春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

冬真っ最中のニセコ

2012-02-17 23:05:00 | 北海道旅行

列島全体が寒さで冷えきっている。
ご多分に漏れず、北海道の各地も記録的な大雪に見舞われている。

昨年の盛夏にそのnisekoに行ったことが思い出される。
冬なら賑わいを見せるゴンドラも、真夏のこの時期に訪れる人も少なく、空気を運ぶゴンドラがゴトゴトを音を立てながら動いていた。
黄色と青の派手なゲートがゴンドラの乗り入れ口のniseko Mt. resort Grand HIRAFUとの英語表記ばかりの目立ったスキー場であった。

標高1898Mの羊蹄山がデンと構える姿が目の前に迫ってくる、綺麗な稜線など見事な山容に感動する。
冬まっしぐらのニセコ、今頃は白ペンキで塗り立てられ、雪かぶる、羊蹄山の姿は蝦夷富士そのものあろうと想像する。

その真夏のHIRAFUのスキー場、周辺もゴーストタウンの様に人姿が見えず、寂しかった。
カラスの群れが、地上を俯瞰し、街中を歩くと、その後を追い、薄気味悪かった。



そんな同地も今は豪雪の中、訪れるスキー客で駐車場も一杯である。本土とは違う寒さに、上質の雪が人を招き、隆盛を極める今や、本格的なスキーシーズンであろう。
すっぽり雪に埋まる車の姿に自然の凄さが伝わってくる。
夏の一時、僅かに開いていたのが日本式キッチンバー「阿武茶」で食事した。
我々東京からこの時期の来店に、そこのオーナとのんびり雑談した。
横浜からHIRAFUへ敢えて、この厳しい所に移り住み、観光客相手に夢を語っていた。
今頃、この厳しい自然の中、敢然と逞しく頑張って居るのであろう。この時期の大雪の報に今頃どんな生活をしているのであろう。ふと、思い出して見た。

「北の国から」に魅せられる

2011-11-06 16:31:00 | 北海道旅行

「北の国から」1982年に放映したと言われるから大凡30年も経つているが、BSで再放送されている。
30年の年月は地デジ化された今日、アナログTV時代の名残で解像度は低く、画質が悪いが、出ている役者さんも、30年前に引き戻され、野暮ったさと反面、実にみずみずしい。



主役の黒板五郎(田中邦衛)はあの風貌と独特の語り口の強い個性は此処が原点なので有ろうか。
未だ幼い純(吉岡秀隆)と蛍(中島朋子)は役者さんの原石を見るようで、ドラマの展開が少年、少女から大人に育つていくアルバムをそのまま成長の記録をたどるよう、壮大なドキュメントである。
こんな長いスパンを素材とした作品をテレビの前に釘付けすることは恐らく、もう生れることもないであろう。


ドラマは物溢れる、豊かな時代に敢えて背中を向けて、人里離れ、電気も水道もない原野の富良野の麓郷の自然の原野が舞台になっている。

キタキツネが時には顔を出したり、自然真っ只中の厳しい冬と雪解けの草木が芽吹くのどかな春など豊かな四季に全編を通じて富良野の麓郷の世界を鮮やかに捕らえている。
電気も通わぬこの地に、風車を造り、手作りの風力発電に成功し、電気の明かりが灯される。
生活に欠かさない水は遥か離れた沢から、一々手桶で担ぎ運んだが、導水管を敷設し、手元には何時も水が流れ過酷な水運びの重労働から解放される。
何も無い所だけに、こんな気の遠くなるインフラ整備から、始まり、無から有に克服して行く。
ボロボロの廃屋を根城に文明から完全に隔離された世界で自給自足の世界を挑戦的に生きて行こうと、僅かな村の協力者と孤軍奮闘する黒板五郎。
未だ幼い純と蛍が五郎の背中を見ながら、多感な歳をこの原野で過ごしていく生き生きとした三人の物語である。


