春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

今年も桃の花が咲きました

2007-03-31 05:55:00 | ライフワーク
◇突然の凶事
春を告げる燐家の自慢の桃の花である。写真は去年撮ったもので、未だ咲いていない。

その時期を迎えると、白か、やや淡いピンク色に見事に咲き広がる。花音痴の輩もその華やいだ姿をカメラに納めようとしているとき「楽しみにしているの・・・綺麗でしょう」なんて庭先から声かけられ、一緒に花を囲み、自慢の花の美しさの前に見とれていた。
先日、当春夏秋冬で「静かな住宅地の出来事に」を書いたが、外出して、家に帰ると車が止まっており、留守のはずなのに、退院には早いし、何故かなあと、不吉な予感が過ったが、ご不幸な知らせであった。
その花の持ち主がとうとう帰らぬ人になってしまった。
3年前の盛夏にご主人が亡くなられ、後を追う様に早い旅立ちであった。
オーデイオを始め、ギター、ピアノを奏でる多趣味のご主人であり、その秀逸な演奏振りは、道を隔てて自然と耳に入り、鮮やかな引きっ振りに関心していた。
奥様も負けず劣らず、ギター、花他、旅行など多趣味で幅広い交遊関係は温かい人柄からと思えてくる。
最愛の連れ合いに先立たれ、やはり心の支え、柱を失う、目に見えない物が、後を追う形で早めてしまったのであろうか、突然のことであった。
その懐の深さ、温かさに惹かれ、隣接以上の気持ちの触れ合いに、先日の雪降りには雪かきなど、手に負えない力仕事はお手伝いした。
これから徐々に温かくなり、もう寸でのところに春が来ているのに、一斉に咲き誇る花、取り分け桃の花を見られずさぞ心残りだったのではなかったろうか。
今年も目一杯、輝き可憐な姿を見届け「綺麗に咲いてますよ~」と声をかけたい。
お冥福を祈ります。

◇旅たちに残された記録に涙
亡くなってから故人が残された文書が見つかり、その中身の紹介に思わず涙を誘った。
お主人に先立たれ、気落ちされてる心情の中で、近所との絆を大切にされた御遺志がたっぷりと読み取れた。


取りまく近隣の家族それぞれ個別の助け合い触れ合いの姿を丁寧に書かれていた。
因みに輩のことは背の高い植え込みの梅の木を手が届かないので、毎年その時期になると、枝落としのお手伝いしていた。
まあ、職人さんに頼む程も無い簡単なことでもあったので、何時でも声をかけてくださいと伝えていた。
そんな子細なことまでが、感謝されたメッセージの一つとして紹介されるに及んで、気恥ずかしさと、その声に思わず胸が熱くなってしまった。
今から考えると、もう少し腰を入れた、お手伝いが出来なかったかとも思ったが、既にかなわぬ事になってしまった。
此れまで、身内やら、親戚やら、会社関係で年相応に色々な法事に出席したがこうして、故人から生のメッセージを頂くのは始めての事であり、真に迫るお別れであった。
寝込むこともなく、元気なお姿であっただけに、一つ一つを書き留め、記録に残す勇気、随分辛かったんだろうなあと、思わざるを得ない。


◇春を告げる燐家の自慢の桃の花。
真っ白とピンクが見事に咲き開いている。
その純白さと淡いピンクは庭先から道路にチョコンと顔を出しているが、その勢いは例年より若干遠慮しているかなと思うけど、その可憐な姿は優しく癒してくれる
「今年も見事に咲きましたね」と庭先に居る奥さんに声をかけ、一緒に咲き誇る花を前に語り合い、花を通じてお隣同志の挨拶から、心通う物が生れていたが、その主も居なくなってしまい、残された花だけが唯一季節の挨拶を告げている。


丁度今頃、突然の不慮に別れを惜しみつつ、お別れをしたが、つい昨日のように思えるが早いもので、もう1年も経ってしまった。
今年は暖冬に継いで、3月に入って冬に逆戻りするなど、春を告げるこの桃も桜も開花時期、全く予測も付かない目まぐるしい天候であったが、ようやく花開く時期を迎えた。
主の居ないまま、余り、手入れが行き届かなくても、主の心遣いが、花に行き渡り今年も目一杯咲いている。
ギター、花他、旅行など多趣味で幅広い交遊関係は温かい人柄と思えてくるが、慕われる交遊関係は多数に及んでいる。
お亡くなる寸前まで殆ど寝込むこともなく、衰えもなく、元気に趣味に打ち込まれる姿であった
近隣住民の一人として、お別れの儀式にお招き頂き、お焼香してきた。
白、赤、紫と沢山の花に包まれた見事な祭壇に御霊棺は飾られ、優しい微笑みの笑顔の写真がとても印象的であった。
厳粛な中での葬儀も終わり、祭場からの出棺に喪主からのお挨拶があった。

