春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

悪事の根に充満

2004-12-21 17:46:00 | 事件だ~!!

オバサンと付き合い"ツ○屋"に行くと、パトカーが2台も止まってる。まさかレンタルビデオでもあるまい。となると事件か!!店の奥に行くと、陳列棚越しに、無線機の通話する大きな声がいやでも入ってくる。「都内某区、○×大学附属高校、2年Z組・・・」「本部ドウゾ!!」「了解、只今もどります」生々しい声に嫌でも聞き耳をたてたくなる。その大声がやみ静かになると、従業員専用の出入り口から、うなだれた若者と制服、私服の警官がぞろぞろパトカへ誘導される。どうやら万引きの通報で捕まったようだ。
それにしても、ものものしい大捕り物、棚を見ると、100~2~300円の正札が付いている。「馬鹿な~こんなことで、パトカー連行」つい出来心でと、大事な将来に傷をつけてしまうのだろうか。
一方では某国営放送の金銭マヒした使い込みとそれを許容する風土と歪んだ体制。マスコミを通じての、批判に歪めた顔の会長のドアップ映像。何処も此処も、悪事の根が充満される空気に麻痺しそうだ。



激闘の一日

2004-12-19 21:16:00 | パソコン・電子製品

杉並の実家のパソコンがウイルス感染が掛かってしまったようだ。ことの大きさに当局はスクランブル発進し、現場に急行した。にっちもさっちもいかないことに最早、考える事もあるまいと、初期化作業に入る。winを立ち上げてから、アプリケーションのインストール。CDを集めたが、ネットワークを接続する、ターミナルのCDがない。何処にある?と探してもらったが中々出てこない。ひょっとしたら、カラス退治に使ってしまったのかと思ったがようやく出てきた。一通り、インストールを終わってこれで完璧と思ったが、ネットワークに繋がらない。色々設定を見たが、ターミナルはウンともスンとも言わない。色々やって、接続先のするNIFTYの電話先が間違っていることがようやく判る。
さて、ネットワークは完璧、最後はウイルス対策にシマンテックをインストールところが、ネットワークを通じて、最新バージョンのソフトインストールに時間が、かかる。午前中から始めた作業もラクラクと思っていたが、最後の最後でシステムが重く、なってしまい、極端に動きが悪くなったのが、判ったのが、既に22時を廻っていた。メモリ不足などハードの利用環境など影響している事が判った。暫くこのまま使って貰う事にして、トボトボ帰るが既に午前様になってしまった。


連続講座も虚しく終わる

2004-12-14 08:15:00 | 歴史に向き合う

渋谷社会福祉センターの講演もいよいよ大詰めへ。当日は天然理心流の話しであったが、余り専門的な話しにはならないように展開した。丁度大河ドラマも大詰めへ、近藤勇が板橋で処刑されたおり、天然理心流の宗家近藤蔵之助、二代目の近藤三助のお墓を粉々にして、官軍からの追跡がおよばないように、地中深く埋めてしまった。八王子の戸吹の田舎でもそれほどに神経を使っていたようだ。
ややもすると、一人走りがちなるので、こんな話しで繋ぎ、若干の時間が余ったがなんとか持ち回りの2時間はクリアー出来た。連続講座の難しさに苦慮しながらも後もう一回、ようやく第三コーナーを廻り、ゴールラインが目の届くところに見えてきた。
一見して直立不動で詩吟でも歌って居るような姿に見えるが、とんでもない。汗水流して作ったOHPに目を向けさせ、楽しく見て頂くことに傾注している姿なのである。記憶力に最早輝きを失った今日、この視覚メデイアであるOHPが講演の支えになってくれた。
ふう~~σ(^◇^;)
それにしても疲れるなあ~

◇何とも虚しい結末
講座も無事に終わった。

受講者が引き上げた後のひっそりした講座室である。9月から始まった講演会も今日で最後、"多摩の隊士"を熱く語った。長い長い4カ月間であり、ようやく頂点に上り詰めた感じで、ともかく終わったことの喜びもひとしおであった。2週間のインターバルで発表テーマを消化しなければならず、その資料作りと発表前の準備は重くのしかかり、忙しかった。講演者と受講者の顔合わせ、「こいつどんな事喋るんだろう」と名もない講演者に冷めた眼差しを浴びながら、適度な緊張感を持って講演が始まった。一回きりの講演ならば、後腐りなく、それでバイバイであるが、連続となると、そうはいかない。

