春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

スローな列車旅 成田

2011-04-28 14:13:00 | 旅先にて

国を揺るがす3.11地震は総てを狂わしてしまった。家の上に乗り上がってしまった船、車の上に車が重なるなど、物凄い爪痕に未だ、先の見通しが立っていないのが現実の世界である。
よもやの大惨事も予想されず、3.11以前にクラブツーリズムの企画の、のんびり列車旅で千葉の成田山に参加した。
御参りをしてきたがその後にとんでもない凶事が生まれてしまった。まあ、たまたまの偶然の凶事であって、神仏のお怒りは全く根拠のないことと思いたい。
そんな旅の思い出を腐らないうちに、引き出しからそっと引き出してみた。
旅と言うと目的地まで地図と首っ引き、何処をどのように走るか、運転プランを練る。自分の手でハンドルを裁きながら、車の流れを読み、全神経を傾注してドライブも楽しいが、事故のリスクを背負い走らせるのも年老いたせいか、結構疲れを感じるようになった。
そんな車から離れ、たまにはと鉄道旅であった。車を乗り回して以来、余り鉄道を利用しなかったが、何年ぶりであろうか、新鮮な気分での千葉の成田山までの列車に身を預けた。
JR中央線の、立川駅で、お上りさん宜しく、クラブツーリズムのかなり太めのおばさんの翳す旗のもとに当日の参加者が集まり黒山の人だかりであった。引率されるままホームに向かうと、何処からやってきたのか、この日のために動員されたのか、見るからに使いこなした
車両であった。第一線から退いた古参兵の特急車両が「回送」の案内板を付けてホームへ入線する。別に華やいだ雰囲気も無く、乗るお客も殆どが時間に余裕を持つじいさん婆さんなので、それに合わせたとは思わないが、如何にも古くさい車両に、粛々と乗車する。
◇専用お召し列車

の専用お召し列車は決められた団体を乗せる駅だけ止まり、それ以外は止まらないノンストップ列車である。中央線から総武線、更に房総東線に乗り換えなしに、乗っていける贅沢な列車である。
ノンストップと言うと如何にも早そうな感じがするが、同一路線で大事な定期電車を優先にダイヤが組まれているため、その隙間狙いで遠慮して走っている。そのため、やたら停まるのも、急がず、焦らずの、時間に追われる事のないのんびり旅の特徴である。
車内販売は全くなし、通路を挟んで反対側、ツアーに参加の高齢のおばあさん、徐に缶酎杯を空け、気持ちよさそうに飲んでいる。隣に相方が居ないのは寂しそうに見えるが、余計なお世話、一人宴会モードは朝から既に始まっている。
飲ん兵衛の一人として、その飲み振りをただただ羨ましく眺めるだけであったが、車内販売もなく、此処は我慢の子であった。
車運転の酒は絶対の御法度であるが、列車に身を預け、適度なアルコールに依る心地良い酔は車にはない解放区である。
お召し列車側が走り出して 間もなく、暫く時間調整で立ち止まる。車窓から電車待ちの通勤・通学客がホーム一杯に立ち並ぶ姿が嫌でも目に入る。ホームからこの列車は何だろうと奇異な視線を浴びながらも、何の拘束もなく、ゆったり感はささやかな贅沢気分であった。
◇物凄い参拝客

お召し列車は成田に到着し、300人近い集団が列車から一気に吐き出される。バスツアーであればバス10台分相当の大キャラバン隊である。
駅前を埋めつくすこの集団始め、他から来る参拝客に、参道から境内迄の人々の渦に圧倒される。
元々成田山参拝客輸送を狙った専用鉄道として、このJR成田線と京成電鉄があり、年間300万近くの参拝客を背景に賑わいを見せている駅である。
三大不動の一つである成田山新勝寺。同じ不動でも高幡不動しか知らない拝に、この人の渦にお登りさん気分で一気に吸い込まれてしまった。
そんな旅巡りは此処で案内
成田山新勝寺

