春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

百里基地航空祭

2020-02-04 13:40:00 | 祭り

列島は海に囲まれ、海空は垣根の見えない世界に、防衛・安全保障などますます大きく複雑化している。覇権をかけ領海すれすれに中国やロシアが飛来し敵情視察など、前触れもなく謎の飛行を行い再び母国に戻る。軍事力強化でミサイル開発し、前触れもなく,領海周辺に打ち出される飛翔体は最早留まる事無く、続けられる。
こうした謎の飛行物体に備え、監視網で捉え、ミサイルを備え、或いは戦闘機のスクランブル発進で接近し、領空を守っている。
国防の要の一つである戦闘機は全国の航空基地にあるが、首都圏を守る役割りを担う一つがこの百里基地である。
遥か彼方縁の遠い戦闘機の姿とその飛行姿を身近に見ることが出来る百里基地航空祭に行ってみた。と言っても百里基地って何処に在るのか?
縁の遠い、茨城県霞ヶ浦の北方に当たる内陸地帯の茨城県小美玉市にあった
◇遥か遠い基地
当日の入場者は約8~9万人と想像を絶する入場者である。関東各地からの専用バス、中には関西からもやってくる人気沸騰ぶりである。
立川からツアーバスを利用したが、付近に群れなす各社のバスが揃いも揃って、皆百里基地の看板に驚いてしまった。
首都圏から目白押し、中には関西からのツアーバスに、皆急げ百里詣であった。
広い基地であっても、器は限られ、当ツアーバスも抽選漏れで、基地内に入れず、基地からかなり離れた場所での駐車であった。我々のバスもかなり離れた工場の専用の駐車場で降ろされ基地まで延々と3,40分の長旅であった。
旗を掲げての旗行列はハイキングそのもの畑道を超え、遥か彼方まで続く県道に行けども、行けども基地の姿は見えず、苦難の基地巡りであった。

◇基地正門のゲートを潜って愈々、基地に足を踏み入れる。
広い道路の脇に柵もなく、雄飛園と言われる場所に現役を退いたかっての古参兵がその雄姿を並べ余生を送っている。
(F-86)
既に半世紀以上たち昔物語になってしまった朝鮮戦争時代に空中戦で活躍し800機のMiG-15を撃墜したF-86がそのまま光輝いている。
フアントムの名声を一気に高め、1960年代に超音速戦闘機が多くの国で配備されたが、後継の登場などから旧式化し、1980年代には概ね姿を消すが、その姿は現行と余り遜色を感じさせない位にスマートに仕上がっている。

(T-33)
初の複座ジェット練習機で 航空自衛隊では1954年(昭和29年)からF-86Fと共にアメリカから供与を受け、翌1955年(昭和30年)から、川崎航空機でライセンス生産され、本来目的の乗員育成他に広く用いられた。
老朽化した1980年代後半から順次退役が始まり、2000年に退役している。
多くのパイロットがこのT-33 の元からが育てられ、実機に赴いたお師匠さん役であった。
更に細い胴体に短い矩形の主翼を持つ小型軽量の機体に強力なエンジンを一基搭載し、アメリカ合衆国初のマッハ2級のジェット戦闘機。ロッキードF-104Jなど歴代の戦闘機が翼を休めていた。
◇駐機場へ臨む
入場ゲートで手荷物検査を受け,愈々、広大な駐機場へ目指す。
ガイドのポールに沿って続々と詰めかけ、遥か彼方まで駐機場へ目指す長蛇の列に思わず「凄い」と溜息も出る。
駐機場には駐機する戦闘機を囲むように柵が敷かれ、柵に沿って何重にも人の群れであった。
◇別れを告げるファントム
約半世紀にわたりF-4ファントムを運用してきたが、いよいよ幕引きを迎える前の披露であった。
「Go for it !! 301sq」「302sq F-4final Year2019」
飛行隊一丸となって最後まで無事に頑張りぬくぞと言うメッセージやF4機の最後の記念のフライトの2019年という言葉が301飛行隊や302飛行隊から躍っていた。

◇駐機場の精鋭
広い駐機場エリアには新旧時代の各種戦闘機が羽を広げ、休んでいた。アメリカ海軍をはじめ、多くの国の軍隊で採用されたF-4艦上戦闘機。偵察機のRF-4。愛称はイーグル(イヌワシ)のF15 などその隣には出番待ちのブルー インパルスが控え、そのそろい踏みした姿が壮観であった。
◇ブルーインパルス離陸前点検

