春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

花の都、横浜関内で

2009-06-29 13:27:00 | 仲間との絆
横浜開港150周年、門戸を閉ざしていた幕府が外国からの圧力に屈し、遂に開いたのが当時辺鄙な横浜であった。外国との接点として港や、外国人の居留地が生れ、外国文化をいち早く取り入れ今日の隆盛を誇る"みなとみらい"に繋がっていく。
その独特の文化を持つ、横浜は美術も今日の隆盛を極める伝統的な文化遺産の一つで、絵を描き鑑賞する風土が今日まで引き継がれている。
横浜に住まい、第一線で次々と作品を生み出し、非凡な作品が評価され、数々の受賞までされている画伯の案内で、その作品に触れる事が出来た。
画伯と言っても元々、我々と同じ、会社人間で、入社以来、火力発電所の建設畑一筋に渡り歩き町から離れた辺鄙な建設場所での仕事が多かった。
建設に明け暮れ、完成後も保守メンテナンスにフィールドワークに身を捧げ、叩き上げ、役職を勤める筋金入りの火力発電所の顔でもあった。
そんな泥臭い毎日に、およそ美術とはどうしても結び付かないのであるが、要職を勤め上げた後、全くベクトルの異なる別世界に見事な転身を図られた。
早速往復4時間弱、遠い華の都、横浜関内の横浜市民ギャラリーに向かう。会場ロビーで出迎えを受け、その姿は長い髪にモダンな帽子を被り完璧なまでの画伯に成りきっており、あの現場でのヘルメット姿とは全く別人であった。
ギャラリーにはハマの市民芸術家が大凡200点以上のそれぞれ自慢の作品が展示され、それを鑑賞する多くの来場者で賑わっていた。

「ヒト並じゃだめなんだ!!」チンパンジーを素材にした油絵作品が大きな目を開き、何か訴えるようにこちらを見据える姿が印象的であった。
作品発表を機会に火力の建設に携わった仲間が集まり、場所を変えアルコールを注入し、老人達が喧々ガクガクと意見を交わし、発散している。
耳の衰えに自然と声がでかく、掴みかかんばかりのエネルギシュなバトルも落とし所は心得ているようで、豊かな発想の展開に、ただただ驚くばかりであった。
「アシカのベクトル理論」「魚の骨によるメール誤操作分析」などなど電気理論やQCの話が懐かしく聞こえてきた。以下でご案内している。
K5・K6この指止まれ

ブドウの災禍

2009-06-21 09:15:00 | 晴耕雨読

開花から種子の生育へ、毎日を楽しみにしていたが
写真のような黒い斑点が発生、瞬く間にどんどん拡がってしまった。
これ以上の拡大を防ぐ為、目に付くものは断腸の思いで切り落とし、袋一杯になってしまった。
かびから生れる、「黒とう病」でいっぺん付いた"菌"が雨を媒体に伝搬して拡がっているようである。去年辺りから、発生しているが、雨の多いことも、かなり影響しているようである。
プロのブドウ園も、今この梅雨時期は袋かけ前に雨傘をかけているのはどうやら、ぶどうは雨に弱いようで、手間隙かけての対策はこんな所から生れている。


そんなことから、これ以上の拡大を防ぐために、時期は早いが急遽、袋かけで、防菌対策とした。狭い土地に目一杯、粒が生育し、袋は100枚を越え、作業は難渋を極める。
何か良い対策はと作業中の農園の親方に声をかけ、聞いてみた。
「ぶどうは他の果物と違って中々繊細、素人には中々難しいんだよ」
「特に乾燥地帯で育つヨーロッパ種はアメリカ種と違って、日本の様な湿度の高い場所は弱いんだよ」
「黒とう病」はプロの世界でも結構あるようで、我が家にかかったのも、一人前になった証拠であろうか、天からの鳥、虫、天候、更に菌と育つためには幾多の難局をクリアしていく必要がある。難しいことは承知で、色々学習しながら、どう育てるか、頑張るしかなかろう。

