春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

豆台風の襲来

2006-10-27 16:41:00 | 家族の絆
◇三輪車乗れるんだあ
「どう、恰好良いでしょう、三輪車乗れるんだあ~」
おっかなびっくりで乗った三輪車も四肢の目ざましい伸びに、窮屈になった。
ペタルの踏み込みが重くなり、時折スムースに廻らなくなる。
そう、もう限界に近いので、補助輪付きの二輪車に乗り換え、この三輪車ともお別れ乗車になる。
その元気な晴れ姿を見て貰おうと、おばあちゃんの家に蛇行しながらようやっとたどり着く。
今まで見なかった曾孫の元気な晴れ姿と、その成長ぶりに驚いていた。

普段接して居ないだけに、体の成育と合わせその振る舞い動作、応対振りが赤ちゃんから幼児へ曾孫の急速な成長の姿など、驚きとも合わせ大変喜んでいた。
そんな振る舞い、純な気持ちは憎いぐらいに今が一番可愛い時期なのであろうか、このままで合って欲しいなんて身勝手ことを思ったりする。
普段は殆どママと二人の世界に、精神的な拠り所は総てがママであり、ママ追いの姿であったが、それも徐々に目覚め、自立の世界に入ろうとしている。
我が家に来ても、遊びに夢中になると、ママが出かけても、驚かなくなり、ジイジと、お留守番役をあい勤める。
駐屯基地化した我が家には何時も玩具箱が常設してある。
回転する円盤に口をパクパクう動かす魚を吊り上げ、大人も夢中にさせる電池作動の玩具。
ケーキ作りのケーキ屋さん。
大好きなうどん作りの素材など。
でも、今一番の感心時の一つは自分の家から持ってきた往診器具で注射を打たれたり、聴診器を当てられ、たちまち患者さんにさせられてしまう。(笑う)
きちんと応対しないと可愛い先生に怒られてしまう。
遊び相手の一人として、未だ相手にしてくれるが、次々と目先を変える移り気な遊びの対象は次ぎ次ぎと変わり、玩具箱をひっくり返した状態に陥る。
台風一過、居なくなると、寂しい空気が漂い、孫の存在感の重さ大きさをしみじみと感じる。

◇唄い、踊るまくる
来宅前の電話のやり取りで「ライオンバス乗るん~だ」電話口でもう既に、一方通行の自分の意志を告げ、「あのさ~ジイ~ジの家に行くんだ~」と大張りきり。
そのまま動物園に行ったら、駐車場が、がら空きに奇怪しいなと思ったら、何と休園日であった。
◇多摩テックで乗り物征服
急遽作戦変更し、山をぐるりと廻って多摩テックに向かう。近場に行楽の遊園地を控え、車さえ有れば危急の代替えが出来るのが、お子さま天国ではかろうか?
遊園地では目の前に走る数々の乗り物に目を輝かし、幼児向けの乗り物を次々と征服して行く。
ミニカー、チンチン電車、メリーゴーランド、そして当園では一番高い所まで登る観覧車まで、いっちょまいに余裕のポーズまで取って、カメラ目線に向かってスター気取りにこちらに応える。
アップダウンの激しい園内に、今まで必須であったチャイルドカーの支援もなく、逞しく歩く姿に、何時の間にか逞しく成長したんだなあと手を引きながら、一緒に園内を廻る。
しかし、それも束の間、園入りした当時の勢いは電池切れした玩具のように、動きは緩慢になり反応も鈍くなった。
久しぶりの炎天下、30°を遥かに越える暑さに、遂に我慢出来ずにお昼寝モードに突入、立ち上がりも早いが、落ち込みも早く、スヤスヤと車の中で寝てしまった。
邪推もなく、気持ち良さそうな寝顔に、付き添い人もこの極楽天国の世界に一緒に入りたくなる位に気持ちよ~く寝ている。
「う~ん、この寝顔、実に幸せ」
我が家に帰って、爆睡から目覚め、すっかりパワーを充電して復活した。
◇充電後、大爆発
「たとえ胸のキズが痛んでも ああアンパンマン やさしい君は 行けみんなの夢守るため♪♪」今流行りの童謡を特異満面で大きな声で乗り乗りで唄い、踊るまくる。

その姿に笑いこける、取り巻きの反応を意識しながら、益々増長し、歌踊りは再現なく続く。
その無邪気な乗りについついこちらも乗せられてしまった。
何時取れるのであろうかと心配していたおしめが、来宅前にごく自然と脱おしめが行われ自分の意志で、始末が出来る様になった。
何処から覚えるのか「あのさ~」とか、いっちょまいの対話など、会う度に著しい発育の姿が見届けられ、関心するやら驚かされる。
その孫娘も、来月に3歳の誕生日を迎える。

近隣の火災

2006-10-23 11:51:00 | 事件だ~!!