飛行前の準備に専用車両とフライトを支援する関係者がそれぞれの機の周りに立ち、役割りを果たしている
ブルーインパルス1機に機首前方で整備指示する機付長と機背後の左右2名の整備員がワンチームとなっている。
パイロットと併せて、手、指で指令を送り、確認しながら離陸前の点検を行う、ハンドシグナルが、大事な情報伝達手段になっている。
機体の癖まで熟知し、パイロットの指摘に応じて完璧な調整を施し,機体を磨き上げるプロの技が決めてとなる。エンジンは元よりブレーキ、主翼・尾翼の可動翼を含めて、確かめる。
地上の走行、離陸、空中飛来、旋回や宙返りなど高速で演じる。特に機体を急変する宙返りなどの飛行はパイロットにも通常の数倍のGかかり、下半身に血液が集中するとブラックアウト(色調・視野欠け)や)失神など危険な状態に陥る。このためGを検知し、空気圧で締め付け、血液が下半身に集中すること防ぐ耐Gスーツを着用している。

このようにアクロバットのようなフライトには飛行機は元よりパイロットにも危険覚悟の状態にあることからパイロットと整備員の間で華麗な手さばきで交わされるハンドシグナルは、飛行機を安全かつ確実に飛行させるための意味が込められている。
◇編隊飛行ショウ

百里基地航空祭の最大の見どころ、飛行ショ-が万余のフアンが待ち構える駐機場上空で披露される。
その雄姿が、どのような形で上空に飛来するのか、思い巡らし熟思たる思いで待ち構えていた。
暫くすると、低い爆音の響きに、周りがざわめき、いよいよだなと、思いつつ、爆音の方向に視線を向けると飛行機雲を残して右手の方向から頭上へやってきた。
大きなループを描生きながら水平旋回しそれぞれの方向に分離し、再び収束する。
が頭上で急上昇する。おお、これが機体に相応のGがかかる瞬間であろうか?そんな飛行も複数機が見事に揃い美しい軌跡を残し、旋回していく。

生み出されたそれぞれのループが重なり会い、複数の輪の飛行機雲が大空に生まれ、美しい姿が描かれる。
丸で筆書きのような軌跡造り、それを鮮やかに乗りこなす操縦術とチームプレイに感服する。
こうして、当日の最大のショーが目の前で堪能することが出来た。

◇長く遠い帰り道
こうして予定通り空中ショーを堪能し、余韻冷め止まぬまま、会場は徐々に出口方向に動き出した。基地の外壁に当たる、百里基地のゲートに漸くたどり着く。ご覧のような人の群れが、誘導路を延々と続く。
行きはツアーバスの旗の元、誘導されたが帰りは、自己責任で頼りない記憶を頼りに、迷子にならず出発点であったバスの待機場まで、時間まで帰らなければならない。

変化の乏しい国道筋を黙々と歩き、早朝出発の寝不足もあって、疲れも、重く、のしかかってきた。
延々と続く、行列に突如、上空から爆音が響き渡り、いよいよ百里基地からのお別れを演出するようであった。
この様子はパノラマで更にダイナミックに表示しました。どうかこちらもご覧ください。

百里基地航空祭


50回自衛隊音楽まつり

2015-02-06 19:48:00 | 祭り
昨年11月の自衛隊音楽まつりであるが、伸び伸びになってしまった。
日本武道館で繰り広げられる格好よいMarching Festivaの世界に10数年ぶりで楽しむことが出来た。
演奏は陸海空の自衛隊3軍初め、米海兵隊、在日米陸軍、フィリピン海兵隊、オーストリア陸軍など国際色豊かな編成である。
前回は韓国が参加し、古式豊かな演舞が光ったが、国のトップが変わり、嫌われてしまう歪んだ国際関係からその姿が全く居ないのは象徴的であった。
オーストリアや初めての参加のフィリピンは権益拡大に火種を巻き起こしている某国に向き合い、領土維持と東南アジアの平和維持に腐心しているのは日本と同じと思える。両国の参加は手を携える友好関係からも自然な成り行きと思える。
音楽まつりは息つく暇無く、続く演奏に感動したが、中でも印象的なものはこんな所であった。
◇米海兵隊第3海兵機動隊展開部音楽隊のhappy乗せられる。



