春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

『神の坂』での出迎え

2018-09-27 09:29:00 | イベント

神域である山や森で、人が行方不明になったり、街や里からなんの前触れも無く失踪する、神の仕業として『神隠し』と言われる。
プロ野球某球団で全く予想し難い結果に『神ってる』なんて言葉が流行った。
『神』はこうして人間を超越した威力を持ちつ禍福(災いと幸せ)を降ろす隠れた慰霊と言われている。
こうした隠れた慰霊は昔から、今日も時代を越えて広く使われている。
その『神』が前回、当ブログで紹介した『川辺堀之内』の台地の一角に使われている。
◇『神の坂』

城館があった台地の東端部の全景である。バイパス道路の延伸工事で豊かな自然の風情もぶち壊され、無愛想なコンクリート壁がひたひたと此処まで迫り、建設重機が いよいよ樹林帯に入らんとしている。
樹林帯の縁がコンクリートの壁で仕切られ、その上が小道で緩やかな勾配で台地の頂部に繋がっている。
今は埋め立て高台になっているが、かっての周辺は全部田圃で、700坪位あったようで代々当地に住み農家を営んでいた。
台地は南側のゴルフ練習所にも繋がり、縄文式の集落で太量の遺跡が出たが、周辺は歴史の宝庫でもある。
しかし、伝来の土地を継続的に支えることが出来ず、やむなく、埋めてしまい建て売りなど都市化の波に呑み込まれてしまった。
台地の北側の脇道に入るとお稲荷さんがあり、お稲荷さんを囲むように続く山道を行くと、登りきった突き当たりに増田家の先祖の墓がある。
周辺の土地開発で様変わりしてしまったが、かっては台地の頂部に繋がる唯一の道として、人の往来があったようである。

現在は増田家墓参用の専用道なのか、利用も限られ、旺盛な雑草の前になかば埋もれている。
この道が雑草の藪からやがて竹藪に変わり、僅かな空間に人が通れる位の道が整備されている。
毎年、7月13日~15日を中心にお盆の時期にやってくる祖先の霊に供物を供え、冥福を祈る盂蘭盆が行われる。
この道は『神の坂』と言われ、その霊が迷走しないよう、道で藁を燃やし、迎え火、送り火を行った風習が残されていた。
迎え火は盂蘭盆の初日の夕方に祖先の精霊(死者の霊魂)を迎えるために焚く火であり。
送り火は盂蘭盆の最終日に祖先の精霊を送るためにたく火と言われている。
かっての生活道路も、利用頻度が限られ生い茂る自然の中に埋没しそうである。

◇お稲荷さん

パイパス道路の建設で先祖伝来の農業を営んでいた増田家の土地、家屋を奪われた。当地で暮らしを支える農業の五穀(米、麦、粟、黍または稗、豆の5種類の穀物) 豊饒(作物などが豊かに実ること)を祈る神様を残して置きたいと言う意志がこの稲荷さんではなかろうか。

内部には江戸時代の絵馬など、時代を越えた歴史を物語る逸品でもあるようである。
収蔵品は市の歴史担当が一時、 持ち返り、歴史視点から、のメスが入り、色々の歴史事実が明らかにされている。
道の右手に、お稲荷さんを見て、この幽玄の世界の竹藪を更に奥に進んで行く。
お稲荷さんの上に登って行くと、頂上付近の道脇に当時のお茶の木の植え込みが残っている。
この部分が大八車などの待機所で、昭和30年代まで使っており、その跡がしっかり残っている。
待機所は上下2ヶ所あり、下の待機所に樹齢300年余のさるすべりの木が植えてあり、この道が当時からあったことが推測出来る。樹齢が歴史を語りかける、さるすべりの木の切り株がお稲荷さんにある。

◇増田家先祖の墓

かってはこの地を桑田村と呼んでいた。しかし僅か12年で廃止された。この桑田村を支えたのが増田紋之助であった。
嘉永5年(1852)増田紋之助は誕生する。
本家に増田文書として多くの書物が、残されていたことから、勉強熱心であった。
幕末期、多摩地域では広い土地を背景に比較的豊かな豪農層を中心に『天然理心流』の剣術の流行った
その格となる日野宿名主、佐藤彦五郎が道場を持ち剣術師範となっているが、川辺堀之内からも門人の一人が、『村田紋之助』で往時から川辺堀之内を代表する名家でもあったのである
明治20年(1889)4月、豊田、川辺堀之内、上田、宮、下田、万願寺、石田の八ケ村と粟の巣村の一部が合併し、神奈川県南多摩郡桑田村が誕生した。
桑田村々会議院に桑田村助役に選任された。
当時の増田家の自宅はこの稲荷を含め延命寺の正面に敷地面積400坪、茅葺きの母家60坪が明治24年から翌年にかけて仮説役場として提供していた。
当時の栄華を物語る茅葺きの母屋の立派な家の写真が稲荷さんに貼ってあった。その周辺もバイパス路延伸工事に一切消されてしまった。

『神の坂』待ち構えたのが、獰猛な蚊の襲来である。くたびれかかった、不味い爺も相手を選ばず、格好の餌の到来と服の上からも襲撃された。
覚悟はして防虫も対策したが、敵中踏み入れは許されず攻撃された。どうやら、眠りの世界を目覚めさせ、普段の悪行の祟りに、『神』にも見放されてしまった。

