春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

北海道土幌線タウシュベツ川橋梁

2022-11-10 11:55:14 | 旅先にて

旧士幌線は道央の士幌から大雪山国立公園の深い森林のに十勝三俣の結ばれ、石炭運送や森林開発を担っていた鉄道輸送路であったがトラック輸送に置き換わり役割を終え廃線になる。
その旧士幌線は基本的に国道273と平行して走っているが、途中の糖平(ぬかひろ)湖は北海道の鉄道の中でも最も海抜の高い位置にあり、その山岳、渓谷地帯を走る山岳路線であった。
この山岳路に25/1000の急勾配と急カーブの厳しい路線立地に沢山の橋を作る背景にあった。
同線を走っていた鉄道路線も次々と消えていく中でタウシュベツ川橋梁の遺構は特異な存在であり、一目見ておきたいと掻き立てらる北の大地、北海道の一つである。

◇四季の自然変化が幻想の世界を生み出す
北海道中央部糖平湖にかけられたコンクリートアーチ橋は旧国鉄土幌線にかけられた橋であり、かっては煙を吐き出し逞しく走った機関車の姿があった。糖平ダム建設のため湖底に消えた。

それが冬、山に降る雨が雪になり湖に流れ込む水量が減ると湖面の水位が下がり、橋が姿を現す。
秋には再び湖底に沈むので,こうして消えた鉄橋が再び姿を現す、世にも不思議な変幻自在の存在である。
橋長は130m、直径10mのアーチが11連続き、その姿はローマ宮殿の遺構にイメージにつながる。
このアーチ橋は鉄道廃線と共に解体の危機であったが、NPO法人の活動で残された。1月に入ると糖平湖が凍ると水位が一気に下がり橋桁が次々と姿を現す。
橋桁のコンクリートの表面は氷結した湖面が水位が下がる度にガリガリと削り落として行くために痛めが生まれてゆく。
厳しい冬を何度も乗り越えた重みが、橋梁に刻まれ、人工的に構築されたコンクリート表面が岩肌のように風化し、歯止めがかからないまま、何れはその姿が消えてゆく運命にあると言われている。

◇某年9月タウシュベツ川橋梁へ

前日は美瑛と富良野、更に幾寅駅の「鉄道員(ポッポ屋)」のロケ地など、何時来るともなく列車の姿もなく淋しい駅舎風情に浸り鉄っちゃんになりきってしまった。設置された粗末な木造駅舎が既にシミを帯び、永い間風化した姿がそっくりタイムカプセルして、往時の世界に浸ることが出来る。赤い郵便ポストも時代を象徴している。

駅舎に隣接するだるま食堂。閉じられた入口のガラス戸にはここを潜った暖が見える。鉄道利用客が駅前で一献を交わし、気炎を上げ、しばしの時を過ごす、絵になる世界をオープンセットが演出している。

秋の日は短く、国道38、274をひたすら走り、当日の宿泊先である、然別湖に投宿する。
翌日、ホテルを出発し、糠平湖方面に向かう。

道幅も狭く、連続カーブが続く九十九折りに久しぶりに山岳ドライブを味わう。
糠平湖はてっちゃん、てつこさんを喜ばす士幌線の廃線跡に残されたコンクリート製のアーチ橋がある。士幌線は国道273に併設されているが深い渓谷にあり、事前準備もなかったので、その姿を見つけ出すのに骨が折れた。
それでも3箇所の著名な橋と鉄道資料館を執念で探し出し、当日の大きな目標の一つは達成した。

◇上士幌町鉄道資料館
旧国鉄士幌線の廃線後残されたのが鉄道資料館である。

廃線跡に残された大小60余りのコンクリート橋梁群は「北海道遺産」に選ばれ、同線の残された備品類や当時の写真など資料が掲示され、当時の生生しい姿と再会することが出来る。士幌線を守ったネクタイに制服で身を固め制帽姿の駅員さんが、生き生きとした姿で出迎えらる。