重厚な行進曲から、ドラムセクションからアップテンポのリズムに見事、変身し、広いステージを走り周り、唄い出す
Pharrell Williamsの聞き覚えのあるヒットソングHappy に乗せられてしまう。
黒人特有のしなやかな動きに、各partのperformance正にAmericanなのである

◇海上自衛隊東京音楽隊の艶やかな歌姫

帝国海軍の象徴として燃えるような旭日旗がはためき、勇猛な軍艦マーチの演奏も流れる。
そんな無骨なマーチから一転して、真っ白な制服に 袖に金モール、肩に徽章(きしょう)の清楚な歌姫、三宅由佳莉がNHKの大河ドラマで、「坂の上の雲」のテーマ曲Stand Alone を歌う。

放映から時間も経ち、険しい山の尾根の先にたなびく雲、消えかかった残像を思い出す。
荘重な演奏を背に、海上自衛隊が誇るソプラノ歌手の艶やかな伸びのある歌に取りつかれ 心に響く。
鍛え抜かれた歌唱力に、Stand Aloneが躍動し、体の中に溶け込み、なんとなくセンチメンタルに胸が熱くなってくる。

◇迫力の自衛太鼓
日頃の鍛練され、より優れた自慢の技を備える、全国から集結した13チームの自衛太鼓の演舞「陣」が行われる。
鍛え抜かれた筋肉マンの壮烈な太鼓打ちは館内に地鳴りのように響き、迫力満点であった。

◇真っ赤な絨毯のFinal Stage
儀仗兵に先導されがアメリカ、フイリピン、日本、オストラリアの国旗を掲げ、ゆっくりと行進し、指揮 台に徐々に近づき、厳粛な姿で幕引きを迎えようとしている。
『・・・もう君は一人じゃない この声が届くきますように」♪♪・・・♪復興支援で生まれたRESTART
巨大な演奏集団を背景に全出演部隊と会場全員が心一つに大合唱した。
ステージ前のボーカルに混じって歌姫の自衛官が手を広げ、豊かな表情がとても印象的であった。
演奏会の雰囲気を絵と文字で何処まで、伝えることが出来るか
ようこそ松崎家の世界
で整理してみた。(朱記部分クリック) 


横浜開港まつり

2013-07-02 14:48:00 | 祭り

周囲を海に囲まれる島国だけに領海を巡る、紛争の火種を抱えている。
こと南方沖では威嚇とも思える船舶や航空機による巡航がひつように繰り返されている。
話し合いの糸口を掴めないまま、お互いに憎悪ばかりがエスカレートしていくようである
そんな背景の中、第一線では海上輸送路(シーレーン)への脅威となり得る国籍不明艦船や潜水艦に対する哨戒を行なっている。
そんな折、横浜の開港祭りに自衛隊護衛艦「やまぎり」が公開されていた。


目の前の「はまにゃん」のマスコットキャラクターに迎えられる。
案内看板を持つ、女性自衛官も思い切りのりの効いた制服がとても清楚で、この制服姿に
あこがれる。
海洋国の最前線で体を張って国を守る。厳しい軍律の世界に鍛えぬ枯れた肉体と無骨、無粋の海上自衛官の姿が思い浮かばれるが、そんなイメージが思い切り払拭される。
見学者に対する歓迎ムードは国民の理解を得るための、大切な場所であり、PRの場所である。
入官のお誘いに、若い男女に絞って、特別に艦内の案内を実施し、心を揺るがし、あわよくば入官に繋げたいようであった。じじい、ばばには志を持っても最早お呼びでない世界であった。


艦全体が近代技術を駆使して装備されており、機密保持から、見える範囲も艦端から限定されていた。
しかし、速射砲だけは遠隔操作により、砲台の高速回転、砲筒の上げ下げが自在に行われていた。
はられたテープにこれ以上近づかないようにの注意喚起に速射砲がまるで、踊り子のようにくるくる廻るすがたは度肝を抜いた。
弾薬を回転給弾機から自動装塡し、毎分約80発の弾薬を連続発射可能し、対空、水上、陸上支援射程16㎞と性能掲示されてあった。
折しも、大河ドラマ「八重の桜」会津城での野砲戦は会津、薩長彼我の差はないだろうが一つの砲に10数人以上の砲手が、汗まみれで1発、1発を操作している。
一方、同砲では遠隔から忽ち80発を連射してしまうのである。
艦装備が徹底した省力化から、多機能化された装備品が満載される「やまぎり」であった。


