575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

京都のお菓子を訪ねて    遅足

2011年09月16日 | Weblog
今回は、京都市上京区にある上御霊神社の門前、
水田玉雲堂で売っている「唐板煎餅」。
由緒は平安時代までさかのぼるそうです。

        

昔、平安京を次々と襲う疫病などの災い。
原因は、恨みを呑んで死んだ怨霊の仕業と考えられ、
天皇は、御霊会を催し怨霊をなだめました。
この御霊会が、上御霊神社の前身。
祀られているのは、崇道天皇(早良親王)など、権力争いに敗れた皇族たち。
神社には庶民は祀られていません。
庶民には、恨みを呑んで死んでも祟るパワーはなかったようですね。

御霊会で、神前に捧げられたお菓子が「唐板煎餅」の前身。
この煎餅を口にすれば厄病除けになると信じられたのです。

その後、応仁の乱で京の町が荒廃。
御霊会も廃れ、煎餅も姿を消してしまいました。

平和が戻り、上御霊神社の一角に、煎餅を焼く店が登場。
これが水田玉雲堂だそうです。
以後、数百年、昔ながらの製法を守って煎餅を焼いてきたそうです。

この煎餅、短冊の形。 原材料は、小麦粉、砂糖、鶏卵。
口に入れると、薄くパリパリっとした歯触り。
味は、実にシンプル。口の中で溶けた時の味わいはカステラに近い。
一度、お勧めの味です。

以下は蛇足です。

京の町を荒廃させた応仁の乱。
室町時代に、畠山一族の内紛がきっかけで始まりましたが、
その戦いは、上御霊神社の境内の森で始まったとのこと。
応仁の乱発祥の地と、書かれた立て札が立っていました。

応仁の乱以降、日本は高度経済成長期に入りました。
それに伴って、人間の力が増し、神々や怨霊のパワーが弱くなります。
怨霊も畏れられるものから、恐くて滑稽なものへと変貌していきました。
いまだに心霊写真というものが信じられているのも、
現代人のココロのなかに、怨霊が生き続けている証拠でしょうか。



コメント
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