酒で梯子はしたことがあるが、此れまでの悪事の祟りからか、
よもやの病院送りに、高尾の山中から市内の病院へ入院の
梯子になってしまった。
目から胃腸糸の内科へ、余りにも文化の違いに、戸惑いなが
らの苦悶の生活であった。手術前後から、点滴の世界、長期
に亙る時の経過から、射し込まれた針の部分は固くなり、膨
らみ、丸で腐り掛かった肉隗のようであった。
◇雑居房で軟禁
廻りは終末期を迎える患者が取り巻き、殆どがベットに張り
付いたまま、憩いの場であるミーテイングルームは何時も、
閑散としている。
三度の食事もベット迄配膳してくれるが、せめて食事だけ
はベットを離れ拘りを持って、ミーテイングルームに運ん
で貰う。所が誰も居ないため粥と大根やにんじんの減塩化
された一汁一菜の貧相な食事に、只、只、生命維持の為に
流し込むだけである。
日の落ちる早い、現在、18時の夕飯は真っ暗ながら、直下
のテニスコートはライトアップされ、落葉の姿に、秋真っ盛
りの風情に目を奪われる。
◇悶絶の渦の中
21:00消灯と全く生活実感から離れた強制執行は苦悶の世界
の始まりである。
呻き声や、夜間の鳴りやまぬ独り言など痴呆性の現れで
あろうか、丸で野戦病院の有り様である。
「お前さんもそろそろ仲間入りだよ」と地獄の世界へ足
を引っ張られるようである。
最初に案内された4人部屋の雑居房は、窓際から離れた奥
の部分に、ベットが当てがわれ、20㎝幅の窓が唯一の外部
との接点で丸で暗室の世界であった。
しかし、隣席が、夜間を含め延々と続く妄想の語りに、堪
り兼ね、部屋変えを申し入れたら、あっさりと受け入れら
れた。部屋の移動があり、何と窓際と言う、願ってもない
ロケーションで、閉塞感から多少解放された。
◇目の前で救急搬送
「ピーポー、ピーポー」何処からか、小さな音が徐々に大
きくなり、ピタリと鳴り止み、救急音が静まり返った部屋
に嫌でも耳に入る。
市民を救う重い役割から、24時間、時を選ばず、救急車両
がやってくる。
週末を前に当房も、二人が出所され、空きのベットが生ま
れ、多少の解放感が生まれたが、救急患者でたちまち埋ま
ってしまう。
その救急患者の一人が搬送される間、担当医の生生しい話
が嫌でもカーテン越しに入り、只事ならぬ状況が伝わって
くる。
肺に穴が開き、萎んでしまい、呼吸困難になり、強制的に
酸素を送り、膨らませ復元させるようである。
ああ~悶絶の世界、娑婆の空気が、愛おしく、感じられる
日々であった。
5階6階が病室、廊下を挟んで南北に部屋が並で居るぶ。
vipな1、2人部屋もあるが大半が4人部屋で大凡200人近くの
患者が収容され何時も満室の状態である。
壁面に沿って、中央が突き出ているが、そのコーナー部分
の5Fの一室が収容され、悶絶していた雑居房であった。