風に吹かれ、旭日旗、燃える様な旭にナショナリズムがかきたてられる。
特に軍国主義を礼賛するわけではないが、先人は素晴らしいものを残して行った。


「お十夜」に酔う

2012-10-29 15:03:00 | 祭り

「わ~秋だ~」
暑さも越えて一気に、寒くなった
あの、じりじりした直射日光は未だ余韻を残すが、日陰は一段と涼しく
汗もかかず、外歩きが大変気持ちがよい。
多摩平の公園を抜けて真っ直ぐ 西方向へ向かう。
日野市から八王子市域へ1時間半かかって都立小宮公園に出る。
その一画の大善寺に行く。 道は昔のまま、1.5車線の狭い道でのどかな里の雰囲気を残す場所である。
大善寺は約440年前に、八王子城主、北条氏の菩提寺として生れた。
八王子城は豊臣側に1日で落とされ、3~4000人共言われる人が亡くなった。
その供養に毎年、「お十夜」が行われ、関東三大十夜と言われていたが、寺が横山町から現在地の大谷町に移って以来、途絶えてしまった。その「お十夜」が復活、50年振りで仁王様がお目見えした。
筋骨隆々の肉体に威嚇する仁王様が見据える姿は迫力がある。
普通は山門にあり、網に覆われ、外気に晒され風化し、色も落ち、つやも失っている。
此れ程の姿を目の前に見るだけでも、感動を呼び、大変価値があった。
その仁王様の前で色々の催しが開かれた。


行事の合間に揃い真っ白いハッピ姿の衆が「お十夜太鼓」が力強く打ち鳴らされる。
「ドンドン、ドンドン、ドンドン、ドン」リズムに乗った太鼓の音がお堂は元より、境内から、静かな寺周辺迄響きわたる。
太鼓の音に、自然と高揚感に浸され気分は「此れがお十夜」なのだろうか


市内から送迎バスのピストン輸送や徒歩で詰めかける、老若男女でお堂の前は一杯になる。
前面には仁王、脇にはお地蔵様が見下ろす中で怒派手な衣装とサングラス姿の嘉門達夫のライブが行われた。
洒落の連続技に大人も子供も、一体になって賑やかであった。

祭りが秋を運んできた

2010-09-18 16:31:00 | 祭り

日中は40℃の世界に、夜間も熱気はそのまま残り、寝不足、亜熱帯を思わす毎日に流石うんざり、忘れかけたこの自然の冷気にようやっと生きた心地が蘇った。
メチャメチャに暑く、長い~長い夏にあえぎ、苦しんだが、神社の境内に飾られた提灯とお神楽の太鼓の音と共に始まったお祭りに、駆け足のように秋がやってきた。
都会化した世界に、余り人の集まりも少なくなったが、唯一祭りだけには子供達も、親達もそれぞれ連れ添って、やってくる。
この祭りにカリン姫・アカリ姫もやって来て、一緒に神社に行った。離れた二人もこの日だけは手を引き合い、祭りに向かう。普段余り歩かないアカリ姫もお姉ちゃんに手を引かれ、しっかり祭りへ向かう。

リズミカルなお囃しに合わせて演台の上では大人とちいさい子の踊り手が見事な合いの手で踊っている。皆、遠巻きに見ているが、その踊りに取りつかれ、小さな女の子一人だけ、かぶりついている。ほのぼのと微笑ましく、如何にもお祭りらしいシーンである。

この日の為に屋台が、集まり、祭りの気分を更に盛り立てる。いか焼き・たこ焼き香ばしい匂いが立ち込める。そんな屋台に水に浮かぶ、色鮮やかな沢山の種類の水風船を前に釣り上げの挑戦に真剣に取り込んでいる。
楽しめたお祭り日、だったようで、我が家を出た時は薄暗かったが、帰りは既に真っ暗、確実に秋はやってきた。長かった夏の分、爽やか秋は短いのであろうか・・・。

ようこそ松崎家の世界へ

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