春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

あの函館の温かさが消えぬ間に

2010-10-29 22:02:00 | 北海道旅行

函館市内から南側の函館山に車で登ってみる。狭い山道は一方通行になっている開けた踊り場に出るとそこが「立待岬」であった。
岬には色々名をつけるが「立待岬」って面白い名前だなあ~と思ったが、やはりここに生活基盤のあった、アイヌから生まれた言葉であった。魚を獲ろうと立って待つことから「立待」の名前になっていることが、説明されていたが、獲物を見つけて待とうと言う随分のんびりした漁である。

津軽海峡にせりだし、対岸の青森はかすかに認められる。反対に振り返ると市街を俯瞰し一望できる場所である。
見通しの効く場所だけにここに砲を置き、台場とされた時期があったが、もとより、一般人は立ち入ることが出来ない軍事上の聖地であった。
こんな海にせりだしているのに、風が全くない。穏やかな日和に半袖でも過ごせる穏やかな日であった。

それが1週間前のことであった。東京に帰って昨日の異常な寒さはなんであろうか、木枯らしが吹きまくり思わず放置してあった扇風機を片づけて、石油ストーブを慌てて出した。
天気予報で普段気にしない、北海道の天気が何となく気になった。釧路、札幌それに函館まで初雪であった。
もし、1週間遅れていたら、今頃雪の洗礼を浴びるところで、立ち往生。のんびりドライブなんて出来ないかもしれない。

あのくそ暑い酷暑が10月に入っても続いた。この先どうなるのだろうと思うまもなく、今度はこの寒さ、アップダウンの激しい陽気に、体も付いていけない。
長い長い夏があって、秋の気配が無いまま、いきなり冬になってしまった。
紅葉で有名な函館の大沼公園。この暑い夏の災いで大沼湖の周遊船から紅葉の姿は余り見られなかった。
紅葉を見ないまま冬をむかえるのであろうか・・・。地球自体が狂ってしまったのであろうか。

今年も北海道へ来てしまった

2010-10-24 09:22:00 | 北海道旅行

半ば通年の行事として、今年も北海道へ来てしまった。
毎年来る北海道も南は通過して、知床半島を中心に同東か、美瑛、富良野の道央であったが、今年は戊辰役の戦役を繰り広げた函館の地に舞い降りた。
同じ北海道でも、如何にも果てしない大地を思い起こす所から、一転して人、車も多い函館の街であった。都会の車の渦から外れ、時には行き交う車もなく、国道を殆ど独占モードで走れたが、函館では全く様子が異なり車の数に応じて、監視の目も厳しく、道脇で潜めたパトカーが、いきなり飛び出し、ご用なんてことが、身近に目の前で起きている。
それに10月も半ば過ぎているのに、朝晩はそれなりに寒さを感じるが、日中は温かく、東京とさほど変わらないのは、温暖化のせいであろうか・・・。
最初に寄った、大沼公園はこの時期、紅葉は2、3分程度で、全く期待外れであったのも、温暖化の影が紅葉まで狂わしているようであった。上の湯温泉で、旅館の女将も「もともと、道南は温かいが今年の夏は異常に暑かったですよ」とも言われた。
その函館で泊まったホテルが、ビル郡を押し退け市内を俯瞰する函館のシンボリックな五稜郭タワーが目の前であった。(写真参照)
タワーの右側の緑は五稜郭の五稜郭公園である。
タワーから五稜郭は繋がっており、新装復元した奉行所とも合わせ、観光のメッカか、一般客とも合わせ女子高校生の大量の群れ、タワーに上がると、何やら中国語、韓国語が飛び交い、国際化の真直中であった。とりわけ反日デモが騒がれている昨今も関係ないように、賑やかであった。

タワーから函館市内を360度見渡せる。ビル超えた向かい側の山が334mの函館山である。その函館山から稜線が一段下がり、海側にせりだしている部分は立待岬である。反対側の稜線の先が函館湾である。その先が昨日回った松前方面である。
反対にその函館山に登って市内の夜景を見ると両側から海に挟まれくびれた半島の様子が、手に取るように分かり、見事なジオラマが目の前で展開する。

函館港を囲むように幾つかの坂があり、石畳、両側の植え込み、建物が丸で、油絵を見るような炯眼がすばらしい。
その一つが基坂(もといざか)で、かっては函館本線の起点で、坂下にその原点となる標識が立てられている。坂の上は函館奉行所があった場所でもとより此処が、大江戸日本橋のような函館の原点であったような感じがする。
あちこちで、小旗をかざし、群れ集を引き連れて案内する集団。かっては東南アジアで席巻した一眼レフのカメラを下げての日本人観光客姿が、完全に若い中国人に置き換わってしまっている。
教会、一財産を築いた豪邸、ドック、赤煉瓦倉庫、外国との門戸を開き、欧米文化の作り・空気が横浜元町の姿がだぶり、町並みは平日にも関わらず賑やかであった。
道南だけでの走行距離は延べにして420㎞。向きになって走ったり、宝物探しで狭い道を走ったり、ニアミスがあったりで、疲れてしまった。さ~て引き出しに入れておいた旅の思い出をゆっくりまとめようか

花の銀座でOB会

2010-10-15 20:50:00 | 仲間との絆

パソコンの新規導入に翻弄され、明けても暮れてもパソコンに向き合う毎日に少々滅入ってしまった。
鬱の気分からの解放を含め、昨日は宇都宮へ城跡と戊辰の戦い跡をしっかり見て帰ってきた。観光案内の人に、宇都宮まったく知らずの輩に色々教えてもらった。
名物餃子も食べ、おばちゃんのもったりした独特の栃木弁に触れ、なんとなく人との触れ合いが嬉しかった。
しかし、片道3時間の遠い宇都宮、何時来れるか判らず城下町をくまなく歩き、大変疲れた。

