春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

ガソリンスタンドがまた消えた

2010-07-14 22:45:00 | 世の中変わる
◇車を取り巻く環境変化
ガソリン価格は株価の暴落とも併せ、以前の価格に戻ってきたが、投機筋の釣り上げで一時の異常な高騰の付けで、ドライバーが買い控え、ガソリンが売れなくなり、このような閉鎖に追い込まれてしまったようだ。
車を取りまく環境もこの不況期に併せ、これまで売りまくっていた車が売れなくなり、国内でも優良企業共言われ続けたトヨタが、未曽有の減益に追い込まれ、更にGMやフォードもこのままでは存続さえ危ぶまれる状態になってしまった。
北海道の一部では必然の車に、自動車税の未納付が増え、給料差し押さえの勧告で慌てて納付するということさえおきているようである。
新車に買い換え、湯水のように使えたガソリンも再び、高騰の嵐に手軽に利用出来た時代の潮目は替わってきたような感じさえする。

◇ガソリン価格の乱高下
ガソリンが投機の対象となり、実勢価格を目茶苦茶な値上がりで180円を越える時もあったことが記憶に新しいが、今度は米国の金融絡みの問題で投機が手控えられ、一気に110円台までに落ち込んだ。
半年もたたないうちにこの高騰から激変する姿を誰が予想したのであろうか・・・。
ガソリン価格の値下がりは我々に取って朗報であるが、ガソリン価格以前に、世の中、覆われる不況は一気に襲ってきた。

◇高速料金の一部が天下り先へ
世の中の不況対策の一環で高速料金の割引が打ち出され、物流コストの削減は結構なのであるが、この恩恵はETC車のみ適用される。このETCの掲載にはセットアップ料金が必要であり、そのセットアップ料金の一部が「オルセ」を通してお役所の天下り団体に流れる仕組みになっている。車種に限定無く、誰でも割引の還付は甘受されるべきであるが、意に介さない役人根性に腹立たしくもあって、高い高速料金のままでは益々遠出の機会は遠のいてしまう。そんなこともあってか拙宅の車も車庫で眠る時間が多くなってしまった。

◇相次ぐGSの閉店
此処2~3年、バタバタとGSの閉店が目につき、遂に此処まで及んでしまった。
長引く不景気が、相対的な車の減少が、GSの需給関係が崩れてきたのであろうか、相次ぐGSの閉店が続いても開店は殆どない
GSの競争原理で価格の安定供給が行なわれてきたが、それが無くなると、殿様商売で高値供給。その時は車を手放すことなのであろうか・・・。
「さあ~、安さを求め、新たなGS探しをしなくては・・・」

◇「キグナス・日野中央SS]

プリペイドカードまで準備して何時も利用しているガソリンスタンド「キグナス・日野中央SS]が前触れも無く閉店されていた。
土日は割引をもあって、GSの入口は順番待で列を作るほど人気のあったGSではあったが、ご覧の通りの姿にビックリした。・・。
場所の善し悪しもあろうが、周辺のGSでも5~10円の価格差があり、1円でも安いところに行くのは当たり前のことである。

◇2軒目ガソリンスタンドの姿

写真はまだその姿を留めたガソリンスタンドの姿であった。
このガソリンスタンドに目を転じると、いち早く建設機械が入り、根こそぎ掘り起こし巨
何の前触れもなく、給油口はシートがかけられ、車の出入り口は僅かなテープが張られ、人の姿は全く見られない。

何時もの様に気軽に訪れ、この有り様に、驚くのは拙宅ばかりでは無かろう。
原油価格は景気の波にトレンドして、今は下がっているので、スタンドの販売価格も下がり気味であり、それほど厳しい環境と思えないが、過当競争の長年の付けが、閉店に追い込まれてしまったのであろうか・大な油タンクなど撤去され、あっと言う間に更地になってしまった。

たまたま通りがかりに、この淘汰されていく現実の姿に改めて、不況が足元に及んできていることを改めて思い知らされた。

◇続けざま3軒目
「おや!!ここもかい」
威勢のいいおにいちゃんに迎えられ、車で賑わいを見せていたガソリンスタンドが閉鎖に追い込まれてしまった。周辺地域では経営者の交替を含め3軒目である。

