春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

『北の国から』五郎さん逝ってしまった

2021-05-14 17:40:00 | 北海道旅行
◇『北の国から』は、フジテレビ系で放送された日本のテレビドラマのシリーズ。
原作・脚本は倉本聰。主演は田中邦衛。

それを支える2人の子どもの成長振りを21年間にわたって描く、物凄い大作品である。
当時、20%を超える高視聴率に支えられる、茶の間の人気から、こんな長い間続けられたのであろう。

◇『北の国から』再放送
主役の田中 邦衛が亡くなったことを背景に『北の国から』放映され、2時間~2時間半/Ⅰ本 の4本を一気に見てしまい、TVの前に張り付き、改めて感動した。
主役の『黒板五郎』(田中 邦衛)に関して性格は基本的に温厚だが、頑固なところもあり一度ヘソを曲げると手が付けられなくなることもある。
初期には内弁慶なところもあり、外で面白くないことがあると家に帰ってから子供たちに当たることもあった。
妻の令子が家を出て半年。東京が嫌になった五郎は、幼い『純(吉岡秀隆)』と『螢(中嶋朋子)』を連れ、故郷の北海道は富良野で暮らし始める。
以前住んでいた麓郷の廃屋を家族で補修し、電気も水道もない大自然の中での、三人だけの暮らしが始まった。そんな田舎に馴染もうとする螢、どうしても馴染めない純があった。
二人の成長過程で、色々な人との出会いから人との関りから恋愛やそして失恋などから自然災害
や突然の災禍などから永遠の離別など、物語は展開していく。
黒板家を中心にこれら関りを持つ、親戚縁者や富良野で暮らした生活から関りを持つ人々との繋がりから画像の世界から感情移入され、喜びも、悲しみも一心胴体になってしまう。
ドラマでありながらリアルに演出される葬式の場面など涙腺が刺激され、はまってしまうこともしばしば生まれるのも、演出の巧みさからなのであろうか。
高齢化で歳相応に五郎も体に変調をきたし、レントゲン撮影、胃カメラ、内視鏡による大腸検査など、悶絶する五郎の姿に思わず、己の姿の再現を見るようで、そのシーンなど息を飲み、見入ってしまった。

◇放映後の富良野
美しい自然や祭りなど、富良野市は日本中に知られるようになり、過疎の村だった麓郷地区には
第1作放送直後から、休日になると数百人の観光客が見物に訪れることとなった。
最終作が放送された2002年度には249万人が訪れている。富良野は北海道の観光名所となり、
ドラマに使われた丸太小屋が再現された他、富良野市農業協同組合駅前4号倉庫を改造した
「北の国から資料館」が設けられた。

◇駆り立てられ現地に
レンタカーを駆使して何度か北の大地へ行った。その時撮った写真である。
①五郎、純と蛍の対話が聞こえる

純と蛍を連れ、五郎の生まれ故郷のここ麓郷に帰って、電気、水道も無い所で廃屋同然の実家を修理して生活を始めることから物語が始まる。何不自由ない都会から、人里離れた、厳しい自 然の中でどう生き、子供たちが育っていくかを、描いた物語。
そのフィールドとなった、土地と家屋とそして生活用品が、此処で根を下ろし現実に暮らした生活臭がする位のリアルな形で残され、物語に使われた数々の品々と触れ合う事が出来る。
②テーブル囲み五郎と向き合う

燃え残した、薪木と煤けたススが、先刻まで使われた痕跡がそのまま残されている。
この麓郷の厳しい冬の寒さを耐えるために、暖を取るには充分なものであろう。
薪木を焚き、煙、匂いを伴う、野性味豊かな自然な温もりが、じっくり伝わって来るような
実感が沸いて来る。テーブルに無造作に置かれた一升瓶が五郎が抱え飲んだ姿が彷彿される。
③親子の木