明日の農業や酪農に志を持ち、厳しい気候と広大な原野に入植し開拓したが、折しもバブル崩壊がこうした最前線までひたひたと押し寄せ、建物を残したまま消え去って行く。
手塩にかけ、家族と同じように可愛がっていた馬を手放すまでに追い詰められ、遂に自殺してしまうなど、こんな過疎の世界でも、家族と集落から次々に生れる事件が、この物語を膨らまし、さて何が起きるんだろうと引き込まれてしまう。


これから手作りのログハウスへの挑戦が始まる。小生が横浜のマンションで暮らした折、同じマンションの同居したIさんも、定年後、北の大地でログハウス暮らしを着々と準備を進めていた。
その後、お会いする機会も無くなってしまったが、今頃、果たして夢が叶えたのであろうか・・・。

今頃、ニセコでは

2011-10-31 16:33:00 | 北海道旅行

多摩地区も朝は、10℃を割り、流石、寒冷地仕様の拝も半袖、ショートパンツ姿では耐えられず寒さの変わり目に風邪をひいてしまった。
「当たり前だよ、無理しやがって、馬鹿だね」・・・なんて言われそう。
寒いと言えば、夏に行ったニセコもそろそろ、初雪もそろそろかなと、季節は夏から秋を飛び越して一直線で冬に行ってしまうのであろうか
写真は真夏でも運転するゴンドラ。殆ど独占状態の豪華気分で乗ってしまった。


道内、車で地方に一歩入ると人が居ないが、夏のニセコもゴーストタウンのようであった。
ヒラフのスキー場の真ん前、ゴンドラまで歩いて数分の距離にホテルニセコアルペンに投宿する。
お多分に漏れず、お客は少なく閑散、おみやげ屋もこうこうと明かりがついているが人影も少ない。
目の前に羊蹄山が迫り、素晴らしい炯眼に、最高の場所である。
街では全く人影もなく、上空から、歩く方向に付いて廻るカラスの鳴き声が静かな街に響き渡り、何時襲われるかと、俯瞰するカラスが不気味にさえ思えてくる。
まさに夕闇に迫るころ、不気味なゴーストタウンを歩き、今宵の夕食場所を探したが、店を選びようもなく、唯一開いていたのがJapanese Kitchen & Bar 「阿武茶」に入った。
店内は高い天井と広い店内は、雰囲気を作りのためであったが少し暗めの照明は、洋風を意識してのことであった。
夏時間に日が沈むのに時間がかかり、ちょっと早かったのか、お客も少なく、大きなテーブルの一角を確保する。
ビールに乾いた喉を潤し、つまみは店の雰囲気から洋風専門と思ったが和洋広いメニュウが準備され申し分なかった。
外は完全に真っ暗、照明の明かりが際立つころ、子供連れ、家族連れの明らかに外国人の集団が、何処から来たのか、どんどん来店する。青い目の外国人が器用に箸を使いこなしている姿に驚いたが、どうやらオーストラリアから来られた定住者のようであった。
冬、限定にとも思ったが、雪の無い時期にも、外国人がこうして暮らしているようである。

バンバン飲み、食い、お腹も充足されるころ。
「如何ですかと」
と料理服のまま、30~40代の料理人の青年が長逗留する我々のテーブルに、笑顔でに寄って挨拶にきた。
腰低くく気さくな感じの人物で、オーナである旨、紹介された。
横浜でも、同種の仕事をやっていたが、志を持って、ここニセコに訪れ、店を構えているようである。
既に、「阿武茶」で2店のオーナで、商売繁盛なのであろうか、慣れない異国のような環境にそれなりに苦労もあったと、思えるが、そんなことはおくびにも出さず、ニセコの居心地の良さに心酔されているようである。
従業員は恐らく、地元の若い人達、都会の望郷に横浜の様子も懐かしく話したかったのでは無かろうかほろ酔い気分でホテルに帰った真夏のニセコの一時であった。