そのガソリンスタンドも既にマシンが撤去されつつある中で事務所の什器が残され、ポスターがそのまま張り出されたままであった。主が居なくなり、慌ただしく撤収した姿が象徴的であった。

多摩テックも9月幕引き

2009-09-08 20:10:00 | 世の中変わる
◇多摩テックの観覧車

「子供達が遊べる日野のお薦め所は何処?」
「多摩動物園、多摩テック」唯一誇っていた2つの、遊園地のうち、多摩テックが閉園に決まった。開演以来、約50年ゴーカートや観覧車や乗物が人気を呼び、子供も大人も楽しめる遊園地として、人並みが絶えなかった。地元ばかりか、遠方からも子供達の夢を追って、一度は来て、乗り物を通じて子供の成長を確かめる、登竜門的な存在であった。
孫娘も此処で、乗物を征服し、未だ未だ楽しめる大事な場所でもあったが、失うことの大きさは実に大きい。

大きな時代の流れの中で趣味、趣向の変化が、客足の伸びに繋がり、年間のピークで100万数えた入園者が60万に下がってしまったことで、経営のホンダが撤退の意志を決定したようである。天空を見上げ高々と上がり、僅かな客に、大半が空気を運ぶ観覧車の姿に素人目にも薄々、先行きを案じていたが、現実はやはり酷しかったのであった。
また、世界的な不況の嵐が本体の車産業にも及び、こうした副業も赤字ではドライに撤収整理することなのであろう。


見上げれば、多摩丘陵の高台に観覧車、市内を俯瞰する乗物は街の飾り物であり、ステータスでもあったがその多摩テックも今月9月で閉園になってしまう。

◇我が家の歴史でもある
日野に越してきて、多摩テックがしっかりと生活の中に根を降ろした大事なフィールドでもあり我が家の歴史でもあった。
初めてハンドルを握り、ドキドキしながら、走りはじめ、自分で乗物を動かすことの出来ることを体感し、移動する乗物から目に入る別世界に、感動を呼んだ。
子供達が乗物に乗り、自分で運転し、新たな世界を体感したのも此処から始まった。
市内から子供会の集団の一員として、隊列を組み、多摩テックまで登り、飯盒炊飯でカレーライスを作り、ワイワイガヤガヤと賑やかに手作りのアウトドアの世界を楽しみ、小屋で一晩過ごしたことなど、鮮明に記憶に残る。
その子供達も独立し、我が家から離れていった。孫が誕生し、自分達が楽しんだように家族で時折多摩テックに訪れ、楽しんだ。

◇孫娘も此処で免許証を貰ったが

その孫が一通り乗物を乗りこなし、夢中になる世代に成長し、じいじに顔写真入りの免許証まで見せて貰った。
親から含め、とうとう3世代も此処で関わり持った。


◇不況の波に被さり
隆盛を誇った多摩テックも、一時のピークから比べると客足も落ち、取り分け平日は閑散としてきた。
そんな折、世の中不況の風が吹き荒れ、多摩テックも容赦なく不況が襲いかかり、閉鎖がアナウスされた。
皮肉な事に、此処で育ち、想い出を作った人達がそんなアナウスに、誘われたのか、昔を確かめるように、賑わいを見せ、混雑するようになった。半世紀余り、日野の看板として、多摩テックに人を呼び、楽しませたが、後僅かで、惜しまれつつ、遂に役割を終え、幕引きを迎える。
ああ~あの観覧車も止まり、やがてその姿も消えてしまうのであろうか、寂しい限りである。



◇最後の観覧車

惜しまれつつ9月で閉幕した多摩テックであるが、未だ園内が稼働中のおり、カリン姫と楽しんだ一つがこの観覧車であった。市内はおろか、多摩地区のステータスタワーとして、多摩テックが活躍している姿は遠くから見通しが出来た。この観覧車がユラユラ揺れながら、地上遥か高いところに、360度見通しのきく夢の世界に運んでくれた。

