春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

闇の世界、浅川がら多摩平

2016-02-23 20:51:00 | 多摩の四季
朝5時代、暗闇の中の出発出発前に灯のあるところで
カメラはマニュアルモード、シャッタ速度2秒、
ISO200の感度 設定で『カメラ設定良し』
三脚にデジカメを予め乗せ、装着完了で『三脚セット良し』
これで、真っ暗闇でも、撮影場所で、三脚を立て、準備万端
後はシャッターを押すだけである。

カメラ装着品を掲げ、真っ暗闇の中でビュウテイポイント
探しながら、徘徊するのである。
こんな闇のなかではと思うが、小型のランプを装着して、歩く
人種も時折、遭遇するが、殆ど無人の世界である。
三脚を延ばせば、1.5Mあるものを掲げ、闇の中をウロウロする
姿は怪しげであり、不気味に映ると想像できる。
僅かな光を捉えようとシャッターを思い切り開き、手振れを防
ぐ為に三脚まで準備する。
昼間では想像できない、真っ暗闇の世界ならではの空間に取り
つかれた、ある種の挑戦である。

◇浅川周辺の夜明けの姿
行く手に生涯物がなく、川沿いに見通しの効く浅川土手を歩い
て見る。
手元は全く照明はなく、遥か彼方に見えるのは川を横断する
『一番橋』の路沿いにある照明である。


川を挟み対岸は黒いシルエットの高台の尾根が続いているのが
見える。
この尾根の傾斜地に高層の住居が並び、その照明が建物をライト
アップしている姿が闇の中で城郭のように浮かび上がって見える。


一番橋に近づくと、橋沿いの照明が一段と明るく照らしている。
遊歩道が川面に近づくため、赤、黄色、緑と縦長反射し、えも
言われぬ幻想の世界にの美しさに吸い込まれる。
岸辺には僅かなさざ波が、反射光が伝えてくれる。
『ん~んこれだよ、見たかったのは』
こんな世界の巡り合わせが、生まれるのは
闇の中、装着した装備品を持ち歩き、撮影する苦労が報われる
瞬間である。


緩やかな蛇行をする川面に高層住宅の照明が映り出される


最初に映し出された真っ暗闇の『一番橋』とほぼ同じ撮影点である。
日の出を迎える東側の地平線が赤く染まり、空の青さと混ざり、
このグラデーションが何とも言えない。
お天道様の光に背に受けた影の部分がモニュメントのように
くっきり浮かび上がってくる。



◇多摩平団地
年間を通じて、今(12月)が一番昼の長さが短い。
朝5時代は元より、真っ暗な漆黒の世界である。
日の出の時間が変わっても、朝の散歩時間は余り変わらない。
従って、漆黒の世界に家を出る。

こんな時間に余り、人との遭遇は余りないが、時にはチラチラ
揺れる怪しげな光が、だんだんと近づいてくる。
炭鉱夫見たいにヘッドライトを付けた、お父っつあんと寄り添う
一組の番いであった。
一方では多摩平団地の様子を捉えてみた。

高層団地の照明で映し出される建物姿は摩天楼のような幻想的
世界が眼にも美しく映える。

乳白色の灯の中にあって右隅の真っ赤な灯が、大変目立つ、
交差点の信号灯である。この時間に殆ど通らぬ車に、此処
だけが生き物のように、色が変わり存在感を示して居る。
昼間とは打って変わった世界が、目の前に繰り広げられる。

多摩平の団地にキリスト系の幼稚園がある。
娘、息子も此処の卒園生であるが、既に、我が家から離れ、
それぞれ子供を持つ、家庭を持っている。
縁者の家族を集め、賑やかにケリスマスをやったそうである

毎年、この時期になると、大きな木に電飾が飾られ、頂上には
十字架がさんぜんと輝いている。

ああ~正に巨大なクリスマスツリーである。

漆黒の世界に、色取り取りの光が、クリスマスの温かい雰囲気
を造っている。

一度、この姿を捉えて見たかった。
三脚を持参し、カメラを固定し、ISOの感度200、シャッター
速度を2秒の長秒時撮影で、こんな画像が捉えられた。
真っ暗闇の世界で、見た目はもっと暗いが、シャッターの
長時間解放が路面の様子までくっきりと、別次元の世界を
捉えることが出来る。
『さあ~夜明けだ』漆黒の闇の世界がら、日の出を迎え、
ロマンを呼んだ幻想の世界は終わった。

確定申告の褒美

2016-02-04 15:00:00 | 恒例行事
◇煩雑な資料を読み解く
税務署からどかっと書類が届けられた。
ああ~もうそんな時期か分厚いマニュアルに細かい文字が、これでもかと言わんばかりに紙面を埋めつくしている。
毎年、同じ内容なら未だしも、微妙に変わっている。
結局、一通り、目を通さねばならない。
更地から始めるのも大変、だから一年前の提出資料は残しているが、算出根拠となるデータは何処の資料から引っ張り出し、表に埋め込んでいくか、1年前の繰り返しになるが、記憶の中からすっかり飛んでいる。