日中、静かな住宅地に市内の神明、高幡、日野各消防署から駆り出された消防車の群れ、更に警察や東京ガス、東電の緊急車両が狭い、火災現場に駆けつけた、その数大凡20台以上であった。
空から激しい爆音が鳴り響き、頭上近くをうっとうしく報道関係のヘリが旋回、「こりゃ~只事ではないぞと」野次馬根性に火をつけられ 、公務妨害にならぬように現場に急行した。(オイオイ駆けつける事自体、既に妨害だよ)
既に現場近くの道路は黄色のテープが張られ、封鎖されてあった。火事現場の道は団地と北野街道方面に繋がる唯一の道路で普段でも交通量の多い通りであるが、時ならぬ交通遮断で一般車両は行き場を失い、周辺の路地まで埋めつくされ、大混乱になっていた。
火元はクリーニング屋であったがは既に鎮火方向で、燻った建屋に消防服で身を固めた屈強な隊員が中に入り、懸命に、後処理をしていたが、これ以上の類焼もなく収束される方向にあった。壁には真っ黒な油煙が、一面に残り、一時の火勢の勢いを物語るものであった。
現場付近には指揮本部と記名された旗が掲げられ、架設の机とホワイトボードで此処で組織的な消火活動の陣頭指揮を取っていた。
此れ如きの火事に、この大規模な消火活動と思ったが、専門家に聞く所、石油系のドライクリーニング溶剤は灯油とほぼ成分が変わらないので、引火したら大変なので、一般の民家の火災とは異なる消火体制が敷かれたようである。
隣接の家屋に類焼しなかったのは懸命な消火活動の成果とも思えるが、商売柄預かった大量の衣類の損害は計り知れない位に甚大なものと思える。
丁度その時、テープが張られ周辺の緊急事態に係員の静止も聞かず、猛烈な勢いで目の前を通過、消防隊員の群れの中に突っ込んで入った。警察の緊急車両と思いきや一般車両が行く手を阻まれ、たちまち警察に包囲、免許証を取り上げられられ、近くの駐車場に誘導された。
廻りの状況を読めない若者が、こともあろうに迷走してきた目の前の珍事に驚いた。

爽やかな秋日和、市内案内

2006-10-18 06:24:00 | 観光案内

「こちらは文久3年(1863)建てられ140年以上経過した江戸時代末期を物語る本陣の建物」
「甲州街道に面し、お江戸日本橋から10里(約39㎞)大名、公家、代官などが参勤交代で休憩所として利用した由緒ある建物」
月に1、2度であるが、ここで案内の大役を承っている。
今や秋真っ盛り、平日であると、時間に束縛のない、段階世代のおじさん、おばさん達が、デイバックを背負い、スニカーを履いた定番のスタイルでクラブティーリズムなどの旗をかざした団体や或いは個人でやってくる。
上気した顔にタオルで汗吹き、18畳の畳み部屋に案内すると、皆「ドテッツ」と崩れるように座り込む。しばしの休憩に皆ホットした表情にかなりの疲労感が伝わってくる。「どちらから来たんですか?」昭島、中にはつつじヶ丘からの強者が甲州街道を歩け歩けでひたすら西へ下り、ここに立ち寄ったようである。朝8時半に家を出て、途中休み休みといいながら、既に午後2時を廻り、4~5時間は歩いて居ると言う。
東海道を歩き、今回は甲州街道にチャレンジしているようである。
一通り案内してから、「これから何処えと」余計な事を聞いたら、「更に甲州街道を西下、八王子迄、1時間以上はあると思うが、頑張ります」と簡単に言ってのける。
「よっこらしょ」とすのこで再びスニーカーをはき、旅発つ姿に「お大事に」と声をかける。
秋の日は短く、果たして明るいうちにたどりつけるか、車両が激しく往来する、国道筋の騒音の中、歩け歩けの行者行進は続けられる。

バイパス工事急ピッチ

2006-10-14 10:44:00 | 野次馬見物
今や急ピッチで日野バイパス工事が進められている。
これが完成すると、従来の甲州街道(国道20号)を中心に流れていた車両が一気にバイパス側に流れ市内の車の流れが一変すると言われている。

◇日野バイパスの橋上部分

撮影した位置が、丁度、日野バイパスの橋上部分に当たる。
正面のこんもりした樹木の左側に見える白いコンクリートの壁が、橋桁になる。
神明の台地の縁の部分をダイナミックに削り落とし、大量な鉄筋が新たな壁の基礎になって、今まさにセメントが流し込まれている。
この橋桁の前方である川崎街道を横断し、既に完成しているバイパス路の石田大橋を渡り、中央高速、国立ICに直結する。
まさに日野市内からの動脈の担い手として、道路事情が一変してしまう。
ラジオから流される「日野橋付近から国道20号線○○キロ渋滞」の交通情報も、年中流され、都心と多摩地域を結ぶ一幹線も激しい物流の世界では片側1車線は既に限界にある。
その渋滞解消の一役も此処バイパスで肩代わりさせるようであるが、今工事中の橋梁部分を除き既に完成済みのバイパス目掛けて、大量の車両が既に流れ、市内の車の流れが大きく変わる前兆が既に現れている。
この工事区間を待つまでもなく、車両が付近の僅か1.5車線の住宅路に逃げ道として殺到し、往復車両が所々でお見合いし、仁義なき戦いの場所になってしまっている。
特に出勤時間には車両も多く、僅かな間隙を暴走する車両に、その道を歩行するには、かなり危険が伴い、勇気がいる。
写真の通り、未だ残される樹木、それに神明台地の下の耕作地は市内でも指折り数える、豊かな自然の場所でもあったが、この橋の完成が、騒音と排気ガスの渦に後、数カ月後にさらされてしまう。

