春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

法事でリッチに会食

2010-11-23 22:58:00 | 美味い!!

親父の23回忌で檀家寺の東北寺に子供たちが集まった。
何時も、幕末を走る著名人を狙い定め、幕末を追っかける自称「ハカマラー?」だが、今日ばかりは神妙に身内のお寺で手を合わせた。
子供たちと言っても、ン十年前の子供たちであって、腰は既に鋭角に曲がり、どうあがいても老いの姿を隠せない世代になってしまった。
かっては一族が千駄ヶ谷、杉並で一緒に暮らしたが、それぞれの道に住まいも都心を離れてしまったが、親父との絆か一緒に寄せ合うのはこんな法事位しかなくなってしまった。
本堂で朗々たる住職のお経に響きわたり、厳粛な法事が行われる。

この法事に実家で普段、全く縁の遠い、渋谷のCERULEAN TOWER 東急ホテルの40階COU CAGNOに場所を用意してもらった。
音もなく、するすると一気に40階へ、ガラス越しに見える全くの世界に目を見晴らせる。都心の高層ビルを遥かに越える場所から俯瞰するが、その場所が何処なのかガイドがなければ、中々分かりにくい。
係員に部屋を案内してもらい、席に付く。

選りすぐったスパーシエフの手の込んだフランス料理を堪能できるようである。
普段余り、お目にかかれないフランス料理にどんな物が出てくるのか、期待をしてしまう。
向かいあった形のテーブルを囲み、一族は着座するが、中々一同が揃うこともなくお互いに離れた場所での生活はどうしても他人様のように、なってしまい、まるでお見合いの席のようにそれぞれ固まってしまう。
ビール、ワインとも合わせ料理が運ばれる。

その一つが「カッペリーニとルッコラを添えたカナダ産乳飲み仔豚のキャメラリゼ 」随分ややこしい名前であるが、当日のメイン料理の一つである。
鮮やかな飾りつけは日本食のお家芸と思ったら、それは浅はかな先入観であってご覧のように、美的感覚は優れたもので、中々フォークを通すのに躊躇してしまうような芸術作品である。
柔らかに熟成された仔豚と落とされたソースが見事に溶け合い、口当たりの軽い歯ごたえに堪能する。
こうした料理が食の食べ具合の進行を図って、一つ一つ時間かけて運ばれてくる。
時間かけて、味わいながらゆっくり食べる。その間アルコールの酔もあって固まった雰囲気が徐々に氷解し、色々話が弾んでくる。
時間に追われ、ガツガツとお腹におさめる習慣から、じっくり食を確かめる世界に今日は心酔してしまった。
ナイフ、フォークの世界に無縁な明治生まれの江戸っ子かたぎの親父に、恐らく「こんなものは食えねえ」なんて今頃、言ってるかも知れない。
そんな親父を思いながら異国の食文化をしっかり味わった。

「あらし」に見送られて 函館

2010-11-19 05:52:00 | 旅先にて

北の大地に取りつかれ、北海道への旅行は毎年秋の恒例行事になってしまった。
去年は釧路で18号台風を迎え撃ったが今年は天候にも恵まれ、最高の旅行日和であった。
旧南多摩郡の、東京の西端から縦断し、羽田まで2時間以上はかかり、早朝便だと未だ家を出るころは真っ暗な世界であるが、途中で白々と夜が開けてくる。
羽田で手続きを済ませ、フライト待ちで一休み、城内アナウスで乗合ゲートに長い行列が生まれる。
機内は順次入る乗客で満員の盛況である。
周りを見ると、帰省なのか、赤ちゃんから幼稚園児位の子供連れの家族も結構多い

順次詰め込まれ、席が埋まっていく過程で窓の反対側で「ああっ!!あらしだ」
丁度、カリン姫と同じぐらいの年格好のテンガロンハットを被り、カウボーイ姿の格好いい女の子の高い声が聞こえてきた。
「ん!!あらし」カリン姫の大好きで今夢中のあの、「あらし」と慌ただしく席を立ち、反対側からの窓に近づき、確かにその姿を見つけ、早速パチリと写真を撮る。
フライトを前に周りが殆どスタンバイの状態にあるのに、周りを憚らず、いい歳のじいさんが何を間違えたが、慌てて狭い機内を小走りに「あらし」を撮りに行く姿はとても尋常ではなかった。
「キンコン」の警告音と共に飛行機はゆっくり、誘導路から移動し、滑空路へ。
やがて、エンジン音の唸りと浮き上がるような慣性力を体に浴びながら、無事に地上から離れていった。
「ムッフフフこれでお土産が撮れたぞ」と密かに思いつつ、あらしに見送られて函館に向かった。
旅行後、しっかり、その画像を納め、プリントし「あらし」命のカリン姫の来宅を待つ。
数日後、そのカリン姫が拙宅にやってきて、色々のお土産とも併せ写真を渡す。
「あっあらし!!、にのみやくんも、映っている」嬉々とした顔は何よりも一番嬉しかった贈り物であったようだ。
この笑顔が、じいとしても、とっても嬉しい。
もう小学校、幼稚園児であったころからの、きていちゃんから、好きな対象もどんどんと変わってゆく。