◇これが現実の姿か
ようやく終わったが、毎回の顔合わせは対話も生まれ、受講者の心開いてくれたと思った。長いお付き合い、今日は記念すべき最終回、アフターで膝交えて話しがしたかった。お声がけしたが、講演終了後、脱兎の如く、講座室から帰ってしまった。( °◇ °) ガーン
相棒と二人、せめてもの幕引きを飾る反省会を近くのガーデンパレスで行った。4種類のビールにサービスのつまみでしめて400円、ほろ苦い飲み味であったが、講演で乾いた喉を潤すには充分であった。今日は華の金曜日、近くの屋外ステージでは生演奏、アベックの群れで賑わう中、空からステージ向かって、人工降雪が舞い降り、季節を演出していた。
{{{{(+_+)}}}}寒ううぅ~

東電川崎火力

2004-12-04 00:26:00 | 世の中変わる
◇火力発電所にその役割を果たした
東電川崎火力発電所に行き、既にその役割を果たした、発電所の姿を見届けに行く。前回の時は生憎、関西電力、美浜の事故の影響で現場に入る事ができなかったが、今回は、制約なく、たっぷりと見ることできた。
10月1日から40年近く働き続け、その役割を終えて停止したが、系統内の事故が会った場合、何時でも運転出来るようになっているが、その役割がなければ、そのまま新しいガスタービンに置き換わり、スクラップの運命になってしまう。
テカテカに輝いたタービンフロアーに6機の発電タービンが居並び、かってはスポットライトを浴びた機器もその役割を終え、更に高効率で大型なものに置き換わる。


門前の小僧が此処川崎臨港の僻地に叩き込まれ、苦渋を味わい、朝は朝星、夜は夜星の毎日に涙したことなど色々物語があった。
仕事はもとより、社内や外国人含め、色々な人との関わりを含めインパクトのある出来事が昨日のように鮮烈に思い出され大事なスキルを此処で授かり、結果的には貴重な経験機会を与えて貰い感謝している。その物語も間もなく消えようとしている。

◇トランスを通じて電力が供給
このトランスを通じて、ライフワークの一つである大事な電力が供給される。


この建屋にボイラー及びタービンがあり、東京オリンピックの頃、建設された。新幹線が走り始め、高速道の先駆けとして首都高が出来たのもこの頃で、国内が建設ラッシュで沸いた時期であった。その火力設備もとうとう、その役割を終え、次の世代にバトンタッチする時期を迎えた。当時の最新鋭の設備も目ざましい技術革新で大型化、高効率化の火力設備に置き換わるようである。

◇建設にかけた関係者集合
欧州系の最新技術を国内に導入する、歴史を飾る大きな仕事であった。
営業、技術、設計、工事、現地試験、建設スタッフなど40名近く
集まった。


川崎火力発電所は電力の供給として約40年で役割を終えることになった。
本「春夏秋冬」の日記で既に記録済みの記事であるが、そのタイムスリップした姿とも併せ当日の集まりの様子を拙宅のHPで載せてみた。
写真は当日のプログラムの一部で火力設備を扱う工場設備をつぶさに見学した。大型機械と製缶工場は言葉のイメージから研磨の鉄粉と溶接の火の粉が飛び交う、男臭い環境とイメージしていたがとんでもない幻想であった。クリーンな環境の中、エレクトロニクスで高度化された製造ラインに目を見張るものがあった。安い労働力を求めて生産拠点の海外進出と国内の空洞化の中で、誇るべき技術の伝承と近代化努力をもろに見るようで、まだまだ物作りに頑張っているなあと言う感想であった。
東電川崎火力の幕引き


◇建設と試運転に青春をかけた
現場の別れを告げ、慰労を労うパーテイを川崎で行われた。


何十年ぶりの再会に、時の経過で希薄した顔と名前が直ぐに出
なかったがあの青春時代の顔が直ぐに思い出した。
タービン他稼働中の姿を見届けたかったが、折しも関西電力の5人亡く
なった原発事故の影響で現場を見る事は出来なかった。
パーテイ会場では当時の苦労話や当火力の思い出など、歴史を飾った
一頁を披露され、楽しい一時を過ごす事が出来た。
それぞれ燃焼した一時期、再会する機会を作ってくれた関係者に感謝
する
この建屋で機械の騒音とボイラー暑さの中で、設備の完成を目指し、建設と試運転に埋没し、青春のエネルギーぶっつけたフィールドであった。その毎日の厳しい物語が昨日のように鮮烈に思い出される場所でもあった。その設備が何れ、消える運命にあり、設備が見える内に是非見届けたかった。
悲願が実り、以下で整理した。
東電川崎火力現場でのお別れ



ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/