春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

電車基地に鉄の姿

2015-02-23 22:11:00 | こんな鉄道もあるぞ~
連日氷点下の厳冬の世界から、日中は春を思わす陽気であった。
寒さに身を屈めていたのが嘘のように暖か、こうして寒暖を
繰り返し、待ち遠しい
季節が確実にやってくるのであろうか・・・。
朝の修行も、今日はお天道さんがかなり上がってからの出立。
何の気なしに足は電車区方面は、カメラのバッテリイー交換
後の様子見で適当な被写体探しで向かった。

縦に長い連結車両が何両も休み、此処から前線に送り出ささ
れる、広大な電車区である。
その延長上に八王子側に専用軌道がはしり、小さな踏み切り
を渡ると、電車区の敷地の縁に辿り着く。



金網が張りめぐり、適当な撮影にどうしても遮ってしまう。
それぞれ、整備か単なる待機か、あるいは運転訓練の通勤
用車両や本線の特急車両が色とりどりに休んでいる。、
その中に混じって新参者のシルバー地のライトブルーの車両が
鉄ちゃんじゃあないので、判らないが、本線の211系のようである。
軽量化の流れに乗って、徐々にこの車両が席巻されるようである。


「復活!なつかしの
グレードアップあずさ色
189系で行く中央線の旅」

なんて、うたい文句で呼び込みを図り
2014年12月6日デビュウーした新参者で
臨時・増発列車および団体専用列車としての運転を予定している。

そう言えば、普段余り人影の少ない、近くの線路に自慢の
カメラをぶら下げた撮り鉄が、晴れのスターの雄姿を捉え
ようと群れなしていたことが重なる。

白をベースに、車体下部にアイボリー、窓回
りに緑・赤のラインを施した貴公子のような存在なのかな

温かい日差しに、少々汗を
電車ごっこで童心に帰り、春の陽を甘受した。

ミニ・ローカル線に乗る

2014-03-08 06:17:00 | こんな鉄道もあるぞ~
調布の龍源寺に行った帰り、西武多摩川線に初めて乗った。
<多摩駅で入線を迎える>

JR中央線の武蔵境から是政まで8㎞、全線でたったの6駅で結ばれる。
元々多摩川の砂利を掘り起こし、同路線を使って運び出され、貨物路線で光輝いていた謂わば砂利運搬路線であった。
所が多摩川の砂利採掘は禁止され、同線が誕生した路線の役割は終わったが、近くの中島飛行機などの貨物輸送の役割を担った。

路線周辺には住宅が生れ、旅客輸送が増え出し、砂利の傍ら人も載せる時代から、やがて貨物輸送の役割も終え、今日の旅客輸送専用の姿に変っていく。
地域住民の貴重な足として、利用される他、多摩墓地や、競艇場開催時の輸送手段としての役割を果たしている。

そんな地域限定型の路線に、中々利用する機会も生れなかった。
JR中央線は都心に繋がる路線として結構利用する機会もあるが、武蔵境駅で遥か離れたホームにその姿を見たような、縁の遠い路線でもあった。


調布の龍源寺へ行ったが、帰りは府中へ寄りたかった。
バスの乗り継ぎで行けるが多摩川線を使ってみた。
龍源寺からバスで西武多摩川線多摩駅まで出て、多摩線で白糸台まで出れば京王線の武蔵野台へ乗換るルートを選んだ。

多摩駅から乗車、単線運転である。
初めての乗車に物珍しさもあって、どんな車両か、わくわくしながら、
入線を待ち受ける。
平日の日中時間帯であったが、何両かの連結車両であったが、お客が少なく空気箱の状態で長い座席を独り占めしてしまった。
ドアーが閉まって、発車するまで間合いがある。
ドアの開閉の車掌業務と車両の運転操作は一人でのワンマン運転なのである。
路線の運営維持のため、徹底した省力化は勢い、こんな所に負わせられる。
<車両基地>

