今回は、京都市上京区にある上御霊神社の門前、
水田玉雲堂で売っている「唐板煎餅」。
由緒は平安時代までさかのぼるそうです。
昔、平安京を次々と襲う疫病などの災い。
原因は、恨みを呑んで死んだ怨霊の仕業と考えられ、
天皇は、御霊会を催し怨霊をなだめました。
この御霊会が、上御霊神社の前身。
祀られているのは、崇道天皇(早良親王)など、権力争いに敗れた皇族たち。
神社には庶民は祀られていません。
庶民には、恨みを呑んで死んでも祟るパワーはなかったようですね。
御霊会で、神前に捧げられたお菓子が「唐板煎餅」の前身。
この煎餅を口にすれば厄病除けになると信じられたのです。
その後、応仁の乱で京の町が荒廃。
御霊会も廃れ、煎餅も姿を消してしまいました。
平和が戻り、上御霊神社の一角に、煎餅を焼く店が登場。
これが水田玉雲堂だそうです。
以後、数百年、昔ながらの製法を守って煎餅を焼いてきたそうです。
この煎餅、短冊の形。 原材料は、小麦粉、砂糖、鶏卵。
口に入れると、薄くパリパリっとした歯触り。
味は、実にシンプル。口の中で溶けた時の味わいはカステラに近い。
一度、お勧めの味です。
以下は蛇足です。
京の町を荒廃させた応仁の乱。
室町時代に、畠山一族の内紛がきっかけで始まりましたが、
その戦いは、上御霊神社の境内の森で始まったとのこと。
応仁の乱発祥の地と、書かれた立て札が立っていました。
応仁の乱以降、日本は高度経済成長期に入りました。
それに伴って、人間の力が増し、神々や怨霊のパワーが弱くなります。
怨霊も畏れられるものから、恐くて滑稽なものへと変貌していきました。
いまだに心霊写真というものが信じられているのも、
現代人のココロのなかに、怨霊が生き続けている証拠でしょうか。
水田玉雲堂で売っている「唐板煎餅」。
由緒は平安時代までさかのぼるそうです。
昔、平安京を次々と襲う疫病などの災い。
原因は、恨みを呑んで死んだ怨霊の仕業と考えられ、
天皇は、御霊会を催し怨霊をなだめました。
この御霊会が、上御霊神社の前身。
祀られているのは、崇道天皇(早良親王)など、権力争いに敗れた皇族たち。
神社には庶民は祀られていません。
庶民には、恨みを呑んで死んでも祟るパワーはなかったようですね。
御霊会で、神前に捧げられたお菓子が「唐板煎餅」の前身。
この煎餅を口にすれば厄病除けになると信じられたのです。
その後、応仁の乱で京の町が荒廃。
御霊会も廃れ、煎餅も姿を消してしまいました。
平和が戻り、上御霊神社の一角に、煎餅を焼く店が登場。
これが水田玉雲堂だそうです。
以後、数百年、昔ながらの製法を守って煎餅を焼いてきたそうです。
この煎餅、短冊の形。 原材料は、小麦粉、砂糖、鶏卵。
口に入れると、薄くパリパリっとした歯触り。
味は、実にシンプル。口の中で溶けた時の味わいはカステラに近い。
一度、お勧めの味です。
以下は蛇足です。
京の町を荒廃させた応仁の乱。
室町時代に、畠山一族の内紛がきっかけで始まりましたが、
その戦いは、上御霊神社の境内の森で始まったとのこと。
応仁の乱発祥の地と、書かれた立て札が立っていました。
応仁の乱以降、日本は高度経済成長期に入りました。
それに伴って、人間の力が増し、神々や怨霊のパワーが弱くなります。
怨霊も畏れられるものから、恐くて滑稽なものへと変貌していきました。
いまだに心霊写真というものが信じられているのも、
現代人のココロのなかに、怨霊が生き続けている証拠でしょうか。