遥か高台に仲良く寄り添って立つ「親子の木」3本のかしわの木がポツンと立っているのが見える。
冬の風雪や、夏の風雨、炎天下に晒されながらも 両親に囲まれて育つ子の姿が実に微笑ましく目に映る。
『北の国から』を象徴するように親子の絆で逞しく生きていく姿を捉えている様でもある。
何年後、いや何十年後、子供が育ち、自立した暁には「3人家族」にでもなるのであろうか?
④羅臼海岸での遠景
五郎は「流氷を見せたい」という純の招待で羅臼を訪れる。流氷を前に、その壮大なシーンは
見せ場でもあった。

民宿のまるみの食堂テラスの先は根室海峡である。
東側から日の出の劇的な瞬間を捉えてみた。
残念ながら雲に覆われ、時々雲間からその光が海面に光の束になって反射する。
雲の下の黒く影になっている部分は国後島である。

水平線の彼方へ田中邦衛は逝ってしまった。素朴さや実直さなど北の大地に相応しい五郎が
心の中に何時までも居るようである。
「ああ~また麓郷へ、行ってみたいなあ~」

益々遠のく「北方領土」

2016-12-17 11:50:00 | 北海道旅行
大々的な前宣伝、期待感に乗って、プーチンがやってきたが
我々国民が沸くような結果も残さず、あっと言う間に帰ってし
まった。
某首相は協議に入る前に旧島民を前に、私の手で解決の道筋を
つけますと、力強く豪語していたが・・・・。
終わってみたら、独りよがり、肝心の領土の話は進まず、未来
思考とか色々の言葉を並べるが、言い訳にしか聞こえ、何も得
るものはなかった。
問題の難しさを改めて認められたが、相変わらずの強弁だけは
闊達であった。

旧ソ連軍が一方的にエトロフに侵攻し、着の身着のまま追われ
てしまった。
島の墓には身内が眠る。「何とか島に戻って暮らし、自分も骨
を埋めたい」と言う元島民の叫びも、打ち砕かれた。
数カ月前、北方に一番近い、根室半島の納沙布岬に行ってみた。
前回、行った時の納沙布岬は強い風と共に猛烈な濃霧で、総て
が隠れてしまった。
今は撤去されてしまったが、灯台の近くで、体前身に響きわた
る霧笛が前触れも無く鳴り出し、驚きと共にあの音が何時まで
も、記憶に留まる。
当地での悲痛な叫び声が、低い唸り音で、旧島民の願いを訴え
ているようであった。
今年は異例の道内3つの台風の洗礼を浴び、周辺に甚大な被害
の爪痕を残したが、その台風の後、幸運にも快晴の天候に恵
まれ、視界良好であった。

納沙布岬は珸瑤瑁(ごようまい)水道を挟んだ海の向こうには
現在ロシア連邦の支配が続いている歯舞 群島がありその歯舞
群島の貝殻島まではわずか3.7kmの距離にある。
日本の固有領土を目の前の手の届く所にありながら、ロシア側
が占拠し、既得権から中々帰ってこない。今回もまた、したた
かさは揺るがず、日本の期待は打ち砕かれ、一行に先の見えな
い ままである。
その北方領土を目の前に北方領土返還要求運動の原点の地で
国土返還の想いを深め、国民レベルでの理解を広めようとす
る施設の『北方館』に行ってみる。
2階のガラス張りの開放的な空間は海側に向き合い、広角度で
北方領土を眺望できる。
眺望が効く場所にテレビ望遠鏡が複数台、設置されている。
望遠鏡に一体化されたモニターがあり、左右に把手が付い
ており、上下、左右に望遠鏡の先の位置を操作できる。
更に画像の大小を操作出来る、先進的な機能を備え、リアル
に望遠出来る。
そんな敏感な望遠鏡を操り、大きな画像で、ベールに包まれ
た世界が、手に届く。

貝殻灯台が捉えられた 。

納沙布岬の僅か3.7㎞の先は泳いでも渡れそうな所がロシア領
の貝殻島でその狭い海域に国境線が走っている。
現在はロシア経済水域になっているが、かっては日本の手で
昭和11年に建設された岩礁の近海航路標識である。
既に手の届かない所に半ば放置され、若干斜めに傾斜、
コンクリートの外壁が斑模様、頂部の鉄材を含め、風化に
晒され灯台の姿は何とも哀れを留めている。
狭い海峡は絶好な水産の宝庫と言われが、行く手を阻む岩礁
と、一方では厳しい国境の監視下に、拿捕もあったようである。
領土は一歩も譲らないロシアの姿勢が一貫しており、益々遠
のいてしまった。