「北の国から」30周年記念特番

2011-08-14 17:34:00 | 北海道旅行
<五郎の家の動力用風車>

『「北の国から」30周年記念特番‘87初恋』が放送され、思わず見てしまった。
最大で視聴率38%も越え「国民的ドラマ」とまで言われ、茶の間を賑わしたお化け番組が始まって、もう既に30年もたってしまったのかと、年月の歳月は早い。
その舞台となった麓郷は富良野から道は覆いかぶさるような樹木に覆われ、「北の国から」の里に深く入った場所にある。
そのロケ地の麓郷を行ったのが数年前、懐かしくも、その姿を思い出しながらドラマを一生懸命見てしまった。
そのフィールドとなった、土地と家屋とそして生活用品が、此処で根を下ろし現実に暮らした生活臭がする位のリアルな形で残され、物語に使われた数々の品々と触れ合う事が出来る。


<五郎の石積みの家>

黒板五郎(田中邦衛)は都会で生まれ育った純と蛍を連れ、五郎の生まれ故郷のここ麓郷に帰って、人里離れた、厳しい自然の中でどう生き、子供たちが育っていくかを、描いた物語。
文明から離れた広漠とした世界に、四季の変化。神秘的な一面の雪の世界に、きたきつねや野生動物の姿が、自然の中にある幻想的な麓郷の世界を際立たせる。
都会には全くない世界に「‘87初恋」は純(吉岡秀隆),蛍(中嶋朋子),れい(横山めぐみ),が少年、少女時代の初々しい姿、そのままで胸キュン物語が演じられる。

<黒板五郎(田中邦衛)と純(吉岡秀隆)>

田中邦衛,地井武男も丁度油の乗りきった世代の役者がこの麓郷の世界に実に生き生きとして目に映る。

もとより、成長過程の役者は幼さの中から大人に成長し、一方では成人も年相応に老いて行く、など残された写真が時の経過を物語っている。
このドラマがフアンに長く支えられ、21年も続けられたお化け番組である。
こんな素朴さを背景としたドラマを社会が受け入れたのである。世の中の早いテンポと目先の視聴率に追われこうした大作が生まれる土壌が失われてしまったのであろうか・・・。
何か久しぶりに夢中になって、倉本作品の凄さに魅せられてしまった。

積丹の最西端に行く

2011-08-12 10:22:00 | 北海道旅行

列島を襲う猛暑。日中も体温を越え40℃近く、夜間も28、9℃と熱帯の世界に、我慢の限界を越え気が狂いそう。
そんな折りに、せめて写真だけでも冷気を呼び起こせと、道央の再西端に位置する積丹半島を捉えてみた。小樽から美国港、海岸線をひたすら西下、とうとう此処まで来てしまった。
両側は絶壁、荒々しい岩礁の海岸線に打ちつける白波、尾根上に出来た小道に容赦なく吹きつける風。先頭に見えるのが灯台で神威岬である。片道20分の道のりである。
風光明媚な場所であるが、古くは西蝦夷三険岬の一つとして、険しい尾根道に、一歩間違えれば海に落ちる危険な場所が何カ所もある。
この尾根道を「チャレンカの小道」と言う。
チャレンカとは神威岩の伝説である。奥州からひそかに逃れた源義経は、日高の首長のもとに身を寄せた。首長の娘チャレンカは義経を強く慕うようになったが、義経は北へ向かって旅立ってしまう。チャレンカは悲しみにくれる。チャレンカは、「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」という恨みの言葉を残して海に身を投げてしまい、神威岩になったと言い伝えられている。以来、女性を乗せた船がこの沖を過ぎようとすると必ず転覆したため、神威岩はかつて女人禁制の地となったと言われている。

チャレンカの小道の入り口に女人禁制の門が立っている。アップダウンの激しい小道に最先端にたどり着く。険しい岩肌に四つんばいになって上り、降りするスリリングな場所もある。先端の広場にはたどり着いた観光客の群れが、海に迫り出した眺めに感動の声が、あちこちから上がる。女人禁制は昔話、群れの大変は若きも老いも女性ばかりであった。

神威岩始め周囲の島は打ち寄せる波は白波とシャコタンブルーと言われる色の青さに感動する。
日本海に迫り出す岬に、思い切り風が吹きまくり、帽子も飛ばされそうに。元より暑さ知らずの神威岬であった。
岩波に打ち寄せる波の色に涼気が、伝わってくる感じがする。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/