春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

真っ暗闇の世界

2011-11-28 10:39:00 | 多摩の四季

恒例の朝の散歩も、出発時間は変えずに歩いている。
流石に5時代は闇の世界であるが、カメラを通して、どんなに映るか、撮ってみる。
闇の世界はシャッター速度"1秒"で、手振れが生じるので三脚を持ち出し、怪しげな撮影が行われた。
普段は殆ど使った事の無い三脚は、小型軽量化に進化するデジカメに比較し、重い重い、鉄の塊、こんな撮影は滅多にないので、何時も押し入れの奥にある。
闇に光るのは多摩平の団地と、僅かな街頭照明のぼんやりした輝きが幻想的である。

その団地の建物に向かって、更に進むと、照明の光が僅かに、明るくなるが、真っ暗闇の世界は変わらない。
赤と緑は交通信号が、遠目でも際だった存在感を示している。

団地の中、日野台幼稚園では10m近くある大きな木に飾られたクリスマスツリーが、輝いている。あれ、未だ11月なのに、と思うが、もうツリーが、師走の慌ただしさを呼んでいる。
頂部に十字架が、木を覆う様に、多数の照明が、こうして人の通らない時間帯も輝きを、続けている。
時間の経過はそろそろ夜明けを迎えて居る様で、ようやく空が薄明るくなってきた。


真っ暗闇から完全に解放され、更に明るくなってきた。足元もはっきり見える様になり、こうして落ち葉の絨毯が敷きつめられた雑木林の中を歩く事も出来る様になった。
闇から夜明けへの変化が、特別神秘的なものとして目に映る。取り分け、照明の光が薄ぼんやりと輝いているのも、幻想的の世界であった。

画面をクリックすると拡大画面が、暗闇の神秘の世界が楽しめる。

アカリ姫も七五三

2011-11-14 20:06:00 | 家族の絆

晴の七五三の日に雨の心配もなく、暑くもなく、寒くもなく、穏やかな日和である。
既になりふり構わぬ身分に何時もラフな恰好でいるが、今日は特別な日、普段締めた事のないネクタイに背広は大変窮屈である。
志木街道に面し、鬱蒼とした杉木立にある清瀬のの大きな鳥居が出迎えてくれる。
その鳥居を潜り、石畳が敷かれ日枝神社の拝殿に繋がる。
「おお~居るわ居るわ」拝殿前にはスーツ姿の父親か縁者と着飾った母親達が群れを組んで、待ち受けている。
神社の前では式を上げる主役とその家族、或いは既に終わった集団で賑わいを見せている。
参道脇にはプロの写真屋さんが、花道脇ではスタッフを揃え、間近に迫り、記念の写真はプロの手でと、勧誘し更に賑わいをましている。
そろそろ、やってくる主役のあかり姫がその成長ぶりとも合わせ、どんな恰好で目の前に現れるか、わくわくしながら、待ち受ける。

パパ、ママに手を引かれ、ご覧の黄色地にピンクの花模様の着物姿で眩しく現れる。
白地に花柄模様の被布コートスタイルが、ピッタリ会い、可愛らしい。
未だ慣れない草履に代わり運動靴で登場、本番直前に草履に履き替えるが、着物に隠れ殆ど判らない。
ハイポーズなんて言うと、しっかりカメラ目線を意識して、笑顔で応じてくれる


不二家のぺこちゃんと一緒にワンショット
カメラを向けると口から舌を出す、ポーズはアカリ姫の特異技であったが、ぺこちゃんを
前に舌なめずりは何故か、一切なかった。
場所をわきまえ、これも成長の証かな?
神殿の前で神主さんの祝詞、おとなしく神妙に受けていた。、
絵馬にお願いごと、でもマジックで、書かれたのは意図不明な謎めいた絵であった。


ようやっと式も無事に終わり、大変窮屈な晴れ着から解放された。
普段着の自由奔放のあっちゃんへ、元気に愛嬌を振りまいていた。



思えば数年前、神主の祝詞の時、三歳のカリン姫は緊張の余り、泣きだし、一緒にお祝いで参列した子供も一斉に泣きだし、大合唱であったことを思い出す。
同じ、三歳でも二人の違いが、此れで良く判った。
そのカリン姫も昨年、7歳 の七五三のお祝いであった。
折しも横浜はサミット国際会議に重なり、全国の警察官が動員され、タクシーも臨検を受けるなど
異常な限界体制と緊張の中での七五三であった。
寄りにもよって七五三にこんなことも、あったと忘れない出来事であった。


どうやら、節目の七五三も何とか終わった。
ああ~皆しっかりと、逞しく、育って行く、何時まで相手にしてくれるのであろうか?
何時までも、このまま、可愛くあって欲しいけどなあ~

「北の国から」に魅せられる

2011-11-06 16:31:00 | 北海道旅行

「北の国から」1982年に放映したと言われるから大凡30年も経つているが、BSで再放送されている。
30年の年月は地デジ化された今日、アナログTV時代の名残で解像度は低く、画質が悪いが、出ている役者さんも、30年前に引き戻され、野暮ったさと反面、実にみずみずしい。



主役の黒板五郎(田中邦衛)はあの風貌と独特の語り口の強い個性は此処が原点なので有ろうか。
未だ幼い純(吉岡秀隆)と蛍(中島朋子)は役者さんの原石を見るようで、ドラマの展開が少年、少女から大人に育つていくアルバムをそのまま成長の記録をたどるよう、壮大なドキュメントである。
こんな長いスパンを素材とした作品をテレビの前に釘付けすることは恐らく、もう生れることもないであろう。


ドラマは物溢れる、豊かな時代に敢えて背中を向けて、人里離れ、電気も水道もない原野の富良野の麓郷の自然の原野が舞台になっている。

キタキツネが時には顔を出したり、自然真っ只中の厳しい冬と雪解けの草木が芽吹くのどかな春など豊かな四季に全編を通じて富良野の麓郷の世界を鮮やかに捕らえている。
電気も通わぬこの地に、風車を造り、手作りの風力発電に成功し、電気の明かりが灯される。
生活に欠かさない水は遥か離れた沢から、一々手桶で担ぎ運んだが、導水管を敷設し、手元には何時も水が流れ過酷な水運びの重労働から解放される。
何も無い所だけに、こんな気の遠くなるインフラ整備から、始まり、無から有に克服して行く。
ボロボロの廃屋を根城に文明から完全に隔離された世界で自給自足の世界を挑戦的に生きて行こうと、僅かな村の協力者と孤軍奮闘する黒板五郎。
未だ幼い純と蛍が五郎の背中を見ながら、多感な歳をこの原野で過ごしていく生き生きとした三人の物語である。


明日の農業や酪農に志を持ち、厳しい気候と広大な原野に入植し開拓したが、折しもバブル崩壊がこうした最前線までひたひたと押し寄せ、建物を残したまま消え去って行く。
手塩にかけ、家族と同じように可愛がっていた馬を手放すまでに追い詰められ、遂に自殺してしまうなど、こんな過疎の世界でも、家族と集落から次々に生れる事件が、この物語を膨らまし、さて何が起きるんだろうと引き込まれてしまう。


これから手作りのログハウスへの挑戦が始まる。小生が横浜のマンションで暮らした折、同じマンションの同居したIさんも、定年後、北の大地でログハウス暮らしを着々と準備を進めていた。
その後、お会いする機会も無くなってしまったが、今頃、果たして夢が叶えたのであろうか・・・。

ようこそ松崎家の世界へ

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