また消えるJR北海道路線

2016-12-06 20:31:00 | 北海道旅行

2016年12月4日、JR北海道でまた 一つ路線が消えた。
滅びゆく廃線に道内歯止めがかからず、正に櫛の歯が抜けるように、どんどん廃線が拡がっていく。
故高倉健さんの映画「駅 STATION」の舞台になった終点の増毛駅は、かってはニシン漁で栄え増毛町を支えた。ニシンのお蔭でニシン御殿まで生まれたが、北海道では100万tの魚穫が5万tに激減し、ニシン漁にかけた人々も去っていった。
故高倉健さん絡みで言えば、健さん主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ地となった幾寅駅(南富良野町)も、健さんの大事な聖地である。
「鉄道員(ぽっぽ屋)」は北海道の鉄道が廃線となる典型的な事例をモデルに小説化された浅田次郎作品の一つである。1999年 高倉健が主役で映画化され、幌舞駅(ほろまいえき)の駅長で最後の鉄路を守りながら消え去っていく姿は見るものに、涙腺をゆるめ、感動を与え人気を博した。
しかし同路線も8月末の台風被害で運休中のJR根室線新得-東鹿越間の復旧工事を見送る意向を、沿線の北海道南富良野町に伝えた。この区間はJR北が同社単独では「維持困難」と公表した赤字の線区に含まれ、再び列車の雄姿を見ることなく、このまま廃線となる可能性が濃厚とな
った。

その幾寅駅の駅務屋に飾られた、骨っぽいポッポ屋の健さんや初々しい広末涼子の姿の写真。
偶然にもジーゼル車が幾寅駅へ入線する姿を捉えることが出来たのは、記憶の中に鮮明に残っているが、もうあれから10年近く経っていた。
台風に運休したが、復旧工事もなく、路線は自然の中に、そのまま埋もれてしまうのであろうか、「鉄道員(ぽっぽ屋)」のストーリが、そのまま予言する通り、終焉を迎えることは、実に寂しい。

時間の経過に駅舎やロケ風景も、かなり風化しているようであるが、ジーゼルが走る当時の姿は以下で掲載されている。
ポッポ屋


JR釧路駅へ

2016-10-13 17:25:00 | 北海道旅行
◇釧路空港
羽田から約2時間、あっと言う間に釧路に着いた。
日頃、都心へ通う、外環の一角として、ごちゃ、ごちゃしているが、一歩此処、釧路へ訪れると「ああ~広い大地」なんて、安易に言葉が出てしまう。
釧路は道東を代表する都市であるが、因みに人口は約184、000人であるが、現在住む日野市は約183、500人で殆ど変わっていない。
全域が過疎地域に最早人口減少に歯止めがかからないのは北海道、共通の悩みであろう。
北からかなり離れた所に住み、現地での生活実感もない人間が軽々と語れないが・・・。
我々が同地に訪れるのは、うっとうしい暑さから、抜け出し、からっとした空気のただよう夏の季節限定で、厳冬下では人も寄せつけぬ、厳しい寒さとの闘いが現実なのであろう。
近隣に住む、家の息子さん夫婦が、最近同地域に生活地を移されたと聞き、驚きとも併せ敢えてチャレンジする、その志と、勇気に心から拍手を送りたい。

◇タクシーで釧路空港から釧路駅へ

今までならばレンタカー会社に行き、道中の足になる、車と御対面。それぞれ運転操作の異なる車種を前に、運転操作を覚え、慣らし、まして未知の道をナビゲータを操り目的地に向かうのはかなりの覚悟が必要である。
しかし、今回は運転リスクを解かれ、テレサテンの「時の流れに身を任せ」で気楽な旅の、楽しさを追うことが出来る。
元より、道があれば、広大な北の大地を何処でも自由に走れるのは、ドライブの魅力であるが、今回は場所選びの制約の中で別の楽しみを甘受した。