頑張れ友よ

2009-06-13 14:32:00 | 仲間との絆

◇病魔に蝕まれた友
写真はつい、数年前一緒に行った青梅の梅見物の時の旧甲州街道を歩く、友人の姿である。
それが、病魔に蝕まれ、その歩く姿に、今の姿をとても重ねる事が出来ない位に悪くなってしまった。


玄関越しに声をかけると、「ハーイ」と中から反応があったが、中々玄関口に出て来ない。
しびれを切らし、玄関の引き戸を開けると、柱に掴まり、ようやっと立っているTさんが突然の訪問に精一杯の笑顔で出迎えてくれた。
部屋の真ん中に仮設の柱がドンと立っているが、最早衰えた筋力に、これに掴まりながら、漸く家の中を移動している。
「これを見てよ」と言われるまま2階に通じる階段には大きな手すりが、階段に沿って据えられている。
「全く情けねえ~、もう体が言うことを効かず、2階に上がることは出来ても、降りるのは怖いんだよ」
我が家から数百メートルの距離、何時でも行けると思いつつも、リハビリーで外出機会も多いようで、中々会う事も出来ず、とうとう半年を過ぎてしまった。
しかし、不治の病に是れ程、悪化の方向に進んで居るとは思えなかった。

◇リハビリの戦い
週に2回は7:30に家を出て、車で1時間、吉野街道から青梅の山奥の多摩リハビリセンターに通っている。冬場ではこちらが雨でもセンターではみぞれに成っているぐらいの山間部である。
更に、週に2回は市内のリハビリに通っており、1週間はリハビリの過密スケジュールの上に載せられている。
歩き、手の動作、喋り、歌を唄うなど単純で根気のいる動作をとにかく繰り返しすることで病魔の進行を抑え、遅らせることしかないようである。
本人の気力と其処まで往復する足廻りと介添え役の奥さんの負担に寄るところが絶大である。
目に見えて、歩く事がめっきり衰えたが、輪をかけ歯がゆいばかりに言葉も重く、ついつい途切れてしまうようで、こちらからゆっくり話さないと、最早対話が出来ない位に言葉の障害が目立ち始めた。
そんな置かれる状況に、こちらからかける言葉も、どう声をかけて良いやら、戸惑ってしまう。
励ましにもならず、置かれる病魔の中に「顔の色つやは、良い」などと軽はずみに言ったら、「この病気の特徴で、第三者が見たら一見正常者と変わらぬ風体であっても、体の機能は蝕まれ、動けなくなってしまうんですよ」と奥さんから言われてしまった。
お身内にも看護要の方が他に居られ、重なる看護疲れに過日、奥様も救急車で運ばれてしまったようで、奥様の気力が改めて大きな支えになっている。
近代医学を持っても、根治出来ないことが未だ未だあることを見せつけられた。今出来る事は顔を見せ、声をかけ、外部から刺激を与える位しか見いだせない。

◇悪化する一方の病状
「耳鳴りがする。目眩がする、ちょっと検査してくる」
と言って、隣人Tさんは病院へ向かって1週間経ち、全然沙汰なしになってしまった。
同じ会社に居たものの、在職時代は余り、仕事では関わり無かったが退職後、ご近所の誼で、飲みに、山歩きなどお付き合いしているTさんである。
何度か留守宅へ伺ったが、何時も留守である。恐らく家族も付き添いであろうと想像していたが、その様子から余り、良からぬ方向の病状とはと推測はしていた。
それから暫くして、お家族から衝撃的な連絡を受ける。
原因が掴めぬまま、耳鼻科で診察を受けていたが、要領を得ず、検査施設の整った病院でMRIなどの検査をした結果、何と「脊髄小脳変性症」と判定された。
調べてみると神経細胞が破壊、消失していく病気で、運動神経がが徐々に衰退していくが薬では進行を遅らせるだけで根治は不可能である。
10年、20年の単位で徐々に進行していく、病気である。
「只今~、1カ月の長い入院になってしまいました」
と、大きな声で本人から電話でのご挨拶があった。
元気さとは裏腹に口の回転は歯がゆいばかりに、口ごもる様子が電話口からはっきり伺え、喋る言葉さえ徐々に奪っていくようであった。
出来るだけ間延びせず、相手の伝えたい意志を引き出す形で、こちらかの話は控えめにと気遣いながらの重い電話であった。
電話口を通して、目の前のTさんに果たしてどう言葉を掛けてよいやら、言葉にならず電話口から伝わる言葉だけで、狼狽してしまった。
歩く事も不便になった。だからと言って歩く事を避けると、どんどん退化していくようであり、粘り強いリハビリへの挑戦が唯一残された道のようである。
本人曰く、日常付いて廻るように目眩は大分前からあったようで、その原因が判らぬままゆっくりした期間で、じわ~と蝕まれていたようであった。
つい先頃まで老人介護で患者さんの輸送を行っていたのに、まさか是れ程急に、立場が逆転し介護される立場になるとは思ってもみなかった。
近代医学を持っても不治の病に改めて、無力であること、しかし時間と共に蝕まれていくTさんにただただうろたえるばかりであった。