故人が入院される前にどうやら、天へのお迎えを予想していたのか、お礼を含めたお別れの挨拶だけに、突然のご不幸は驚くばかりであったが、今でも、微笑む笑顔が庭先から見える感じがする。
あまりの突然の事だったので、お別れの挨拶を告げられなかったのか、主の居ない燐家へタクシーで乗り付け、その消息を尋ねる方も、未だにおられるようである。
優しい人柄からに、何時までも万人に慕われている。
加齢により、その世代にダンダンと近づいてきても、世に憚る悪行に明け暮れ、「とうとうあのじじいも悪運付き、くたばったか」と言われるのが関の山と観念している。
俗に言うPPP(ピンピン ポックリ)なんてえのが、人に迷惑掛けず、理想だが・・・。
この華やか開花時期は卒業、入学のめでたい節目を飾るに相応しい季節でもあるが、一方では会社時代の現役上司、そして実兄も、散る花びらに見送られて散って行った。
主の居なくなった今年も、手塩にかけた草花が未だしっかりと根付き、花咲く姿を高い所から、微笑みながらしっかりと見ている気がする。


交通取締二題

2007-03-29 06:20:00 | こんなことに腹立つ

何も咎められることはないのに、車中からこの制服を見ただけで、被疑者の意識に思わず身を固めてしまう。(但し、写真は参考)
<その一>
袋小路の拙宅の住処にY字路の一方通行はどうしても、この坂道を通らなければ上へ出られない。
Yの字の一片から、この坂道に入る時は、見通しが効かず、大きなミラーで下から登る車両は見えるようになっているが、上下車両でガチンコし易い場所である。
何時ものようにこの坂を降りて、合流点のところで身を隠していた制服が、やおら弊車を呼び止める。
何でだろうと窓を開けると、「旦那さん、もう少し、きっちり止めましょう」とほざいているようであったが、まあその時は素直に聞いて、降りていった。
しかし、後から考えると何であんな所で、隠れる様に網を張り、人を欺く様に取締を行っているのか、何とも言い難く、腹もたった。
そんな暇があるなら、直ぐ上の通りの四つ角の危険極まりない不法駐車の取締でもと思ったが、組織の中で上位下達の世界に、ひたすら忠節な鏡のような愚直な、お上の姿をみるようであった。
<その二>
そんなことが頭の霞に消えない間もない日のことであった。
国道幹線となった本通りで、多数の車両が目の前を走っている。
手押し信号の付いた、横断歩道で、押しボタンを押して、信号待していたが、車優先で中々信号が変わらなかった。
そこにカバンを付け、バイクを手押しする警官が同じように横断するようで待機していた。
信号が変わり掛けようと車両側の信号が黄色の状態で、未だ多数の車両が通過している最中に、何故かこの手押しのバイク警官が横断歩道を渡り、激しい車列に入って行った。
たちまち、急ブレーキがかかり、警告のクラクションが鳴らされ、折り重なるように後続車が塞き止められ、危うく車両が接触し、多重衝突しそうになったが、水際で事故は免れた。
多くの目の前で明らかな違反行為に斜めに止まった車両の近くで警官はひたすら、米つきバッタの如く謝るばかりであった。
窓を開け、怒鳴られている様子でもあったが、渋滞の渦になりかかったところで、怒り心頭の車両もそのまま、目的の方向へ走り去って行った。
一方の警官は渡り切った歩道で、天空を仰ぎ、放心状態。何故そのようになったかを、反省するように、ヘルメットの上から自らの拳で一生懸命叩いていたが、目の前のみっともない惨めな姿を一部始終みてしまった。
如何にもお上の看板を背負って居丈高に振る舞う一方では衆知の前で侵さざるべき、行動に走ってしまったのも、同じ制服組なのであった。
気高い誇りや看板を背に、この巡り合わせは偶然であった事と願いたい。

