春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

呑み助の集まり

2007-11-30 11:27:00 | 仲間との絆

会社OBの近隣者、謂わば"町内会"が集まって元気さを確かめあった。
写真のサングラス姿はその筋の方の集会に見えるが、加工写真で、ごく真面目なおじさん達である。
さてこうした集まりに、現金収入がなくなり、淋しい懐具合に安く賄え、静かな場所があればと思っていたが、厳しい社況を反映してか、気軽に利用できたクラブが無くなってしまった。
仕事をやり終えて、肩の荷を降ろし、返りに一杯と言う慣習はなくなってしまい、そそくさと家路に付いてしまうのであろうか、ともかく飲んべえのたまり場が無くなってしまったのは淋しい限りである。
そんな様変わりした周辺で、同業の電機メーカS社が近くにあり、とうに閉鎖してしまった当社の施設を尻目にクラブとして今なお、営々と継続しており、地域社会との繋がりで、社員以外の我々でも、利用できるのである。
工場の敷地から離れ、閑静な住宅地の一角にあり、気兼ねなく出入り出来、元より街の飲み屋より、安く利用できるのである。
「へえ~こんな所に、立派なクラブが・・・」「当たり前よ~何せ、これが一流企業さ」
このクラブの存在は知っていたが、現役時代は多少の競い合いに、とても此処に来るとも思えなかったが、今や何の抵抗感なく利用できるのも、時代の変化なのであろうか、つくづくと考えさせられてしまう。
年不相応に皆、良く食べ、飲めるのは元気の証。
逸品の焼酎をと勧められ、飲み口のよさについついストレートで飲んだら、久方ぶりに飲むアルコール量に体が見事に反応し、酔っぱらってしまった。
酒量も落ちた、これも年のせいかと思われるが、楽しい一時であった。

時代を走った「ラジオ塔」

2007-11-24 15:54:00 | 歴史に向き合う

横浜野毛山で鬱蒼とした樹木に囲まれ、ぽつんと忘れさられたような存在に、ラジオ塔の表記があった。何故こんな所にラジオ塔か、この得たいの知れない塔に興味をそそられた。
近くの看板には以下の表記があった。
このラジオ塔はラジオの聴取契約者が百万人を越えた記念に日本放送協会が昭和7年全国の著名な公園や広場に建てる計画が進められ、昭和8年度中に41ヶ所が完成しその中に野毛山公園も選ばれ建塔されたもの
正式名「公衆用聴取施設」 全高3メートル
・・・とあった。
ラジオ、TV、パソコン,有り余る情報過多の時代に、見たくもないCM、ネットでは迷惑メールや成り済ましメールなど、いかがわしい情報の氾濫は犯罪の渦にさえもなっている現代に、このラジオ塔はまさに、眩しく目に映った。
このラジオ塔は昭和7年、当時最新鋭のメディアで、屋外から市民のための情報や国民統制のための報道を流していたと言われている。
今では誰でも持てるラジオも当時は高価な宝物。此処に据え置かれた文明の最先端を走るラジオを前に市民が集まり、流される放送に一生懸命に耳を傾け、流される情報をいち早く捉えたのであろう。
この塔に市民が集まり、耳を傾ける姿に、なんとも時代を感じてしまうのである。
ラジオ塔でラジオ体操や日米開戦ニュースなどを、戦時中の庶民の生活の跡を雄弁に伝える語り部として、貴重な歴史遺産である。
こんな所に隠れるように置かれた、得たいの知れない塔に、スローなテンポの時代が何故か安らぎさえ覚える。
全国に41ヶ所あったようであるが、宝物と出会った気分であった。

こよなく愛した「フィルムカメラ」

2007-11-17 20:43:00 | 歴史に向き合う

本体の所々に錆びと、浮き上がる緑青。触ればパラパラはがれるカメラケース。
かっては輝いていたOlinpas COPAL-Xも見る影もなくなり、押し入れの済に置いといていたら山の神の目に止まりこんな物はただの鉄の塊と、ゴミ出しに促された。
元より、デジカメの世代に既にデジカメ2代目が活躍している昨今、再びOlinpas COPAL-Xが再登場するきっかけは殆どない。
しかし「ああいいよ」と簡単に廃棄物の運命にしたくないのである。
我が1/4の半世紀余りを、分身として生きた証をこのカメラが貴重な記録を残してくれた。
小型軽量、バカチョン式は取り損ねが少ないカメラとして一世を風靡し、己のような怒素人でも、専門家しか扱えないカメラの世界から、身近なものに近づけてくれた。
その歴史は独身時代から持ち続け、出張から観光旅行まで、色々な出会いをこのカメラで納めた。
長いカメラとの付き合いに色々歴史の思い出を作ったが、半年の韓国赴任中、日中マイナス20度近い極寒の世界で機械のメカが凍りつき、シャッターが押せなかったことなど、未だに記憶が残される。
高機能、高性能のカメラが出回る世界に、良く壊れ、動かなくなることが多くなったが、高額な修理代にカメラも使い捨ての時代になったが、このバカチョンは丈夫で長持ちで殆ど壊れなかった名器であったと思える。
そんな付き合いから、離しがたい存在になってしまったのである。
触ればほこりやさびが手につくようなカメラを取り出し、フイルムレバーをまわし、シャッターを押すと、しっかり瞬き、「バシャ」と言う乾いた音が鳴り響き、「未だ生息しているよ」と存在感を示していた。

目の前で火柱

2007-11-14 12:29:00 | 事件だ~!!

