春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

新旧物置の更新

2022-11-28 13:40:15 | ライフワーク

長い間使い続けた物置も屋外で風雨に晒され錆が全体に及んでいる。
雨水が溜まりやすい天井部や内部の床部分などは特に浸食が激しい。
前面の左右の扉は下部に車が付き、床部分のレールに乗せられ、開閉が出来た。
しかし、車も脱落し、レールも錆びつき、破れ、穴が開き、最早、鉄の塊でレールの面影がない。
こんな状態で、無理きり扉を開け閉めすると、扉が思わぬ方向に脱線し、修復に開け閉め操作を繰り返す必要がある。
思うがままに開閉出来ず、鉄箱にガタンガタンと壮烈な叫び声が響き渡る。
設置場所は狭い路地を挟んで隣接する隣の家とは塀で仕切られているが、猶更反響する。
こんな物置に『もう限界だぞと』そそのかされて、在来品は幕引きの時期と解体処分し新規品に置き換わり世代交代の時期と判断した。

◇解体処理
早速、ネット上で物置の解体作業処理を調べてみる。
設置済みの物置の解体作業は専門業者があり、作業着姿の御兄さんが物置に乗っかる写真入りの記事がネット上で賑やかに載って居る。
解体対象の大きさで、費用が決まるようであるが、今回の対象物件では、その事例から、解体、引き取り含め15、000円が相場の様であった。
新品の物置の価格はピンキリで色々あるが、ほぼそれに近いものがある。
解体、引き取り費用は新規購入品と同程度の価格が掛かることが判った。
価格に改めて驚くが、職人さんの費用、引き取り代を含めると、そんなものかとも一方では思える。
しかし今回はリスク承知で解体作業を自ら取り組み、解体品を整理し、市の粗大ごみ処理で引き取りすることで、結果的に引き取り費用1,000円のみで済む道を選んだ。

◇立ちはだかる鋼材
たかが鉄箱、ネジさえ緩めれば解体分離出来ると思っていたが、鉄材同志の長年の堅い絆はがっちりと固まり、ガンとして許さず分離は撥ねつけられた。
ネジと締め付けられた鋼材部分が錆で一つの塊になっていた。
そこで文明の利器KURE 5-56が登場し、錆を落とし、接合部の動きを呼び起こす溶剤にかけた。
これでかなり抵抗した部分は遂に崩落し、無駄な抵抗はこれまでと遂に、緩め分離に成功した。
しかし、それでも残りの幾つかは最後まで抵抗した。
板金は鉄材として処理そのまま再利用も無かろうと、最期まで抵抗する鋼材目掛けて、腰を曲げての、ハンマーを打ち下ろし、ペンチで捻り、ねじ切った。
『バコーン、バコーン』と静寂な住宅地に時ならぬハンマーの打ち下ろしから激しい衝撃音が鳴り響き辺りを憚ったが、咎められることなく、爆裂音は収まり解体処理は何とか収まった。
何とも騒々しいが、解体処理の幕引きを告げる、響きでもあった。
解体した板金、鉄材は壁際に集め、整理し、1週間後の回収を待つのみとなった。

◇物置の購入
在来品の解体処理に併せ、新機購入品の選定が必要であった。
ホームセンターで組み込み完成品を現物確認し選定するか、ネットで探すか迷った。
結局、自前で組み立てする山善製HSSBー098 で材質は多少グレードを上げ亜鉛メッキ鋼板とした、廉価版が魅力的であった。
商品に関し、売り手側の一方通行の宣伝だけに留まらず、気になる点が購入者の目からレビューされており、良いものもあれば厳しい意見も賑わい、参考になる。
組み立て加工に果たして素人が出来るのか一抹の不安もあったが、ネット上でも同様の意見があったが何とかこなしている記事もあり、組み立ても自前という事にした。
そんな情報を読み取り、amazon経由で購入することに決定、早速申し込み、購入の番号を確認し近くのコンビニ端末から代金を支払う。
その間、製造元の出荷先から都内到着、市内配送と配送ルート上で、  現在何処に在るのか、メールで逐一連絡が来る。
発注後翌々日に手許へ配送された。