城壁のような砦を捉えようと、畑の中に入って、パカパカ写真を取りまくっていたら、片手にヘルメットを持った工事の現場責任者が当方を見つけ、本日の現場案内をして頂く斉藤さんと判る。
早速、何年ぶりかのヘルメットを着用する。グット顎紐を締め、緊張感を持ちながら、ダンプの往来で土煙が立ち込める現場に向かう。

頭上はパイプが張り巡らす架設の足場の階段に足早に上がる斉藤さんの後を追うが、時折、この頭上の配管へ、ヘルメット越しに頭突きを何度か繰り返し、それ程痛くはないが、頭上からショックが伝わる。
城壁の様な地上10数mの欄干に立つ、此処は橋桁の上部で工事の全容を覗く事が出来る場所である。
東の方に目を転じると緩やかな勾配で地上に通じる坂が出来上がっており、片側2車線の道路となる最後の艤装工事が急ピッチに進められている。
一方反対側に目を転じると、高さ10mの巨大な壁が建っている。
この壁と崖の間に土砂を埋め込み、その上に道路が走ると言う説明に、下を見下ろすと小さく見えるショベルカーが地ならしする姿に、この計り知れない、工事規模に驚いてしまう。
ひっきりなしにダンプから吐き出される黒っぽい土石は圏央道でトンネル掘削で出た岩石の余りを運搬し此処に敷きつめていると言う。
両工事間の掘り起こされた廃棄物を正に有効活用し、大地から生れた物が再び、大地に返される実にダイナッミクな工事が地域ぐるみ行われている。
目の前のコンクリートと鋼に囲まれ、巨大な構造物を作り上げる、ロマンにかける男の世界に感動さえ覚えた。
来年3月完成を目標に急ピッチに工事は進められている。
特別に案内を頂く機会を貰い、ダイナミックな世界を書いて見た。

日野バイパス完工直前

北の大地で爆走する

2006-10-01 05:10:00 | 北海道旅行

「果てしない 大空を 広い大地のその中で 何時の日か幸せを♪・・・・♪♪」
そんな歌詞がピッタリ、思わず口ずさみたくなる広い大地に、何処まで続くか真っ直ぐ伸びた道路。
長い旅路に廻りの心配よそに、オッサンはルンルン気分で北の大地に酔いしれながらハンドルを握る。
広い道に前方には雲被る山々、真っ青な空、知床峠越えの国道での走行であった。
せせこましい本土で、違法駐車、無法自転車、脇道からの飛び出しに神経を張り、時には角を立てて走る世界から、広々とした世界に飛び出て、まさにドライブの醍醐味がたっぷりと楽しめ、北の大地ならではの新たな世界が発見出来る。
同乗者が慣れない土地にこのオッサンに身を預けて本当に大丈夫だろうかと言う心配と、4日間乗り放しの長い道中にオッサンに任せてしまい、加齢による疲労を案じての心配などが重なりあって声を掛けてくれる。
そんな心配を背中に背負いながらも、「ん!!大丈夫と」気軽に応えられるのはこんな道路環境から生れる世界でハンドルを握り楽しめるからであろうか疲労感は全くない。
時には遥か彼方まで続く直線路に対向車もなく、もとより信号も少なく、爆走する世界に浸りきってしまうと、この大地を一人で独占してしまったような妙な征服感に浸ってしまうのである。
慣れてくると、廻りの様子が多少見えてくる、その走りッ振りから、何処か疑心暗鬼で走っているのが当車と同じ"わ"(レンタ車)ナンバーである。
広い道中それでも、時には車が詰まってくる事もある。
国道は概ね速度制限は40、50キロであるが、殆ど守られていないのが実情である。
そんな道路に車間を保ちつつ、流れに沿っていい気になって走っていると、時速70~80キロの世界である。
幾ら流れに沿っているとは言え、ふと気づいたら80キロ、これでは頂いたゴルードカードに傷がつくと良心の呵責が働き、70キロ以下に落とす。
その速度ダウンにそれまで流れていた車間が詰まり、「何を走っているんだこの"わ"ナンバ」とばかり、背後から煽りが入る。
背後から右に左にポジションを選びながら、いらいらしながら先方の対向車を伺う様子がよく見える。それも気づきながら、チョイ悪おやじでスピード維持に勤める。
堪り兼ねて、恐らく時速100キロの世界で対向車線を跨ぎ、追い越していく。
その追い越し車は地元の"わ"以外のナンバーであった。
これが此処のローカルルールなのか、危険と隣り合わせのせっかち車が、はびこって居る。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/