日も傾く16時過ぎ、早く家路につこうと、急ぎ横浜 元町商店街を通って居る時であった。
離れたところからであるが、赤い火柱が立ちのぼっていく姿がはっきり見えた。
季節柄、ちょっと早いが、歳末商戦かクリスマスの時期に合わせた、店のショウーアップにこの火柱が人目につき、客寄せに一役かっているのでは思えるぐらいの見事な燃えっぷりであった。
近づいて見ると、店の外壁を覆う樹木をあしらった装飾品の部分から1m弱の火柱が殆ど煙を出さずに燃えている。ただ燃えるに任せ、じっと見守る店員、店内に狼狽する店員の姿に初めて「こりゃあ火事だ~」と言う事が初めて判る。
燃え始めて時間がかかっているのか、ヘルメット姿のおっさんが消火器を担ぎ、駆けつけてきた。その火炎部分に消化剤を放射するとたちまち火炎が消え、手慣れた消化作業は鮮やかなものであった。
消化剤をまいた後の煙は店の周辺始め、店内に及び、付近の通路にも強烈な刺激臭を伴ってひろがった。
この間僅か1~2分の出来事で、消防署の出動も無く、未然に防げたのは不幸中の幸いであったのでなかろうか。
出火部分は人の手の届かない部分だけに電気系統のショートからの炎上とも思えるが、火災の火種は何処にもあると思い知らされた。

消火後もなお煙が立ち込める店内であった。
炎上した部分の外壁が真っ黒く煤けた後が残されている。
店員の脇には主役となった消火器が置かれている。
突然の出来事に遭遇し、驚いた。

場所を変えて富士山臨む

2007-11-12 11:50:00 | 多摩の四季
◇多摩丘陵から浅川越え富士山
周辺は紅葉時期を迎えるのに週末は生憎の天候で散々であった。その荒れた天気を象徴するように、激しい降雨と地響きする様な雷が夜、駆け抜けた。
今朝は一転して快晴、抜ける様な青空は気持ちよかった。
近くの多摩丘陵を登って降りて来ると樹木で隠れていた富士山がばっちり見えてきた。
高い所より、下界の浅川河原の方が視界が開け、富士山始め、周辺の山々が同時に見え、目の前でパノラマが開ける。

雨で塵が消え、これまでぼんやりしていた山々がこれから冬を迎えると共に、くっきりと見えてくる。
富士山もすっかり冠雪してしまい、その姿が眩しく目に映る。
丁度、視界を遮り、邪魔をしているのが大室山であるが、その高さは1588mもあった。
その左に連なるのが丹沢連山である。
何れも神奈川県の丹沢大山国定公園の雄峰が、富士山の前で立ちはだかったいる。
銀嶺に光る富士山共あわせ、紅葉が着実に冬の訪れを告げているようである。
暑い季節より、寒い方が良く、どちらかと言えば寒冷地仕様の作りで、少々の寒さも皮下脂肪で、何とかなるが、今朝は流石に
「おお~寒う {{{{(+_+)}}}}寒ううぅ~」で、空気がひんやりしていた。

◇東光寺の高台から見る富士山
不況の世相を反映してか余計に寒さが身にしみいる。
今日も凍てつくような寒さの朝を迎えるが、修行僧のように薄くらい内に外界に出る。
今朝もマイナス3~4℃と外気が全身を包み、冷蔵庫に飛び込むような世界である。
北側に位置し、直ぐ近くのの多摩平の山を抜け団地に行くが、その山も霜柱が立ち、土が浮き上がりフカフカでまるで新雪の上を歩くようである。
その成長した霜柱の姿に寒さも余計に加わり、身を縮めながら急ぎ足で東光寺の高台にむかう。
日野の開けた場所から富士山を見ると何時も大室山が前方を遮るが、北側に位置する東光寺の高台から見る富士山は大室山を避けて裾野まで見える。

一方では八王子の工業団地にエレベータの試験塔の無粋な姿が富士山の脇に立ちいずれにしても、画材の枠内で邪魔をしている。
今頃の時期は視界の中にガスも消え、日の出の間もない朝日を浴び、真っ白な富士の姿を間近に見ることができる。朝も早く殆ど人気のない世界に、時折駆けつける朝散姿の人がこの高台で、富士の姿を前に手を合わせる人も時には見かけられる。
そのすがすがしい姿に、神に通じる、信仰心なのであろうか・・・。
一年を通じて今が一番綺麗に輝く富士山であった。


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