昭和区平和美術展という展覧会に、孫娘のポートレート写真を展示してもらった。
四歳になった孫がオーディオのレシーバーに興味を持って耳にあて童謡に聴き入っているスナップ写真である。やたらと撮りまくった写真の中では、その大人っぽい表情が気に入っていて、まあ自信の一枚である。
出展にあたって作品の題名と作品についてのコメントを四十字で書かねばならない。
題名 未来が聞こえるよ
コメント 孫娘が可愛くてしようがない、彼女の未来の為にも平和を守りたい。
と表示してもらった。題名にはそこそこ自信があり満足していた。
ところが、八十才に近い老人から、「君、<未来が>は余分だね。」との指摘を受けた。
考えてみれは゛その通りであった。「聞こえるよ」の方がずっと素直で余韻がある。見る人の想像力を狭めないゆとりがある。
題名は、「俳句」より短く、それだけに余分な言葉が邪魔になる。
とても言い勉強になった。
そこで、もう一度「題名」という視点で作品を見直してみたが、ピッタリした題名はなかなか少ないものである。
四歳になった孫がオーディオのレシーバーに興味を持って耳にあて童謡に聴き入っているスナップ写真である。やたらと撮りまくった写真の中では、その大人っぽい表情が気に入っていて、まあ自信の一枚である。
出展にあたって作品の題名と作品についてのコメントを四十字で書かねばならない。
題名 未来が聞こえるよ
コメント 孫娘が可愛くてしようがない、彼女の未来の為にも平和を守りたい。
と表示してもらった。題名にはそこそこ自信があり満足していた。
ところが、八十才に近い老人から、「君、<未来が>は余分だね。」との指摘を受けた。
考えてみれは゛その通りであった。「聞こえるよ」の方がずっと素直で余韻がある。見る人の想像力を狭めないゆとりがある。
題名は、「俳句」より短く、それだけに余分な言葉が邪魔になる。
とても言い勉強になった。
そこで、もう一度「題名」という視点で作品を見直してみたが、ピッタリした題名はなかなか少ないものである。