日野バイパスの完成

2007-03-22 21:30:00 | 世の中変わる
◇散策コースが無惨にも開発の爪が

何時も歩く、自然豊かに土の匂いがする散策コースが無惨にも開発の鍬が入ってしまった。
市内を貫通する基幹道路である、甲州街道(R20)は激しい交通量に限界に来ており、バイパス路の敷設は渋滞緩和の決めてとなる。
こうしたニーズから日野バイパスの計画が具体化し、渋滞解消とも併せ、中央高速国立ICへの直接接続により、中央高速の乗り入れが楽になり、市内での交通路も大きく塗り変えられる。
確かにこれで足周りは便利になり、市内の基幹道路としてスムースな車の流れは大いに期待されよう。
しかし、こうした輝かしい成果ばかりに光をあてられるが、一方ではバイパスの完成の蔭に、殺到する車ラッシュから騒音、排気ガスなどでバイパス周辺の環境汚染は目に見えて明らかである。
川辺堀之内は市内でも自然に囲まれ、静かな環境の一つであるが一気に都市開発の波をもろに巻き込まれてしまうのである。鬱蒼とした自然の中、マムシ注意の看板など人寄せぬ環境、竹林、豊かな耕作地など完成する前にその姿を追ってみた。
日野バイパスの姿

◇バイパス開通
日野バイパスがご覧の通り開通した。
耕作地であった田園地帯の風景も押し寄せる都市化の波に姿が少しずつ変わって行く。


バイパス路として国道に格上げされた既存の道路も、歩道の植え込みが削り落され、車道の拡張がなされ、信号の分岐点では右折占用のレーンが設けられるなど、インフラが整備された。
豊富な自然の街なみの中の住宅地や耕作地は此処に来て大きく手が加えられ、都市化の波がたひたと押し寄せてくる様である。
開通式がこの坂の部分で行われたようであるが、当日は物珍しさもあってか、大量の見物車両の誘引や国立に結ぶ一部の道路規制もあってたちまち大渋滞を起こし、長蛇の車列に、果たして混雑解消に役立つバイパスなのかと思った。
しかし、翌日は上下線共、ご覧の通り、綺麗に流れ、新しい道での快適な走行を果たしているようである。
今回のバイパス路の一番の目玉は此処、神明の坂の部分で緩いカーブと緩斜面に当たり、上り車線からは交叉する川崎街道が手に取る様な位置となり、周辺の風景を含め俯瞰する形で気分良くドライビングする事が出来る。


◇日野バイパスオープニングセレモニー
警視庁の騎馬隊まで動員しての「日野バイパス」開通間近のオープニングセレモニーが行われた。
日野バイパスの堀之内の急斜面から降りて、川崎街道との接続点にある中央分離帯は広い幅を持ち、廻りはコンクリートで鋪装されているが、此処だけは土になっており、臨時の専用馬場になってしまった。
白始め褐色の複数の馬が、窮屈な専用車両から開放され、馬場に出たが、主におとなしく従順に従う所は流石訓練された馬であると共に、馬体が引き締まり、躍動的な姿は芸術品を見る様で選りすぐれたエリートなのか何処の馬も美しい。

道路の完成と言っても子供達に余り縁のないものだけに、腐心の末にお馬さんが、人寄せパンダ役を引き受け、子供達を載せた感動体験を行っていた。

◇バイパス完成で、混雑緩和
バイパスの完成で、国立市、立川市、日野市、八王子市の4市をまたがる市街地の混雑緩和と沿道の環境維持を担う役割で車の流れはダイナミックに変わろうとしている。
「国道20号線、日野橋付近を先頭に何十キロの渋帰」などとTV,ラジオなどメデアで報じられる交通情報も毎度お馴染みと思われるほど、往復2車線では既に麻痺している。
このバイパスの完成により、従来の国道は都道となり、新たなバイパスは国道に位置づけられ車の流れは当然バイパス側にシフトしてくる。
車の流れはスムースになるものの、混雑緩和に喜ぶ周辺地域がある一方では、新たな道路開発で周辺環境が車世界に巻き込まれ地域など、バイパスの及ぼす影響は広範囲にわたってくる。
今日も買い物に車で何時ものコースにバイパスに直結する道路は歩道の植え込みは落され、車道はその分拡げられた。
その道に直結する道も、占用レーンが何時の間にか敷かれ、何時もの走行と異なることに気がついた。

日野バイパス完成の姿で整理し、アップしてみた。


◇周辺の環境も大きく変わる
このバイパスに沿って、走る住宅地の両側1.5車線の生活道路はこのバイパスの完成までの抜け道として慢性的な渋滞を起こし、目一杯寄せる車両に歩行も大変危険な道路になってしまった。
しかし、バイパスの完成により、車列の進入は嘘のように少なくなくなり、元の住宅地との静寂な世界に立ち戻ったようで、歩行者でも安心して歩けるようになった。
とんだ車ラッシュに巻き込まれた道沿いに住む人達が、やっと取り戻せた環境に一番安堵されたのではなかろうか
只、この道づくりもこれで終わった訳ではない、坂を降りた中央分離帯部分が写真で見えるように広い空間を残している。
ここの分離帯でトンネルで分岐され、未だ未完成の浅川北岸の往復2車線路と接続される。
生活空間として利用している以上どうしても、この道に出ざるを得ないが、車列の増加と共に明らかに車のスピードが早くなった。
気ぜわしく追われるようであるが、今まで以上に安全走行の為の気配りが必要になってきた。

