多摩郡部では大きな農家の屋敷にご覧のようなスギが多数あり、その発生元に思わず立ちすくむ。
この季節、「思い切り暴れまくってやれ」と未だ未だ樹勢は衰えることなく、猛威を振るっている。見上げるスギ花粉の源泉に、思わず「ハックション」と大地を揺るがす大きなクシャミに、撤収と足早に逃げ去った。
在職時代は全く縁の無かった花粉症も年老いて、何故か流行の風に乗って、花粉仲間に入ってしまった。花粉症の受け身の対策は良く聞くが、何故か、発生元の封じ込め作戦は余り、聞いたことが無い。

おとぎ馬車の行列に遭遇

2009-03-09 15:19:00 | 野次馬見物
JR東京駅前に建つ東京中央郵便局の再開発で鳩山総務相が「文化的価値を背景に保存を」と日本郵政に向かって再び吠えまくっている。
総選挙を控え、「小泉構造改革」を突き、自民党から離れた郵政票を取り戻したいと言う思惑もあるようで世論を背景としたパフォーマンスだとも言われている。
それはさておき、東京駅周辺には東京駅初めの明治生命館(重要文化財)や日本工業倶楽部、東京銀行会館など当時のヨーロッパの最先端の建築洋式を取り入れ、現代風の建物とは一味違った荘重な雰囲気を漂う建物である。
一方では皇居を中心に巡らせたお掘りを堺に、江戸城址は300年近くに渡る将軍の居所として、更に政治の中心として、文化財保護法にによる「特別史蹟」としてその史的価値が極めて高い。
こうした時代を背景とした和洋折衷の独特の建物が並び併せた文化遺産を眺められ、観光バスを伴った観光客が賑わいを見せている。
その一つに東京駅から、皇居を結ぶ「行幸通り」がある。外国から日本へ初めて赴任した大使や公使が皇居に挨拶に訪れるが、この時に騎馬警官に護られた馬車に乗り皇居に入城するという古式豊かなセレモニーが華を呼び、一度お目に掛かりたいとおもっていた。
そんな折り、日比谷通りに面した東京商工会議所で会社OBの懇親会があり、其処へ出かける折りに、周辺に警官が立ち、物々しい姿に何事かと、野次馬根性がメラメラと沸き立ち雨降る中、その近くに立ち、ことの成り行きを見守った。

目の前の日比谷通りは片側数車線の交通の要路で大量の車が多数走っていたが、暫くして警官の誘導で車両の規制が掛けられ、あれほど大量に移動した車がピタリと無くなってしまった。間もなくパカパカと馬のひずめ音と共に、目の前を2両の2頭立ての馬車の一団が現れ、予期しなかったこの華麗な姿に思わず興奮した。
車社会、全盛のこの時代に、人馬一体で訓練されたおとぎ馬車の行列が実に新鮮に目に映つり、この華やかな儀式に良い土産が出来た。
殿を受け持つ、格好良い騎乗姿の婦人警官を最後に行列の一団は瞬く間に消え去ってしまった。即座に規制は解除され、何事も無かったように再び交通の渦に、目の前を高速で走り抜ける、普段の姿に直ぐ戻ってしまった。

この時ならぬ儀式に張りつめた緊張を解かれた警官にこの行列はと訪ねると、「ブルネイ大使」の新任の挨拶ということを教えてくれた。
東京に長く住んでいながら、実の所、余り知らない東京音痴で、その一つがこの馬車行列であったりする。何故今頃、この周辺に関心を寄せるかと言うと、痕跡も殆ど残らない一面の芝生ばかりの大奥ではあるがここを舞台に繰り広げる「大河ドラマ篤姫」が、火付け役となっているようである。
だから今、此処が面白い

http://mzk.on.coocan.jp/ooedoa.htm

「なまこ壁」に触れる伊豆へ

2009-03-04 12:07:00 | 歴史に向き合う

堂ヶ島からチョット戻って伊豆松崎へ
ご覧の通り、「なまこ壁」の土蔵と母屋が静かに佇む世界に入っていく。しとしと降る雨が、落ち着いた雰囲気を尚、引き立たせ、演出してくれる。
石やレンガを積む時のタイルを張る時に出来る継ぎ目を目地と言うが、この目地漆喰の形状が海にいる「なまこ」に似ていることから「なまこ壁」と言われている。
なまこは、水分の含有量が高く、手のひらにのせてもするりと抜けその硬さを大きく変化させ、天敵から守っている一見してグロテスクな生物である。
伊豆松崎には古き良き時代に建築された「なまこ壁」の住家や土蔵が多く残されている。
保温、防湿、防虫
火災、盗難防止
の目的で造られたもので、多額の経費と多くの労力を要している。
このなまこ壁は江戸末期に建築されたものである。
独特の模様が目に鮮やかに飛び込み、生きた歴史の素材がこの地方の象徴的な存在として守られ、観光資源の一つにもなっている。

写真は明治20年呉服商家として建てられ、わずか数代で財を成し、大地主となった明治の商家中瀬邸である。
母屋から土蔵などからなる邸宅をそのままそっくり、町が買い取り、公開されている。
明治の代表的な呉服商家の姿を残し、当時の商家の営みを現代に伝えている。
一時代をなした呉服問屋の活気に満ちた世界が、板の間を通じて番頭さんや小僧と呉服を求める客人のやりとりが今にも聞こえる様な感じがする。
「なまこ壁」とこの商家に留まらず、松崎文化を象徴するときわ大橋、時計塔、街のいたるところの漆喰芸術作品が独特の雰囲気を持ち、素敵な街の姿にたっぷり、くつろげる。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/