写真は一昨年の青梅の寒梅に訪れた時の彼の姿である。


山道を軽快に歩く後ろ姿はどうみても健康人そのもの、誰が今日を予想したか、もうそんな山歩きはかなえなくなってしまった。


勢いにまかせて

2009-06-11 10:45:00 | アマチュア無線

関東地方もいよいよ梅雨入り宣言した
そんな雨空の合間を縫って、溜まっていた屋外高所作業
2階の屋根に聳えるタワーを下から眺め、「久しぶりの高所にいやだなあ~」と思いつつ、気合を入れ、2階の屋根に登り、恐る恐るタワーに辿り着く。もうここまで来ると、後は勢いでタワーに取り付き、よじ登り、スイッチは宇宙人に切り替わり、2インチのパイプに僅かな足場を1段1段登って行く。70数キロの体重に、マストはきしみ、横揺れするが、その都度、マストに思わず抱き込み、落下の心配も覗いてくる中で、体に巻き込んだ、安全帯をマストにかけ、ようやっとフリーハンドになる。
遥か下界の姿に眺める余裕もなく、マストを上がったり、下がったり、2階の部屋までの往復作業は実に辛い。
朝から、日没まで終日、ローテーター(モータ)の取り外し、枕木の塗装など、宇宙遊泳であったが、結局、解決を見ることなく、持ち越しで、作業は中止した。
中途半端な作業に達成感もなくる、普段使わない、手足の筋肉はしびれと体全体が疲労感に覆われる。日射しは強く、屋根上の屋外作業は猛烈なお天道様の洗礼を受け、むき出しの部分は日焼けしてヒリヒリ痛い。

疲労感が取れないまま、狭い庭の植木は枝葉が勢い良く延びきっている。何れやらねばならない。前日の手にしたドライバーやスパナから植木鋏に持ち替え、ツゲ1本、ヒバ6本、夏椿、紅葉と激闘する。今度は頭から全身、刈り込んだ、とがったヒバの葉の洗礼を受けながら、何とか完了する。腰を屈めての、庭に落ちた枝葉の回収は、最後の留めをさされる。
本日にかぎりの限定サービスでロング缶を煽り、汗かいた後の一杯は取り分け美味かった。向きになって勢いでの屋外作業、暫くは全身取りまく疲労感は残りそう・・・「痛ててて」

ポンコツ車の車検

2009-06-04 15:22:00 | もう、あぶないぞ~
◇すりきれたポンコツ車の検査
毎年恒例のポンコツ人間の車検で近くの市立病院でしっかり、いたぶられた。
自宅から森を越え、中央公園の小道を行くと、深い木立の間に病院の姿が見えてくる。


年老いたポンコツ車はすりきれながら、漸く走っているので、何を指摘されても仕方がない程に年取ってしまった。
先日の友人の法事で生れた対話に、「毎年検診を受けているのに、急速に体全体に転移し、医者も手遅れであった」なんて良く聞かれる言葉である。
普段、五感から伝わる、痛い、かゆい、だるい、熱っぽい、などなど自覚のないまま、実は体が蝕まれていることは良く聞く、だからこそケアーが必要と思い、自ら重く、辛い車検に臨まなければならず、鬱モードになってしまう。