多摩駅を発車、瞬く間に、白糸台駅についてしまった。
それもそのはず、駅間距離は1.4㎞、所要時間はたったの2分であった。
白糸台駅で降車、多摩川線の線路伝いに行き、踏切を越えると、車両基地が大きな専用スペースを占めている。
その脇を道なりに向かうと、正面にホワイトイエローの京王線の車両が見えてくる。武蔵野台へ到着、この間並足で歩いて約8分近くかかった。
この僅かな乗車時間とかなり離れた乗換時間の落差はギャップを感じる。
この乗換の通路は人の流れを生み、格好の商店街となると、思えるが、お店も見えない、静かな住宅街であった。
そんな背景もあって、路線の生き残りをかかて採算性を問われているようである。

ああ~長野電鉄「屋代線」

2013-11-03 14:08:00 | こんな鉄道もあるぞ~
松代は真田十万石の城下町に250年もの長き歴史を刻む、武家屋敷が町内各所そのままそっくり残される。
街角にふらりと歩く帯刀姿の武士が出くわすのでは思われる、静かな街並みである
そんな風情にタイムスリップして、歴史散策を楽しんでいたら「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし」と言われるぐらいに、あっと言う間に日は落ちる。
かなり、暗くなってきたが、ぼんやりと目に入ったのが、松代駅であった。

<薄くらい明かりの中、駅舎がそっくり残されていた>

何時来るか、間引きされたダイヤに入線する長野電鉄の車両を待ち続ける、僅かな乗降客が居るのではと思われる駅舎がそっくり残されている。
その線路はその屋代線で2012年3月廃線になってしまった。

<キップ売り場はカーテンが閉じられているが、その向こう側には駅務員が居る様な錯覚冴え覚える>


屋代線は千曲川東岸の町々を結ぶ路線として千曲市の屋代から須坂市の須坂まで全長24.4㎞の長野電鉄の鉄道路線である。
河東鉄道により1922年(大正11年)に屋代 - 須坂間が開業され、90年間地元の足として役割を果たしていた。
典型的な地方都市の過疎化は屋代線の利用客減少にも繋がり、沿線三市の資金援助を要請するなど延命対策をこうじたが、遂に廃線に追い込まれた。
千曲川を沿う様に屋代線が走るが、それに並行して、国道18号、上信越自動車道、松代バイパスが走りモーターゼネレーションを背景にした道路の整備が生れ、車文化の発達が、鉄道を排除してしまったのであろうか。
同路線を担う須坂の町を歩いたが、人の蔭が見られず、かっては賑わいを見せたであろう、軒を並べた店もあちこち閉じられ、 シャッター通り化され寂しかった。

一日、数百人の乗客。たまに巡り逢わせる車両も、恐らく空気箱のような状態が目に浮かぶ。
ホームの下は既に雑草が映え、レールの姿は見えなかった。写真で見ると線路越しにもう一つのホームがあったが、それも消えていた。

<ホーム下は既に線路もなく、再び原野に>

「ああこれも、時代の流れなのか、消え去った鉄路にこの駅舎が何時までも残されれば良いなあ~」
と鉄の心が、ちょっぴり、揺らめいた

最初で最後のグリーン車の旅

2012-08-29 11:37:00 | こんな鉄道もあるぞ~
先日、(2012年8月)長野新幹線に東京から上田まで乗ってみた。
通過地点の横川は既に廃線となっている。2年前にそこへ行き、乗って、歩いて、触って、見て鉄道の原点を確かめ、感動を呼んだ。
改めてそこを振り返って見る。
◇トロッコ列車

横川から軽井沢へ行く手を急峻な碓氷峠を歯車を使ったアブト式鉄道で急さかを克服した。
JR信越線の輸送路として、輸送量の増大、高速化に進化する長野新幹線に置き換わり、100年余りの使命を終え、廃止となった。
横川から軽井沢寄りの4.8㎞は軌道を外し整備し、トンネル・鉄橋をそのまま残し「アブトの道」として蘇った。
鉄道施設の整備工場、変電所、多数のトンネルの現風景をそのまま留め、「碓井峠鉄道文化村」として鉄チャン、鉄子さんの鉄道のメッカが此処に生れた。
「文化村駅」から「まるやま駅」を通り「とうげの湯駅」まで2.6㎞の道を、途中の「まるやま駅」での休みを除き、約20分でトロッコ列車はのんびり走る。先頭車両はオープンデッキ型展望スペースで訪れた4月は碓井峠の山間の風が吹き抜け、大変爽やかな乗り心地であった。

