春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

龍馬、海軍の繋がり「横須賀」

2011-05-31 22:27:00 | 歴史に向き合う

10数人の歴史好きを引き連れて、2号台風の余波の中、横須賀の街を案内した。
当初、予定した3月は3.11大地震で電車も動かず予定が崩れ、旅どころではなかった。
その2カ月後、再度予定したが、今度は2号台風の影響で、何とも恨めしい天災のタブルパンチにあってしまった。
案内役を授かり、情報収集に時間が生れたものの、気持ちの高揚を長期間維持するのに正直疲れてしまった。

前日の大雨のメデイアの予報に、恐れながら、降りしきる雨の中、我が家を出たが、予報とは裏腹に終始小雨模様の天気に虚報に踊らされてしまった。
しかし、小雨降る中で案内資料を片手に雨傘で両手が塞がり、地図・時刻表・資料が途中で散逸・濡れるなど大苦戦した 。こんなときに千手観音でも、あれば自由に操ることができるが、塞がれた両手に道中、色々制約がかかった。
京浜大津駅の商店では、大河ドラマ「龍馬伝」はもうとっくに終わっているのに、「おりょうさんの街」の旗が未だしっかりと案内役を勤めている。
裸のお龍が龍馬を捕手から救った寺田屋事件。宮崎の龍馬・お龍の国内最初のハネムーン。そして近江屋での龍馬暗殺で未亡人となってしまった2年に満たない激動の龍馬との世界に光を浴びた、ドラマであった。
そんなお龍は横浜の料亭の仲居として、働き、更に再婚し、横須賀で貧相な長屋に30年近くも暮らし、孤立無援で亡くなってしまう。没後、龍馬との関わりが始めて世間に知らされ、墓のある信楽寺を以て此処大津が「おりょうさんの街」として大河の後押しで街ぐるみ、PRを図っている。
しっとりと濡れる雨の中、本堂で二人の睦まじい木像姿、長崎でお龍に贈った月琴(模造品)など知る人ぞ知る世界に、楽しむことができた。


横須賀を語るに欠かせないのは何と言っても、軍艦三笠である。
「龍馬」の遺構は「亀山社中」から「海援隊」に繋がり、帝国海軍の基礎を成し、ロシアのバルチック艦隊を破るまで成長した。
そう考えると、三笠の見学は龍馬とは唐突無縁ではないことを、信じて疑わなかったが、此処に来る見学者は果たして龍馬まで繋げて、微笑んで居るのは我々だけかも知れない。
何度かエンントリされながら、中々実現しなかった「坂之上の雲」が司馬遼太郎が亡くなり漸く、国営放送でドラマとして取り上げられた。その主役の舞台はこの三笠である。大国ロシアのバルチック艦隊を破り、東洋のちっぽけな国の黄色人種が晴れて評価されたのが、この三笠率いる、日本艦隊であった。
誇大妄想かもしれないが、忘れかけた歴史遺産と関わった先人達が、弱腰の外交に、なにも言えない国に成り下がってしまった現状に、きっと歯がゆい想いで見ているに違いない。


雨の中、滑る足元を、ほぼ垂直に近い梯子段をよじ登って、艦橋に出る。
睨みを効かす大きな砲門が火を吹き、ロシア側戦艦を完膚無きまで叩き、撃沈させた主役はこの砲門と、射撃能力の高い訓練された砲手達であった。
歴史を変えた東郷平八郎か或いは天才と言われた秋山真之に気分は成りきって、艦上から、雄大な眺めをたっぷり味わった。
今にも洋上に走りそうな艦上で、高揚した感覚は雨をも吹き飛ばす世界に暫く心酔した。

大仏さん見に行こうか

2011-05-16 19:53:00 | 家族の絆

今日は横浜からカリン姫が、新座からアカリ姫が我が家に集結する楽しい1日である。
カリン姫が未だ到着しない間、時間潰しに近くの大仏さんへアカリ姫をパパ、ママ一緒に連れて行く。
ついこの間、こちらから手を出しても、中々応じてくれない物凄い人見知りの激しい3歳児に、じじ・ばばも手を焼いたことが、頭をかすめ、どうしたものか思っていた。

それが、突然急変し、良く喋るし、何の拘りも無く、懐に飛び込んで来る、変わりように、こちらが戸惑ってしまう、変わりようである。
一緒に手を引き、お寺の境内の背後から回り、大仏さんの前の欄干に連れて行く。大きな大仏さんを目の前で見上げ、絵も知れぬ不思議な姿にアカリ姫も興味深々で見ている。

お寺と檀家のお墓を見守るように、南側に顔を向け、日を一杯浴びて、優しく穏やかに輝いていた。大仏さんの見下ろす下界の先はお寺を越えて、浅川の開けた河川敷、更にその先は多摩丘陵の開けた世界が一望でき、素晴らしい眺めの良い所である。

アカリ姫に大仏さんはどんな恰好しているのと、問いかける。
アカリ姫はその姿に一生懸命、表情豊かに模写してくれる。
左手を差し出し、右手を上に、うわあ~良くできました。
そんなことまでやってのける3歳のめざましい成長ぶりに、思わず拍手・・・。
大仏さんとアカリ姫、ほのぼのとした姿に癒される一時。ああ~何時までも、このままで居て欲しいと、思うのでした。

