学年末が近づくと、一瞬よぎるささいな思い出、・・・「あふひ」。
ワタシは小学校の6年間を東区の葵小学校で過ごしました。
徳川大名家の下屋敷の跡とかで、校庭の大松がシンボル。
今思えば教育には、かなり熱心で先進的。先生たちにも恵まれていました。
ワタシの在学中は、なかでも綴り方がかなり重視されていたようです。
コンクールのようなものもあり、選ばれた作品は、学年末に学校通信の小冊子に載せられて、配られます。
その冊子が「あふひ」。親に渡しても、当時の親は家事や勤めに大忙し。いつ読んでくれたやら。
あふひはあふひのまま、毎年が過ぎて行きました。
これが葵の旧かな表記と気づいたのは、ずいぶん後の事。
そういえば、ワタシはいまでも旧仮名遣いは苦手。あふひの亡霊を引きずっています。
ワタシは小学校の6年間を東区の葵小学校で過ごしました。
徳川大名家の下屋敷の跡とかで、校庭の大松がシンボル。
今思えば教育には、かなり熱心で先進的。先生たちにも恵まれていました。
ワタシの在学中は、なかでも綴り方がかなり重視されていたようです。
コンクールのようなものもあり、選ばれた作品は、学年末に学校通信の小冊子に載せられて、配られます。
その冊子が「あふひ」。親に渡しても、当時の親は家事や勤めに大忙し。いつ読んでくれたやら。
あふひはあふひのまま、毎年が過ぎて行きました。
これが葵の旧かな表記と気づいたのは、ずいぶん後の事。
そういえば、ワタシはいまでも旧仮名遣いは苦手。あふひの亡霊を引きずっています。