そして今日は銀座で会社の事業部のOB会,久しぶりに花の都で人ごみにもまれた。
1年に1回の年中行事であるが、なんとなく昨日の疲れもあって、多少のマンネリ化が銀座までの道が遠く、多少の義務感で重い足をひきずるように出かけた。

この日にかけて、はるばる北海道から、九州から来る気合の入った連中から考えれば、銀座ごときは庭先のごとき場所であるのに、もう組織から外れて10年以上経つと、単なる儀礼的なご挨拶の会合にわくわく響きが湧かないのである。
宴会開始の2分前に到着、宴会の料理が酒が準備され、スタンバイOKなのに、延々と続くご挨拶、かれこれ1時間も続き、80歳を越える高齢者もいる中で、まだまだ若手の分際なのにどっかりと座りたくなる。
つい先ごろ社長の座を譲り渡した旧社長の挨拶があった。
世の中の不況の中で、厳しい社境に、我々の世代では時代を背負ったホープであった旧社長の顔が何時になく、疲れ切りすっかり老け込んでしまっている。
不況を背負い内外で叩かれ、まさに地獄を見てきたようで、打たれ強くなったと本人の口から出ているが、語る挨拶になんとなく元気を失っている。新旧社長の挨拶に、会社も、仲間も何千人という単位でかなりスリム化し今まで培った企業力で新しい事業展開を図っているようであるが、変わり身の早い世界に、言葉そのものがすでに判らなくなってきてしまった。

しびりきれ、会場の熱気に喉も目いっぱい渇き、テーブルに置かれたビールの冷えも緩やかにようやっと乾杯。
中央の料理に足しげく通い、めぼしいものの分捕り合戦に、参戦し、自前のテーブルに運び込む。戦後の食糧貧窮の世代に生まれた習癖が抜けられず、年金生活者の身分で普段ありつけない料理と意地汚く食らいつく。
テーブル単位で生まれた島にほとんどへばりつき、島島のわたり挨拶もあまりできないまま、すぐさま337拍子。
銀座の1等地であるがゆえに、飲み食い時間は賞味1時間足らず、そこそこ2次会のステップのために示し合せたようにそれぞれ流れていった。
毎年、同じような筋書き、飽き足らず、また来てしまった。そんな混雑のなかで、拙宅のHPをしっかり見ているよとのわずかな声が、見えないところでまだ繋がっているようで嬉しかった。
6Kの高い参加料に何で来るんだと、挨拶もそこそこに脱兎のごとく、会場を後にした。まあ一つの生存証明を果たす場と割り切るしかないとも思えた。

Meもこれまでパソコン成仏

2010-10-05 04:35:00 | パソコン・電子製品

2001年以来使い騙し、騙し使い続けていた、PCが最近になって富に動きが怪しくなり、正に瀕死のの状態で、とうとう成仏した。
パソコン起動時や長時間使っている間、度々ハングアップを起こし、作業過程のデータが何回も昇天し、悔しい思いは度々起きてしまった。
使い続けていた馴染みのwindowsMeも2007/07/01にメーカーから「もう面倒は見切れない早く切腹せよ」との冷たい仕打ちが、流され遂にwindows Meは突き放されてしまった。それでもウイルス対策出来ればとフリーのソフトavastで繋いだが、それも9月で打ち切られた。
その都度蘇生して、延命しても、環境はますます悪くなるばかりで、10年以上付き合った、馴染みのwindowsMeを手放し、2代目を購入する大英断を図り、先代から2代目の遺産を引き継ぎ、遂に手から離れた。
アナログ人間のけちけちジジイが、windowsMeを使い続けるのも、総てが 慣れの問題で何があっても、蘇生出来る自信もあり、新しいものに対する、不安はどうしてもついて回った。
生死の世界をさまよえる輪廻転生の世界で何とか魂を抜き取り、外付のデスクに植え込み保存し、中身をきれいにした死化粧を施し、本体はお店に100円で買い取った頂いた。
早速、2代目を購入。現在、巷間では検察庁が違法コピーで根幹を揺るがしているFD(フロッピイデスク)は時代の遺物として、とっくに使っていない。
システムの立ち上げには、今まで起動フロッピイを入れ、、CDROMを読み込んでいく操作は無くなり、起動フロッピイのソフトはすでに内蔵されている。電源を入れ、ガイドにしたがってOSはwindows XPか、windows7か選ぶ仕組みになっており、瞬く間にwindows XPが立ち上がってしまう。「ははあ~これなら猿でも簡単に立ち上げられる」と世の中の進歩を思い知らされる。
しかし、しかし世の中そんな甘いものではなかった。使い勝手のよかった画像処理hot ,shotsはjpgを開く度にエラーが出る、Excelは瞬時顔を出すがすぐに消えるおばけであった。など、など2代目PCのプラットホームには地雷源の中に不発弾があるようで次々と発覚しては処理を続けており、今後も未だありそうである。
インストール後、約1週間、延々と移行処理に忙殺されたが、ある程度覚悟していたが、新しい世界のランデイングは必ずしも楽ではなかった。
でも1歩前進、2歩後退そして落とし穴に突き落とされながらも克服し、チリの炭鉱より早く脱出することが出来た。その激闘のさまを以下でアップした。
PCの世代交代

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/