一方資料館の外には廃線レール・枕木は機材を流用し国鉄で線路保守管理を担当したOBの指導で敷設した再現線路が敷かれていた。
大人も子供も本格的な枕木は専用軌道で自ら踏む人力でトロッコが風を切って、かって走った1930年代に立ち返り、士幌線の乗車体験ができる。

□いよいよ、タウシュベツ川橋梁へ

上然別町から273号線を糠平湖方面に目指す。樹林帯の中、果てしなく続く真っすぐの道の右側がタウシュベツ川橋梁である。何処まで続くのか、森に囲まれた花道、往復車線に全く車が見えず、この静寂の中、遭遇するのは動物位であろうか

◇悪路も何のその
此処タウシュベツ川橋梁には国道273を右折し、林道に入って行く。
完備された舗装の国道から、一転して未舗装の物凄い荒れ地に車は上下に激しく揺すられながら糖平湖湖畔近くまで入ってゆく。


途中1車両が漸く渡れる狭い場所に隅っこに赤い標識があり、一歩間違えれば落車の危険もある。幸いに対向車もなかったが、お見合いがあれば、狭い道を後退して退避場所に移動することも必要である。
激しい揺れに緊張しまくりながら走り、林道の奥の駐車場になっている広場に漸く辿り着く

◇水没した悪路歩き
駐車場に車を置き、更に奥地へ入っていく。倒木がそのまま放置され、足元は完全に浸水している。

失敗すれば水中へ、僅かな足場を確かめながら、不安定な足場を一歩一歩湖畔に目指す。
木立が伐採された空間が、一応道になっているが、ご覧の通りの悪路になっている。
水辺際は自然が人の進出を妨げる難路、昼なお暗い鬱蒼とした木立の先の開けた湖畔を目指す。
かっては此処が専用軌道が走って、あのタウシュベツ川橋梁に繋がっていたのである。

◇感動のタウシュベツ橋梁対面
喘ぎながら深い森から糖平湖湖畔に出る。目の前にあのタウシュベツ橋梁が湖に浮かぶ姿に対面し、感動する。

大小の岩場を一歩一歩進めながら、橋元に近づき、既にコンクリートが砕け、陸地近くの橋梁はご覧の通りセメントが崩落、内部の補強用の鉄筋がむき出しに晒されていた。
橋梁を取り巻く四季の変化がこうして基礎部分が削られ、遂に支えるものも無く、徐々に崩落し大地に沈んでゆく。

その先の湖面に姿を現し、目の前にきらきら波打つ湖面に浮ぶ姿は実に感動的であった。足回りは悪い、秘境の世界に、現地に訪れる観光客も見受けられず、静寂の中、糖平湖に浮ぶ橋梁の姿は最高の芸術作品でもあった。

◇ドライブ・旅行記事
JAF会員向けの機関紙であるJAF Mateのドライブ・旅行記事が賑っている。
誌上での紹介記事の関心事は、その姿を背景に語られる記事に心揺さぶられ、是非とも直に見て、おいたいと車旅に駆り立てられる。
一方では、既に行った所もかっての旅先の思い出が改めて蘇る。
そんな場所が近隣では伺い知れない世界が北の大地、北海道に代表され、何度か北海道を周回した。数えればきりがないが、代表例の一つが以下のタウシュベツ川橋梁でもある。
そのJAF Mateとも離別した。こちらで紹介してますので是非ご覧ください
「JAF」の離別


知床クルージング

2022-06-03 17:23:38 | 旅先にて

北の秘境に惹かれて知床クルージング行った。都市開発がくまなく進む国土に、「ポツンと一軒家」ではないが、野生の熊と確実に遭遇出来る秘境が存在することに不思議な感じがする。
陸続きであるが、深い自然もあって、自然の要塞が、人の出入りを阻み、人の手の届かない場所に野生の熊が悠々と生活している。
そんな秘境の世界も海側から、船で近接し自然の中、熊の生活環境に近寄よることが出来る。
それを実現したのが知床半島周回するクルージングであった。
そのクルージング船が観光案内中に突然沈没した。
荒れる海域に、救助の手も届かず、多数の旅客や、船員を含め、深い海域に沈んでしまった。
遭難後約1ヵ月経過、遭難船は引き揚げられたが、多数の遭難者が未だ多数行方不明であることに、衝撃的な海難事故であった。

