春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

スキーにかけた、さらば青春

2020-03-12 21:07:00 | 仲間との絆
ん十年前、世の中の順風な景気に支えられ全国各地の建設ブームに乗り、会社も繁忙を極めた。組織にはめられた一会社人として自由を拘束され個を没し、土日も関係なく仕事優先で良く働いた。
そんな背景もあって、唯一お正月の連休は特別なことがない限り休めた。通勤、職場含め拘束された空間から離れたいこともあって、普段には縁の遠い自由な空間と言うと真冬ならば手短に行けるスキー場が最も相応しかった。
そんな事から独身時代は、必ずスキー場に出がけ元日はスキー場で迎えた位に大事な通年行事であった。
薄給の身、限られた小遣いに、スキー道具とその道具を駆使出来るスキー場行きに時間と金をつぎ込んだで、思い切り弾け、青春を謳歌した。
乗りこなしは先天的な運動神経で左右されるが、そんな天性の持ち合わせなくスキー術には縁がなかった。そんな身分でも、下手くそでも下手くそなりにその魅力に取りつかれた。

ん十年後の今日、現実に帰って、たまたま中々捨てられず埃にまみれたスキーを処分した。
思い出の結集されたスキーが何時までも心の何処かに残り捨てきれなかった。
はてさてこのスキーに当時の弾けた青春の姿を霞のかかったモノクロ写真が語り伝えて居る。

◇リスク承知で予約
概ね、この時期はスキー場の稼ぎ時でもあって、かなり前から予約が必須である。
所が自然の恵み、その年の地球を巡る寒気が降雪に左右され、滑れるかどうかは天候次第である。

石打で事前情報から雪不足との情報があっても、宿屋にはキャンセルが出来ない。藁を掴む思いで何とかなるだろうと、甘い考えで行ったが、予報通りで期待は見事に外れた。
肝心のゲレンデでは多少の積雪があるものの、地肌がむき出しで、白黒のまだら模様で滑りはほぼ全滅状態であった。石打で事前情報から雪不足との情報があっても、宿屋にはキャンセルが出来ない。藁を掴む思いで何とかなるだろうと、甘い考えで行ったが、予報通りで期待は見事に外れた。
肝心のゲレンデでは多少の積雪があるものの、地肌がむき出しで、白黒のまだら模様で滑りはほぼ全滅状態であった。
その日は結局、スキーの滑降を諦め、童心に帰り、至近距離からの一発勝負、泣き笑いの雪に戯れ雪合戦で日ごろの鬱積された恨みを晴らした。顔は笑うも歯をむき出しの真剣勝負の雪合戦、未だ幼い子供心も、火をつけるこれも青春なのだろうと思いたい。

◇雪を求めて岩原へ
岩原にて、巨大なすり鉢ような底のような平坦地にせり立つ向かい側の山々は皆、雪を被り素晴らしい慧眼である。ゲレンデの雪面は踏み固められ、スキー場ならではの格好の滑りの世界である

一点の汚れなく、真っ白い白銀の上にスキーを無造作に投げ倒す。久方振り、雪面の向き合いは久方振りで、白銀の上に立ち、平時と全く異なる世界に恐ろしさが先に立つ。
足首も曲がらぬ丸でギブスのような大きなスキー靴履いて恐る恐るスキーの上に載せスキーの金具ビンディングにはめ込む。
スキー板と足がびったりと装着され、最早、足の自由度はスキー板に一体で拘束され足の自由度はなくなる。丸で足が重石に付けられたロボットの様で拘束状態になる。
こうして、恐る恐る滑り始め、スキーの上に乗り遅れまいと、倒れずに姿勢を保つのが精一杯であった。
<転倒に継ぐ転倒、それにめげず皆、頑張る>