物置写真の大きさのイメージがあったが、板金と骨材が重ねられ圧縮されたコンパクトの梱包で纏められていた。
  トラックから配送業者が軽々と担がれ受領確認の上手許へ、届けられる。重量20㌔もあり、1人では扱いきれぬ重量であった。目の前を悠々と運ぶ配送業者さんの姿に、逞しく鍛えられた体力を見せつけられた。

◇いよいよ組み立て
さーて、いよいよ組み立て開始にかかるが圧縮された梱包材を前に果たしてどんな姿で目の前に現れるか、ワクワクする戦い前の一時であった。
組み立て説明書が同梱されており、早速開いてみる。
12pに及ぶ説明書で、素人でも組み立て出来るように、画主体の手法で組み立て開始から完成まで順番で描かれている。取りつけは全てネジでドライバーがあれば組み立てられる様工夫されている。
最初の取っ掛かりの組み込みは、支えるものがないフラットな底板を倒れないように支え、立てた状態で側板をはめ込む。支えながらの組み込みの一人作業は厳しく、二人作業を薦めている。
どうつなぎ合わせるか、説明書の絵と現物が中々会わない。
戸惑ったが何とかはめ込みに成功し、組み立て品が自立出来ることで、漸く最初の山を越え、後は順次組み立て品を加えて行く。
組み込みが順次進み、筐体として形が整い、組み立て細工のようで楽しくなっていく。


写真は既に自立し、背面部の取り付けに掛かるところ。

◇部品番号の表記が組み立て支援
多数ある組み立て構成品は夫々番号が貼られ、現物の識別が番号で確認出来る。現物に貼られた番号の向きが説明書の表記と一致しており、組み立て時の、上下、左右の位置関係がこの番号札で判り易くなっている。

◇組み立て完了
◇扉はレール上に載せる
扉の上部には車が付いており、扉を斜めにして、下図のようにして内側からレールに載せる。レールは外側から見えないため、はめ込みに苦労する。車が上手くレールに乗ると快適に扉の開閉が出来る。
前面左右の扉を奥に位置する左側の扉をからはめ込み、次いで右側の扉を手前にはめ込み、一応完成する。

◇収納庫のねじりから扉閉まらず
据え付け後、シャリシャリと軽い音を立て扉はスムースに動いた。
しかし、矢視表記されている扉の当る部分と扉の間に隙間が生まれ、完全に閉まらず機密性が失われる難問に遭遇する。

原因は底板の水平が取れておらず、『収納庫がねじれている』のが原因と考えられ、収納庫が水平になるように調整する。…組み立て説明書による
ネットワーク上でも、この種のトラブルが発生していることが上げられ、それぞれ対策されているが、果たしてどのように処置すべきか悩みどころでもあった。
◇ねじれへの挑戦
基礎部分はコンクリートのブロック片を4個置き並べその上に収納庫を載せているだけで、水平が取れているか余り意識はなかった。
だいたいねじりのメカニズムと言われても、据えられた収納庫の外観の姿からとても判りずらかった。
ならばと下図のように、収納庫と基礎材の間にスペサーを入れ、様子を見たら、収納庫が傾きが微妙に変化し、閉まらなかった扉の隙間も変わってきた。


試行錯誤で絵の表示の通り、スペサー片の枚数を変えるなどして、一番良い所を探して、完璧に隙間が無くなり収まった。

◇漸く完成
組み立て作業は予想しなかった幾つかの節目を、越えて何とか完成する。
錆びつき、ぼろぼろであった旧品からテカテカに輝く立派な佇まいに一新され、置き換えられた。

早速、屋外にむき出した庭の補修用としての砂利、肥料、薬品、道具など新しい物置に入れ変わった。
物の出し入れに、がたびし音を立て騒々しかった物置も、静かに扱えるようになった。
◇回収作業
指定日に回収トラックがやってきた。既に大型家具が積まれた荷台に解体された物置の鉄板類が跡形も無く次々と投げ込まれ、片付いた。