◇釧路駅前で

駅前では機関車の大きな車輪と白いモニュメントが異彩を放ち、目につく。「5周年記念 JR釧路支社」「北・大地のうねり」とあり、それぞれ四つのうねる形の全体は、北の大地「北海道」を表している。
う~ん、此処が函館、今居る道東はこの当たりであろうか、荒々しいうねりに囲まれ、力強い姿を模して居るのであろうか・・・。

釧路駅の建物に向かって左に白地の建物に緑の帽子を被り、頂部に十字架を飾る、キリスト協会風の建物が大変目立ち、目を引く。デズニーランド思わすような異風な構造物は丸でおとぎ話に出てくるような建物で「釧路グレース協会」と言われる結婚式場であった。
パイプオルガンの音色が響く中、厳粛な教会の中で夢を膨らませる二人の挙式がここで執り行われる。

◇無情な運転情報

早速改札口に、駅員も乗客の姿が全く見えない中で、大きな液晶パネルが運転情報を流している。
摩周、知床斜里、網走、根室方面ではNorokko Train 11:06 CANCEL-TRIANは 無情な宣告を告げていた。
今年は北の大地に、過去に例のない、3つの台風が次々と襲来し、自然の災禍に見舞われた。
道東の広い広域を走り、網走と釧路を結ぶ釧網本線が橋梁の破損、線路の冠水などの被害で、不通になってしまう、爪痕が、未だ癒えていなかった。
屈斜路湖に源を発し、弟子屈町や標茶町の市街地を南へ流れ、日本最大の湿原である釧路湿原の中に入る。高低差が少ないため一級河川には珍しく釧路川本流にはダムが設置されていない。
未曾有の水量が緩やかに流れ込み、水位が中々沈下せず、釧路湿原の中を通る釧網本線も、復旧に時間がかかるのであろう。


◇根室から内陸部は台風の影響で不通

地図上にある、根室から内陸を弟子屈、屈斜路方面は『釧網本線』で台風の影響で冠水し、不通である。
釧路から太平洋岸沿いを走る『根室本線』で根室まで行くルートは台風から僅か外れ、何とか動いていた。
鉄路は根室までで、納沙布岬まで行くと、歯舞群島は目と鼻の先である。

最東端に当たる根室までは道東の太平洋側の沿岸部を走る鉄道幹線であり、釧路、根室間は快速で僅か2時間10~20分程で結ばれる距離にある。

◇釧路、根室間は一日、たったの6本

しかし、釧路、根室間は一日、たったの6本で、列車間の間隔時間は約3時間であり、乗り遅れたら、1日のタイムスケジュールも完全に狂ってしまう、時間以上に遠く離れた釧路、根室間なのである。
数分置き、遅くても10数分まてば次の電車がやってくる都会とは、全く違う生活リズムにある。それもこれも、走らす為には唯一の料金収入であり、過疎化のあまり利用客の少なさが、厳しい運行を物語っている。

全国を上回る人口の減少と札幌の一極集中化が進み、乗客が1987年国鉄の民営化以降、3割近く以下に減った路線もあり、最早この傾向は止まらない。
除雪など膨大な維持費もかさみ、安全対策を怠れば、脱線、車両事故など着いて廻る。
おまけに今年は台風の度重なる上陸に、秋の行楽時期に重なりドル箱路線の釧路湿原周辺では運休による減収ともあわせ、復旧に関わる費用も赤字路線にたたみかけるように重荷になっている。
JR北海道が見直しを検討する路線にこの近くでは『釧網本線』や『根室本線』もエントリーされている代表路線で、JR北海道の社長様も、このまま先送りすれば資金繰り破綻が避けられず、不退転の決意で臨むと、言われている。
そんな背景から、今回の『根室本線』が後になって、路線の惜別の旅にならないよう祈るばかりである。

