575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

敬老の日若い父母の写真見る    朱露

2011年09月05日 | Weblog
    疫痢・肺結核・腹膜炎で三回死んだ。
    「体の傷は天下御免の通行手形だ!」
    親に丈夫な体を貰っただけだ力むな。
    目の前に二人居たら厳しく説教する。

             



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河馬が来て甘納豆とレモン食ふ   狗子

2011年09月05日 | Weblog
河馬といえば、俳句の世界では坪内稔典さん。
稔典さんと言えば、この句。

  三月の甘納豆のうふふふふ

また、河馬が好きで、日本中の河馬を見てまわり、河馬の本も。
もちろん河馬の句もあります。

  桜散るあなたも河馬になりなさい

この句は、こうしたことを踏まえて詠まれたもの。
甘納豆の好きな河馬は、レモンも好きであろう、という意味でしょうか。
河馬のような人、あるいは、河馬そのもの。
私は、本物の河馬が食べる、というナンセンスを楽しむ句として読みました。


坪内さんは、なぜ甘納豆や河馬に入れ込むのでしょうか?
本のあとがきの中で、こう書いています。

気分が沈滞すると言葉も元気を失う。感性とか思考とかも鈍る。
いつのころからか、そのように考えるようになった私は、
意図して自分の気分を刺激し、わくわく感を醸そうとした。
それが、毎朝必ずあんパンを食べるとか、柿を訪ねるとか、
カバに会うという行動になった。
過剰なまでに何かを愛することが私の気分を刺激した。
その愛する何かは、一般的にはあまり高く評価されていないものがよい。
どちらかといえばバカにされたり見過ごされたりしているもの。
そういうものを過剰に、しかも意識的にこだわって愛するとき、
気分がわくわくする。

私と狗子さんに続いて、河馬になってみようかな。   遅足




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子規の倍生きてひたすら酒を飲む    朱露

2011年09月05日 | Weblog
     子規は明治35年9月19日没35才。
     35才当時私は何にもしていなかった。
     その後40数年何にもして来なかった。
     私嘘と坊さんの頭はゆったことがない。

              



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