春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

暑さに逃げる事が出来ない

2011-06-29 15:27:00 | こんなことに腹立つ

梅雨真っ盛りなのに、日が出れば容赦なく襲いかかり、日中34、5℃で既に脳味噌が溶けそう。
こんな日に交流館で会議。家から、3、40分の道のり汗を流し、漸くたどり着いたが、2階の会議室は灼熱地獄であった。
温度設定はガムテープが貼られ、殆ど空調が効かない状態で維持され、我慢出来ない暑さ。
吹き出る汗は留まらず、仕方なく外窓と、通路側のドアを開け、風の流れを呼び込んだ。
それでも、熱気は収まらずず、内輪の煽りで、何とか我慢した。
空調があって当たり前の世界に、それが断たれると、まるで無抵抗に干上がったナメクジモードになってしまう位に冷房環境に慣れてしまった。
暑さが災いし、睡眠不足、内輪をフル稼働しても、無駄な抵抗かも知れないが、暑い空気が移動するだけで集中できない。
こんなときにはじっと我慢して、動かざるを決め、何もしないことなのであろうか・・・。

別の日に調べ物があって中央図書館へ。
郷土史は2階であるが、ここは完全に冷房は止まっている。
背中に流れる汗を、気にしながら堪えての我慢比べ大会。とても落ち着いて長時間文字を追うなんてことは困難。何処も徹底した節電対策。未だ6月なのにこの暑さに逃げる事が出来ない。

ふと回りを見渡せば家電製品の渦、ちょっとスイッチをひねれば、安易に使えた冷房も、節電と言う意識は多少持ったが、言葉だけであった。
家電が売れれば電力消費量が増え、電機メーカも電力会社も疑いもなく儲かった。
設備投資を理由に安易に電気料金に上乗せし、世界でも比類なき高い電力料金は政治を背景にどうにでもなった。

震災から電力は安心してお使い下さいと言う安全神話は完全に吹っ飛んでしまった。
原子力の及ぼした汚染災害は国内に留まらず風評で海外にも、広がってしまった。
再び運転復活出来ず、未だメルトダウンの恒久対策も見えずに事態の深刻さは公表されずに益々奈落の底に迷走を深めるばかり。
大量に生れた汚染物も何処に捨てるのかも決まらないままに、どうするのであろう・・・。
議論も深まらないまま、原子力を尚守る経営者と反対する株主の荒れる総会。

しゃんしゃん総会で、流してしまったが、最早原子力は諦めの世界では無かろうか?、電力の行く末も不毛に。一電力会社の救いに血税が、使われないないように、祈るばかり。

胃透視、やっぱり腹黒い

2011-06-20 14:21:00 | もう、あぶないぞ~

この時期、どうしても乗り越えなければならない大きな検査が2つ重なった。
その一つは2年置きの車検がこの月に行われ、いたって故障の少ない車、プロの整備士に見て貰えれば殆ど問題無く通る。
しかし、人間の方は24時間、休むことなく何十年も動き続けただけに、あちこち綻び、総てが正常とはあり得ない。
痛い、苦しいと五感で反応すればその部位を見つける事が出来るが、精密機械は検査でしか判らない。しかし、その検査も万能でなく、ある日突然に訃報なんてことは、近代医学を持っても救えないことは良くある。
使い古したポンコツ車両、何時エンストを起こしてもおかしくない位に使いこんだ。
だからこそ、悪い部分を早く見つけ出し、だましだましでも、延命処置を取らなければならない。
前日の夕食を最後に、食わず、飲まずの身も心も戒律厳しい、修行僧の世界に入る。
市立病院まで、歩いて行ける所にあり、市内でも緑の濃い、公園の森を潜りながら何時もの散策モードでお気軽に病院へ向かう。

朝の開院前の時間に、院内に入り、指定の検査センターに向かう。それぞれの窓口には既に待機する患者で、満席に近い位に埋まっている姿に、健常者である筈の己も何となく、患者モードにスイッチが入ってしまう。
検査は基本検診にオプションの検査が指定できる。
通年通りであれば胃透視(消化管)と前立腺ガン検査であるが、今年は胃透視を止め、胃カメラに挑戦した。
胃透視カメラも半端でない。検査台に乗せられ、斜め下になったり宇宙遊泳の挙げ句、不自由な体勢のまま、体を右に左に回転せよとか、そのまま息を止めよとか、身勝手な要求が、マイクを通して次々とたたみかけるように飛んでくる。挙げ句の果てに、検査過程でゲップをしただろうと詰問を受け、罰として、美味くないバリウムのお代わりを飲まされ、再撮影が行われる。
処刑台に載り、終わるまで獄門刑に堪えなければならない。
そんな苦しみと体力を消耗することを伴いながらも、患部の検査は間接撮影なので胃カメラには適わない。
そんな獄門刑が無かったため、基本検診はあっと言う間に終わってしまった。同じ日に総てが終われば良いが、胃カメラは被受診者が多く、順番待ちの状態で日にちを別けて、実施される。
従って、別の日に再び、食事を抜いて来診する。
検査は実質20分位であるが、麻酔処理や検査後の覚醒まで、簡易ソフアで拘束されるまで、1時間近くであっただろうか・・・。
麻酔が効き、先生の腕が良いですからと言われたが、カメラとケーブルを見せつけられ、こんなものを突っ込まれると、たじろぐが、あっと言う間にカメラ要部が奥の院に入ってしまう。「ゲボッ」とカメラが入ったまま、ガスが器官から、通り抜け、苦しい!!
大事な体の一部、疑いありと組織を切り取られる。