梅見酒

2007-03-16 21:14:00 | 仲間との絆

早足で春を迎えると思ったら、急ブレーキがかかって、日本海では大雪、カレンダーが逆戻りして、ここの所、寒さがぶり返してきた。それでも平均気温と言うが、今までの温かさに体が順応し、寒さが身にしみた。
何時もの仲間から、Fさんが組織の呪縛を解かれ、我々と同じ、人生の第2コーナーを迎える。お祝いを兼ねこの機会に今や真っ盛りの梅の木の下で酒盛りをしようということであった。
しかし、その日に限って前夜から皮肉にも冷たい雨が降る、生憎の天気の朝を迎えた。但し、多少の雨も飲み助には一端決めた宴には揺るぎなく、そのまま決行し、高尾駅に集結した。
家に出る頃は激しい雨も上がり、徐々に日も差すなか甲州街道筋を西下し、川原宿へ向かう。街道の様子が一変し、自然に包まれるなか、昔の街道筋を思い起こされる様な風情に包まれる。
小仏の関所を通り、その関所跡に甲州路に行き交う旅人の気分に完全に置き換わる。山道を歩き駅から1時間弱、山を見上げると中央道と圏央道の接点となる無粋なICの姿が見えてくる。その付近の梅林の公園に辿り着く。
既に幾つかの集団が車座になって、宴もたけなわで宴会が始まっている。
我々も日溜まりの一角に宴席を作り、日本酒で酒盛りが始まる。
組織から外れ、新たな世界へ、どう軟着陸していくか?晴耕雨読の世界に野菜作りと収穫の喜び、大きく変わりつつある環境にどう生きていくか、話しが弾むと共にアルコールのピッチが上がり、5人の酒豪でたちまち1800mlの日本酒はは一気に空けてしまう。
宴もたけなわであったが、宴席を惜しみつつ撤収、フラフラと心地良い酔いに浮かれながら、帰路についた。
未だ五体満足で飲めることに感謝しつつ、自然の中での晴れやか舞台に包まれ幸せな1日であった。

吊るし雛の思いで

2007-03-11 10:04:00 | 恒例行事

追われるようなカレンダーの日めくりにお雛さまが終わってしまった。
「もう終わったお雛さまを取り上げる様では身内でお嫁がゆけなくなるよ」
なんて思いながら、その華やいだ飾りに未だ取りつかれている。
季節に相応しい吊るし雛が、殺風景な本陣の一角に飾られた。
吊るし雛と言えば伊豆稲取が有名で、河津桜が丁度今頃の2月上旬から3月上旬まで約1ヶ月が咲き見頃で、その折に吊るし雛も一緒に見る事が出来た。
吊るし雛は紅白の輪に49個の細工品や鞠(まり)があり、その49の数は一説に年の数と言われている。
人生僅かに50年と言われた時代に、女性は遠慮から1歩引いて49歳として、49に繋がっているようである。
河津桜と言えば孫娘が誕生間もない頃、一緒に連れ出し、冬からいち早く華やいだ春の訪れをいち早く甘受しようと河津桜に見に行った。
川沿いの一角に満開の河津桜の風情に各地から訪れた観光客で一杯であった。
その川沿いのお店に吊るし雛が飾られ、河津桜に色を添えた。
ところが、肝心の我が家のお姫様(孫娘)は長時間に閉塞された慣れぬ、車旅に、居心地が悪かったのか或いは体調が悪かったのか、鬱積された不満を一気に爆発し、泣き止まなかった。
どうあやしても、取りつく暇も無く、わざわざ車を止めて、外の空気に触れて、気分転換を図ったが一気に吹き出した嵐は止む事もなかった。
「泣く子も地頭には勝てぬ」なんて諺は当てはまらない位のエネルギ^ーでもあった。
苦い珍事が昨日のようにこの飾り雛で思い出される。
気性の激しさ、誰に似ているんであろう、とも思ったが、今では窮屈な所でも、しっかりと楽しむ術を色々作ってしまっているようである。
そんな我が家のお雛さま(孫娘)も、今は亡き親父が買った雛飾りを飾り、娘から孫娘へ二代の世代交代に穏やかに雛飾りを楽しんだ様である。
勿論、期日を過ぎれば、さっさと奥の収納場所に収納される。お雛さまと向き合っての歴史伝承はしっかりと続けられ、ホットさせられる。

ようこそ松崎家の世界へ

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