<転倒者を前に、手も差し伸べづ、冷ややかに嘲笑。畜生と思いつつ立ち上がる>

こんな滑り出しから始まり傾斜地の折り返しで、急カーブで山側に曲がる『山廻り』を手始めに、雪面を左右に回転しながら、腰を振り格好よくダイナミックに降りてくる回転滑行につながる。
◇甘くない厳しいハードル
スキーの究極は素敵な滑行は大回転競技のように見るも楽しく、滑る当人も危険も伴いながらも高速で左右に操り滑空する世界は別天地であろう。
見た目に簡単そうに見えるが、それが連続となると、かなり難しい。一足飛びにテールを持ち上げパカパカ飛べば良いのではと単純な発想で『パラレル』に挑戦してみる。
しかし,そんなに甘くはなかった。最初は揃って出発した両足も、テールを踏んでしまったり、スキーの外エッジが雪面にかかり、思い切り吹っ飛ばされ、倒れることなど、回転滑行のハードルは思った以上に高かった。



それでも気合と根性で、失敗を顧みず、格好よく出来たと自己満足に陥った姿であった。

◇究極の2000m
白根山でリフト越しに見える2000m級の山々。『山々から手招きしている、よしここまで来たら、挑戦してみよう』と、無謀な好奇心に駆り立てられる。

危険を顧みず、リフトに乗ってしまった。ゲレンデで滑った世界から、全く異なる急角度の傾斜に恐怖で怯えてくる。もう、ひき返すことは出来ない、高いリフトから雪面めがけて飛び降りるしかない。
急角度、重力加速度がつき、恐怖心から前に倒れまいと、身を庇う余り、腰が引けてきてパラレルどころではない。雪面に身を埋めながら、斜面を斜めに折り返しながらの滑降で漸く地上の世界に戻った。深い雪に潜り、途中で払いのけることもせず頭の先から全身雪だるまが、ゲレンデスキーヤの奇異の目で見られてしまった。急傾斜に身を庇う余り、山側に倒れ、埋もれ、立ち上げに精一杯の山下り。

◇このスキーにかけた思い出
往時、泣きなしの小遣いで、神田小川町のスポーツ用品街に迄行って買い求めたスキー道具であった。
スキーはカバーを被り、家の裏側の物置に出番もなく眠っていた。
スキー本体はカバーの保存で、錆もなく往時の姿を留めていた。
むき出しのストックは赤く錆、長い年月の経過を物語っている。
身長以上の高さ2m以上はあったが、持ち上げたら、結構重い。こんな重い物を厭わず、担ぎ列車旅で、都心から上越、信越へ運んだのだ。
あれからん十年加齢により、劣化し、特に筋肉の衰えは甚だしく、腰を曲げながらの、爺さん歩きである。こんな長手の重量物を装着して、操り、歩き、滑るなんて信じられない世界である。
改めて若かったんだなあ~と、この道具を前に時の経過を思い知らされる。
スキー靴は天井裏に眠っており、比較的保存状態が良いのか、往時の姿で未だテカテカに輝いていた。

このスキー道具と併せ、殆ど使っていない漬物の石他重量物を併せて1万円ほどで、市の業者に引き取って貰った。
トラックに載せられ、立ち去るまで見送った。ああ~これで、遥か彼方の青春を思い切って断ち切った。

こんなせりふにひょっと浮かぶのは小椋佳の『さらば青春』
♫僕は呼びかけはしない 遠く過ぎ去るものに
僕は呼びかけはしない かたわらを行くものさえ
見るがいい 黒い水が 抱き込むように流れてく
少女よ泣くのはお止め 風も木も川も土も
みんな みんな たわむれの口笛を吹く♫
随分古いが、現代でも通じる、メロデイ、象徴的な『さらば青春』であった。

