575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

塔句会の結果   遅足

2009年02月26日 | Weblog
民放OBでつくっている「塔句会」
私も参加しています。575の会とはまた違った感じです。



 自由題             (作 者)   選 者

牡丹の蘂藁囲ひはみ出せり(松ヶ崎)  
貸し借りの貼紙増やす君子蘭(寺井)  中野 松田
水ぬるみ米とぐ指がしなやかに(荒川)  石田 清水 中野
美濃札所半世紀目に開帳す(角谷) 
「まあだだよ」答ふる声の浅き春(江本)  荒川 石田 中野 角谷 
香しき宇治の仮橋春立ちぬ(石田)    荒川 小泉
はじまりは男富士なり雪解川(寺井)    松田    
小半刻土に膝つき菊根分け(松ヶ崎)   江本 清水 寺井 大橋
蝋梅やみなうつむきて乱れけり(竹内)    松田
寄せられて空手の雛三千体(大橋)    松ヶ崎 小泉 松田
中国語ぽんぽん弾け伊勢参り(石田)    荒川 寺井 大橋
冴え返る咳また咳のご挨拶(中野)    松ヶ崎 石田    
いっせいに空に声あげ犬ふぐり(大橋)    松ヶ崎 清水         
盆梅や歴史をうとふかほりかな(竹内)     
雪解水分水嶺を北南(江本)    寺井 松ヶ崎 
下萌えに恵みの雨の深夜かな(寺井)    小泉 竹内
この春も片栗の花咲いている(荒川)    石田 寺井
如月や八十路の宴の銀の匙(小泉)    大橋 
福寿草無数の空を持っている(松田)    江本 竹内 角谷
春雷や峠の彼方伊吹山(清水)   
紅梅や鉄路とまりていきいきと(角谷)
生いたちのちがう姉弟や蕗の薹(松田)
妻をえて幾度春の通りける(松田)    石田 大橋
春となり首をすくめる新芽かな(荒川)    竹内 中野    
梅割りに梅を浮かせる宵の膳(中野)    小泉 角谷
寒明の突風過ぎて鴉啼く(清水)    荒川 角谷
足ひれを翻へし海女消えにけり(石田)    松ヶ崎 荒川 松田
鍵穴を手さぐりしたる余寒かな(松ヶ崎)   江本 大橋    
窓開けて鼻うごめかす夜の梅(中野)
残る雪この世の汚れ吸い尽くし(角谷)    清水
竜安寺道の緑も寒明ける(清水)    小泉 竹内 
春寒や埴輪の眼がらんだう(江本)    寺井 中野 角谷  
女人集ひ長谷寺和讃春を呼ぶ(大橋)      
水仙や目覚めて咲ひて華やぐか(竹内)
片濡れの句碑の平仮名春時雨(小泉)    江本
餅花や古き町並み箱階段(小泉)    江本 清水 竹内

1人が3句を出句し、5句を選句しました。

※3月の句会も25日で、「東生涯学習センター1F第1集会室」です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荻原先生の歌    遅足

2009年02月26日 | Weblog
今日の先生のブログを覗いていたら、
こんな歌が最後に載っていました。
(毎日一首づつ発表していらっしゃるようです。)


 どこまでも続く木立やつきかげとともに朧に帰属してゆく

                     荻原裕幸

分かりやすい歌ですが、一箇所だけ?
最後の「帰属」という言葉。
融けていくでもないし、還っていくでもないし・・・
朧になっていくでもないし・・・

この言葉の使い方が先生流なんでしょうか?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蘭を抱く   麗

2009年02月26日 | Weblog
先日、お値打ちなデンドロビウムの鉢を花屋さんで見つけ購入しました。
白に紫の縁取りがある可憐なデンドロ。
駐車場まで重たい鉢を抱えて歩いているとき
なぜか植物なのに動物を抱いているような感覚がしました。
洋ランはどこか肉欲的な気がします。
長生きさせて来年も花をつけてほしいものです。

そして、今朝ゴミ出しに行ったら近所の植え込みに一輪の黄色の
クロッカスが咲いているのを発見。なんだか嬉しくなりました。

     早春や蘭を抱いて帰る道   麗
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朱露さんとの往復メール    遅足

2009年02月26日 | Weblog
朱露さんとの間のメール交換。
面白い展開なので、了解をいただきブログにも。
最初にメールを送ったのは遅足です。



朱露さま。

最近、俳句は低迷中です。飛躍の時期は、なかなか。
結局やってこないかも。(遅)


遅足さま。

俳句には低迷も飛躍もないと思うけど、どうでしょうか?
自分の俳句を作るという厄介なことに直面するだけですかね。
自分の俳句だから人には分らない、という覚悟は必要ですね。
俳句はその冒険がやりやすい文芸だと思いますが如何ですか?(朱)

                            
朱露さま。

確かに冒険がやりやすい文芸ですね。
芭蕉の言った不易流行ではないですが、
なじみ深さと新奇さの両方を満足させるわけですから
17文字では新奇さを求めると、どうしても他人には
分かりにくい句になってしまいますね。(遅)


遅足さま。

「不易流行」(芭蕉の用語)不易は詩の基本である永遠性、
流行はその時々の新風。二つとも風雅の誠から出るのだから、
根源は同じ。と、広辞苑に書いてある。しかし・・・
価値観・生活感が固定している芭蕉時代はそれでいいけど、
21世紀日本の俳句ではそうはいかないと思います。
今でも、殆どの俳句は(勿論プロも含めて)芭蕉時代です。
つまり俳句は「現代の文芸じゃない!」ということです?!
「五七五で現代を描く」にはどうしたらいいか?
現代俳句の唯一最大の課題ですね。まだ方法論はないです。(朱)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする