◇『北の国から』は、フジテレビ系で放送された日本のテレビドラマのシリーズ。
原作・脚本は倉本聰。主演は田中邦衛。
それを支える2人の子どもの成長振りを21年間にわたって描く、物凄い大作品である。
当時、20%を超える高視聴率に支えられる、茶の間の人気から、こんな長い間続けられたのであろう。
◇『北の国から』再放送
主役の田中 邦衛が亡くなったことを背景に『北の国から』放映され、2時間~2時間半/Ⅰ本 の4本を一気に見てしまい、TVの前に張り付き、改めて感動した。
主役の『黒板五郎』(田中 邦衛)に関して性格は基本的に温厚だが、頑固なところもあり一度ヘソを曲げると手が付けられなくなることもある。
初期には内弁慶なところもあり、外で面白くないことがあると家に帰ってから子供たちに当たることもあった。
妻の令子が家を出て半年。東京が嫌になった五郎は、幼い『純(吉岡秀隆)』と『螢(中嶋朋子)』を連れ、故郷の北海道は富良野で暮らし始める。
以前住んでいた麓郷の廃屋を家族で補修し、電気も水道もない大自然の中での、三人だけの暮らしが始まった。そんな田舎に馴染もうとする螢、どうしても馴染めない純があった。
二人の成長過程で、色々な人との出会いから人との関りから恋愛やそして失恋などから自然災害
や突然の災禍などから永遠の離別など、物語は展開していく。
黒板家を中心にこれら関りを持つ、親戚縁者や富良野で暮らした生活から関りを持つ人々との繋がりから画像の世界から感情移入され、喜びも、悲しみも一心胴体になってしまう。
ドラマでありながらリアルに演出される葬式の場面など涙腺が刺激され、はまってしまうこともしばしば生まれるのも、演出の巧みさからなのであろうか。
高齢化で歳相応に五郎も体に変調をきたし、レントゲン撮影、胃カメラ、内視鏡による大腸検査など、悶絶する五郎の姿に思わず、己の姿の再現を見るようで、そのシーンなど息を飲み、見入ってしまった。
◇放映後の富良野
美しい自然や祭りなど、富良野市は日本中に知られるようになり、過疎の村だった麓郷地区には
第1作放送直後から、休日になると数百人の観光客が見物に訪れることとなった。
最終作が放送された2002年度には249万人が訪れている。富良野は北海道の観光名所となり、
ドラマに使われた丸太小屋が再現された他、富良野市農業協同組合駅前4号倉庫を改造した
「北の国から資料館」が設けられた。
◇駆り立てられ現地に
レンタカーを駆使して何度か北の大地へ行った。その時撮った写真である。
①五郎、純と蛍の対話が聞こえる
純と蛍を連れ、五郎の生まれ故郷のここ麓郷に帰って、電気、水道も無い所で廃屋同然の実家を修理して生活を始めることから物語が始まる。何不自由ない都会から、人里離れた、厳しい自 然の中でどう生き、子供たちが育っていくかを、描いた物語。
そのフィールドとなった、土地と家屋とそして生活用品が、此処で根を下ろし現実に暮らした生活臭がする位のリアルな形で残され、物語に使われた数々の品々と触れ合う事が出来る。
②テーブル囲み五郎と向き合う
燃え残した、薪木と煤けたススが、先刻まで使われた痕跡がそのまま残されている。
この麓郷の厳しい冬の寒さを耐えるために、暖を取るには充分なものであろう。
薪木を焚き、煙、匂いを伴う、野性味豊かな自然な温もりが、じっくり伝わって来るような
実感が沸いて来る。テーブルに無造作に置かれた一升瓶が五郎が抱え飲んだ姿が彷彿される。
③親子の木
遥か高台に仲良く寄り添って立つ「親子の木」3本のかしわの木がポツンと立っているのが見える。
冬の風雪や、夏の風雨、炎天下に晒されながらも 両親に囲まれて育つ子の姿が実に微笑ましく目に映る。
『北の国から』を象徴するように親子の絆で逞しく生きていく姿を捉えている様でもある。
何年後、いや何十年後、子供が育ち、自立した暁には「3人家族」にでもなるのであろうか?
④羅臼海岸での遠景
五郎は「流氷を見せたい」という純の招待で羅臼を訪れる。流氷を前に、その壮大なシーンは
見せ場でもあった。
民宿のまるみの食堂テラスの先は根室海峡である。
東側から日の出の劇的な瞬間を捉えてみた。
残念ながら雲に覆われ、時々雲間からその光が海面に光の束になって反射する。
雲の下の黒く影になっている部分は国後島である。
水平線の彼方へ田中邦衛は逝ってしまった。素朴さや実直さなど北の大地に相応しい五郎が
心の中に何時までも居るようである。
「ああ~また麓郷へ、行ってみたいなあ~」
原作・脚本は倉本聰。主演は田中邦衛。
それを支える2人の子どもの成長振りを21年間にわたって描く、物凄い大作品である。
当時、20%を超える高視聴率に支えられる、茶の間の人気から、こんな長い間続けられたのであろう。
◇『北の国から』再放送
主役の田中 邦衛が亡くなったことを背景に『北の国から』放映され、2時間~2時間半/Ⅰ本 の4本を一気に見てしまい、TVの前に張り付き、改めて感動した。
主役の『黒板五郎』(田中 邦衛)に関して性格は基本的に温厚だが、頑固なところもあり一度ヘソを曲げると手が付けられなくなることもある。
初期には内弁慶なところもあり、外で面白くないことがあると家に帰ってから子供たちに当たることもあった。
妻の令子が家を出て半年。東京が嫌になった五郎は、幼い『純(吉岡秀隆)』と『螢(中嶋朋子)』を連れ、故郷の北海道は富良野で暮らし始める。
以前住んでいた麓郷の廃屋を家族で補修し、電気も水道もない大自然の中での、三人だけの暮らしが始まった。そんな田舎に馴染もうとする螢、どうしても馴染めない純があった。
二人の成長過程で、色々な人との出会いから人との関りから恋愛やそして失恋などから自然災害
や突然の災禍などから永遠の離別など、物語は展開していく。
黒板家を中心にこれら関りを持つ、親戚縁者や富良野で暮らした生活から関りを持つ人々との繋がりから画像の世界から感情移入され、喜びも、悲しみも一心胴体になってしまう。
ドラマでありながらリアルに演出される葬式の場面など涙腺が刺激され、はまってしまうこともしばしば生まれるのも、演出の巧みさからなのであろうか。
高齢化で歳相応に五郎も体に変調をきたし、レントゲン撮影、胃カメラ、内視鏡による大腸検査など、悶絶する五郎の姿に思わず、己の姿の再現を見るようで、そのシーンなど息を飲み、見入ってしまった。
◇放映後の富良野
美しい自然や祭りなど、富良野市は日本中に知られるようになり、過疎の村だった麓郷地区には
第1作放送直後から、休日になると数百人の観光客が見物に訪れることとなった。
最終作が放送された2002年度には249万人が訪れている。富良野は北海道の観光名所となり、
ドラマに使われた丸太小屋が再現された他、富良野市農業協同組合駅前4号倉庫を改造した
「北の国から資料館」が設けられた。
◇駆り立てられ現地に
レンタカーを駆使して何度か北の大地へ行った。その時撮った写真である。
①五郎、純と蛍の対話が聞こえる
純と蛍を連れ、五郎の生まれ故郷のここ麓郷に帰って、電気、水道も無い所で廃屋同然の実家を修理して生活を始めることから物語が始まる。何不自由ない都会から、人里離れた、厳しい自 然の中でどう生き、子供たちが育っていくかを、描いた物語。
そのフィールドとなった、土地と家屋とそして生活用品が、此処で根を下ろし現実に暮らした生活臭がする位のリアルな形で残され、物語に使われた数々の品々と触れ合う事が出来る。
②テーブル囲み五郎と向き合う
燃え残した、薪木と煤けたススが、先刻まで使われた痕跡がそのまま残されている。
この麓郷の厳しい冬の寒さを耐えるために、暖を取るには充分なものであろう。
薪木を焚き、煙、匂いを伴う、野性味豊かな自然な温もりが、じっくり伝わって来るような
実感が沸いて来る。テーブルに無造作に置かれた一升瓶が五郎が抱え飲んだ姿が彷彿される。
③親子の木
遥か高台に仲良く寄り添って立つ「親子の木」3本のかしわの木がポツンと立っているのが見える。
冬の風雪や、夏の風雨、炎天下に晒されながらも 両親に囲まれて育つ子の姿が実に微笑ましく目に映る。
『北の国から』を象徴するように親子の絆で逞しく生きていく姿を捉えている様でもある。
何年後、いや何十年後、子供が育ち、自立した暁には「3人家族」にでもなるのであろうか?
④羅臼海岸での遠景
五郎は「流氷を見せたい」という純の招待で羅臼を訪れる。流氷を前に、その壮大なシーンは
見せ場でもあった。
民宿のまるみの食堂テラスの先は根室海峡である。
東側から日の出の劇的な瞬間を捉えてみた。
残念ながら雲に覆われ、時々雲間からその光が海面に光の束になって反射する。
雲の下の黒く影になっている部分は国後島である。
水平線の彼方へ田中邦衛は逝ってしまった。素朴さや実直さなど北の大地に相応しい五郎が
心の中に何時までも居るようである。
「ああ~また麓郷へ、行ってみたいなあ~」