そんなクルージングを今回遭難した航跡を、以前にそっくりと航行体験した。遭難事故を報じられ改めて他人事ならない身近な遭難事故であったことを思い知らされた。
当時は人をも寄せ付けない秘境の世界に、クルージング船が手招きし、乗せられた。
たまたまその航跡を辿り、同じ船から、荒れる海域を,揺すられながら体感し、人をも寄り付かぬ切り立つ岸壁と、其処に落ちる滝の凄さを思い切り心酔した。
遠い彼方に記憶が薄らぐが、当時の情況を物語る画像がしっかりと残されており、辿ってみる。

◇ウトロ港から出港
2階建ての軽合金製14トン、定員57名のカムイワッカ55号に乗船する
乗船者は総て、怒派手な、まっ黄色のライフジャケットを着帯させられる。

船中から海上に放り出された時、浮き輪替わりになり、見つけ易く、袖を通し此れを着た だけで、何となく身が引き締まる。9月のこの時期、オホーツク海の冷たい海中遊泳は誰しも臨んでいないが、肝心の膨らませる機能の案内は一切なかった。
海上を撥ねるように高速で突っ走り船尾にはたちまち白波の航跡が、時折側壁から否応なしに、
しぶきの洗礼を浴び、ワイルドで痛快なクルージングが始まる。
高いエンジン音と振動が船全体に響き、体に伝わってくる。
◇半島の中間部カムイワッカ周辺地域
疾走する観光船は知床半島の西端を舐める様に海岸線を走る。
陸伝いの一般道は西側の海岸線の縁を這う様に突端に向かうが、その道もカムイワッカ付近を最後に行きどまりである。ここから先は人をも阻む,まさに秘境の世界に入ってしまい、動物たちの楽園である。
1)乙女の涙、男の涙
切り立つ絶壁の中、崩れた岩石が堆積され僅かばかりであるが、自然の浜となっている。
奥の方に『プレペの滝』があり、「乙女の涙」とも言われている。ここには川がなく知床連山に
降った雪と雨が地下に浸透し、100m近くある断崖の割れ目から流れ落ちている。

一方では側壁が黄色、緑色の岩肌の点在、海水に振れる波打ち際の岩肌が白くなっている姿が目に映る。
冷泉のようで、含まれる硫黄の成分で流れる岩肌がこのように変色化している。
知床の火山形成を物語る姿が海岸にも現れている。
「どちらを見ても岩の間から水が出ている。」と言われても、この角度からは人をも憚る男の泣く姿に遠慮したのか、涙が見えにくい。
乙女の涙に続いて男の涙、隣り合わせで涙出し合う、その姿に果たしてどのような情景から、命名された由縁があるのだろうか?

2)象岩
入水した象が大きな鼻から思い切り噴き出し、ボコボコと水面が泡立つ、ダイナミックな姿に見えるが威風な姿が優しく迎えてくれる若干横に逸れているが正面から見ると「象の鼻」に見える。

3)クンネポール
アイヌ語で「クンネポール」は真っ黒な穴、洞窟を意味するそうである。
長年の波の浸食でこのような洞窟が誕生したようで、その構造から恰好のコウモリの住まいで夕方には多数のコウモリが此処を駐屯基地として飛び舞うそうである。
自然が作られた暗い不気味な姿が、コウモリの生息と合わせミステリーな雰囲気を作っている
4)ルシャ湾で熊との出合い
ルシャ川とテッパンベツ川がルシャ湾と言われる位に規模も大きいものである。
サケ・マスのふ化場があり、ヒグマのメッカである。
「居たぞ!!」「居た居た」
観光船の案内人にアナウスされるまでも、観光客が歓声があちこちに声が上がり、海岸線当たりの川口に紛れもないヒグマ1頭が鮭を求めウロウロしている
カメラでこのような姿を捉えられる程の距離から、人間様の存在が判るのか、判らないのか、完全に無視し、獲物あさりに集中している。船上からのヒグマとの出会い、海と観光船の要塞に守られ安心で安全な観光が出来る。