こちらでも紹介しています。ご覧ください
日野バイパス延伸工事


消えた『蚕さん』

2018-09-17 15:12:00 | イベント

日野市内の 市内でも里の風情を残す「川辺堀之内」は台地の一角が森で覆われ、その部分がなんと城館であったと言われる報告がされている。
城館の台地は北側のネットがゴルフ練習場に変わっているが、台地の一角であった。
石積みの外壁に、南側の最下層は水路が走り、城郭の様子を備えている。
折しも輸送ルートの一つとして国道日野バイパス道路の延伸を控え 周辺に建設造機が入り、道路建設に自然の風情を含め大きく変わりつつある。
そんな環境変化を前に、僅かに残される、姿を捉え追って みた。

城館側は一面、竹林で覆われている。旺盛な繁殖力から、地面を掘りおこす「根切り溝」などの手入れが行き届かなく、 竹林は根を張り、この半世紀でも二倍以上の広さに拡大した。
未だ手の付けられない竹林から土器、石器、分銅、嘉永通宝、梅小鉢、醤油の壺、といった、歴史的な遺産が出土さ れている。
この鬱蒼とした竹林が開発の手を阻んでいる一方、城館に繋る歴史ロマンが眠っているのである。

◇農業を守った。
長年同地に住み、農業を通じて先祖伝来の家風を守り、未来に繋げ築きあげてきた遺産が,何の痕跡も止めず,つぎつぎと消されていくことに、悔しい思いであろう。
たまたま散策している折に、当時に長く住まわれている老人から、「これから壊される家が、蚕の跡が残っているよ」と言われ、既に幻想の世界にある『かいこ』の存在に驚き、その事実に駆り立てられた。
里の風情の一つとして養蚕を営んでいた事実を農家が消え去る前に、捉えてみた。

◇地域を支えた養蚕業
養蚕というと八王子は戸中期に産地として全国的知られ、幕末以降には生糸輸出の集積場としてもが有名である。文明開化の間もない時期に国産の生糸が国際的にも脚光を浴び、輸出品の花形であった。八王子と横浜に絹の道が誕生し、巨万の富を得た実業家も誕生した。
隣接する日野も養蚕業に適した土地で農家の米作りとともに、農家が養蚕業でも生活していた。
市内の仲田の森は、「農林省・蚕糸試験場日野桑園」で昭和55年まで蚕・桑を国策施設で研究し、日野も蚕業で関わりの深さを持っていた。
養蚕は,確実に現金収入が得られる手段としてかなりの農家が養蚕を手がけ,昭和40年代の前半まで続いたが、労力の割に経済的に割の合わないものになって自然に消えていった。

◇家屋に残された養蚕の痕跡
建設重機が入り、破壊される数日前に貴重な記録を留めることが出来た。
屋敷の入り口から入って右手の一角に農機具を収容し、作業が出来る、物置を兼ねた木造建物がある。平家だが、屋根下は採光を取り入れる窓を持ち、養蚕作業場に使われた可能性が高い、作りになっている。

敷地の奥で、背後に樹木が覆われる平屋建の母家がある。
当地の代表的な旧家に相応しい象徴的な建物がで~んと構えてあった。
屋根は茅葺きであったようであったが、維持できず、瓦葺き変わっている。
2度の葺き替えで、瓦が比較的真新しく輝き、入母屋作りの立派な屋根が目を引いた。
屋根の頂部から建物側面に当たる破風が結構高いのは外見は平家だが総2 階2 層の造りと想像する。
◇天井に見る、養蚕作業場

因みに天井部分はむき出しになっており、桁や梁が走り、その上の天井部分が格子状になっている所が、一般家庭とは大きく異なる部分である。
天井部分として強固な構造から明らかに屋根裏小屋を儲け,養蚕作業場であったことが明確である。
天井下の高い部分は換気のため開閉自在の障子様のものがはめこんであるものもあった,

◇かいこの世界(参考)

蚕と言われる蛾の幼虫が桑のはっぱを食う、蚕がさなぎになるとき糸を吐き、成虫するための部屋作りを始め綺麗な繭を作る。


繭の中で幼虫は脱皮をしてサナギになる。繭から出てサナギから脱皮して羽化し成虫になる。
吐き出された糸は1~1.5㎞が数本と言われている。
人間は蚕の繭を取り出し絹糸を作る一連のプロセスを養蚕と言われている。

幼虫が桑の葉を食べ、旺盛な食欲を前に其の数が多くなると雨の音のように聞こえると言われ、蚕様ファーストで寝食共にした世界が伝わってくる。


母家の側面は側柱と入側柱の間を開放して板張りとした広縁で、縁側で直接外気に触れている。
四季それぞれの庭先の風情を確かめ縁側に座って一休みする。外気と建物の空間を仕切る意識が全くなく、日本家屋独特の雰囲気がが縁側に表れている、素敵な空間である。
これらの和室建築も『かいこさん』と共に建設重機の前に消してしまった。

こちらでも紹介しています。ご覧ください
日野バイパス延伸工事

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