
最後の輝きと名をうって横浜プリンスホテルが「50年アリガトウ」の文字をともすライトアップで、50年の歴史を6月末を持って閉じてしまった。
ホテルは投資会社が買収。建物を壊して大規模マンションを建てる。
その影響力は大きかったのであろう、朝日新聞の朝刊に写真入りで報じられていた。
横浜の一つの看板でもあるが、寂しく消えてしまうのだ。
一地方のホテルの閉幕にに何故、それほどに未練がましく取り上げるのか?
実は小職が川崎事業所の勤務時代に4年弱、憧れの横浜の地の外れであるが磯子の間坂に住んで居た。
プリンスホテルに繋がる急な傾斜地の一角に住まいがあり、その目の前の高台の一角が敷地面積900坪の美空ひばり御殿であった。
高台の立地から、大変眺めも良く、横浜港に接する眺望があった。当地では港に停泊する汽笛音を一斉に鳴らす音を聞きながら新年を迎える、港の情緒もたっぷりと残されていた。
その御殿の坂を上がるとプリンスホテルがあり、近くに此れと言った遊興地もないことより、夏になるとプリンスホテル専用のプールにホテルの利用客に混じってチョットリッチな気分に浸ったことなど僅かな記憶が残されている。
もともと海水浴場として、近くに海岸があったが埋め立てられ、石油会社や食用製油会社など工業化開発が進み、その海岸線は遥か彼方になってしまった。
一方、横浜周辺も港みらい開発で三菱ドックの跡地を含めた観光開発が進められ、鉄道路線も港町中心に益々賑やかになってきた。
"磯子"その中心街から取り残されたローカル、風光明媚な唄い文句だけではもはや集客能力に欠け、採算面から最早維持することは出来ない状態に陥ってしまったのであろう。
ついこの間、孫娘と広々としたホテルのガーデニングショップへ寄ったが、平日とは言えその閑散とした姿に何となく、寂しかったがまさか閉幕とは思えなかった。
この高台とその空間がまたまた、一大マンションに吸い込まれ、此処で暮らした記憶迄消されてしまうのかと思うと全く残念である。