◇世界遺産登録を目指すめがね橋(碓氷第3橋梁)

アプトの道、全長4.8㎞を行くと碓氷線の18ある橋梁で最大の橋梁である「めがね橋」がある。長さ91m、高さ31mのレンガアーチ橋で国内最大の美しい橋である。
「めがね橋」は国指定重要文化財・日本近代化遺産第1号と登録されているが、更に世界遺産登録を目指している。


□長野新幹線で一っ飛び

今年の夏(2012年)奥能登のツアー旅行があり、前述の碓井峠を一っ飛び、東京駅から上田駅まで長野新幹線に初めて乗った。
車両の先端部は長く伸びた鴨のくちばしは、高速化にしのぎを削り、車体構造も航空機の世界に入った感じがする。
こうした高速化の努力により、旧信越本線の特急が、上野から上田まで、2時間27分であったが、長野新幹線では東京から上田まで1時間30分で、1時間の短縮が実現している。
都心から上田まであっと言う間に着いてしまった。
旧南多摩郡の我が家から東京駅までと同時間である。

◇快適な車内空間

初めて乗る、新幹線グリーン車両。座席は中央の通路挟んで横2列、縦方向にも広い空間を持ち、元より短い足では思い切り伸ばせる。
究極の座り心地を求め、背もたれを起こしたり、寝かしたり、繰り返す操作は、新しい物に出会い、はしゃぎ廻る子供のよう・・・「馬鹿だね~」
恒例の飛行機旅では狭い所に押し込まれ、折り重なるように乗せられ、窮屈な我慢の世界に慣らされたが、この広い空間と最高な座り心地は、輩のような貧乏人には全く無縁の特権階級世界であった。
冥土のみやげ、此れが、最初で最後のグリーン車の旅だろう

御用だ、哀れ踏切姿!

2011-02-22 10:08:00 | こんな鉄道もあるぞ~

「御用だ、御用だ・・・じたばたするな、観念しろ」
多数の捕手方に取り押さえられた容疑者某は最早観念したのか、逆らうこともなく、縄に伏した。首には黒い袋をかけられ、全身これまた真っ黒な物に被せられ、体には大きな×印の添え木が架けられ、晒された姿に人目を憚り、首がうなだれている。
何々、その罪状は「天下の道をお鉄道様がお通りなどと、人も駕籠も馬、車を遮り、行く手を阻むばかりか、"カンカン"、"カンカン"と泣き叫び、往来の通行人ばかりか、近隣まで騒ぎまくったとのお咎めが、遂にお縄ちょうだいになったようである」
何時も通る道も塞がれ、真っ黒い不気味な構造物が、そのまま立っていた。かっては下を通る通行人、車を見下ろし、雨の日も風の日も御上の指図に逆らうことなく忠節に守り続け開けたり閉めたり、365日役割を果たしていた。その大事な関門を預かり、絶対的な権力の栄光も今やひっそりと、討ち果てようと影を落としていた。
何時までも、その姿を晒続ける事に哀れみ、何れはその姿も、何処えか消える運命であろう。
京王線、南平駅付近の踏み切りが2011年、2月某日のアンダーパスの完成で、長い長い役割を終えた。アンダーパスの開通でセレモニーなど光、輝くかげで、それ迄の役割をしっかり守り続けてくれた。

その閉塞された踏み切りの先の南側はJRの堀之内踏み切りである。
豊田駅が近くにあり、上り車両が駅に入線しただけで、忠節に遮断してしまうために、踏み切り横断の人や車両が大量な渋滞の渦を作り、遮断機の存在感を示している。そんな面からこの度、お縄を頂戴した、仲間より罪は深い。
ついついこの長い遮断に耐えきれず、遮断棒を押し上げ、無謀にも渡ってしまう、ご人も見受けられるが「おいおい、それをやっちゃあ、おしまいだよ!!」

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/