◇還付金をあてにチャレンジ
毎年、何故こんな煩雑な資料作りをするのであろうか?
元より貧乏所帯、公的年金等々かき集めても、税務署が提示された収入以下は提出の義務はない。
しかし、還付が必要な場合は提出が必要とされている。
算出すると、数万に及ぶ還付金が馬鹿にならない。黙っていれば、この還付金は国に吸い取られてしまう。だから、敢えて面倒な書類作りにチャレンジする。

◇煩雑な関連資料集め
12月頃から、確定申告の計算根拠となる書類が日本年金機構や生命保険、企業年金を扱う銀行からバンバン送られ、殆ど眼を通さないまま、未開封のまま、袋に入れたままである。
年越して、1月末頃にそろそろ、来るなあ~と思いつつ、分厚いマニュアルと申告書がセットで税務署からやってくる。
昨年は色々な凶事が重なり、入院、通院等の医療費の大量な枚数の領収書が、未整理のまま、袋に入れたままである。恐らく、控除額の10万円は越えていると思えるが、これも確定申告で整理すればと、溜めていた。


さ~て、申告書の事始めは数百円~数万円に及ぶ医療費を病院別に仕分け、領収額の集計は17万に及んだ。従って7万が控除の対照になるが、丸々戻って来れば、気合も入るが、埋高く積る領収書の山も、僅か数千円の還付に過ぎない。
国民健康、高齢者、介護と薄い年金生活者にこれでもか、これでもかと目一杯、重くのしかかる社会保険はそれぞれの単位で納付額として計上する。
これにすがりつき、何とか生息している、風で吹き飛ぶような、まさしく『雑』所得と言われる呼称の僅かな年金を計上する。

◇通年の入りと出を確かめられる。
通年で比較すると、上がることもないが、年齢の節目で下がっており、加齢により、更に慎まやかな生活を求めている。
こうして、お上の作った手引き書に沿って、引用するデータを計算テーブルに載せるまでは大変であるが、、足し算、掛け算、引き算をやって、税金の結果が引き出される。
毎年、行っている確定申告もいちいち覚える必要も無いが、外部から送られてくる、支払い、徴集納付額が項目別に直ぐに引き出されれば良いのかなと思われる。
計算根拠となる外部から送られてくる個別の調書は受け取り放しで、見ることもないが、確定申告の時期に必然的に見るのて、家庭のやり繰りを振り返る格好な機会ともなろう。
我が家を取り巻く、入りと出の関係を系年的に見る事が出来る。

いや~面倒な申告書は書き終わった。

◇税務署へ
こうした積年の繰り返しが、積み重なったせいか、馴れもあって、半日で何とか纏められた。
指摘も無かろうが、もしものことを考え、印鑑を用意し、早速、持参する。



おやおや、架設小屋は無く、2月2日からの開設であった。
でも、庁舎入口付近に、臨時受付所があった。
付近にはその場で申告書を書いたり、書き方を相談したりで、人の渦でごった返していた。
やっと作った書類を提出する。
この時期、未だ特別な相談コーナもないので、行列で並ぶ、受付窓口で、内容に触れることなく、淡々と提出する。
内容を精査され、問題なき事を祈って、還付の通知を待つのみである。
アルバイトのお姉さんが、細かい内容に、目を通すまでもなく、受領印を押し、控えを引き剥がし、ものの数秒で儀式は終わってしまった。

余りにも、あっけないので、「こんなので良いのか?」と声を掛けたが、「専門ではありませんので」と、軽くいなされてしまった。どうやら受付受理だけであったが、殺到する受付に、いち早く裁くかが、使命のようであった。

◇ささやかなお祝い
帰りに、税務署の前のバイパスを戻り、坂の上に回転寿司が手招きしている。


ない頭をひねり、大量な書類に向き合い、何とか書類造りを終えた達成感に、ささやかな慰労に、誘引された。
ミニュアセットの如き、小さくまとまった、一口にぎりでもあるが、廉価で好みの新鮮な魚介を食べ、味わえる小さな幸せを味わえる事
が出来る。



この回転寿司が最近の流行り言葉ではないが確定申告のルーチンになってしまった

在職時代は殆ど、専門にお任せで、関心も薄かった。
しかし、それも解き放されると、自分で納税義務を負い、馴れない帳簿とマニュアルを前に激闘する。
毎年、この時期になると、架設の事務所が用意され、書き方教室が始まる。マンツーマンで個別指導もあるが、限られた受け皿に、申告者が殺到し、待時間も合わせ、提出まで、根気の居る仕事である。まして、きちんと正確にまとめ上げ、結果を出すまでに、色々なハードル越えが必要である。

生命保険、国民健康保険、年金などなど、関係書類を集め、申告書にデータを入れ、計算する。
何々、今年は「復興特別所得税」などがあり、税加算が必須である。
この重い儀式に、終わった時の達成感。何時だったか、途中の回転寿司でビールの祝杯を上げる( ^_^)/□☆□\(^_^ )

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/