休みもなくあっという間の回収作業、回収トラックは次の回収場所に向かっていった。
走り去るトラックに一連の作業はこれで終わった。幕引きを飾るに相応しいトラックの見送りであった。
時代の遺物を前に解体、引き取り、組み立ての一連の作業は容易ならざる事を実感したが、金を掛けずに殆ど自前でやり遂げられた。

多種の構成部品に素人向けに如何にして組み立てし易くするか、工夫され、こちらでも紹介されてます。ご覧ください。
『物置』置き換への挑戦


北海道土幌線タウシュベツ川橋梁

2022-11-10 11:55:14 | 旅先にて

旧士幌線は道央の士幌から大雪山国立公園の深い森林のに十勝三俣の結ばれ、石炭運送や森林開発を担っていた鉄道輸送路であったがトラック輸送に置き換わり役割を終え廃線になる。
その旧士幌線は基本的に国道273と平行して走っているが、途中の糖平(ぬかひろ)湖は北海道の鉄道の中でも最も海抜の高い位置にあり、その山岳、渓谷地帯を走る山岳路線であった。
この山岳路に25/1000の急勾配と急カーブの厳しい路線立地に沢山の橋を作る背景にあった。
同線を走っていた鉄道路線も次々と消えていく中でタウシュベツ川橋梁の遺構は特異な存在であり、一目見ておきたいと掻き立てらる北の大地、北海道の一つである。

◇四季の自然変化が幻想の世界を生み出す
北海道中央部糖平湖にかけられたコンクリートアーチ橋は旧国鉄土幌線にかけられた橋であり、かっては煙を吐き出し逞しく走った機関車の姿があった。糖平ダム建設のため湖底に消えた。

それが冬、山に降る雨が雪になり湖に流れ込む水量が減ると湖面の水位が下がり、橋が姿を現す。
秋には再び湖底に沈むので,こうして消えた鉄橋が再び姿を現す、世にも不思議な変幻自在の存在である。
橋長は130m、直径10mのアーチが11連続き、その姿はローマ宮殿の遺構にイメージにつながる。
このアーチ橋は鉄道廃線と共に解体の危機であったが、NPO法人の活動で残された。1月に入ると糖平湖が凍ると水位が一気に下がり橋桁が次々と姿を現す。
橋桁のコンクリートの表面は氷結した湖面が水位が下がる度にガリガリと削り落として行くために痛めが生まれてゆく。
厳しい冬を何度も乗り越えた重みが、橋梁に刻まれ、人工的に構築されたコンクリート表面が岩肌のように風化し、歯止めがかからないまま、何れはその姿が消えてゆく運命にあると言われている。

◇某年9月タウシュベツ川橋梁へ

前日は美瑛と富良野、更に幾寅駅の「鉄道員(ポッポ屋)」のロケ地など、何時来るともなく列車の姿もなく淋しい駅舎風情に浸り鉄っちゃんになりきってしまった。設置された粗末な木造駅舎が既にシミを帯び、永い間風化した姿がそっくりタイムカプセルして、往時の世界に浸ることが出来る。赤い郵便ポストも時代を象徴している。

駅舎に隣接するだるま食堂。閉じられた入口のガラス戸にはここを潜った暖が見える。鉄道利用客が駅前で一献を交わし、気炎を上げ、しばしの時を過ごす、絵になる世界をオープンセットが演出している。

秋の日は短く、国道38、274をひたすら走り、当日の宿泊先である、然別湖に投宿する。
翌日、ホテルを出発し、糠平湖方面に向かう。

道幅も狭く、連続カーブが続く九十九折りに久しぶりに山岳ドライブを味わう。
糠平湖はてっちゃん、てつこさんを喜ばす士幌線の廃線跡に残されたコンクリート製のアーチ橋がある。士幌線は国道273に併設されているが深い渓谷にあり、事前準備もなかったので、その姿を見つけ出すのに骨が折れた。
それでも3箇所の著名な橋と鉄道資料館を執念で探し出し、当日の大きな目標の一つは達成した。