□半島先端 知床岬
観光船は愈コースの折り返し点である、知床半島の最先端を極める。
疾走する観光船に切り立つ断崖と目まぐるしく目の前を駆けめぐる奇岩は何処までも続く。
方角を変えて知床岬を臨む。その先端の先に薄ボンヤリと北方4島のクナシリ島が見える。
半島を覆う山岳地帯が此処だけは広々とした台地がしっかりと見える。
知床岬を飾る奇岩の数々半島の生い立ち、長い年月の浸食、大自然が生み出す数々のモニュメントはクルージングの世界を演出してくれる、主役でもある。
知床岬で反転した観光船は出港地であったウトロ港へ目指す。

□カシユの滝
オホーツク海に流れるチャラセナイ川の川口にある滝。
アイヌ語では仮小屋のあるところと言う意味。チャラッセイ(滝の落ちる所)オロソウ(大滝)とも言う。
数有る知床半島の滝の中で一番最北端に位置する滝
「ルシャ湾」に近づくと、ここからはまるで別の海になる。どんなに天気が良くても急に荒れることがあり、30分先の状況が読めない場所だ」と注意を促した。
ルシャ湾からカシュニの滝までの約5キロの海域は、北の知床岳(1254メートル)と南の知床硫黄山(1562メートル)の間から風が吹き抜けるため波が高く、潮の流れも速いという危険な場所でもある。
案の定、あの「カズワン」もこのカシユの滝付近を最後に姿を消してしまった。

□危険と隣り合わせ
同じような軌跡を辿りながら、背後の他の観光船も観光客を満載し、波しぶきを上げながら我々の船を追送する。
その疾走振りから激しいしぶきが、後部に否応なしに波しぶきの洗礼を浴び、ワイルドな船旅の様子が判ると思う。


こうして帰路に付く観光船、あるいはこれから向かうもの、数社の観光船が此処知床半島の西海岸を多数就航する姿が見受けられ、その隆盛振りから人気のほどが伺える。
知床山々の頂部を控え、べた凪の海上から疾走し観光船から洋上の風、潮を思い切り吸い、眼下に映る海岸線の自然な絵姿を堪能することが出来た。
豊かな自然を背景に生れた秘境の世界、成るほどこれが冠たる世界遺産なのだと、海上から見る半島の姿に登録された由縁が何となく判ってきた。一方では今回の事故も併せ、危険と隣合わせの場所であることも判った。
揺れる船からしっかりとした大地へ、3時間の船旅はこうして終わった。

当時の情況は以下でも詳細が残されています。ご覧ください

知床クルージング


湘南旅を飾る相模国での飲食

2020-10-23 22:04:00 | 旅先にて
江の島神社に始まり鎌倉八幡宮、最後は相模の国寒川神社と、周辺の観光を兼ね神々しき祭壇を前に汚れ切った生活に身に染まった不浄な垢を祓い、身を清めた。
そんなきまま旅の最後を飾ったのは呑み助ならではの聖地、熊澤酒造であった。普段余り縁の薄い橋本から茅ヶ崎を走るJR相鉄線で香川駅へ下車する。
◇熊澤酒造
香川駅から徒歩約5分、茅ヶ崎海岸から内陸に5kmほどの場所に自然に満ち溢れた耕作地があり、
その先のこんもりした林が見えてくる「熊澤酒造」はある。

特にこれと言った建物のない殺風景な街並みに現役を退き真っ赤な錆びたサイロ置かれたが熊澤酒造の工場門前に出る。工場敷地内には当工場の主力製品の湘南ビールに繋がる、大量のビールケースが山積みされている。