気になる3本煙突

2011-04-23 09:56:00 | 野次馬見物

昭和記念公園は旧米軍基地のあったところを、返還され、全面的に公園に整備され、基地としての面影は完全に一掃されてしまった。
しかし、公園の西側に隣接する土地は立川基地跡地として手つかずのままである。
その一番西端にあたる部分は残掘川が流れ、その周辺は訪れる人も少なく、自然がたっぷり残されるところである。
残掘川側から基地跡に巨大な煙突が昭島口側に1本、更に玉川上水口に3本の煙突が樹木越しに頭の部分が顔を出している。
かっての基地は米軍が抜け出した後は人をも寄せつけぬ未踏の自然の宝庫の世界である。

その煙突直下に近づいて見る。

樹木に遮られた部分はクリーニング工場で、3本の煙突はボイラー用の物である。建物と周辺設備は自然に晒され荒れ放題の所もあれば、そっくりそのまま残って居る事が、某サイトで写真が掲載されてあった。
かってのアメリカンドリームとして、そこで生活していた空間が何とも気になる。まして、会社も関わりを持ったユーザーの一つであったことが微かな記憶の中にあった。そんな背景もあって、変な虫が騒ぎだし、その姿をこの目で確かめたくなってしまった。
しかし、現実は有刺鉄線のフエンスがしっかり張りめぐらされ、行く手を阻んでいる。
スティーブマックインの「大脱走」並のフエンス越えは出来ない事も無いが、この重い体では失敗して有刺鉄線の餌食になる可能性が大である。
要所には警察に通報の張り紙がベタベタ貼られてあり、過去の累犯を物語り、一辺にその夢は萎えてしまった。
「いい年こいて、あのじじいが、どう血迷ったか」と、昭島警察署で補導なんて、顛末はみっともないので、バンドラの箱は封印したままにして置く事にした。
「法を犯してまで、それをやっちゃあ~おしまいよ~」・・・と柴又の虎さんも、きっと言っているに違いない。

市内で迷子

2011-04-20 19:56:00 | ライフワーク
<郷土資料館>

立川に用事があり、それを済まし、多少の余裕が生まれた。
久しぶりに天気が良い。気晴らしにちょっと高台に登り、多少放射能に汚染された空気でも思い切り吸って、寿命が縮まっても、既に満身創痍のポンコツ体には影響無かろう。
市内の程久保の郷土資料館にモノレールで高幡不動に向かった。
行けば何とかなるだろうと、数年前のいい加減な記憶を頼りに、駅から山側に足を向けた。動物園側にどんどん登って行ったが、肝心の登り口が、全く判らなくなってしまった。
近くに店も無く、途方にくれながら、折角登った坂を下って、再び駅側に戻る。
途中で買い物袋を下げたおばちゃまに、思い切って声をかけたら、「同じ方向なので、途中まで案内します」との応えに「オオ~ラッキイ」と天使の遭遇に心弾ましながら、後を追う。
登りにつけ、段々傾斜がきつく、息も切れそう。
「毎日のことになると、大変ですね」なんて、息を切らせながら言うと、「ええ、慣れてます。待ち人が居るんで、急がしてすみません」なんて、当方の息づかいまで悟られ、言われてしまった。(笑い)
高台の上に廃校となった小学校の跡をそっくり、そのまま郷土資料館にたどり着く。
「ありがとうございました」おばちゃまの親切な案内に感謝の言葉をかける。

こんな立派な学校が何故、廃校に、相対的な少子化もあるが、やはり高台のハンデが人も済まなく、過疎化が予想される。
市の厳しい財政状況から、展示室も一部電気が落とされ、来館者が付けなさいと張り紙の徹底した省エネ化。点灯している蛍光灯も、末期症状か点いたり消えたりしており、総じて、館内が暗い。繁華街から外れた山の上の高台、場所が場所だけに、訪れる来館者も少ない。
そんな環境の中で精鋭の職員が頑張っている。

用事を済まして帰路に付く。
<団地の植え込みに花が>

帰りは色々ルートがあるが、おばちゃまに教えて貰ったお勧めのコースを敢えて選んで坂を下る。
未だ花びらが残る桜の植え込みが、大変綺麗である。
この花道を越えると、視界が開け、高幡の下界が一望できる。
一気に階段を駆け降りると、直ぐ先は車で喧騒の川崎街道に出る。
市内で迷子も優しい、出会いに救われ、気分が良かったなあ~。