検査が終わってもロビーで休む。日頃の慢性的な寝不足と麻酔で、頭が熱く眠い。季節柄七夕の飾りが飾ってあったが、願い事をその切り取られた組織に悪性でないこと祈った。時を待つしかないが、「腹黒いという風説」から、遂に命脈尽きる時を迎えるのであろうか・・・。

へっこみ救助隊、只今参上

2011-06-13 09:00:00 | ライフワーク

高価なガソリン代を背景にドライブも余り行かなくなってしまい、たちまち専用の買い物カーに成り下がってしまった。
そんなことを考えるとやはり車は高級な持ち物である。
乗らずに黙っていても、やってくる保険、税金それに2年に1度の車検と重くのしかかる。
「何とか安くおねがいしますよ、コバックさん」
と思っていたところ、梯子が倒れ、運悪く、車の上にドスンと鈍い音をたて、ボデー凹みも生れる自爆事故が起きてしまった。
はてさてその費用は フエンダーを外し、内側から叩いて、全面塗装、どう見積もっても、最低4~5万はかかると驚かされてしまった。
所が軽微な凹みであれば、特殊な工具と技で凹みを直し、復元する「デントリベアー」と言う方法で何とか頑張る旨を聞いた。
特殊な技を持ったへっこみ救助隊がやってきて、まさに神の手で凹みを戻し、この程度のものであれば、塗装しなくて復元出来ると言う。


車検も完了し、凹み修復は完了する。気になる費用は手間がかからない分、安く20k円と当初の半額で直してくれた。
さて、その腕の見せ所はと深手を負った、我が子と修理後の対面を図った。凹みのあったフエンダーの凹み部分を上から、横から上から角度を変えて、色々見たが全くその痕跡は見つからなかった。
車検後、仮の車検証を貼り付け、早速買い物に動員される。
駐車場で、何時になく回りの車の様子が気になる。早速傷ウオッチャーを始めてみる。全く無傷が殆どであるが中にはドアーやフエンダーに結構凹み仲間が居ることに、改めて感心する。
多少、見栄えが悪くても、走れば良い。そんな割り切りで多少の傷持ちでも、気にせず街中をすいすいと走っているようである。

所で我が家には二人のへっこみ救助隊がいる。日頃の生活に時には鬱屈し、時には落ち込んだ時など心の凹みを修復してくれる、カリン姫とアカリ姫が、修理代は無料でサービスで当たってくれる。
少々のお小遣いで、時には肩揉み、背中踏みなどのスキンシップのサービス付きがが、何よりも有り難い。救助隊の出動は今のところ夏休みなのだろうか、待ち遠しい。

さび付いたハングルマル

2011-06-09 15:20:00 | ライフワーク

幕末以来の名残を留める、甲州街道筋の本陣の建屋は東京都内で唯一残される希少な存在である。
日野宿の名主が代々住んでいたが、戦後手離し、蕎麦屋さんに買い取られ「日野館」の看板で長い間、営業していた。街道より奥まった建屋は江戸時代の和風建築で独特の雰囲気を持っている。
蕎麦を食べる雰囲気作りに一役を買い、蕎麦通に人気を得ていたようであった。
その蕎麦屋も2004年に手離し、市にバトンを渡し、以来歴史建造物として観光拠点になっている。
外周の生け垣、敷きつめられた砂利道で建屋の土間に通じ、建物はそのまま維持されており、蕎麦屋と全く変わらない。
そんな慣れ親しんだ蕎麦屋フアンが、蕎麦を信じて疑わず、土間まで入り込み、「冷たい蕎麦を」と注文したり。
黒い服に身を包む法事の帰り集団が、蕎麦でもと立ち寄ることなど、当地に根付いた蕎麦屋イメージが未だに抜けきれない。
外門から土間の入り口に通じる花道は砂利が敷きつめられ、「ザク・ザク」と踏む音が、響き、館内入場を告げるメッセージである。
しかし、前述の蕎麦屋で迷走したり、単なる雪隠利用でそそくさと出てってしまったり、「サクサク」音が入場者に繋がらない。

月1度の巡り合わせ、殆どスルーパスの平日に時間待ちの日もあれば、休日に切れ目ない来館者の応対に声を枯らすことなど千変万化の世界である。
久しぶりの平日の当番に、終日時間を弄ぶ日であったが、閉館間際に珍しく、ハングルヨジャの入館があった。
『イルボンマル、(日本語)アラスミカ?(判りますか)』と問いかけたら、びっくりした顔で
『ネーネ、アラスミダ(はいはい、判ります)、ハングルマル・チョウスミニダ(韓国語上手いですね)』
と言われ、『コマップスミニダ』とお礼の言葉で応じた。
変なおやじが、突然の変事に、ハングルヨジャばかりか、回りが驚いていた。
こんなことは滅多にないが、機会の全くないハングルの引き出しは既に何処変え飛んで行ってしまい、すっかりさび付いてしまった。しかし、現地、堤川での生活に必要に迫られての言葉だけに、体で覚えたハングルの一部は中々消えそうも無い。
時間があればともっと話しかったが、閉館時間で叶わず、『アニョンヒ・ケシプシオ』のサヨナラ言葉で閉めた。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/