敷地の中では工場の象徴たる巨大な煙突が天空高く、建屋や林を越えや聳え立っている。
物作りに専念する環境は正に稼働を続ける酒造の最前線の姿であった。
この敷地に全く趣の異なる、ビアーガーデンが果たしてあるのだろうか?と思ってしまう、程であった。

◇緑のトンネル
敷地の外周部を行くと、ビール工場を横目に鉄パイプで組まれたアーチ状の飾りに出迎えられる。
鬱蒼としたこんもりした緑のトンネルの花道に敷地の内部が僅かに見える。
何処から来たのか、若い人が続々訪れ、花道の風情を写真に収めている。

一歩足を踏み入れると、道はコンクリート片を並べ綺麗に整地された石畳、道の側面から天井部は生い茂る草木で覆われ、僅かな通り道にすっぽり吸い込まれる雰囲気である。
その小道を潜り抜けると広場に出る。
迎えてくれるのは古式豊かな蔵元の直売場階段で繋がっている。

◇MOKICHI TRATTORIA
一方、MOKICHI TRATTORIAは築約200年の蔵や移築した築450年の古民家が建屋の母材になっている。
玄関は武家屋敷門と思わせる形式、構造、装飾など具備され、分厚い扉、骨太の柱、梁に荘重な感じがする。
頂部には守り神の龍の彫り物が構え、模様が彫られた梁が建屋を支える骨組みに組まれ、背面には分厚い重厚な扉がそのまま使われている。
母材となる材木は黒ずんだシミと黒い節目が長い年月の風化を物語っている
果たして此処がビアーホールの玄関かなと思えるぐらいの特別な世界であった。

ビアーホールがオープンしたのは、1996年である。「MOKICHI TRATTORIA」とは熊澤酒造6代目蔵元、熊澤茂吉のMOKICHI の名前で、TRATTORIAは、イタリア語で「大衆食堂」を意味するように、カジュアルながらオシャレな雰囲気造りに、6代目の意向が注がれている店舗である。
重そうな門を開けると門構えとは一変して近代的なホールの玄関カウンターに迎えられる。
建物内部は古民家で使われた柱、梁で組み上げ、漆喰の壁に高い天井を供え、和風建築そのものである。
梁に下げられた球形のシャンデリアはフランスの豪邸にあったアンティークなもので、洋風の柔らかい照明に照らされ、若干暗めが落ち着いて飲める独得の雰囲気を生み出している。

◇今日の隆盛を誇る酒造りの背景
「熊澤酒造」が敷地内に「MOKICHI TRATTORIA」をオープンした。
開発したばかりのクラフトビールは当時、流通から相手にされず、自分たちで提供する場を造ろうと
始めたのがきっかけだった。
アメリカ留学中だったという熊澤は帰国後、1993年、24歳で「熊澤酒造」の後継ぎとなった。
思うにならない販売に、熊澤酒造は蔵を閉める決断を下そうとしていた。
そんな背景の中、地元の若者を募り、湘南らしい個性ある酒造りを追求した。
2000年、地元の地下水を使い、できるだけ生酒の風味を生かすため、5年の歳月を経て突き抜けるような
涼やかさと潤いに満ちた日本酒「天青」が誕生する。
ビールはドイツに渡って、醸造家を招へいし本場の製法を学び、自社ブランド「湘南ビール」を造り上げた。
「熊澤酒造」は湘南地域の拠点として在し続け「よっぱらいは日本を豊かにする。」という社是を背景に、
ほろ酔い気分で湘南の豊かさを味わうことを追い、今日の人気の源泉になっている。
◇ビール痛飲
丹精を込めて作られたビール・酒を、蔵から出したばかりのものを飲めるこんな贅沢が出来るのは「MOKICHI TRATTORIA」では無かろうか・・・。
ドイツの伝統的な製法に則りながら、爽快なホップの苦みと香りの特徴ある湘南ビールを前に、フルーティーで繊細で、爽やかな のど越しを堪能する。この泡と言い冷えたビール、蔵元ならではの新鮮さの感動的な出会いであった。
育種のビールを飲み比べ湘南が誇る、「熊澤酒造」が手がけるクラフトビールに十分堪能した。