◇快速ノサップ11:13根室行き

広い釧路の駅構内は、殆ど人影の無い、2番線に目指す。
厚岸、根室方面は2~3時間置きに走り、是れを乗り過ごすと次は2時間後の13:25となる。普段乗り付ける都会の電車では、数分~10分位で、来るので、余り時刻表を見る感覚はない。しかし、此処では時計が止まってしまったような世界である。せわしなく追われている都会生活では長時間待つと言う慣習がないため、運行時間に改めてギャップを感じる。
ガーガとエンジンをふかしながら、たったの1両の快速ノサップが発車前のスタンバイに客待ちしていた。

◇人影の無い中淋しく発車
乗ってみて、驚いた。目に鮮やかなブルーカラーのボックスシートはご覧の通り、完全に空気搬送車で、一緒に同行した7人が、最大の群れで、他のお客は10人に満たない、専用お抱え列車であった。
ワンマンカーで運転操作、ドアーの開閉、乗降客の乗降手続きなどこなし、ああ~これがローカル列車と確認する。、ある種贅沢な気分で異郷の世界とボックスに身を沈めた。
始発駅の釧路で、シルバーの地色に赤い帯のジーゼルがたった1両で根室へ目指し、殆ど人影の無い中で時間待ちし、アクセルの踏み込みで、エンジン音も高らかに、定刻時にゆっくり発車する。


◇運転席に張り付く
ボックス席はガラガラであったが、初めて乗る『釧網本線』のローカル線の風情を確かめたく、わくわくしながら乗鉄モードで運転席に張り付く。

緩やかなカーブに疾走し、エンジン音とリズミカルなレール繋ぎ目音が、耳に入り、何処となく風が、体一杯、吹き抜ける、ダイナミックなローカル線旅を運転席で堪能する。
窓越しに映る風情は殆ど自然の樹林帯の中、切り開かれた専用軌道を走り抜ける。
小さな橋梁を渡り、踏み切りに近づくと、殆ど車両の姿が伺えないが、思い切り断続的に警笛を鳴らす、原野に響き渡る、ローカル路線の姿があった。

◇厚岸

やがて『厚岸』に近づく
路線の直ぐ右手が穏やかな厚岸湾を通じて太平洋に繋がる。海岸線とは土盛りされた僅かな高台の専用軌道は波を被れば一溜まりもないが、内海に位置するのか、なぎのように静かな海であった。
海岸線に沿って、先方には建物が見えるが、路線の中でも一際、賑わいを見せる、厚岸の街がもう、手の届く所に来ている。


道の駅のターミナルのコンキリエからの景色は広い厚岸湾を一望し、晴れた日には、厚岸湾口の尻羽岬や大黒島、愛冠岬を望み、厚岸大橋や厚岸市街の全景を眺望する。


前回は車でターミナルのコンキリエで目の前が拡がる眺望を楽しみ、味のしみ込んだ牡蛎飯を堪能した。
その味を忘れられず、厚岸駅の僅かな停車時間に、予め予約した牡蛎弁当を持参頂き、ホーム
で購入、無事に受け取る。再び根室方面へ向かう車窓から風情を確かめながら、しっかり牡蛎弁当を腹に収める。
インターネットの世界。いや~世の中、便利に廻り、こんなローカル列車にも最高のご馳走をありつける贅沢することが出来たことに、ただただ感謝する。
列車は厚岸駅から更に東下する

翼よ あれが釧路の街だ

2016-09-24 15:15:00 | 北海道旅行
毎年の恒例行事として北海道旅行はかれこれ5年前を最後に途絶えて
しまった。
まして、昨年の今頃は病の災禍に見舞われ、半年間は入退院の繰り
返し、悪夢の雑居房の世界に拘禁され娑婆に出ることさえ、許され
なかった。
その病魔も最悪の事態は近代医学に救われ、経過監視の状態にまで、
復活し廻りを見る、余裕さえ生まれた。
寄る年波に足腰の痺れなど、体全体が劣化し、悲鳴を挙げているが、
でも何処かへ行きたいと言う願望は衰えず、死火山のマグマが体の
中でくすぶっている。
そんな中で、北の大地が再び、手招きしている。あの広い大地を思
うがまま走るハンドルは握れないが、手招きに乗った。

