朝5時代、暗闇の中の出発出発前に灯のあるところで
カメラはマニュアルモード、シャッタ速度2秒、
ISO200の感度 設定で『カメラ設定良し』
三脚にデジカメを予め乗せ、装着完了で『三脚セット良し』
これで、真っ暗闇でも、撮影場所で、三脚を立て、準備万端
後はシャッターを押すだけである。
カメラ装着品を掲げ、真っ暗闇の中でビュウテイポイント
探しながら、徘徊するのである。
こんな闇のなかではと思うが、小型のランプを装着して、歩く
人種も時折、遭遇するが、殆ど無人の世界である。
三脚を延ばせば、1.5Mあるものを掲げ、闇の中をウロウロする
姿は怪しげであり、不気味に映ると想像できる。
僅かな光を捉えようとシャッターを思い切り開き、手振れを防
ぐ為に三脚まで準備する。
昼間では想像できない、真っ暗闇の世界ならではの空間に取り
つかれた、ある種の挑戦である。
◇浅川周辺の夜明けの姿
行く手に生涯物がなく、川沿いに見通しの効く浅川土手を歩い
て見る。
手元は全く照明はなく、遥か彼方に見えるのは川を横断する
『一番橋』の路沿いにある照明である。
川を挟み対岸は黒いシルエットの高台の尾根が続いているのが
見える。
この尾根の傾斜地に高層の住居が並び、その照明が建物をライト
アップしている姿が闇の中で城郭のように浮かび上がって見える。
一番橋に近づくと、橋沿いの照明が一段と明るく照らしている。
遊歩道が川面に近づくため、赤、黄色、緑と縦長反射し、えも
言われぬ幻想の世界にの美しさに吸い込まれる。
岸辺には僅かなさざ波が、反射光が伝えてくれる。
『ん~んこれだよ、見たかったのは』
こんな世界の巡り合わせが、生まれるのは
闇の中、装着した装備品を持ち歩き、撮影する苦労が報われる
瞬間である。
緩やかな蛇行をする川面に高層住宅の照明が映り出される
最初に映し出された真っ暗闇の『一番橋』とほぼ同じ撮影点である。
日の出を迎える東側の地平線が赤く染まり、空の青さと混ざり、
このグラデーションが何とも言えない。
お天道様の光に背に受けた影の部分がモニュメントのように
くっきり浮かび上がってくる。
◇多摩平団地
年間を通じて、今(12月)が一番昼の長さが短い。
朝5時代は元より、真っ暗な漆黒の世界である。
日の出の時間が変わっても、朝の散歩時間は余り変わらない。
従って、漆黒の世界に家を出る。
こんな時間に余り、人との遭遇は余りないが、時にはチラチラ
揺れる怪しげな光が、だんだんと近づいてくる。
炭鉱夫見たいにヘッドライトを付けた、お父っつあんと寄り添う
一組の番いであった。
一方では多摩平団地の様子を捉えてみた。
高層団地の照明で映し出される建物姿は摩天楼のような幻想的
世界が眼にも美しく映える。
乳白色の灯の中にあって右隅の真っ赤な灯が、大変目立つ、
交差点の信号灯である。この時間に殆ど通らぬ車に、此処
だけが生き物のように、色が変わり存在感を示して居る。
昼間とは打って変わった世界が、目の前に繰り広げられる。
多摩平の団地にキリスト系の幼稚園がある。
娘、息子も此処の卒園生であるが、既に、我が家から離れ、
それぞれ子供を持つ、家庭を持っている。
縁者の家族を集め、賑やかにケリスマスをやったそうである
毎年、この時期になると、大きな木に電飾が飾られ、頂上には
十字架がさんぜんと輝いている。
ああ~正に巨大なクリスマスツリーである。
漆黒の世界に、色取り取りの光が、クリスマスの温かい雰囲気
を造っている。
一度、この姿を捉えて見たかった。
三脚を持参し、カメラを固定し、ISOの感度200、シャッター
速度を2秒の長秒時撮影で、こんな画像が捉えられた。
真っ暗闇の世界で、見た目はもっと暗いが、シャッターの
長時間解放が路面の様子までくっきりと、別次元の世界を
捉えることが出来る。
『さあ~夜明けだ』漆黒の闇の世界がら、日の出を迎え、