何時もの通り、日課の朝散で、ちょっと足を伸ばし、多摩テックの山頂まで登ってみた。その観覧車の行く末はと思っていたが、ご覧の通り、綺麗に撤去され、大きな外輪の骨組みだけで残されるだけで、あった。
何れこの骨組みも、総て姿を消し、多摩テックの象徴する姿も消えてしまい、遠くからは多摩丘陵の森の姿に再び戻るのであろう。このゴンドラの下を園内の冊の外側沿いを歩くと、園内の様子がはっきり見える。かっては子供達を載せて走った、ゴーカートも待機したまま、そのままの姿で残され、未だエンジンの息づかいと温もりがあるようで、何時でも走るような感じがしてくる。広々としたプールも賑やかだった子供達の姿も無くなり、コンクリートで色鮮やかに固められた姿だけが、淋しく残っていた。多摩丘陵の中の静かなコンコース、変わりゆく姿を追って見たい。

◇観覧車が消えた

日野の名物の一つであった、多摩テックの観覧車が目の前を消えて行く。
市内を縦断する浅川と並行する多摩丘陵の高台に位置し、市内を始め多摩地域を俯瞰する存在だけに大変目立っていた。
既にゴンドラは撤去され大きな外輪も輪の一部が既に外され、その姿を地上から完全に消してしまうのも時間の問題になってきた。タワーの根元に見えているの建屋が併設された温泉「クアガーデン」である。
ガラス張りにぐるりと眺望がきく所で温泉に浸かる、なんて何とも贅沢な風情であるが、これもなくなってしまう。

長い間、空高く夢を載せたゴンドラが役割を終え、地上で置き並べてある。縦列に置き並べ、色鮮やかな姿は丸で「おとぎ列車」のようである。空中高く掲げる、看板の乗物だけに風雪に晒されながらも、外装にはことさら、手入れをしたのであろうか実に鮮やかに輝いている。
さ~て、この「おとぎ列車」の行く先は何処に、第2の人生を歩むのであろうか

◇温泉も消えた
多摩テックに併設された温泉も、併せて閉館される。多摩丘陵の高台にあり、温泉に浸かりながら、多摩地域を一望出来る場所は他に無い場所だけに、残念である。

温泉と言うと、火山の周辺と言う概念から、草津、箱根などが直ぐ頭に浮かぶが、温泉地とは縁の遠いこの多摩丘陵にも、温泉が湧き出る、と言う事で話題を呼んだ温泉である。
こんな至近な所で、銭湯の沸かし湯に非ず、れっきとした温泉である。
地底深く、掘り下げれば湯脈に通じるのであろうか看板表記の「ナトリウムー塩化物の天然温泉」である。
この温泉の「クアガーデン」も多摩テックと同じ運命共同体にあり、閉鎖されてしまった。


お師匠さんに思う

2008-01-18 22:43:00 | 世の中変わる

ベトナム カントーで日本のODAで建設中の橋が崩落し、200人以上の人が亡くなる信じられないような大事故が発生したが、何故か報道官制が敷かれている様で、詳細は全然伝わって来ない。一方ではプラント建設で名門のIHIがエネルギプラント部門で未曽有の赤字を出し、会社の成り行きにも影響する決算であった。
最近では再生紙で企業ぐるみで偽りが発覚し、日本全体が何か奇怪しくなっている。
かっては日本を支えていた一流企業がどうしてしまったのであろうか・・・。
国内が設備投資で沸き立つ頃、プラント建設に身を置き、右肩上がりの成長時期に幾つかの現場を夢中ではしりまわったが、そんな世代感覚から、とても信じられないことである。
それはさておき、たまたま古い写真を整理していたら、過去の古傷が色々蘇ってきた。
写真は入社早々駆け出しのころ、最初に送り出された中国地方で最初の一貫製鉄所として仲間入りした日新製鋼の呉製鉄所の建設中の写真である。新興国の追い上げ、乱立など不況の風に業界再編成など起きる中、何とか生き残っているのもこの一貫製鉄所の役割は大きく、未だ現役でがんばっているようである。
元より右も左も判らぬ駆け出し小僧は瀬戸内に面する一製鉄所で、一言で語れない、驚天動地の世界で半年間を冷や汗をかき、神経をすり減らし、色々学んできた。
同僚のWさんとは同じ釜の飯で寝食共にしながら、仕事の上で色々教えて貰った、お師匠さんの一人であった。さほど違わない世代であり、お互いに気心知れた中であったが、ことを起こすのに何よりも慎重であった。そんな慎重派はなによりも、自分の体も人一倍ケアーしたと思えるが、昨年病で御亡くなりになった。
多感な時期に暮らした呉の生活を思い出しながら、書いて見た。

