彦根、草津、京都と久しぶりに長旅
隠居の身分に全く、無縁になってしまった列車旅であった。
遠出と言うと、無理なく車で移動できる範囲で、関西は
別の国の世界なのである。
今回は10数人の団体旅行であるが、現地までの往復は自己調達責任ある。
1拍2日の旅に多くの所を回りたいと、早朝出発の弾丸ツアーである。
<何時も賑わう、みどりの窓口>
朝の出発に、東京駅で自由席の確保からと余裕をもってと早朝、に家を
出たが、最寄り駅のみどりの窓口は何と7時からで、閉まっていた。
さ~てどうする、と考える時間もなく、パスモでともかく東京駅に
向かう。
新幹線のキップ売り場は長蛇の列、複数の窓口で裁いているが、
予定もしなかったロス時間であった。
此処は諦め、流れに沿って、待つしかない。改札に出なくても其処
でパスモを読み取り、帰りは最寄り駅までの往復乗車券と新幹線
のキップを購入することが出来た。
改札の一極、集中、末端駅は時間限定での窓口開札、徹底した合理化
である。必要なら自動券売機を使えと言うことなのである。
判らなければ、無情な券売機の前で考えろと言うことである。
ワンウエイの乗車券なら未だしも、自由、指定の選択など、馴れない
人種に、ここまでさせる現実に戸惑いの世界であった。
知らないことの恐ろしさを、まざまざとみすかれてしまった。
乗ったらこっちのもの、世界に誇れる新幹線であり、後は高速車両に
身を任せ、狂いもなく正確に目的駅へ、当たり前のように、運んで
くれる。
米原に到着、東海道線に乗り換え彦根へ向かう。
彦根駅では目の前の色とりどりの如何にも寄せ集めの車両の姿に鉄心が
揺すられ思わず、ホームを走って近寄ってみる。
雑草が伸び放題の専用軌道越しに、車両基地があり、多種多様の車両
が集結する姿は近江鉄道を象徴する姿であった。
西武グループの覧下にあり、西武鉄道の中古車両を改造し、主力車両
として、地元の足として活躍しているようである。
かってテカテカに輝いた車両も、年季が入り、老獪な車両も、十分な
手入れで、余生を飾る姿かもしれない。
今回、本土を縦断し、高速で主要都市を大量輸送で繋ぎ併せる近代
交通網から乗り換え、在来線へ乗り換えた。
その隣り合わせに、旧彦根藩士の一族と近江商人達が夢と希望にかけ、
明治23年(1890)に近代交通に取り組み開設した。
しかし、現実は少ない乗客に赤字路線であるが、地方財政で支え、
何とか、頑張っているのである。
彦根は観光の目玉としてなんと言っても当地の看板は彦根城である。
一方車両基地は築城400年記念に併せて近江鉄道ミュージアムとして、
公開され好評であったようである。
車両基地は旧式電機機関車、旧式電車が、保存されており、生きた
歴史遺産として鉄っちゃん達の前に輝いている。
隠居の身分に全く、無縁になってしまった列車旅であった。
遠出と言うと、無理なく車で移動できる範囲で、関西は
別の国の世界なのである。
今回は10数人の団体旅行であるが、現地までの往復は自己調達責任ある。
1拍2日の旅に多くの所を回りたいと、早朝出発の弾丸ツアーである。
<何時も賑わう、みどりの窓口>
朝の出発に、東京駅で自由席の確保からと余裕をもってと早朝、に家を
出たが、最寄り駅のみどりの窓口は何と7時からで、閉まっていた。
さ~てどうする、と考える時間もなく、パスモでともかく東京駅に
向かう。
新幹線のキップ売り場は長蛇の列、複数の窓口で裁いているが、
予定もしなかったロス時間であった。
此処は諦め、流れに沿って、待つしかない。改札に出なくても其処
でパスモを読み取り、帰りは最寄り駅までの往復乗車券と新幹線
のキップを購入することが出来た。
改札の一極、集中、末端駅は時間限定での窓口開札、徹底した合理化
である。必要なら自動券売機を使えと言うことなのである。
判らなければ、無情な券売機の前で考えろと言うことである。
ワンウエイの乗車券なら未だしも、自由、指定の選択など、馴れない
人種に、ここまでさせる現実に戸惑いの世界であった。
知らないことの恐ろしさを、まざまざとみすかれてしまった。
乗ったらこっちのもの、世界に誇れる新幹線であり、後は高速車両に
身を任せ、狂いもなく正確に目的駅へ、当たり前のように、運んで
くれる。
米原に到着、東海道線に乗り換え彦根へ向かう。
彦根駅では目の前の色とりどりの如何にも寄せ集めの車両の姿に鉄心が
揺すられ思わず、ホームを走って近寄ってみる。
雑草が伸び放題の専用軌道越しに、車両基地があり、多種多様の車両
が集結する姿は近江鉄道を象徴する姿であった。
西武グループの覧下にあり、西武鉄道の中古車両を改造し、主力車両
として、地元の足として活躍しているようである。
かってテカテカに輝いた車両も、年季が入り、老獪な車両も、十分な
手入れで、余生を飾る姿かもしれない。
今回、本土を縦断し、高速で主要都市を大量輸送で繋ぎ併せる近代
交通網から乗り換え、在来線へ乗り換えた。
その隣り合わせに、旧彦根藩士の一族と近江商人達が夢と希望にかけ、
明治23年(1890)に近代交通に取り組み開設した。
しかし、現実は少ない乗客に赤字路線であるが、地方財政で支え、
何とか、頑張っているのである。
彦根は観光の目玉としてなんと言っても当地の看板は彦根城である。
一方車両基地は築城400年記念に併せて近江鉄道ミュージアムとして、
公開され好評であったようである。
車両基地は旧式電機機関車、旧式電車が、保存されており、生きた
歴史遺産として鉄っちゃん達の前に輝いている。