ロマンを呼んだ幻想の世界は終わった。
カメラはマニュアルモード、シャッタ速度2秒、
ISO200の感度 設定で『カメラ設定良し』
三脚にデジカメを予め乗せ、装着完了で『三脚セット良し』
これで、真っ暗闇でも、撮影場所で、三脚を立て、準備万端
後はシャッターを押すだけである。
カメラ装着品を掲げ、真っ暗闇の中でビュウテイポイント
探しながら、徘徊するのである。
こんな闇のなかではと思うが、小型のランプを装着して、歩く
人種も時折、遭遇するが、殆ど無人の世界である。
三脚を延ばせば、1.5Mあるものを掲げ、闇の中をウロウロする
姿は怪しげであり、不気味に映ると想像できる。
僅かな光を捉えようとシャッターを思い切り開き、手振れを防
ぐ為に三脚まで準備する。
昼間では想像できない、真っ暗闇の世界ならではの空間に取り
つかれた、ある種の挑戦である。
◇浅川周辺の夜明けの姿
行く手に生涯物がなく、川沿いに見通しの効く浅川土手を歩い
て見る。
手元は全く照明はなく、遥か彼方に見えるのは川を横断する
『一番橋』の路沿いにある照明である。
川を挟み対岸は黒いシルエットの高台の尾根が続いているのが
見える。
この尾根の傾斜地に高層の住居が並び、その照明が建物をライト
アップしている姿が闇の中で城郭のように浮かび上がって見える。
一番橋に近づくと、橋沿いの照明が一段と明るく照らしている。
遊歩道が川面に近づくため、赤、黄色、緑と縦長反射し、えも
言われぬ幻想の世界にの美しさに吸い込まれる。
岸辺には僅かなさざ波が、反射光が伝えてくれる。
『ん~んこれだよ、見たかったのは』
こんな世界の巡り合わせが、生まれるのは
闇の中、装着した装備品を持ち歩き、撮影する苦労が報われる
瞬間である。
緩やかな蛇行をする川面に高層住宅の照明が映り出される
最初に映し出された真っ暗闇の『一番橋』とほぼ同じ撮影点である。
日の出を迎える東側の地平線が赤く染まり、空の青さと混ざり、
このグラデーションが何とも言えない。
お天道様の光に背に受けた影の部分がモニュメントのように
くっきり浮かび上がってくる。
◇多摩平団地
年間を通じて、今(12月)が一番昼の長さが短い。
朝5時代は元より、真っ暗な漆黒の世界である。
日の出の時間が変わっても、朝の散歩時間は余り変わらない。
従って、漆黒の世界に家を出る。
こんな時間に余り、人との遭遇は余りないが、時にはチラチラ
揺れる怪しげな光が、だんだんと近づいてくる。
炭鉱夫見たいにヘッドライトを付けた、お父っつあんと寄り添う
一組の番いであった。
一方では多摩平団地の様子を捉えてみた。
高層団地の照明で映し出される建物姿は摩天楼のような幻想的
世界が眼にも美しく映える。
乳白色の灯の中にあって右隅の真っ赤な灯が、大変目立つ、
交差点の信号灯である。この時間に殆ど通らぬ車に、此処
だけが生き物のように、色が変わり存在感を示して居る。
昼間とは打って変わった世界が、目の前に繰り広げられる。
多摩平の団地にキリスト系の幼稚園がある。
娘、息子も此処の卒園生であるが、既に、我が家から離れ、
それぞれ子供を持つ、家庭を持っている。
縁者の家族を集め、賑やかにケリスマスをやったそうである
毎年、この時期になると、大きな木に電飾が飾られ、頂上には
十字架がさんぜんと輝いている。
ああ~正に巨大なクリスマスツリーである。
漆黒の世界に、色取り取りの光が、クリスマスの温かい雰囲気
を造っている。
一度、この姿を捉えて見たかった。
三脚を持参し、カメラを固定し、ISOの感度200、シャッター
速度を2秒の長秒時撮影で、こんな画像が捉えられた。
真っ暗闇の世界で、見た目はもっと暗いが、シャッターの
長時間解放が路面の様子までくっきりと、別次元の世界を
捉えることが出来る。
『さあ~夜明けだ』漆黒の闇の世界がら、日の出を迎え、
ロマンを呼んだ幻想の世界は終わった。