◇巨大の窯の中で
巨大な窯の中、釜口からメラメラ炎が上がる、生々しい姿が、見えるのもここならではの風情。目の前で熟練されたプロの腕で焼きさばいていく姿を想わず追ってしまう。こうして直火でふんわりと焼きたての温かい焼き物が、テーブルに運び込まれる。

生地(ピザクラスト)の上にトマトソースを薄く塗り、野菜や肉などの具を乗せる。窯の直火で焼き、生地に火が通ってチーズに軽い焦げ目がつけば 出来上がり。同じく窯で1枚、1枚丹念に焼き上がったピッツアをじっくり堪能する。
ビールに合った本格的なイタリアンの酒のつまみは湘南の海産物始め、地産の野菜など豊富な食材をイタリアンで調理したものが目立つ。

育種のビールを飲み比べ、拘りの料理を腹に納め、一時の贅沢を楽しんだ。

兎も角、生産現場に近い場所に隣り合わせ、それを全く感じさせない、環境の中で心地よく飲食し心酔できることが、他には見られない場所でもあった。
ほろ酔い気分で、茅ヶ崎線の車両に揺られ、映り行く車窓をぼんやり眺め、ゆったりとした気分で帰還した。
飲み助にはたまらない、湘南ビールであった。
下記で詳細を掲示してます。是非ご覧ください
湘南そぞろ歩き

荒川の神社で春を迎える

2018-04-19 17:24:00 | 旅先にて
◇桃の木で邪気払い
ふり返ってみればこれまで病気などかかったことなく、おつむ始め、
素材は悪いが、寝込むことなく丈夫だけが取り柄だった。
それが3年前これまでの悪事が祟り、経験のない災禍に次々に襲われ
自身の健康神話がことごとく崩れた。
三途の川の向こうから、「お出でお出でと」手招きしていたが、生へ
の執着からか、川のほとりに居る奪衣婆の鬼を振り切り、戻ってきた。
そんな重苦しい過酷な試練を、経験しながらも、余り反省することなく、
事改まって、何かしようと言う気もなく、平々と送っている。

極寒の毎日から解かれ、温かくなってきた。
陽気に吊られ荒川の素盞雄神社に仲間と行ってみた。
境内に彩りも鮮やかに桃が咲き乱れている。

とても可愛らしい花を咲かす桃であるが、邪気を払う霊木と言われ
ている。
古事記にはイザナギノミコトが死者の国から脱出するときに桃の実
3個を追っ手に投げつけて難を逃れたと書かれている。
ん~んこの桃の木に、向き合い、見事な咲きっ振りを前に、邪気払
いをたっぷり甘受し、あの悪夢の再来から守って貰った。

◇輝く膨大なお雛さま
戦後の復興期に強いられた耐乏生活から、多少の余裕も生まれ、
子供のために7段飾りを買う家庭も増えてきた。
我が家も昔気質の爺さんが浅草から雛飾りを買ってきた。
しかし、年の経過と共に物置の奥に隠れたまま、その晴れ姿を
飾ることも無くなった。
孫娘が誕生し、そっくり譲り渡し、世代を越えて、季節の役割
を果たしてくれた。その孫も来年は高校生、果たして飾る風習
は継いでくれたかのであろうか・・・。

住宅事情もあって、こうした伝統文化を守ろうとする機会が少
なくなってしまった。
こんな背景もあって、ひな人形段飾りを置けない家庭もふえ、
素盞雄神社では役目を終えた雛人形を引き受けはじめた。





雛壇に飾られた雛人形を前に、この膨大な数の人形様がこちら
に視線向けている。ステージの前に立ち着飾れた人形姿と向き
合い、その姿にただただ驚くばかり。家庭で役割を終えたが、
ここで再び光を浴びている。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/