如何でしょう、ん十年前の思いで、こちらでも詳しく書いてみました。
さらば青春


近隣の戦友と再会

2017-03-16 22:11:00 | 仲間との絆

会社時代のかっての戦友が、自力で歩ける範囲で住んでいるが、中々会う機会も少ない。
皆第一線で活躍、会社を支えた仲間であるが、組織から解き放され、地域にそれぞれの世界で生活している。
市内の唯一の総合病院の待合で、偶然あったのも、お互いが、年相応にアチコチに綻びが生じ、世話にならざるを得ない状態である。
集合かけられるOB会もあるが、100人弱の烏合の衆では、集合挨拶と歓談も2時間弱ではあっと言う間に終わってしまう。立食パーテイで目の前のご馳走とアルコールもあれば先ずはそちらに気はそがれ、ホールでの個別の遭遇で、精々挨拶で終始し、時間が来ればそれぞれ、脱兎の如く散開するのがパターンのようである。

◇呑み助は己のみ
そんな爺さんたちと、近隣住民として旧懇を温めるのも、良かろうと、軽く一杯と思って、声をかけた。
文明の利器なら気軽に出来ると思って、メールを入れたが、一人は既にネットは降り、不達の通知。一人は、PCを余り開かず、なりすましと、警戒されたり、一人だけ、オウム返しのように返事が来た。
但し、会うことはやぶさかではないが、昼間のアルコール付きの会合で声かけたが、アルコール趣向は発起人の本人だけで、中にはアルコールがあるなら遠慮したいなんてことも言われてしまった。
声かけた一人は数年前までは自他ともに認める、一番の呑み助であったが、ドクターストップがかかったのか、すでに保身にかかり、別人のようであった。
何よりも自由の身柄、たまには一杯なんてせりふは既に、通りすぎた世代なのかと思い知らされた。

◇以外と少ない喫茶店
ならば、此処はアルコール抜きの、真面目なお茶会に軸足を移した。
会場選びに、飲み屋は沢山あり、場所選びに苦労しないが、喫茶店が少ないことに改めて驚く。かって駅周辺にかってあった喫茶店も皆、閉鎖してしまい、喫茶で時間を潰す需要はないのか、いざ場所選びとなると全くないのである。
最近出店したイオンも確かにコーヒは飲めるが、ゆったりと会話できる場所はなかったが繁華街から外れた場所で漸く見付ける。
何年ぶりかの再会に外見は余り、変わりはなかったが、足並みが揃わず、その劣化が顕著で、どうしても遅い足並みに会わせることが、最早老人最前線を思い知らされた。

◇改めてその話題は
自ら語りだす話はやはり、自然と病の話し、そう、迫り来る病魔の世界に経験談が未知えの世界への、ある種の挑戦である。
確かに、医者選び、病院選びになるほどと思えることもある。
生々しい話であるが、総合病院で一緒で同じ先生であったが、或日突然、居なくなってしまったが、輩と同じ時期に胃ガンの手術をしている。
総合病院でも、手術の実績もあるが、息子さんの強い意向で、手術にたけ、内外に評判の医者の手で、無事に成功したと、自慢げに語っていた。
安心・安全と言われる内視鏡による手術はやはり、医者の手に関わり、経験から踏まえた実績が、ものを云うと豪語していた。

年と共に耳の劣化も、現実の問題である。劣化すると、人の話を聞く、労苦も有るようでついつい、聞く耳、持たずで、自己主張の強い、豪腕のじじいの世界に自然に入ってしまう。
長生きした経験豊富な、自己世界が全てと頑固じじいに益々拍車がかかってしまうのであろうか・・・。
未だ、こんな頑固じじいは未だ可愛い。昨今の高齢者運転による自動車事故から、身内からもやめろコールが上がっているが、不自由な足替わりに、手離せないのも、事実のようである。
対話の中で、車も免許も放棄したと、決別の意志を素直に語っていたが、帰りに同氏の家にある、車の姿に、驚き、聞いてみた。「あれ、俺の車だよ」と躊躇いも無く語る姿に、何か別の心配が浮かんでしまう。