◇白衣の看護婦の姿に臨戦モード
公園の一角から病院に入り、忙しそうに走り回る白衣の看護婦の姿に病人モードにスイッチを入れる。


毎度のことながら難所はなんといってもレントゲンの宇宙遊泳である。
台の上に乗り、垂直に水平に、或いは棒で思い切り腹部を突かれるなど、リモコン操作で弄ばされる。

◇宇宙遊泳にバリュウム飲み
体がまっさかさまで、体をひねろとか、早くまわせとか、息を止めて動かさずとか、無理難題を矢継ぎ早に言ってくる。神経を張りつめ、聞き耳をたて、スピーカーから流される音声に忠実に応答しようと応えるが、中々思うようにならない。
ガラス越しのおにいちゃんの命令は絶対的、矢継ぎ早に出てくる命令に、全く、殺す気かよとおもうばかりである。
上手くもないバリュウムも途中でゲップをしたため、もう一度やり直しに、レントゲン技師が持ってくるお代わりカップが恨めしく、流石が気力も萎えてしまった。
台上に大きな体を持て余しながら、必死に激闘し、ギブアップ寸前、ようやく「終わりました」の合図が何よりも待ち遠しい言葉であった。
ロボットが進化する時代に、台に乗ったら、自動化プログラムで意のまま姿勢制御出来る筈なのにと思うが、貧乏行政配下の病院にそんなことを期待することは無理なのだろうか?
「こんなことで参っても、命の補償はないよ~」
「三途の川を渡りたくなければじっと我慢の子、身を守るのは辛いよ~」
白い結集の排泄に、家へ帰っても、敗戦処理は未だ続く。
居連れにしても、数値化されたデータが3週間後に渡され、ポンコツ車の廃棄処分か存命かドライに宣告される。
昨今の天候同様に鬱の気分は暫く続きそうである。
市立病院での車検を終わり、3週間後に判定結果を貰う。使い古した車体だけにあちこちガタがあるのは覚悟の上であるが、今年も何とか穏便にと思うのが心情である。

◇赤紙の召集令状
しかし、やっぱり赤紙の召集令状が来た来た。尿蛋白、尿潜血と腎臓系に異常傾向が見られる。
今では余り見かけられないが、さしずめ車のエンジンの排気系の不具合で白煙を上げながら、廻りに迷惑をかけ、猛烈な爆音を立て、ポンコツ車を無理きり走らせて居るようなものであろうか・・・。


◇告知されることに覚悟は良いか?
担当窓口へ行き、症状と宣誓書を書かされる。
大事な事かも知れないが、当人の健康状態に留まらず、告知はしても良いか、身元の連絡先は、身内に癌の死亡者はと身辺調査は洗いざらいに、患者さんの病気の軽・重に関わり無く、まるで断末魔の末期患者のごとき質問攻めに、気分まで鬱に陥れられる。

◇数分の御高説受領に半日待機
各診療科の待合と、一階フロアーにも広々とした待合がある。
各診療科には案内表示盤あり、自分の受付番号が出れば、「中待合に入りなさい」と言うメッセージとなる。肩を寄せ合う狭い場所だけに、大変窮屈なので、出番間近は此処で待機し、それ以外はフロアーでのんびり待っている。
検査、往診に僅か数分であるが、残りの数時間(約半日)は待ち時間を覚悟しなければならず何時も追われる生活から、たっぷり待つことの世界に、どう過ごすか、戸惑いながら半日である。
小水を取って精密検査を実施し、医者から判定結果を貰い、その後対策の指示を受けるが、幸いにして、数値が低く、経過鑑査に留まった。

車の如く、ブレーキパットのごとく、消耗品は交換出来るが、人間車検は使い廻しの効かない世界だけに、全うすることしかないようである。
春先、勢いのあった楽天、野村監督の、再生工場も息切れしてエンストしたように、象徴的な出来事であった。
言ってみればこれだけの事であるが、朝9:00に行ってたった数分のお医者様のご高説を頂くだけで、病院を後にしたのは15:00近かった。
終わっても、待合で大勢の患者さんが、待っている。一人で何百人?を相手に満遍なく何処まで往診出来るのか、激闘するお医者さんに医療の最前線であった。


ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/