①いきいきと死んでゐるなり水中花
②いきいきと死んでをるなり兜虫
川柳作家の樋口由紀子さんは、この2つの句について
こんなことを言っています。
①は川柳人が、②は伝統派の俳人に支持する人が多い。
川柳人には、生きているように見える死んだ兜虫は、
そのままで、面白くない。
川柳は、自分との関係でモノを詠む。感情移入をする。
もともと生死と関係のない水中花。
それを死んでいるようだと見る。
①は、自分を水中花に感情移入した句。
一方、②の兜虫の句は、
モノとしての兜虫を取り出してみせた句。
兜虫という季語が持っている世界にひたって
句を味わうことになる。
川柳人には、季語感覚がないので、兜虫の句は興味を引かない。
寄物陳思。
モノに托して思いを陳べる、とは昔から言われていること。
いずれにせよ思いを伝えるために詠むのですが
比重の置き方に違いがあるようです。
思いを陳べるためにモノに比重を置いて詠む。
思いを悟らせない。これが俳句。
一方、思いに比重をおいてモノを詠む。モノは脇役。これが川柳。
私は、どうも川柳のほうが好きなようです。
②いきいきと死んでをるなり兜虫
川柳作家の樋口由紀子さんは、この2つの句について
こんなことを言っています。
①は川柳人が、②は伝統派の俳人に支持する人が多い。
川柳人には、生きているように見える死んだ兜虫は、
そのままで、面白くない。
川柳は、自分との関係でモノを詠む。感情移入をする。
もともと生死と関係のない水中花。
それを死んでいるようだと見る。
①は、自分を水中花に感情移入した句。
一方、②の兜虫の句は、
モノとしての兜虫を取り出してみせた句。
兜虫という季語が持っている世界にひたって
句を味わうことになる。
川柳人には、季語感覚がないので、兜虫の句は興味を引かない。
寄物陳思。
モノに托して思いを陳べる、とは昔から言われていること。
いずれにせよ思いを伝えるために詠むのですが
比重の置き方に違いがあるようです。
思いを陳べるためにモノに比重を置いて詠む。
思いを悟らせない。これが俳句。
一方、思いに比重をおいてモノを詠む。モノは脇役。これが川柳。
私は、どうも川柳のほうが好きなようです。