所が、今年は北の大地が何時もの様子が違うぞ
計画時では予測もしなかった、台風が狙いすましたように、北海道
に襲来する。
過去に例のない、記録的な降雨がおとなしかった河川が暴れ出し、
土砂崩れ道路の寸断、街、畑などの冠水が生まれている。
道東を中心にインフラはズタズタにされ、復旧に見通しの経たない
ところまで生まれたいるが、それを覚悟で広い大地へ向かう。

◇羽田から釧路へ

朝4時代、未だ脳味噌が眠りから覚めないまま我が家を出発し羽田
に向かう。
僅かなミニ旅行にかみさんはキャリーバック。混み合う人込みに
ずるずる引きずっての、JR、モノレールの乗り換えは苦難の行脚
である。
立川から羽田直行のバスが30分単位で予約無しで、パスモが使え
る事に飛びついた。
但し、満員の場合は次のバスに乗る、リスクも覚悟が必要である。

羽田の出発ロビーに到着し、手続きを済ませ、機上の人になる。
旅慣れないお上りさん、5年のブランクは様子を大きく変わって
しまった。
搭乗キップが厚紙の小片をイメージしていたが、ただのA4サイズ
のペーパーにバーコードが用意され、予約座席など情報が印刷さ
れ往復これを利用する。
厚紙で小片であれば、他の用紙と識別し、アクセスし易く、大事
な紙片として扱えた。しかし、折り畳んで保管すると、旅の間に
他の用紙と混用してしまい帰りには何処に入れたか、判らなく
なってしまった。

前述の台風の災禍、北の観光メッカ美瑛や富良野、釧路湿原など
水没など報じられ観光旅行もキャンセルが出ているはずであるが、
釧路行きは満席であった。

着席し、窓越しに打ちつける雨の滴が、外の荒れた天候の様子を
伝えちょっと心配になる。
出発のインフフォーメーションが流され、管制塔の誘導で機は
ゆっくりと駐機場から滑走路へ向かう。
滑走路でエンジンが思い切り吹かされ、徐々に加速されてくる
様子が、エンジン音とタイヤの走行ノイズがもろに伝わってくる。
更に激しく、音が高まり、G(重力加速度)がかかり、体がうわっと
くる時に離陸が始まったことが、体に伝わってくる、いよいよ、
鳥になる。
タイヤのノイズが無くなり、騒音も静まり、何となくほっとする。
機は旋回し一気に上昇、窓からは雲に遮られ下界の世界は殆ど
見えない。

◇釧路へ

いよいよ釧路間近の海上に、厚い雲に覆われた羽田であったが、
一転して晴れ間が覗く、好天の別世界であった。大海原であるが、
僅かに陸地が見え機体は陸地の方向に向かっていくことが判る。


機体は既に降下し、遥かに繋がる海岸線に砂浜で打ち寄せる白波が
はっきり見える。
海岸線に並行して、真っ直ぐの道と所々、工場とおぼしき建物が
見える。
正に上空から俯瞰するパノラマ絵図である。

正に上空から俯瞰するパノラマ絵図である。
降下体勢から入って間もなくズシンと言う鈍い音で着地する。
スムースな着地にパイロットの腕がこの一瞬にかける。グワーと
言う音と共に、逆噴射装置が働き、主翼に付いている制動板が
垂直に立ち、更にタイヤに付いているブレーキシステムで制動が
かかる。
着陸直前に時速約200キロある飛行速度を、一気に減速し、時速
10数キロまで落とし滑走路を所定の位置に納める。
無事に着陸成功、何にもなく当たり前のように降りてはいるが、
情報を捉え、複数の設備を一斉に動かし、巨大な物体を着陸、
ブレーキの操作をやってのける
着地時の激しい振動、急ブレーキとを一気に克服し、静寂に
戻るまで、心中穏やかではない。


インフォメションが流され、狭い空間から解放され、ほっと
安堵の世界に入る。
30℃程の蒸し暑い東京から、一気に20℃のからっとした釧路の
空気が快適であった。

道内の様子は改めて、書いて見たい。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/