俳句は手ごわい、となんど思ったことか。そしてまた思い知らされる場面に出会いました。
見てた方も多いでしょうが、先ごろのNHK俳句。中ほどに挿入される「俳句の風景」で、杉田久女のあの句が読まれました。
谺して山ほととぎすほしいまゝ
読み手は多分ベテラン氏。”いろいろあるでしょうが、本当はこれ”という自信に満ちた口調で、
こだましてやま ほととぎす・・・と区切られたのです。
山ほととぎす、と一括りで読んでいたのとは、まるっきり違う景が見えてきました。
ほととぎすを欲しいままにしていたモノは何か。
短歌では、主題はおおかたの場合”吾れ”
それ故の間違いでした。
作品は一度野に放てば、どうのように受け取ろうと読み手の自由、とはいうものの、これはやっぱり恥ずかしい。
これからは、慎重に。これは自戒です。
PS 先週の”それってなーに”の答えは、同日のコメントに入れておきまし た。気が向いた方はどうぞ、開いてみてください。
見てた方も多いでしょうが、先ごろのNHK俳句。中ほどに挿入される「俳句の風景」で、杉田久女のあの句が読まれました。
谺して山ほととぎすほしいまゝ
読み手は多分ベテラン氏。”いろいろあるでしょうが、本当はこれ”という自信に満ちた口調で、
こだましてやま ほととぎす・・・と区切られたのです。
山ほととぎす、と一括りで読んでいたのとは、まるっきり違う景が見えてきました。
ほととぎすを欲しいままにしていたモノは何か。
短歌では、主題はおおかたの場合”吾れ”
それ故の間違いでした。
作品は一度野に放てば、どうのように受け取ろうと読み手の自由、とはいうものの、これはやっぱり恥ずかしい。
これからは、慎重に。これは自戒です。
PS 先週の”それってなーに”の答えは、同日のコメントに入れておきまし た。気が向いた方はどうぞ、開いてみてください。