プラント建設に身を沈める

日野バイパスの完成

2007-03-22 21:30:00 | 世の中変わる
◇散策コースが無惨にも開発の爪が

何時も歩く、自然豊かに土の匂いがする散策コースが無惨にも開発の鍬が入ってしまった。
市内を貫通する基幹道路である、甲州街道(R20)は激しい交通量に限界に来ており、バイパス路の敷設は渋滞緩和の決めてとなる。
こうしたニーズから日野バイパスの計画が具体化し、渋滞解消とも併せ、中央高速国立ICへの直接接続により、中央高速の乗り入れが楽になり、市内での交通路も大きく塗り変えられる。
確かにこれで足周りは便利になり、市内の基幹道路としてスムースな車の流れは大いに期待されよう。
しかし、こうした輝かしい成果ばかりに光をあてられるが、一方ではバイパスの完成の蔭に、殺到する車ラッシュから騒音、排気ガスなどでバイパス周辺の環境汚染は目に見えて明らかである。
川辺堀之内は市内でも自然に囲まれ、静かな環境の一つであるが一気に都市開発の波をもろに巻き込まれてしまうのである。鬱蒼とした自然の中、マムシ注意の看板など人寄せぬ環境、竹林、豊かな耕作地など完成する前にその姿を追ってみた。
日野バイパスの姿

◇バイパス開通
日野バイパスがご覧の通り開通した。
耕作地であった田園地帯の風景も押し寄せる都市化の波に姿が少しずつ変わって行く。


バイパス路として国道に格上げされた既存の道路も、歩道の植え込みが削り落され、車道の拡張がなされ、信号の分岐点では右折占用のレーンが設けられるなど、インフラが整備された。
豊富な自然の街なみの中の住宅地や耕作地は此処に来て大きく手が加えられ、都市化の波がたひたと押し寄せてくる様である。
開通式がこの坂の部分で行われたようであるが、当日は物珍しさもあってか、大量の見物車両の誘引や国立に結ぶ一部の道路規制もあってたちまち大渋滞を起こし、長蛇の車列に、果たして混雑解消に役立つバイパスなのかと思った。
しかし、翌日は上下線共、ご覧の通り、綺麗に流れ、新しい道での快適な走行を果たしているようである。
今回のバイパス路の一番の目玉は此処、神明の坂の部分で緩いカーブと緩斜面に当たり、上り車線からは交叉する川崎街道が手に取る様な位置となり、周辺の風景を含め俯瞰する形で気分良くドライビングする事が出来る。


◇日野バイパスオープニングセレモニー
警視庁の騎馬隊まで動員しての「日野バイパス」開通間近のオープニングセレモニーが行われた。
日野バイパスの堀之内の急斜面から降りて、川崎街道との接続点にある中央分離帯は広い幅を持ち、廻りはコンクリートで鋪装されているが、此処だけは土になっており、臨時の専用馬場になってしまった。
白始め褐色の複数の馬が、窮屈な専用車両から開放され、馬場に出たが、主におとなしく従順に従う所は流石訓練された馬であると共に、馬体が引き締まり、躍動的な姿は芸術品を見る様で選りすぐれたエリートなのか何処の馬も美しい。