見えない者との戦い

2011-05-10 13:34:00 | 晴耕雨読

M果樹園も一気にブドウの房になる花穂が勢い良く出た。昨年のてっぽう虫にさんざ、やられ壊滅的であったが、今年は期待を持った。
しかし、あの勢いのあった葉っぱが、所々枯れている。その枝に明らかに宿敵の虫がいる。
その殺虫剤に、プロに言わせると「アドマイヤー」がお勧めであった。
ホームセンターにもなく、JAに行けばと捜し求めたが、水溶剤はあったが、購入に当たって身分証明と印鑑が必要と言われた。かなりの劇薬に、管理も厳しく、その時点で諦めた。
その代替に家庭園芸用の「スミチオン」にした。


今日は生憎、午後から雨、明日も予報は雨、こんな時の薬散布は明らかに好ましくない。しかし、この葉っぱの枯れ具合を見ると、一刻の猶予もない。
そんなことから、頭からすっぽり被る防御服とゴム手袋をはめ、被爆地帯突入の武装姿で準備にかかる。農薬用の専用のマスクや手袋もあるようであるが、もう汚染しきっている体に、これ以上の防御は無用と割り切った。
真水で1000倍に希釈した「スミチオン」を作るが、たちまち真っ白く溶け、猛烈な匂いが周辺に漂う。雨による流失を防ぐためにダインを混ぜ、混合液完成。
噴霧器に入れ、恐る恐る溶剤の散布する。
猫の額程の棚であるので、段取り7、8割、噴霧作戦は残りの2、3割で、あっと言う間に終わる。果たしてビンラデインを落としたか戦果は判らないが、とにかく化学作戦は終わった。
高温多湿で防御服の中は汗でビッショリ。福島の被爆エリアの作業の大変さが良く判る。


未だ勢いのある、花穂の一つである。枝が虫にやられると、樹液が行き渡らず、受粉出来ずにパラパラ落ちてしまい、ブドウの粒にならず、やせ細った惨めなブドウに成り下がる。
今が勝負、見えない敵との戦い、頑張れと思わず声かけたくなる。

あれ!作戦終了後、記事を書いているうちに、やっぱり雨が激しく降ってきた。(涙)

あの佐原の町も震災

2011-05-07 06:09:00 | イベント

小江戸と言われる歴史の佐原を一回りしたのが昨年(2011)の11月のことであった。
舟を操る、深い笠を被り、頬っ被りで隠した着物姿のお姉さんは真っ白い素肌の乙女姿を勝手に想像してしまった。素顔がどうしても気になる。ドギマギしながら下から見上げると、タオルの内側は日焼けし、かなり風化した何十年前の素朴なお姉さんであった。
そんな他愛のないことに佐原の街並みを楽しんだのが昨日のことのようであった。それが、あの3.11で夢吹っ飛んだ。当時の姿と現地からの速報を対比して、見たが改めてこの震災の大きさを思い起こされた。

時間をかけての手打ち蕎麦を食べたのが此処、小堀屋本店であった。
明治33年の建物と言われているが、両隣も時代を背負った、佐原を代表する建物であった。

隣接の家含め、二階の屋根瓦が崩れ落ちている。その落ちた瓦が、1階の屋根にリバウンドして、道端に落下している。
その地震の激しさを物語るが、せめての救いは建物が倒壊しなかったことであろう・・・。
既に補修用の梯子がかけられ、街並みの復旧にかかっている。


江戸風情が残る小野川沿岸の風景を見ながら、観光遊覧船が走った川面の姿である。

その川も護岸の石垣が崩れ、防御柵も落ちている。
道路も波うち、損壊している

大震災により、深い傷を負いながら町並み景観はかなり崩れた。
江戸の街並みや小野川沿岸、かなりのダメージであるが、早期の補修で再びの復元を期待したい。

最後の「すーちゃん」の言葉

2011-05-01 15:14:00 | 舞台・ライブ

1時代を築いた3人娘、元キャンデーズの「すーちゃん」こと田中好子さんが亡くなられた。
アイドルの先駆けとして一世を風靡した人気グループであった。
丸いふっくらした女の子の「すーちゃん」はグループ解散後も女優として、歩み続けたことは色々報じられ居る通り。
その姿に3人娘はすっかり卒業し、女優さんとして、風格さえ感じる奥の深い顔であった。
未だ女優として真っ盛り、こんなに若いのに、余りにも早い死は、がんの恐ろしさ、思い知らされる。

既に病魔の闘いに、一縷の臨みを断たれ、悟りきったかの如く、最後のエネルギーを出し切り、語りかけてくれた。
外見では全く判らない、位に既に体は蝕まれていたようであった。絞り出すような声のメッセージは弱々しく、精一杯声を出そうとしている様子が痛々しく伝わってくる。途中で間が開くのも、尋常でない状態が、流される音声からもはっきり判る。
それでも、最後まで話したメッセージに聞く側を万感胸に迫るような、衝撃的で辛いものであった。

記録的な大地震に列島が襲われ、先の見えない原発に気が休めない日々が続く中、有名人が、単に「頑張ろう」「元気を出そう」が何度も繰り返され、空言のようにさえ思えてくる。
そんな中に自身が追い詰められた中でも、被災地に対する思いやりを懸命に伝える「すーちゃん」の姿は見え無くても、伝える意志は充分、輝いていた。

最後のメッセージは、
『私も一生懸命戦ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
でも、その時は必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の務めと思っています。』
葬儀で「すーちゃん」亡くなる寸前の生の声が流された。
特別なアイドル追っかけではないが、ああ~これで、行ってしまったのか~と、その語り口が何時までも残る、最後であった。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/