春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

血湧き肉踊るアジア杯サッカー

2011-01-30 22:38:00 | スポーツ観戦

ゴールポスト前の空中戦に一つのボールを日豪の選手がもつれ合い、絡み合い、丸で獲物が襲いかかり、一方では敵から身を守る激しい戦いに、決着がつけず、ハラハラドキドキ、準決勝と同様決勝も延長戦にもつれ込んでしまった。
鬼の形相の川島キーパが己をそして仲間を鼓舞し、鬼気が乗り移った守護神がさらに吠えまくる。
こんな激しい激闘劇の連続にテレビの前から離れられず、準決勝、同様、決勝も午前3時まで釘付けにされてしまった。
すでに、当日の朝を迎えてしまい、寝なければと思っても、激しい激闘シーンと鮮やかな決勝ゴールに、伝わる画像とアナウンサーと解説の松木安太郎の絶叫についつい引きずり込まれてしまう。
まあ、こんなハイテンションの場面ではマイクを通して、解説を越え、日本の一サポータに成りきってしまっている。
こんな画像と声にアドレナリンが上がる一方で交感神経が興奮さめやらず、床についても神経昂り、中々寝つけない日が続いてしまった。

決勝を決めた李選手の鮮やかなボレーシーンが何度も何度も繰り返し放映される。
途中経過はどちらが優勢か、劣勢か、総ては結果である。準決勝の韓国戦、決勝の豪州戦、何れにしても最後に追い込まれるのは日本であったが、このボレー、一発が勝敗を決めアジアのトップになった。
在日韓国人であった李は韓国のナショナルチームに入ったが、言葉、慣習になじまず、出場機会に恵まれなかった。日本国籍を取ってジャパンとして選出、今回の快挙、鬱積されたものが爆発したボレーの一発であった。
控え選手も含め次々と生まれるヒーローに逞しいジャパンの姿が頼もしかった。
勝負の厳しさ、特に国と国のかけた戦い、日の丸のナショナリズムに焚きつけられる、刺激的なアジア大会であった。
予選から決勝まで、まさしくに筋書きのないドラマ、一段落つきアドレナリンも落ち着いてきたかな・・・。

つはものども、が夢のあと

2011-01-13 13:05:00 | スポーツ観戦

一本のたすきにかけて箱根制覇の夢を追って抜きつ、抜かれつのかけっこをする、ある種単純な団体競技。駅伝と言われる日本古来の伝統文化から生まれるスリリングなドラマに老いも若きも、今年も沸き返った。
ちょっと歩けばその生の姿を見られる。「行こうか?ゆこう!!」御馳走と酒に明け暮れる生活で、膨れ上がる皮下脂肪に山越え、谷越えで駅伝2区の権田坂下まで、皆で歩く。
歩き始めはご覧の通り、カリン姫に手を引かれ、仲良くアカリ姫も元気よく歩いたが、途中でギブアップ、パパに抱えられた。
自転車が使えず、周辺は歩きの世界。急坂もなんのその、普段が坂の世界で鍛えられ、しっかり登坂するカリンお姉さん。
山越え、谷越え、国道1号線までの道中は結構の道のりである。

右側は保土ヶ谷、左に戸塚駅の交通標識看板の箱根駅伝の第2区の終着地点となっている1号線に出る。
カリン姫、現場で応援の旗を貰う。
沿道の一角には甘酒とお汁粉の無料サービスがボランテイアの方が行われている。早速、温かい甘酒のサービスを甘受、この冷えきった空気の中で何とも温かい志に感動する。
伊達直人を名乗るタイガーマスクの慈善寄付が全国版で大はやりではあるが、ここは、そんな着ぐるみもなく、お母さまたちの貴重な支援である。脇には募金箱、神奈川新聞、更生文化事業団に送られ、国内外で大きな災害や、北海道への車いす空の旅など寄付金を福祉活動に活かし、県内の福祉水準の向上に寄与されている。こんな心ゆきに感謝して僅かな浄財であるが、微力ながら支援を贈った。

アカリ姫も両手に旗、沿道に集まる雑踏に混じって、目の前に繰り広げられる、ショーは何だろうと、待ち構える。

選手到来を告げる、宣伝カーがやって来る。沿道の両側には応援する人で混み合い、選手の息づかいまで感じる距離まで迫り、選手との一体感を味わうのであろう。
「頑張れ~頑張れ」黄色い歓声があちこちから、あがり、目の前に通る選手にエールをおくる。早稲田を先頭に神奈川大まで20人の選手が、約5分間で、瞬く間に目の前を走り去って行った。
2区は約23㎞、平均時速は20㎞程度で、自転車のフルこぎ駆動並の速度であった。
見通しの効かない場所では、その姿を捉えても、一瞬にして視界から消え去ってしまう。
兵(つはもの)どもが夢のあと(「あぁ ここでたくさんの兵士たちが戦ったのだな」という気持ちを詠んだもの)。瞬く間に走り抜けて行った僅かな時間であるが若者たちの残像を焼き付け、歴史的な駅伝に応援と言う形で参加出来、満足した。

大手町をスタートして、大凡11時間30分のドラマを車、陸上固定、ヘリコプターの上空から、微に入り細に渡り、放送メデイアは追っかけてくれる。その僅かな5分間は瞬きの瞬間ではあるが、選手たちの足音、喘ぐ息づかいを直に聞き、「頑張れ」の声を直に伝える、一体感はメデイアには無い、感動を与えてくれる。
お正月の年中行事として、走る若者達の姿を見たさに、沿道の住民は居ても立ってもいられないのであろう。TVでは伝わらない臨場感にある種の感動を味わった。
箱根駅伝(第87回)

初日の出を迎えて

2011-01-03 08:24:00 | 恒例行事

元旦、初日の出を浅川護岸から拝み、劇的な2011年の新年を迎える。
見通しのきく浅川周辺は川下から新井橋、ふれあい橋、一番橋、平山橋、と橋上には、何処も日の出を迎える人々で賑わいを見せる。
氷点下3℃前後の世界、吹き抜ける風に身を震わせながら既に何人かはそのドラマチックな瞬間を迎えようと東側に向かって、今か今かと待ちわびている。
薄日から、しっかりとお天道様が上がってくる瞬間に、どちらかとも無く声が上がる。
モノレールの橋桁と下を流れる浅川が薄明かりに反射して、蛇行する浅川、影絵のようなこれらの造形物と反射で黄金色で輝く浅川の川面が、実に美しく輝く瞬間であった。

日の上がりかける時を見計らって、上流側のふれあい橋を入れて、お天道様が上がった瞬間である。
お天道様に向かって、良き年であることを願い、手を合わせる。
ふれあい橋の大きな鉄柱と土手の輝く姿は実に素晴らしいモニュメントが目に焼きつく、寒い時に辛抱強く頑張った、天の贈り物である。
この時期、車の入手以来続けていた、高幡不動での安全祈願で御祓いに向かっていたが、今年は遂に諦めてしまった。
安全祈願に神社境内に入るために、高幡不動から離れた臨時待機場所で安全祈願の札を貰い、「安全祈願殿」に向かうのであるが、毎年その場所が変わり、今時、その謎めいた場所探しに翻弄されるのが、面倒くさくなってしまった。
長年続けた高幡不動のお守りで安全運転。
さあ今年はこうした加護もなく、丸裸、今まで以上に運転に身を引き締めて、ハンドルを握ろう。
どんな1年になるだろうか、確かめたい。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/