道路の完成と言っても子供達に余り縁のないものだけに、腐心の末にお馬さんが、人寄せパンダ役を引き受け、子供達を載せた感動体験を行っていた。

◇バイパス完成で、混雑緩和
バイパスの完成で、国立市、立川市、日野市、八王子市の4市をまたがる市街地の混雑緩和と沿道の環境維持を担う役割で車の流れはダイナミックに変わろうとしている。
「国道20号線、日野橋付近を先頭に何十キロの渋帰」などとTV,ラジオなどメデアで報じられる交通情報も毎度お馴染みと思われるほど、往復2車線では既に麻痺している。
このバイパスの完成により、従来の国道は都道となり、新たなバイパスは国道に位置づけられ車の流れは当然バイパス側にシフトしてくる。
車の流れはスムースになるものの、混雑緩和に喜ぶ周辺地域がある一方では、新たな道路開発で周辺環境が車世界に巻き込まれ地域など、バイパスの及ぼす影響は広範囲にわたってくる。
今日も買い物に車で何時ものコースにバイパスに直結する道路は歩道の植え込みは落され、車道はその分拡げられた。
その道に直結する道も、占用レーンが何時の間にか敷かれ、何時もの走行と異なることに気がついた。

日野バイパス完成の姿で整理し、アップしてみた。


◇周辺の環境も大きく変わる
このバイパスに沿って、走る住宅地の両側1.5車線の生活道路はこのバイパスの完成までの抜け道として慢性的な渋滞を起こし、目一杯寄せる車両に歩行も大変危険な道路になってしまった。
しかし、バイパスの完成により、車列の進入は嘘のように少なくなくなり、元の住宅地との静寂な世界に立ち戻ったようで、歩行者でも安心して歩けるようになった。
とんだ車ラッシュに巻き込まれた道沿いに住む人達が、やっと取り戻せた環境に一番安堵されたのではなかろうか
只、この道づくりもこれで終わった訳ではない、坂を降りた中央分離帯部分が写真で見えるように広い空間を残している。
ここの分離帯でトンネルで分岐され、未だ未完成の浅川北岸の往復2車線路と接続される。
生活空間として利用している以上どうしても、この道に出ざるを得ないが、車列の増加と共に明らかに車のスピードが早くなった。
気ぜわしく追われるようであるが、今まで以上に安全走行の為の気配りが必要になってきた。

2006から2007へ

2006-12-31 18:09:00 | 世の中変わる


近くの神明台から真っ赤に染まる水平線を撮ったが、落日の街並みの姿に波瀾に満ちた2006から
2007への引き継ぎを告げるシーンである。
色々重なった年の変わり目に振り返って見る。


◇悲しい出来事
毎年、年の瀬に各家庭ではお節料理に腕を振るうが、燐家から丹精込めて作られ蜜たっぷりの極上の栗きんとんを頂いたが、その腕を奮っていた奥様が亡くなってしまった。
そのねっとりした味がもう、叶えられぬことなってしまった。
暮れに押し迫ってから会社の同僚が亡くなった。同じ世代で在職時代は殆ど休んだ事が無かったが、5月に癌にかかり、半年余りで他界した。野次馬精神旺盛で色々認めたいものが沢山会ったはずであるが、それも叶えずに、悔しがっていた。

◇出会いを求め「韓国」、「北海道」へ
春に思い切って燐国のchejyu島へ行き、歴史と観光、韓国料理をたっぷり堪能したが、折しも韓国ドラマ「チャングム」で縁の地出ある事などからにドラマに引きずり込まれた。
9月に道東へ行き、クルージングで海側から世界遺産の知床の世界にせまり、その神秘の世界に触れることができた。
◇節目の上級試験のチャレンジ
夏の暑い時期に上級ハムとは置くがましいが、2級試験にチャレンジし、悶々とした抑圧した世界を送ったが、何とか合格し、再び無線の火が付いた。

◇あっという間に幕引き
悲喜こもごも、自ら忙しくしながら、あっと言う間に2006は幕引きを迎えた。
年々、加齢と共に何故か1年間のスパンは短くなってくる。

ぎっしり詰まった日々も振り返ってみても、忘れる事も多く、そんなことが、暦を短くしている
こうした目の前の諸事をデジカメを通して捉え、多少重荷とも思いながらも日々のアクセスカウンタを見届けながらhp作りに傾注し、忙しい日々に明け暮れてしまった。
のであろうか・・・?


ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/