素敵な絵心

2015-01-26 22:29:00 | 仲間との絆
年賀状、60枚近く貰ったが切ってシートが2枚当たった。
まあまあの確立であったが、これで、行事の一つが何とか終わった。
親戚、友人含めての1年のご挨拶であるが、悪筆、絵の素地もなく
大量の枚数を送るとなると勢い、機械に頼らざるを得ない。

文字はメモ以外に書くことは殆どなく、パソコン偏重でかな漢字
変換にすっかり、頼りきっている。
そんな依存症から、加齢によるボケもあって漢字が中々出てこない。
月、1回の某所案内も、その日の報告が必須である。
中々出てこない漢字にまさか字引持参も出来ないが、ポケットサイズ
の電子辞書が大変役立っている。

絵も余り、描く機会が殆どない。
絵心、色彩感覚も余りないのは、天性の素地なのかも知れない。
孫から、色々イラストを貰ったりするが、幼児時代から、目ざましい
知能の発育振りから、既に追いつけない。


今年貰った某友人からの賀状に、こんなイラスト絵が描かれていた。
土方歳三のモダン洋風に美化され、戊辰役も後半のものだ。
歳三や勇の熱狂的フアンのようである。
鉛筆を主体に、淡く色鉛筆も加えられ、豊かな髪の毛、
整った顔達が宝塚スターのようだ。
そんな才覚の持ち合わせが、羨ましい。
隠れ絵師が、和やかな風を呼んでくれる。

フォーラム仲間と再会

2011-02-04 22:18:00 | 仲間との絆

パソコン通信草創期に生まれ隆盛を誇ったニフテイフォーラムの会議室がネットの世界を賑わした。公文子供研究所の支援で同行の士が集まり、書き込みを通じて語り合う、電子会議室の場であった。
会議室に入るのも、専用のツールがあり、閲覧、発言にそのツールを使いこなす、ハードルを越える必要があり、誰でも簡単に入れるものではなかった。ところが日進月歩により、ブログなどを含めた掲示板が専用ソフトが無くても、誰でも入れる環境になり、ニフテイフォーラムは2007年最後に使命は終わった。
そんな流れの中で、フォーラムは解散したが、フォーラムで交わした仲間の絆は未だに続いている。
時間の経過は当時のお父さんは爺になり、孫を相手にマゴマゴしたり。幼児期であった子供たちが、親元から巣立ち、一端の主になったり、可愛い愛娘が人さまの嫁に送り出すなど、歳を重ねるごとに身の周りが大きく変わってきた。
お嬢さんの婚約/結納のおめでたい話、はるばる舞鶴から江戸にやってこられる海上自衛官の幹部の晴れ姿など、新宿に参集する声を聞きつつ、まだ、生きている証を伝えるべく旧南多摩郡からいそいそと出かけた。
場所は花園神社の裏側、一歩誤れば闇の中おどろおどろしい歌舞伎町であった。予めネットのストリートビューで確かめ迷わずに一発でたどり着く。細い急階段を登るとガラス越しに、店内を覗くと、高津館長と足立将軍がカウンターに座る姿が確認出来、手を振ったが、無反応。どこかで間違えた一元のじじいの到来と怪訝な顔していた。無理もあるまい、一年に一度の出会い、前触れも無く突如の乱入に識別されるまでかなりのタイムラグがあった。
「やあ、やあ何で来た~」「何かの風の吹き回しで顔を見たかった」ともあれ、高津館長とは「帝国データバンク史料館」見学以来、足立将軍とは、始めてのオフミーテイングではなかったろうか。
スーツ姿から、眩いばかりの制服をわざわざ着替えて頂き、その晴れ姿と、よれよれ姿の惨めなじじいも、お二人の引き立て役に、一緒に撮らして貰った。

この袖章が見えないか!!、旧帝国海軍の伝統をそのまま引き継ぎ階級制度の厳しい識別は此処にあり、「2等海尉」さまであるぜよ。・・・と上官殿として敬礼されるステータスである。