◇上士幌町鉄道資料館
旧国鉄士幌線の廃線後残されたのが鉄道資料館である。

廃線跡に残された大小60余りのコンクリート橋梁群は「北海道遺産」に選ばれ、同線の残された備品類や当時の写真など資料が掲示され、当時の生生しい姿と再会することが出来る。士幌線を守ったネクタイに制服で身を固め制帽姿の駅員さんが、生き生きとした姿で出迎えらる。

一方資料館の外には廃線レール・枕木は機材を流用し国鉄で線路保守管理を担当したOBの指導で敷設した再現線路が敷かれていた。
大人も子供も本格的な枕木は専用軌道で自ら踏む人力でトロッコが風を切って、かって走った1930年代に立ち返り、士幌線の乗車体験ができる。

□いよいよ、タウシュベツ川橋梁へ

上然別町から273号線を糠平湖方面に目指す。樹林帯の中、果てしなく続く真っすぐの道の右側がタウシュベツ川橋梁である。何処まで続くのか、森に囲まれた花道、往復車線に全く車が見えず、この静寂の中、遭遇するのは動物位であろうか

◇悪路も何のその
此処タウシュベツ川橋梁には国道273を右折し、林道に入って行く。
完備された舗装の国道から、一転して未舗装の物凄い荒れ地に車は上下に激しく揺すられながら糖平湖湖畔近くまで入ってゆく。


途中1車両が漸く渡れる狭い場所に隅っこに赤い標識があり、一歩間違えれば落車の危険もある。幸いに対向車もなかったが、お見合いがあれば、狭い道を後退して退避場所に移動することも必要である。
激しい揺れに緊張しまくりながら走り、林道の奥の駐車場になっている広場に漸く辿り着く

◇水没した悪路歩き
駐車場に車を置き、更に奥地へ入っていく。倒木がそのまま放置され、足元は完全に浸水している。

失敗すれば水中へ、僅かな足場を確かめながら、不安定な足場を一歩一歩湖畔に目指す。
木立が伐採された空間が、一応道になっているが、ご覧の通りの悪路になっている。
水辺際は自然が人の進出を妨げる難路、昼なお暗い鬱蒼とした木立の先の開けた湖畔を目指す。
かっては此処が専用軌道が走って、あのタウシュベツ川橋梁に繋がっていたのである。

◇感動のタウシュベツ橋梁対面
喘ぎながら深い森から糖平湖湖畔に出る。目の前にあのタウシュベツ橋梁が湖に浮かぶ姿に対面し、感動する。

大小の岩場を一歩一歩進めながら、橋元に近づき、既にコンクリートが砕け、陸地近くの橋梁はご覧の通りセメントが崩落、内部の補強用の鉄筋がむき出しに晒されていた。
橋梁を取り巻く四季の変化がこうして基礎部分が削られ、遂に支えるものも無く、徐々に崩落し大地に沈んでゆく。

その先の湖面に姿を現し、目の前にきらきら波打つ湖面に浮ぶ姿は実に感動的であった。足回りは悪い、秘境の世界に、現地に訪れる観光客も見受けられず、静寂の中、糖平湖に浮ぶ橋梁の姿は最高の芸術作品でもあった。

◇ドライブ・旅行記事
JAF会員向けの機関紙であるJAF Mateのドライブ・旅行記事が賑っている。
誌上での紹介記事の関心事は、その姿を背景に語られる記事に心揺さぶられ、是非とも直に見て、おいたいと車旅に駆り立てられる。
一方では、既に行った所もかっての旅先の思い出が改めて蘇る。
そんな場所が近隣では伺い知れない世界が北の大地、北海道に代表され、何度か北海道を周回した。数えればきりがないが、代表例の一つが以下のタウシュベツ川橋梁でもある。
そのJAF Mateとも離別した。こちらで紹介してますので是非ご覧ください
「JAF」の離別


ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/