千歳から100㎞、小樽より北側4、5㎞の、積丹半島の縁、高島岬にたどり着く
岬から祝津漁港を望む、穏やかな海である。
北海道西岸の浅瀬に3~5月頃産卵行動する鰊を「春にしん」と言われる。
オスの白子で海が真っ白になるほど海の色が変わったと言われる位に巨大な群れを浅瀬に寄せ、鰊の産卵があった。
その「春にしん」は昭和33年頃境にぷっつりと姿をけしてしまった。
にしんは何故消えてしまったのか?
森林の伐採により落葉が減少したため、海域へ流出するチッソや鉄など養分が不足したことにより海藻類が減少し産卵環境が悪化したことや、プランクトンなど鰊のエサが相対的に不足したことにもよるとされている。その鰊漁の豊漁も、枯渇し、夢物語になってしまった。
祝津には賑わいを見せた番屋も、立派な建屋も、ご覧の通り、板塀で封印されている。
栄華を誇る入母屋造りの玄関口、窓は木格子で組まれ、屋根の中央には煙を吐き出す天窓など、随所に鰊御殿と言われる風格さえ感じられる。
板塀の封印が解かれ、鰊漁に沸き返ることが再び訪れるのであろうか・・・。
その上の見晴らしのきく高台に建てられたのが俗に言う、鰊御殿である。積丹半島の一角、泊村での代表的な漁業家が鰊漁業最盛期に数年を要して、明治30年に 完成した建屋である。
昭和33年、北海道炭こう汽船(株)が記念事業で買い上げ、泊村から此処小樽へ移築され、その後、市へ寄贈され、鰊漁として北海道文化財に指定されている。
大きな建物は2月中旬の漁期になると、青森、秋田、山形から出稼ぎでヤン衆が此処親方の家に集まる。親方とその家族を含め総勢200人を越える大団体が寝起きや食事を一斉に行う、賑やかな集団の生活の場となる。
天井から垂れ下がったまた木の釣り手。それに吊り下がった自在鉄瓶、濡れ物を干す。
成熟した大型の鰊を串にさして丸焼きにする。焼いた鰊の油がしずくのようにパット燃える。
部屋中魚の焼いた匂いとたき火の煙で一杯。煙を吐き出すために天窓がある。
大勢のヤン衆たちは大鍋で仁平汁をたいて生活した。
ヤン衆は自分の働きに応じた賃金を貰い、豊かな気分でそれぞれの故郷の家に帰る。
同じ屋根の下、鰊漁にかける壮大な群れが家族のような生活を此処で行われ、賑わっていたのである。
巨万の富を巡る鰊漁の世界に以下のために何と「隠れ部屋」がある。
・鰊漁の巨額の販売代金を狙う強盗から防備する現金の保管場所。
・雇った素性の良くない者が酒の勢いで刃物を振り回すため、網元や家族の避難場所。
・鰊漁は豊漁と不漁の差が大きく、不漁年に借金取りが来たときの網元の隠れ場所
当地ならではの鰊蕎麦はちょっぴり濃いめの醤油味がするりと腹に収まる。
昨年の、道南巡りで寄った一つが江差の「横山家」では鰊蕎麦は匂いだけで、我慢した。最近になってBSの旅番組でその鰊蕎麦が紹介され、美味そうに食べる姿に刺激され、1年振りの小樽でようやく念願を果たした。
濃いめ醤油味、「高尿酸血症」には控えるべきであろうが、美味い美味いと汁まで、がんがん呑んでしまった。尿酸値も気にしながら、辞められない、止まらないで、意地汚く、食べ、飲み、後々まで喉の渇きが、後に残る。