宴もたけなわ、晴れて娘を嫁として送りだす赤羽さん、大阪からはるばるやってこられた公文の竹田さんが揃い、5人の揃い踏み、「娘を送り出す親父としてバージンロードに手を携えて・・・」「いやあそんなもの、やらねえ~」など喧々諤々であった。
時にはネット文化のフォーラムを思い出しながら再会を喜び、歌舞伎町の夜は賑やかに、 時間の経つのも忘れ、楽しい一時であった。
皆さんご苦労さんでした。
今年も佐野さん御夫婦のお世話で4月3日(日)、新宿御苑の桜の下で会いましょう。

花の銀座でOB会

2010-10-15 20:50:00 | 仲間との絆

パソコンの新規導入に翻弄され、明けても暮れてもパソコンに向き合う毎日に少々滅入ってしまった。
鬱の気分からの解放を含め、昨日は宇都宮へ城跡と戊辰の戦い跡をしっかり見て帰ってきた。観光案内の人に、宇都宮まったく知らずの輩に色々教えてもらった。
名物餃子も食べ、おばちゃんのもったりした独特の栃木弁に触れ、なんとなく人との触れ合いが嬉しかった。
しかし、片道3時間の遠い宇都宮、何時来れるか判らず城下町をくまなく歩き、大変疲れた。

そして今日は銀座で会社の事業部のOB会,久しぶりに花の都で人ごみにもまれた。
1年に1回の年中行事であるが、なんとなく昨日の疲れもあって、多少のマンネリ化が銀座までの道が遠く、多少の義務感で重い足をひきずるように出かけた。

この日にかけて、はるばる北海道から、九州から来る気合の入った連中から考えれば、銀座ごときは庭先のごとき場所であるのに、もう組織から外れて10年以上経つと、単なる儀礼的なご挨拶の会合にわくわく響きが湧かないのである。
宴会開始の2分前に到着、宴会の料理が酒が準備され、スタンバイOKなのに、延々と続くご挨拶、かれこれ1時間も続き、80歳を越える高齢者もいる中で、まだまだ若手の分際なのにどっかりと座りたくなる。
つい先ごろ社長の座を譲り渡した旧社長の挨拶があった。
世の中の不況の中で、厳しい社境に、我々の世代では時代を背負ったホープであった旧社長の顔が何時になく、疲れ切りすっかり老け込んでしまっている。
不況を背負い内外で叩かれ、まさに地獄を見てきたようで、打たれ強くなったと本人の口から出ているが、語る挨拶になんとなく元気を失っている。新旧社長の挨拶に、会社も、仲間も何千人という単位でかなりスリム化し今まで培った企業力で新しい事業展開を図っているようであるが、変わり身の早い世界に、言葉そのものがすでに判らなくなってきてしまった。

しびりきれ、会場の熱気に喉も目いっぱい渇き、テーブルに置かれたビールの冷えも緩やかにようやっと乾杯。
中央の料理に足しげく通い、めぼしいものの分捕り合戦に、参戦し、自前のテーブルに運び込む。戦後の食糧貧窮の世代に生まれた習癖が抜けられず、年金生活者の身分で普段ありつけない料理と意地汚く食らいつく。
テーブル単位で生まれた島にほとんどへばりつき、島島のわたり挨拶もあまりできないまま、すぐさま337拍子。
銀座の1等地であるがゆえに、飲み食い時間は賞味1時間足らず、そこそこ2次会のステップのために示し合せたようにそれぞれ流れていった。
毎年、同じような筋書き、飽き足らず、また来てしまった。そんな混雑のなかで、拙宅のHPをしっかり見ているよとのわずかな声が、見えないところでまだ繋がっているようで嬉しかった。
6Kの高い参加料に何で来るんだと、挨拶もそこそこに脱兎のごとく、会場を後にした。まあ一つの生存証明を果たす場と割り切るしかないとも思えた。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/