折角の花見も興ざめ

2011-04-14 09:51:00 | 多摩の四季

地震、雷、火事、火事、原子力
相次ぐ、天災に毎日が鬱屈した世の中である。弱り目に祟り目、こんな折りに、毎金曜日、2度も続いた近所の火事は更に打ちのめすようである。
でもそんなおり、へこたれているだけでは何も始まらない。
毎年、この時期に新宿御苑の花見は定例行事になっているが、こんな時期こそ、顔を見せあい、花の下でお互いに元気さを確かめあいたい。
世の中自粛モードであるが、桜の花びらで気分を晴らしたいとの現れ「凄い・凄い、人・人」で、何処のゲートのキップ売り場も行列の渦である。
そんなゲートで何時もと違うのはアルコールの持ち込み検査を行っている。丸で国際線の出入国管理ゲートの如く、何時になく緊迫ムードである。たかが花見、されど花見に、こんなに人出を動員し、大騒ぎで厳しい検査をしなければならないのか・・・。
ようやっとゲートを潜り、桜の木の下に、行くが人・人で埋まっていた。


「満開の桜の下でハイポーズ」は何時に変わらぬ世界であった。
しかし、あの異常な通門検査に併せて、苑内での車座の世界にづかづかと入り込み、無粋な監視の小役人がウロウロと目を光らせ、パトーロールしている。
まるで犯罪者を追うような彼らの姿に、そんなことまでしなくても、すっかり興ざめしてしまった。何とも歪んだ国に成り下がったんだと、腹立たしい、気分であった。

あの再選されたS太郎の「花見どころじゃないだろ~」の一声でこの、厳戒態勢が引かれたようであるが、「この震災も天罰」と言ったり、傍若無人振りが、この顛末に繋がっているんであろう。
被災を思う気持ちは、皆同じ、例えば募金活動など、やり方は幾らでもある筈である。
そんな厳しい監視の中でも、トイレの行列に既に顔を真っ赤に染まった輩も多数居たのも滑稽であった。
先の見えない原発に、今年は花見までも、汚染されてしまった。

さらば「立川中華街」

2011-04-12 05:51:00 | ライフワーク

「立川中華街」が、とうとう20011年、3月末で閉店した。
「立川中華街」は四川、北京、上海、広東など様々な中華料理。「上海の小籠包(ショウロンポウ)いや麻婆豆腐店など、彩り豊かなメニュウの店の前で行ったり来たり、さて何が良いか、ああやっぱりこれか」と食を通じて中華文化に身近に触れることが出来た。


同じフロアーには東西南北を守る青竜、白虎、朱雀、玄武門を配置。中華街にはつきものの、三国志の英雄、関羽をまつる関帝廟(びょう)の厳めしい顔が凛と構え独特の雰囲気を作っている。料理店だけでなく、食材・雑貨の店や占いの店も軒を並べ、中華文化を支え、来る人を異境の世界に運んでくれた。


中華街と言えば横浜であったが、其処まで行かなくても足回りの良い、駅ビルの一角に設けられた 。
あの街ぐるみの規模まで及ばないが、多摩地域でもフードテーマパーク型の中華街として登場し、話題を集めたが、結局立ち行かなかった。
「グランデュオ立川」の1999年4月オープン以来、12年を経過するが、中華街としての12年の歴史に幕引きを迎え、実に寂しい。
一時は行列迄作り、ブームを呼んだが、日本人の特性か、熱し易く、冷めやすく、気まぐれな客筋を常に一定に足を向けさせるのは難しい、外食産業の姿であった。


中華の雰囲気を味わうのはこれでさらばと記念に閉店前にカリン姫と一緒に行ってみた。
じじ・ばばの財布の底を見通しか、ごくごく質素に単品物の大好きなめん類で、ご満足されたようで、でも食べ振りは頼もしく、完食であった。
ああ~これで、ここともお別れ、店の人に聞くと、これだけの店も殆どがチエーン店で、撤収。新規リニュウアルしても残るのが1、2軒と実に寂しい話であった。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/