厳戒の横浜で「七五三」

2010-11-11 13:16:00 | 事件だ~!!

「子をもつ幸せには金銀宝石もおよばない」という歌が万葉集にあるそうである。
晴れ着を着て、危なっかしい足どりでよちよち歩きで祭壇に向き合い。成長を祝うたびに可愛い子からやがて美しい娘になってゆく。
そんな至福の時を迎え、親はもとより、じじばばも主役の娘、孫の成長の姿に驚き、喜びを感じる大事な節目なのである。
横浜生まれ育ち、つまり浜っ子の孫が7歳になり、七五三のお参りをJR桜木町駅から山側の「伊勢山皇大神宮」でおこなった。
高台の多い横浜もその一つ駅から紅葉坂を登った所にあり、「横浜総鎮守」また「関東のお伊勢さま」の名称で親しまれ、人気の高い神社である
当日は何と言う、巡り合わせか、横浜はAPECの会議が行われ、周辺の道路、海、建物は物凄い警戒振りで、そんな異常事態の中での式であった。
折しも、中国との尖閣諸島やロシアとのクナシリ・エトロフなど帰属問題など同時多発的に起きた外交問題で揺さぶられる日本政府。そんな背景の中で横浜でアジア太平洋経済協力会議(APEC)でが開かれ、刺々しい雰囲気の中で要人を迎える。
横浜開港で街の発展を遂げた今、揺れ動く外交の渦の中、皮肉にも全国から大量な警備車両と人員が動員されるら厳戒体制が敷かれる七五三の日になってしまった。
尖閣諸島で起きた生々しい映像が流出し、火種を生み大騒ぎの渦中にある海上保安部、その組織下の一つ第三管区海上保安本部には大量の警備艇が係留され、更に近くの空き地には警備用の大量のバスが並んでいる。屋根には派遣先を示す、大阪、兵庫など全国から動員された様子が手に取るように見える。

ミナトミライの道路ではあちこちに車両検問のゲートでたちまち渋滞の渦。
街の中、ホテルの玄関、桜木町駅改札、人の渦も寸分も見過ごさないと監視、監視の警察の目、すっかり、夜の闇に包まれていたが、はるばる熊本から動員された警官の姿が国を挙げて、APECを支えている。
こんな厳戒体制と大騒ぎのマスコミ報道、中華街や繁華街も軒並みに客足が落ちたと言われている。そもそもAPEC,とは「アジア経済協力会議」で何が"経済協力"か笑ってしまうが、当事者はとんだ迷惑。最盛期には21000名の警備要員が大量動員され、国費が使われる

この晴れの日、本来なら車で伊勢山皇大神宮に向かうつもりが利用できず、長い道のりを歩行行脚を強いられる。
桜木町駅から、急な紅葉坂を越えて、一歩路地に入るとゆるやかな坂、最後は階段を登り切り伊勢山皇大神宮の門前に出る。
洋服姿のでも大変長い遠い道のりを振袖にかかえ帯、胸元に筥迫(箱型の紙入れ)を入れ、白足袋に草履姿の、慣れない草履は大変な難行苦行である。中には長い道に、たまり兼ね親が抱えて神社に向かう姿も見受けられた。
そんなカリン姫も頑張ったが、途中では着物の裾に隠れて普段履き慣れた運動靴で履き替え、神社近くでは再び 草履を使うと言う荒技で何とか神宮にたどり着いた。タクシーも利用出来ず、APECが恨めしかった。
ハイポーズ、神社前で記念写真、多少緊張顔であったが、すっかりおねえさんになった晴れ姿であった。七歳の大事な節目大量な保護者を伴った他の七五三と一緒に神前の前で厳かに祈祷が行われた。ごった返す神殿前は自慢の娘、息子のファッションショー、あの厳戒体制から離れ、ここだけは晴れやかな式の平和な世界であった。
当日の厳戒の横浜と七五三の姿は以下で作成した。
厳戒の横浜で「七五三」

ようこそ松崎家の世界へ

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